第五章

第1話 手負いの獣

「凄い店だな」

 西新宿の裏路地にある居酒屋で、店内を見回していた西島は感嘆の声を上げた。

 昭和を閉じ込めたようなその店は、裏路地を更に入ったところにひっそりと建っていた。まさに隠れ家的な店である。

 西島のグラスにビールを注いでいた間宮は、「いいでしょ」と言ってにやりと笑う。

 雨に洗われ、朽ちかけたような木造の建物。格子の引き戸を開けると、そこには飴色に輝く世界がある。

 つい最近まで煙草を吸える店だったとのことだから、これは脂によるものかもしれないが、それがノスタルジックを極限まで演出していた。

 そして、木札に筆文字で書かれた品書きが狭い店内にずらりと並んでおり、空いた壁面には、古い振り子の時計や色の剥げた『ひょっとこ』や『オカメ』の面をはじめとする、郷愁を誘う民芸品が雑に飾られている。

 ここは間宮が時々飲みに来る店だそうだが、あまり人に教えたくない店だと言うのも納得出来た。

「なんだか落ち着くんですよね。それに料理も美味い。この角煮なんか最高ですよ」

 言われて箸をつける。しっかりと厚みのあるバラ肉が、箸ですっと切れた。口に入れるとまたほろりと崩れ、煮汁と肉汁が相まって絶品である。

「これは、酒が進むな」

「そうなんです。他にもお薦めが有ってですね……」

 そう言って間宮が追加で注文しようとした時だった。


 ──キンコン、キンコン。

 

 胸ポケットで鳴ったラインの通知音に、西島は全身の血の気が引いた。

 ぽとりと、箸から角煮が落ちる。

 西島の胸で鳴ったそれは、以前の葉月のアカウントからの通知音──。

 つまりこれは、ハングマンからの連絡だ。

「どうしたんです?」

 間宮は箸を持ったまま固まる西島に異変を感じ、肩を掴んだ。

「西島さん!」

「ハングマンだ……」

 囁くように言い、西島は間宮を見つめた。

「まさか……」

 西島は箸を置き、ポケットからスマホを出して通知を確認した。

 通知は2つ来ており、それらはやはり『久住』とあった。

 新しい葉月のアカウントから来たラインは『葉月』となっている。

 そして──。

「動画が添付されてる……」

 西島は総毛立つのを感じた。頭がチリチリとし、全身の血が沸き立つ。

 恐怖と怒りが入り混じり、今にも叫び出しそうだった。

「僕が確認しますか」

 そう言う間宮の顔も強張っている。

 前回送られてきた動画も間宮と一緒に確認した。

 その為、間宮もそれがどういう事なのか想像がついているのだろう。

「いや──。大丈夫だ」

 西島はごくりと喉を鳴らすと、通知をタップし──。

「んああああああっ!」

 西島は絶叫するなり、立ち上がった。

 その勢いで木製のテーブルがひっくり返り、料理と酒が派手に床へとぶちまけられる。

「西島さん!」

「野郎ッ! ぶっ殺してやる!」

 他の客を突き飛ばしながら店の外へ飛び出す。しかし勢い余って躓き、西島は電柱脇に積んであったゴミの上に倒れた。

「クソ野郎ッ! クソ野郎ッ!」

「落ち着いて!」

 叫び、暴れながら、狂ったようにゴミ袋を蹴破る西島を、間宮は後ろから羽交い絞めにした。

「離せ! 間宮!」

 西島は間宮の手を振り払い、間宮をねめつけた。

 はあはあと息を切らし、据わった目で間宮を見ている。

 その姿は人と言うより、獣だった。

「西島さん……」

 間宮も真っ直ぐに西島を見ると、スッと、手にしたスマホを突き出して言った。

「闇雲に走り回ったところで、彼女は見つかりませんよ」


 ──被告人を捕らえた。


 そう書かれた吹き出しと、その下で動く、ジャージ姿の葉月の動画が表示されたスマホを。


 *   *   *


「落ち着きましたか」

 店の近くの新宿公園──。

 間宮は薄闇の中、ベンチに座る西島に缶コーヒーを差し出しが、西島はそれを受け取ることもせず、ただ俯き、唇を噛んでいた。

 西島の胸には絶望しかなかった。

 高知でハングマンからのラインが来て以来、葉月の身を案じ、常に行動を共にし、自宅への送り迎えもした。

 だが、本人にもこの危険を伝えておくべきだったのだ。

 怖がらせないよう、彼女を自分で護ろうとしたが、それに無理があった。

 スマホに表示される葉月の動画をもう一度見る。

 彼女はまたしてもガムテープで口を塞がれ、どこか、暗く狭い場所に閉じ込められているようだった。

 ガムテープの奥で唸りながら、体を捩っている。

 そんな葉月を嘲笑うように、カメラは彼女の顔や体を舐めるように動く。

 髪は乱れ、顔は恐怖でゆがみ、目は真っ赤だ。

 縛られた葉月はジャージを着ていた。

 家で着替え、ウォーキングやランニングでもしようと外に出たのだろう。

 自分が、このリスクを葉月に伝えていれば──。

「見ても……いいですか」

 そういう間宮に、西島は黙って自分のスマホを渡した。

「どこか……分るか……」

 掠れた声で間宮に聞く。

 間宮は黙って頭を振った。

「情報量が少なくて……。狭い部屋の中に監禁されているのかもしれませんね」

 西島は頷いた。

 間宮の言う通り、画角が狭く情報が少ない。

 狭い場所故に、以前のように離れて撮ることが出来ないのかもしれない。

 間宮は暫く考え込んでいたが、スーッと息を吸うと、ゆっくり話し始めた。

「……ハングマンは、自分の作品に拘りを持っているのですよね?」

「ああ……」

「だとしたら……、やはり、彼にとって、これは遺憾なんじゃないでしょうか」

 間宮の突拍子もない言葉に、西島は思わず顔を上げた。

「どういうことだ?」

「僕も写真を撮るので思うんですけど、前回に比べてこれは、正直美しくない。下品です」

 そう言うと、間宮は西島の隣に腰を下ろした。そして「はい」ともう一度西島に缶コーヒーを手渡す。

 今度はおとなしく受け取った。

「こだわりの強いハングマンが、なぜクオリティを落とさねばならなかったのか」

 間宮の言葉に、西島は黙って頷いた。

「最近、都内で廃工場や廃倉庫のパトロールが強化されてますよね」

「ああ……。ヤツが、これまで3件の殺人と、久住の殺害未遂全てで、そう言った場所を使ってるからな」

「だからじゃないかな……」

 間宮はそう前置くと続けた。

「そういった場所が使えない。だから、自分の思うクオリティが出せないような所へ連れて行くよりなかった」

 西島からため息が漏れた。

「探しようがねぇな……。いや──」

「どうしました」

 間宮は急に立ち上がった西島を見上げた。

「彼なら……知っているかもしれない」


 双子の弟、新堂文也なら──。



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