第7話 偽装死
東京に戻った西島と葉月は、奈々未の携帯電話のデータ確認をサイバー犯罪対策課に依頼した。
また、帳場の隅で森永と渡邉に報告を行う。
森永は実に興味深いと言って西島の話に耳を傾けたが、その間、渡邉は親の仇でも見るように西島を睨んでいた。
「しかし──」
手にしていたボールペンの尻で長机をコンコンと打ち、森永は言った。
「その新堂拓哉はもう亡くなっているのでしょう?」
「仰る通りです」
「つまり、可能性としては双子の弟、神父の新堂文哉がハングマンである可能性が高いと言う事ですね?」
「いや、それは──」
はっきりしない西島に、森永の眉間に皺が寄る。
そして、ひとつ息をつくと続けた。
「新堂拓哉と文哉は一卵性双生児なのでしょう?」
「奈々未の実兄によると、そのようです」
我ながら奥歯に物が挟まったような言い方だと西島は思った。
森永もそれが気に入らないのだろう、じろりと西島を睨んだ。
「であれば、遺伝子的にも同じなのではないですか?」
森永のいう事も尤もだ。
一卵性双生児は、一つの卵子に一つの精子が受精した後、その受精卵が二つに分かれて誕生するため、遺伝子情報はほぼ一〇〇%同じなのだと言う。
だが、あの新堂がハングマンだとするのは早計だという考えが西島から離れない。
「その考えに踏み切れない理由でもあるのですか?」
西島の腹の中を見透かしたかのような森永の言葉──。
西島は黙り込んでしまった。
五年前のあの日、自暴自棄になっていた西島は桜の木の下で新堂文哉と出会い、それからずっと、彼は西島の心の拠り所であったのだ。
そんな彼が──。
「西島刑事。どうなんですか?」
答えられなかった。
西島の迷いは明らかに私情だ。ここまで来て、まだ新堂文哉がハングマンではないことを願っている。
「私は──」
「ゥオイ! 西島ァ!」
渡邉が、肩を怒らせ、腹を揺らしながらずかずかと西島の前まで来て胸倉を掴んだ。
「貴ッ様ァ! ハッキリしろ! 何とか言え!」
「渡邉さん」
森永の冷ややかな一言で、渡邉は直ぐに西島から手を離したが、西島の胸をドンと突くと舌打ちした。
森永が息をつく。そして繰り返した。
「どうなんです、西島刑事」
西島はぐっと拳を握った。
「西島刑事?」
「……私は彼を……知っています」
森永の眉がぴくりと上がった。射るような視線を西島に投げかける。
西島は森永の視線を受け止めることが出来ず、彼が手にしているボールペンをただじっと見つめていた。
新堂文哉と交流があると知られたら、捜査を外される可能性がある。
しかし、逆にそれを利用せよと言われる可能性も──。
自分の返事ひとつで左右すると知っている西島は迷った。
どうする──。
どう答えるべきなのか──。
「それは、私情が邪魔をしていると言う事ですか? 西島刑事」
図星なだけに答えられない。
森永は手にしていたボールペンを長机に置くと、足を組み、椅子の背に体を預けて言った。
「なら、この事件から手を引きますか」
森永の言葉に、胸がずきりとした。
視界の端では、渡邉がにやりと唇を吊り上げるのが見える。渡邉は班長として、自分がホシを上げたいと躍起になっているのだ。
渡邊は再び西島の方へ歩み寄り、自分が掴んだ西島の胸元を撫でるようにして、シャツの皺を伸ばした。
「それがいい。私情を挟んじまったら、見えるもんも見えねぇよな? そうだろ、西──」
「待ってください!」
それまで黙って後ろに控えていた葉月が声を上げた。
全員の視線が葉月に集まり、葉月は一瞬戸惑った様子を見せた。
しかし──。
「あの……」
「なんです? 久住刑事」
森永に見据えられ、葉月は慌てて背筋を伸ばす。ごくりと喉が鳴った。
「そ、その……、新堂拓哉は……死亡認定です。遺体も上がっていません」
「だからなんです? それは戸籍謄本と先ほどの報告で既に分かってます」
森永は苛ついているのか、片目を若干眇めるようにして葉月を見た。
結論を早く言えと言わんばかりだ。
葉月はそれに圧倒されていたが、思い切ったように視線を上げて森永の目を見ると、絞り出すように言った。
「ほっ、本当に、新堂拓哉は亡くなったのでしょうか」
「なっ……! 女のくせに! 寝言を言うな、久住!」
「渡邉さん!」
普段冷静な森永が長机を叩き、帳場がしんと静まり返った。
「渡邊さん、少し席を外してください。あなたがいると話にならない」
「警部! 私はこのヤマの──」
「外されたいのですか?」
森永はその一言で渡邉を追い出すことに成功した。
静かになったところで再び深いため息をつく。一気に疲れが出たと言った感じだ。
特にハラスメントに関しては、現在警視庁でもかなり厳しい。それでも、渡邉のような時代に取り残された刑事はまだ沢山いる。
「久住刑事、渡邉さんの失言は、私に免じて──」
立ち上がる森永に葉月は「気にしていません」と言ったが、森永は申し訳ないと頭を下げた。
少し気まずい空気が漂ったが、森永は続けましょうと葉月を促した。
「ええっと……」
「本当に新堂拓哉は亡くなったのか」
森永が、教師のように助け舟を出す。
葉月は「そうでした」と言うと続けた。
「えっと……、西島さんが迷うのは、その可能性を捨て切れないからです」
「その可能性。つまり、新堂拓哉は偽装死で、今も生きていると──」
「はい! その可能性は捨てきれません」
葉月の言葉に森永は「ふうん」と言った声を漏らす。葉月はずいと詰め寄った。
「調べるべきだと思います!」
* * *
「すみません。咄嗟に適当な事を」
自販機コーナーで、葉月はそう言うと頭を下げた。
「少しでも時間稼ぎが出来るかと思ってしまって……つい。ごめんなさい」
「おい、謝るなよ」
西島はくすりと笑うと、冷たい缶コーヒーを葉月に手渡す。そして、プールの脇にでもありそうな青いベンチに腰を下ろした。
「俺は、お前がそう言うのを聞いて、むしろなぜその可能性を考えなかったのかと、はっとした」
「え、ホントですか?」
「ああ。森永も言ってたじゃないか。コイツは調べる価値があるって。凄いぞ、久住」
葉月は嬉しそうな、それでいて面はゆいような表情を浮かべる。
西島はそんな葉月を抱きしめたい衝動に駆られたが、それをぐっと堪えると、代わりに缶コーヒーで乾杯をした。
「ん?」
西島が缶コーヒーのプルタブに手を掛けたところで胸ポケットのスマホが着信を告げた。
「西島です──」
西島は何度か相槌を打つと、向かいますと言って通話を切った。
連絡はサイバー犯罪対策課からで、奈々未の携帯電話のデータの抽出が完了したという内容だった。
* * *
「電話帳とメールの内容はCSVに落とし込んだから」
サイバー犯罪対策課の捜査員は、そう言うと、ぞんざいに携帯電話とマイクロSDカードを西島に渡した。
「は? し、しーえす?」
「エクセルかスプシで開いて見ればいいよ」
知っていて当然と言った風の捜査員を前に、西島はポカンとしてしまった。
「……ペプシなら知ってるが」
「私が見ますから! すみません、お手数をお掛けしました!」
あははと笑いながら、葉月は西島の袖を引いて廊下に出る。
そして帳場に戻ると早速パソコンで読み込んだ。
エクセルが立ち上がると、西島は「は~」と声を上げた。
「こんなもんが使えるとか、凄いな」
「西島さんも、少し覚えた方がいいですよ。報告書のテンプレへの入力もあるんですし」
「ビジネス文書とかも苦手なんだよな~」
「長い文だと、どこで読点を入れたらいいかも分かんなくなりますしね」
言いながら、先ずは電話帳のタブを開く。スクロールの必要もないほど、登録された電話番号は少なかった。
兄の世良真一、職場、拓哉の学校、そして、元夫の新堂雅哉。
「随分と少ないな」
「ひっそりと生きていたんでしょうね」
「ケータイに残ってる履歴も、ほぼこの四人だな。消えた分もあるんだろうが……」
勿論、通話履歴に関しては、通信会社で数十年分取得が可能である。しかし令状が必要なこともあり、今回は携帯電話に残っている分と、メールを抽出して貰った。
次にメールのタブを開く。
メール本体に残るデータには限りがあり、本体のストレージ容量に応じて、古いメールから順次消去される仕組みになっているとのことだが、それでもかなりの量があった。
しかし──。
「やり取りをしているのは、元夫の新堂雅哉のみですね」
葉月が、古い順から並べられたデータをスクロールしながら言う。
その内容はとりとめのないものや、子育ての、つまりは拓哉の行動についての悩みが主な物だった。
「室戸岬で聞いたような話だな。動物を殺したり……」
しかし、互いに相手を思い遣る文面が多く、二人がまだ愛情を持っていることが窺える。
急に寒くなりましたね。
そっちも寒いでしょう?
あなたは風邪を引いたりしてない?
大変!
暖かくしてね。ちゃんとお薬を飲んで下さいね。
無理しないで、お医者さんに掛かって欲しいんだけどな。
私は大丈夫よ。
いつも有難う。
あなたと文哉の健康と幸せをいつも祈っています。
だが、ある時点からぴたりとやり取りが無くなった。
「亡くなる四年ほど前ですね。急に……どうしたんでしょうか」
そして次に書かれるのが最後のメール。未送信で残された、遺書のようなものとされているものだ。
拓哉が死んだ
もう生きる意味はない
ごめんなさい
さようなら
「これが……遺書ですかね」
「そう言われているな」
二人はモニターの中の文章を食い入るように見つめた。
何度も繰り返し読んでみる。すると、葉月がスクロールさせながら首を傾げた。
「なんだか、違和感があるんですけど……」
「違和感?」
「文面もそうなんですけど、う~ん……なにかしら?」
そう言って、葉月はまた上下にスクロールを繰り返す。二十分ほど繰り返していただろうか。
あっと声を上げるとモニターを指で押さえた。
「これです! 西島さん、これ!」
言われて西島は葉月の指が押さえているところ見た。
文の終わりにつけられている『。』だ。
「句点……?」
「他のメールは全て句点が打たれているのに、これだけ打たれていません」
そう言うと、葉月は比べて見られるように、新しいウインドウに同じファイルを並べ、最後の遺書らしき文とその他の文を並べた。
「ね? これも、これも。これも! 遺書らしいの文以外は、全部句点がついてます!」
葉月は興奮したように言った。
確かに、遺書らしき文以外には必ず句点がついている。
「句読点って、入れたり入れなかったりが、割とハッキリ分かれると思うんですよ。癖になってると思う」
確かに。西島は入れないが、これは知り合いに「入れないのがイマドキ」と言われ、かなり意識して今に至っているのであって、それ以前はごく自然に入れていた。
入れている時は、当たり前に、それこそ葉月の言うように、癖であるかのように無意識で入れていた。
「特に年配の方はキッチリ入れてますよね。
奈々未さんも当時は、それを当たり前のように入れてたんじゃないでしょうか。
だけど、この最後の文だけ入ってない。と言う事は──」
「別人が……書いた……」
「その可能性、ありませんか?」
二人は見つめ合うと頷き、そして確信した。
奈々未は自殺ではない。何者かによって殺されたのだ──と。
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