第8話 幽霊
奈々未の死に疑問を持った西島と葉月だったが、いきなり行き詰っていた。
一体どうやって証明すればよいのか。
西島はため息交じりに温くなった缶コーヒーを啜った。
「奈々未さんの自殺で、目撃者はいないと言う事ですものね」
葉月もパソコンの前で腕を組むと、うーんと唸る。
室戸署の捜査資料にも特段記載はなく、世良真一が保管していた奈々未の死体検案書についても同様だった。
流されている間に岩で傷つき、腐敗し、海洋生物に突かれたと言った記載はあったが、それ以外に他殺と思われるような記述はなかったのである。
「なにせ一八年前だからな。とっくに火葬されてる訳だし、遺体から痕跡を調べるのも不可能だ」
西島は参ったなと、頭を抱えた。
その時、西島のスマホが胸ポケットで着信を奏でた。
画面には、市外局番『〇八八七』から始まる番号が表示されている。
西島は通話ボタンを押すと、慎重に「西島」と応答した。
『西島さん? 室戸の久江です』
聞こえてきたのは、つい先日聞いたばかりのしゃがれ声。
「久江さん! 先日は有難う御座いました。お元気ですか?」
西島はそう言うとスマホを指差し、葉月に相手が久江であることを告げた。
そしてスピーカー通話にすると、横にいた葉月も久江に話し掛ける。
「久住です。久江さん、この前は有難うございます! どうされました?」
『あ~、葉月ちゃん。なんちゃあないぜよ。雨が降ったらピーマンとナスが急に太ったき、あんたらに食べて欲しゅうてね』
久江の声は弾んでいる。きっと今日も元気に畑に出ていたのだろう。
西島が「いいんですか」と言うと、うんうんと嬉しそうな声が返って来た。
『ここも年寄りばっかりになったき、話し相手もおらんで。あんたらが来てくれて嬉しかった。
昔は隣の松田さんの奥さんのミヨコさんとも仲良うしちょったんやけど……あれ……?』
そこまで言ったところで、久江は何か思い出したらしく、そう言えば、と続けた。
『すーっかりわすれちょったけど、拓哉くんの幽霊を見たって、ミヨコさんが言いよったね』
「幽霊?」
『うん。あの子らが住んじょった世良の家から、拓哉くんがスーッと出て来たんやって。
ミヨコさんがビックリして声を上げたら、そりゃあ恐ろしい顔で睨みつけて来たち言いよったぜよ。
それを聞いて、私も恐ろしゅうて。早よう忘れようってしとった』
突拍子もない話に二人は顔を見合わせたが、西島はハッと息を呑むと、スマホを掴んだ。
「久江さん! それ、いつの事ですか?」
西島の剣幕に久江は少々驚いたようだったが、直ぐに返事が返って来た。
『ん~。こじゃんと昔ちや。お母さんの奈々未ちゃんが亡くなる直前の話やき……。あれ、何年前かね』
「十八年前です!」
葉月も興奮気味に答える。
『ああ、もうそがになるかね』
西島と葉月の高揚感に反し、久江は変わらずのんびりと話す。西島は話の先を促した。
「久江さん、因みにそのミヨコさんは?」
『それが心臓発作で亡くなったぜよ。奈々未ちゃんがおらんようになってすぐ。
元々心臓も悪かったし、直前に飼うちょった犬が、毒団子食べて死んでしもうたき、がっくりきて弱っちょったんやろうね』
「毒団子……?」
『ゴキブリらを殺すのに、団子にホウ酸を入れるんやけど、それを食べたがやないかって。
やけんど、賢い犬やったき、自分の餌以外に食べるとは思えん言うて毎日泣いとった』
これは──。
西島の心はざわざわとした。そして同時に湧き上がるのは、何かが形になって行く時に出るアドレナリン。
西島はスマホを口元まで持っていくと、久江の名を呼んだ。
「久江さん! 助かりました! とても有益な情報だ」
『ん? あ、そうかい? んじゃ、こんど野菜を送るき。楽しみにしちょってね』
「有難うございます!」
西島はスマホに頭を下げると通話を終了した。
西島は興奮していた。激しく興奮していた。
スマホをポケットに滑り込ませると、葉月の腕を取り、ずいっと身を寄せる。そして、「久住、どう思う?」と聞いた。
「え?」
葉月は頬をうっすらと染め、「どうって……」と、視線を泳がせている。
「今の久江さんの話を聞いてどう思う? スジ読みしてみろ。想像でいい。とんでもない想像でいい」
「あ、えっと、待って下さいね……」
葉月は西島に圧倒され、手のひらを膝の上で上下させながら心を落ち着け、そして考えを纏めた。
「ええっと……新堂拓哉は、室戸の水害で亡くなってはいなかった」
「うん」
西島が頷く。それを確認すると葉月は更に続けた。
「で……、世間から隠れるようにして、ひっそりと生きていた」
「うん」
「そして、母親の奈々未は……」
そこまで言って、葉月はハッと息を呑み、西島を真っすぐに見つめて言った。
「奈々未は自殺ではなく、拓哉に殺害された!」
西島は「いいぞ」と葉月の二の腕を優しく叩くと、ニッと笑った。
「俺も同じ意見だ。更に言うなら──」
西島は立ち上がると、指で指揮を執るようにしながら、机のまわりをゆっくりと旋回した。
歩くことで考えがまとまり、はっきりとしてくる。
「そう──。拓哉にとって母親の奈々未は、遺族の申請が必要な『死亡認定』の手続きに必要な人物だった。
だから、死亡認定が下りるまで、奈々未は生かされていた。
そして恐らく──、ミヨコさんも拓哉に殺されている。犬を殺したのも拓哉だろう。
自分を目撃した、ミヨコさんを殺害するのに邪魔だったからだ!」
「ミヨコさんまで……」
葉月は思わず口元を覆った。
そんな葉月の肩をポンと叩くと、西島は「まだ想像の域を超えていないが」と前置きしながらも、再び葉月の隣に腰を下ろすと、ふわりとした柔らかな笑みを浮かべた。
「お前のおかげだよ、久住」
「え……」
「新堂拓哉は本当に生きているのかもしれない。その可能性をお前が口にしなかったら、今の久江さんの話も、ただの幽霊話で終わっていたに違いない」
「じゃあ、裏を取らなければいけませんね!」
「そうだな」
この事件はまだまだ分からない事が多過ぎるのだ。
何故、奈々未を殺さねばならなかったのか。
何故、そうまでして自分の存在を消さねばならなかったのか。
カギを握るのは、恐らく──。
双子の弟、神父の新堂文哉──。
ひとつずつ、積み重ねて奴に近付いてやる。
そう決意する西島の脳裏に、新堂文哉と同じ顔をした怪物が浮かんだ。
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