第5話 噂

 久江の『拓哉は母親の奈々未が殺したのではないか』と言う衝撃的な話に、西島は息を呑んだ。

「待ってください。高潮に流されて亡くなった訳じゃないんですか?」

 葉月は驚きのあまり思わず声が大きくなり、久江に詰め寄ろうとする。西島はそんな葉月を押し留め、久江は「噂やき」と、慌てて手を振った。

「あの家……あの子は、ちっくと変な子やったき。でもなあ……。うぅん……」

 久江は何やら言いよどんでいる。

 しかし、それは言ってはならない何かを知っているようにも思えた。

「どんな些細な事でも構いません。新堂母子の生活ぶりを知りたいです!」

 お願いしますと、葉月は手を合わせる。西島も頭を下げた。

 久江は少し困った顔をしたものの、姉さんかぶりの手拭いを取ると、それを手の中で揉みながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「あの子……ああ、拓哉君やけんど。あの子がこんまい頃は……、だいぶ叱られちゅうのを、ウチもよう見た。

 母親がその……、なんちゅうんかヒステリックで。

 一番びっくりしたがは……、回覧板を持って行った時やな。

 そん時に、母親が泣きながらあの子に馬乗りになって首を絞めちゅうのを見た」

 久江は、あれは恐ろしかったと、体を震わせる仕草をし、西島と葉月は、暫し言葉を失った。

「それで……、どうしたんです?」

 西島が先を勧めると、久江は飛び込んで助けたと言った。

「母親はもう、鬼婆みたいやった。あれ以来見たことはないけんど、子供が一〇歳ぐらいになるまで、母親のキイキイ言う声やら、物が壊れる音をよう聞いたわ」

「例えば、拓哉さんに知的障害があったとか、そういった事は」

「なんもないよ。ただ……ちっくと変わった子やった」

「どんな風に?」

 西島が更に聞く。しかし、久江は首を振った。

「こん、ババにはよう言えん。近所にあん子の同級生がおるから、そん子に聞いて」

 久江はそう言って、ここから少し岬の方へ行ったところにあるカフェを教えてくれた。そこに拓哉の同級生がいると言う。

 西島と葉月は、丁寧に礼を言うと、そのカフェへと向かった。


 *   *   *


 夕方となり、客の切れ間なのか、店には誰一人として客はいなかった。

 自宅の一階を改装して作った店で、カフェと言う洒落た感じではなく、店主に聞いたところ、夜はスナックになるのだと言う。

「東京の刑事さんがこがなとこに何の用や?」

 店主の鈴木は、エプロンを外すと、隣のテーブルから椅子を引き寄せて腰を下ろした。

 鈴木の顔には、興味津々の様子がありありと見て取れる。

 拓哉の同級生と言うから、三五歳のはずだが、三八歳の西島よりも若干老けて見えるのは、結婚して子供を育てていると言う落ち着いた生活のせいだろうか。

「実は今、二〇年前に亡くなった、新堂拓哉さんについて調べています」

 そう前置いて、西島は拓哉が子供の頃どんな少年だったのか聞かせて欲しいと頼んだ。

 すると、鈴木は「うへぇ」と言って、蛇でも見たような表情を浮かべた。

「刑事さんら、『怪物くん』の事を聞きに来たがか?」

 葉月は小首をかしげると繰り返した。

「怪物くん?」

「そ」

 鈴木は短く言って、嫌悪感を露わにした。

「拓哉のあだ名や。アイツはもう、ほんま最悪やったわ。生きとったら今頃、人殺しにでもなっちょったんじゃないがか?」

 

 ──人殺し。

 

 突然の際どい言葉に葉月は口元を押さえ、西島は更に鈴木を促した。

「何故そう思うんです? なにかそう思わせるようなエピソードが?」

「いやあ、アイツは幼稚園の頃からちっくと変わっちょった。動物の死骸を持ってきたりして」

 その他にも、虫を潰してみたり、同じ幼稚園の園児を遊具から突き落としたりと、動物や誰かに対して可哀想と思う感情が抜け落ちたような子供だったと言う。

「それだけやない」

 鈴木は声を低くすると、怪談話でもするかのように言った。

「ワシらが小学生になった頃から、今度は学校の生き物がしょっちゅう死ぬようになったがや」

 鈴木によると、教室で飼っていたメダカが全部浮いていて、傍には空になった家庭用漂白剤が丸ごと1本置かれていたり、学校で世話をしていたニワトリやウサギが切り殺されたりしていたという。

「なんせ、アイツの周りで次々とそんな事が起きたがじゃ」

 その為、学校側が教員を見張りに置いたところ、深夜に包丁を持った拓哉が現れ、柵を切ってウサギ小屋に入った。

 拓哉を問い詰めると、これまでの事件もすべて自分だと、平然と白状したのだと言う。

「ワシ、アイツの母ちゃんが呼び出されちゅうのも見たけど、あの母ちゃんも変やった。

 校長らがギャーギャー言うがを、ボケーっと聞いちょったもん。幽霊みたいな顔やったぜよ。だから──」

 鈴木は誰もいないと言うのに、片手を口元の横に立て、声を潜めた。



「ワシらの間じゃ、あの母ちゃんが拓哉を殺して、そんで自殺したんじゃないがかって噂になっちゅうよ」


 *   *   *


 西島と葉月は高知市街に戻り、予約しておいた、国道沿いにあるビジネスホテルにチェックインすると、荷物を置いて近くの居酒屋で食事を取ることにした。

 その店では、鰹のタタキは勿論、鰹のタタキを巻いた土佐巻きなどの魚介や寿司、天ぷらに中華と多種多彩なメニューが揃っている。

 酔っぱらいの騒々しい声が響く中、二人は座敷席でメニューを覗き込んでいた。

「塩タタキですって。ポン酢じゃないんですね」

 葉月は珍しそうにメニューを指差す。

「本場じゃ、塩とニンニクで食べるらしいぞ」

「ニンニク……?」

 途端に葉月の顔が曇った。

「どうかしたのか」

「い、いえ。なんでも。あ、私、天ぷらがいいな!」

「じゃあ、俺は塩タタキにしよう」

「…………」

「なんだよ」

 葉月は「なんでもありません」と言いつつも、がっくりと肩を落としている。

 西島は変な奴だなと言いながら、店員を呼んだ。


 *   *   *


「ん! 美味い!」

「天ぷらもお寿司も最高! お魚が新鮮ですね!」

 次々と運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。

 塩で頂くタタキは、ポン酢と違ってまた格別だったし、天ぷらもサクサクとしていて、香りもいい。

 更に『土佐鶴』と言う地元の酒も堪能した。

 すっきりした味わいで、後味も軽やか。料理の味を損なわない。

 二人はゆっくりと料理を味わいながら、今日見聞きしたことについて話し始めた。

「今日の聞き込み、驚きの連続でしたね」

 ほんのりと頬を染めた葉月が言うと、西島は頷いた。

「拓哉の異常性もそうだが、母親の方もなかなか……。まあ、これは拓哉の行動に悩んだ奈々未が病んだ結果なのかもしれんがな」

 鈴木の、母親の顔が幽霊のようだったと言う言葉が脳裏を過ぎる。

 自分の子に共感力がなくその上嗜虐的とあれば、母親の苦悩は如何程であったかと想像に難くない。

「本当に神父の新堂さんがサイコパスなんでしょうか。

 むしろ、亡くなった双子の兄の方がサイコパスのように思えます」

「そうだな」

 むしろそうであって欲しい。西島は心の奥底でそんな風に考えていた。


 ──キンコン。


 西島の胸ポケットで、ラインの通知音が鳴った。

 スッと、酔いが覚める。

 西島のラインは、葉月しか知らない。

 そして、葉月はあの監禁事件以来スマホが見つからないと言う。

 勿論、証拠品に紛れていないか確認したが、それは見つからなかった。

 つまり、葉月のスマホは──。

 酒のせいではない動悸が西島を襲う。

「西島さん、どうしたんですか?」

「あ、いや。なんでも」

 西島は塩タタキを一切れ口に放り込むと、時間を確認するふりをして、さりげなく通知を確認した。


『久住葉月は有罪。死刑に処す』

 

 血の気が引いた。

 喉の奥が締まってタタキが飲み込めない。西島は酒で無理やり流し込んだ。

 思わず周囲を確認するも、変わった様子は見受けられない。

 そもそも、『ハングマンの姿』など確認出来ていないのだから、分かりようもないのだが。

 葉月は、病院での事情聴取で「犯人に二股の罪と言われた」と証言したと聞いた。

 しかし、そのような事実はない。考えられるとしたら──?


 ハングマンが、葉月は西島と間宮を両天秤に掛けていると誤解した。


 この可能性が最も高い。

 西島は更に思考を巡らせた。

 確か、新堂が葉月と最初に顔を合わせたあの晩、ラーメン屋で食事をした後、公園で彼女を抱きしめた。

 あの時、公園で人の気配がし──。

 ハングマンは、西島と葉月をのっぴきならない関係だと知った。

 その後、間宮と葉月が一緒にいるところを目撃し、二股と誤解をしたのかもしれない。

 目の前の葉月は、西島の心の内など知るはずもなく、美味しそうに料理をつまんでいる。

 西島は、その幸せそうな表情を眺めながら、ぐっと唇を噛んだ。

 


 もう二度と、あんな思いはさせない。

 させてはならないのだ──。

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