第4話 高知へ
翌朝、西島と葉月は高知空港に降り立った。「高知龍馬空港」とも呼ばれている国管理空港である。
西島は予約していたレンタカーショップでセダンを受け取ると、トランクに荷物を載せるべく、葉月のキャリーを持ち上げた。
「一泊二日なのに、随分と荷物が多いな」
「女の子は色々と大変なんですよ~」
ホテルに行けば必要なものは一通り揃っているのは分かっているが、それでは可愛くないのだと葉月は言う。
西島は、「そんなもんかね」と肩を竦めると、運転席に乗り込みハンドルを握った。
二人は先ず、そのまま高知市役所へと向かった。
空港から凡そ三〇分の距離にあり、ガラスと打ちっぱなしのコンクリートで作られた、シンプルでモダンなデザインの庁舎だ。
「すごく大きいですね。それにかっこいい!」
「まだ新しいらしいからな」
二人は随分と立派な庁舎に圧倒されつつ、揃って中へと入った。
* * *
「いや、すみません、お待たせして。戸籍謄本を確認したいって聞いたんやけど、何か事件ですかね」
スラックスにポロシャツというラフな格好の、市民課の課長だという男性は、そう言うと西島と葉月の前に腰を下ろし、松尾と名乗った。
年のころは六〇前という感じだろうか。流石に老眼らしく、丸メガネを少し下げて書類を確認している。
「捜査上の情報になりますので詳しくはお話しできないのですが、お願いした女性と、その息子さんの消息について調べています」
松尾は、じっとメガネの上から西島を見たが、ひとつ頷くと戸籍謄本を差し出した。
「お探しの新堂奈々未さんと、息子の拓哉さんね、確かに当市に本籍がありました。
ただね〜、やっぱりお亡くなりになっちょりましたわ」
松尾によれば、戸籍謄本から女性は二〇〇六年に死亡しており、息子の拓哉の方はその前年の二〇〇五年に『死亡認定』が下りている事がわかったとの事だ。
「死亡認定……ですか?」
聞きなれない言葉に、葉月は目をぱちくりさせている。
「そうそう。事故や災害なんかで生死が不明な場合に、法律上死亡したとすることね」
「なにか、大規模な災害があったんですか?」
「ああ、若い人は知らんかもしれんね」
説明を受け、更に質問を重ねる葉月に、松尾はそう言うと続ける。
「二〇〇四年の一〇月に、高知県に大型の台風が上陸してね」
そこで一旦切ると、松尾は思い出したように「まあどうぞ」と二人に冷えた麦茶を勧め、言葉を継いだ。
「その台風による高波で防潮堤が破壊されて、まぁ~沢山の死者と行方不明者が出たがです。
この人らの最後の住所も被災地じゃから、もしかしたら……息子さんの死亡認定はそのせいじゃなかろうかね」
自分もあの当時は随分と大変な思いをしたのだと松尾は話し始め、葉月はうんうんと相槌を打ちながら耳を傾ける。
しかし西島はと言うと、その話は右から左で、息子と母親が相次いで亡くなっていることに不自然さを感じていた。後追い自殺だろうか……。
とはいえ、戸籍謄本には死亡原因や死因については記載されることはない。これは所轄の警察署で確認する他ないだろう。
「あの、すいません」
西島は話を遮ると、被災地を教えて欲しいと頼んだ。
松尾は「待っちょってね」と言うと立ち上がり、小さな地図を持って戻って来た。
高知県へ訪れた観光客向けの、見どころをピックアップして詰め込んだ、イラストチックな地図だ。それを、三人は頭を突き合わせるようにして覗き込む。
高知県は平仮名の「へ」を裏返しにしたような形をしているが、その右先端を、松尾はささくれた、皴だらけの指で指し示した。
「この、南の方にとがっちょるところから、ちょっと戻ったここ。ここが現場。この堤防が破壊されたんですわ」
「ここはなんという所ですか?」
「ああ、ここはねぇ──」
室戸岬町──。
松尾はそう教えてくれた。
* * *
その石碑は堤防の前にぽつんとあった。
周りは雑草に覆われ、ここが慰霊の場所だと言う事が忘れられているかのようだ。
石碑も潮風によってくすんで見える。
「……地元であっても、こうやって風化していくんだな」
「ここで沢山の方が亡くなられたなんて信じられませんね」
二人が立っているのは、室戸市室戸岬町の被災跡地である。
この直ぐ近くにある所轄警察署、室戸署で聞き込みをした後、現場へと足を運んだのだ。
──二〇〇四年一〇月二〇日、水曜日、午後二時三〇分頃。
台風による高潮で堤防が破壊され、一気に海水が流れ込み、海沿いにあった家々が高波に襲われた。
その時室戸市沖では、国内の観測史上最高の波高、一三・五五mが観測されたと言うから、その威力は凄まじい。
流れ込んだ海水は家屋をなぎ倒し、そして家の中にいた人を次々と飲み込んだ。
戸籍謄本に記載された住所から言うと、新堂奈々未、及び拓哉親子の住まいは、崩れた堤防のほぼ真ん前に位置していたと思われる。
間違いなく高波の直撃を受けたと思われる。
室戸署での聞き込みによると、その日、当時十五歳だった息子の新堂拓哉は、学校を休んで自宅にいたところ、高潮に襲われ、そのまま行方が分からなくなったと言う事だった。
その時、母親の奈々未はパートに出ており難を逃れていたと言う。
「それで遺体も上がらず、そのまま死亡とされたんですね?」
葉月の問いに西島は頷くも、首を傾げた。
「しかし、これによると恐らく母親が死亡認定手続きを裁判所に申し立てを行ったのだろうが……」
「なにか腑に落ちない事でも?」
「いや、東日本大震災で被災したり、家族が行方不明になりながらも未だそれを行わず、帰りを信じて待っている人も大勢いる。母親がそうあっさりと申し立てを行うだろうか」
「ひょっとして、息子の後を追って……とか?」
葉月は直接的な言葉を避けつつも、奈々未が後追い自殺をしたのではと言う見解を示した。
確かに、母親の奈々未の死因は自殺であった。
隣県にあたる、徳島県の大島と言う無人島の海岸沿いの岩に引っ掛かっているところを、偶然釣り人によって発見されたのである。
当時は潮の流れから、室戸岬の先端から入水したのではないかと推測された。
また、現場には確かに奈々未のものと思われるバッグと携帯電話があり、携帯電話には宛先のない遺書と思われるメールが保存されていたそうだ。
状況から自殺と考えるのも当然と思われる。
西島自身も、息子を失った母親が後追い自殺をしたのかと考えたが、過去の経験から物事に対して慎重になっている西島は、後追い自殺と結論付けるのも早計であるともしていた。
「とりあえずは付近で奈々未母子についての聞き込みをしよう。拓哉が一体どういう風に育ったのかも気になる。全てはそれからだ」
「そうですね。先ずは……母子の家があった地区から行きましょうか?」
そう言うと葉月は背後の集落を振り返り、西島は頷いた。
離婚し、郷里へと戻って来た奈々未と拓哉。
ここでの母子の暮らしはどういう物だったのだろうか──。
* * *
雑草だらけの被災跡地から、細い町道に上がると、古い住宅が海に背を向けた状態で並んでいる。
「表に向かうか」
そう言って、葉月と並んで歩き始めた時だった。
一軒の家の裏門から、姉さんかぶりの、腰の曲がった老婆がバケツを持って出て来た。
西島と葉月をちらと見ると、眉間に皺を寄せて訝しむ様子を見せたが、ゆっくりと町道を横切ると、バケツに中の雑草を空き地に捨て、またのろのろと引き返して行く。
その様子を見た葉月が西島を見上げる。
西島は黙って頷いた。
「あの──、すみません」
「あ?」
「私たちは、東京の警察のものです。二十年前の高潮と、その時被災した方のお話をお聞きしたいのですが──」
「……警察? ほんま?」
「はい」
言いながら、葉月と西島は、無遠慮に視線を投げかけて来る老婆に身分証を提示した。
老婆は珍しそうにそれを見て、本物かと聞く。
西島が本物ですよと答えると、「
「最近営業を装うた詐欺師がおる言うて回覧板に書いてあったき、てっきりそうなんか思うた」
そう言うと老婆は、しゃがれ声で山本久江と名乗り、足腰が痛くて立ち話もなんだからと、二人を自宅に誘った。
「こんなもんしかないけど」
久江は、狭い庭に面した縁側で、西島と葉月にスーパーで買ったと言う和菓子と麦茶を差し出した。
そして、よっこいせと腰を下ろし、自分もコップの麦茶をごくごくと飲む。
「まっこと暑いねぇ」
「ええ。年々暑くなりますね」
三人は暫し天気の話をはじめ世間話をしたが、久江は思い出したように二人を見ると言った。
「で? 今日はなんぞね?」
「実は──。二十年近く前に、ここに新堂奈々未さんと、その息子さんで拓哉君と言う男の子が住んでいたと思うのですが」
「しんどう……。しんどう、しんどう……」
久江はうーんと考えると、ああと言って、節くれだった手をパチンと合わせた。
「世良さんの姪っ子だ」
「世良さん……」
葉月が復唱し、西島をちらと見た。
世良は新堂奈々未の旧姓であることが、戸籍謄本で明らかになっている。
「そうそう。今はもうのうなってしもうたけんど、そこに世良さんちゅう、おじいさんが住んじょったんや」
久江は、先程二人が見に行った被災跡地を指差した。
「その人が亡くなったもんやき、世良さんの妹の、正子ちゃんの子が引き継いだがぜよ」
「それが新堂奈々未さんなんですね?」
久江はうんうんと頷くと、まっことかわいそうやったと言いながら、自分のコップに麦茶のお代わりを注ぐ。
葉月は久江が麦茶を注ぎ終わるのを待って聞いた。
「あの、拓哉さんは高潮で亡くなったと聞きましたが……」
「うん。駐在さんはそう言うとったけど……」
そこで一旦切ると、久江は声を潜めた。
「この辺じゃ、あの母親が殺いたがやないかっちゅう噂があったがぜよ」
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