第2話 青天白日

 清瀬市の廃工場。ここに、何者かに拉致された葉月がいる。

 そう思うと気が急いた。

 しかし、間宮のアパートがある幡ヶ谷からでは、電車でも、車であっても一時間はかかる。

 暫し考え、西島はスマホを取り出すと電話をかけ始めた。

「警視庁捜査一課の西島です──」

 間宮の視線を感じて西島は思わず背中を向けた。油断は出来ない。しかし、だからこそ、この方法がベストなのだと西島は言い聞かせた。

「よし」

 西島は通話を終えると、スマホをしまい、振り返った

「新座駅前交番の巡査に、先に様子を見に行くよう頼んだ。逐一報告がある。行くぞ」

「一緒に行っていいんですか」

 驚いたように間宮が言う。西島は足を止め、間宮を振り返った。

「逃げられても困るしな。勿論、現場に行って、お前の犯行だと分かったらその場でワッパかけてやる」

 そう言って、西島は足元に有った白いパーカーを間宮に投げた。

「着ろ。今日も日差しが強い」

 間宮はパーカーを受け取ると微笑んだ。

「了解」

 

 *   *   *


 幡ヶ谷駅に着いたところで、新座駅前交番の巡査から連絡が来た。窓から確認したところ、西島の言う通り女性が倒れていると言う。

「無事かどうか分かりますか?」

『私が中を確認した際、女性は身動ぎしておりました』

 西島は安堵から膝が震え、息を呑んだ。

 

 生きてる──。

 

『踏み込みますか』

「あ、いや。犯人が側にいないとも限りません。そのまま待機して下さい」

 巡査を危険に晒す訳にもいかない。何か変化があったらすぐに連絡するよう頼むと、西島は通話を切った。

「応援を呼んだ方がいいんじゃないんですか」

 間宮が言うことも最もだ。だが、そんな事をしたら──。

「帳場じゃお前を真犯人と目してる。そんな事をすれば、有無を言わさず拘束されるぞ」

「へぇ。西島さんの考えは違うんですね?」

 間宮は嬉しそうだ。唯一露出している目が細められている。

「いや、俺は──」

 西島は答えに詰まった。間宮を完全に信用している訳じゃない。

 しかし、今は葉月を救出することが先決だ。

「……急ぐぞ」

 間宮の問いには答えず、西島は先を急いだ。

 現場に行けば、きっとハッキリするに違いない。

 

 *   *   *


 新座駅で下車し、線路沿いに走る。

 すると、荷台に「弁当箱」と呼ばれるスチール製の白い箱を乗せた警察用の自転車が目に入った。

「あそこです」

 間宮も指差す。そこは以前建材を加工していた工場だったらしいが、現在は廃業し、朽ちかけた木材やガラクタが、あちこちに放置されていると言う。

 敷地内からひょっこりと制服警官が出て来た。手を振っている。

 二人は急いだ。

「ご苦労様です、西島です。どうですか」

 敷地を囲む塀の陰にしゃがむと、西島は巡査に状況を聞いた。

 巡査によると、現在の所、特段何の変化もなく、周囲に人の気配もない。そして、葉月と見られる女は変わらず身動ぎしていると言う事だった。

「この暑さです。早く助け出さないと、あの女の人の体力も持たないでしょう」

 巡査の言う通りだ。西島は礼を言うと救急車の手配を巡査に頼んだ。

「それと、サイレンを鳴らさないよう指示してください」

「了解です」

 小さく敬礼をする巡査の二の腕を軽く叩いて労うと、西島は自分を奮い立たせ、姿勢を低くしたまま敷地へと入った。間宮もその後ろを追う。

 間宮が指し示した建物の窓の脇に、左右に分かれて壁に体を寄せる。

 互いに顔を見合わせると、西島は頷いた。

 そっと窓から中を窺う。


 久住──!


 プレハブのがらんとした工場の中、西島たちがいる窓の丁度左斜向かいの壁の近く。細い柱に繋がれた葉月が倒れ込んでいた。

 動画で見た通り、口にはガムテープが貼られている。

 なんとか抜け出そうとしているのか、必死に体を捩らせていた。諦めず、脱出を試みているのだ。

 事実、余程動き回ったのか、スーツには大量の赤土が付着している。

 西島は周囲を窺った。工場の周りも一周してみたが、人の気配はない。

「合図を送ってみましょう」

 間宮が言い、西島は頷く。

 間宮は小さくガラス窓を叩いた。

 すると、葉月がこちらに気付いた。

「ん! んんッ!」

 ガムテープの下で声を上げる。

 西島はガラス窓に手を掛けた。

 開いた──。

 そのまま隙間から小さく声を掛ける。

「久住。大丈夫か」

「ん!」

「誰もいないのか」

「ん!」

 頷きながら、くぐもった声を上げる。

「西島さん、行きましょう!」

 西島は頷くと、間宮と共に窓から入った。

 

 *   *   *


 口を封じていたガムテープを剥がしてやると、葉月は激しく咳き込んだ。

 手足を拘束していたガムテープも取ってやる。

 しかし、長く拘束されていたことで血流が悪くなっていること、そして恐らく脱水症状もあるのだろう。体の痺れと脱力で、葉月は自力で起き上がる事すら出来なかった。

 猫の子のように、ぐにゃりとした体を起こし、抱きしめる。葉月は西島の腕の中で子供のように声を上げて泣いた。

「怪我はないか?」

 葉月の髪を撫でながら西島が聞く。葉月は小さく頷いた。

 日に二度、朝と晩に水が与えられ、それでなんとか凌げたのだと言う。

「よく無事で……」

 間宮もほっと息をつく。

「犯人の顔は見たか」

 西島の問いに葉月は首を振ったが、きっぱりと、間宮ではないと証言した。

「顔を……見てないんじゃないのか?」

 西島がそう言うと、葉月は間宮の腕を指差す。

「犯人は……両腕を露出してました。でも、日光アレルギーのただれの痕……なかったです」

「他に気付いた事はあるか」

「ん、におい……」

「におい?」

 葉月は頷いた。

「香水……? 凄く、いい匂いがした」

「西島さん、救急車です」

 間宮が立ち上がる。

 西島は葉月を抱き上げると、間宮と共に工場を出た。

「西島さん……」

 葉月は西島の首に腕を回し、ぎゅっとしがみ付いてきた。

 愛おしいと思った。

 守りたいと思った。

 誰にも傷つけはさせないと──。

「よく、頑張った」

 

 西島は葉月に頬を寄せると、葉月の髪に唇を押し当てた。

 

 *   *   *


「申し訳なかった」

 病院に到着すると、西島はそう言って間宮に頭を下げた。

「仕方ないですよ。僕も廃工場をうろついていたし、ニートで夏場にパーカー。怪しいところしかなかったでしょう」

 間宮はそう言うとくすくすと笑う。西島は苦笑した。

「でも、なんだって廃工場の写真なんか」

「趣味です」

 間宮は笑顔でそう言ったが、直ぐに真顔になって言い換えた。

「──と、言うのは建前です」

 間宮の、感情を殺したような目が西島を捉える。

 間宮は、「座りませんか」と、西島を病院の休憩スペースへと誘った。

 自販機でコーヒーを買い、合皮が張られたベンチに並んで腰かける。

 西島がコーヒーを飲み下すのを待って、間宮は口を開いた。

「十五年前──。僕が二十歳の頃、妹が殺されました」

「当時ニュースになってた連続殺人事件だな」

 間宮は大きく息を吐くと、そうですと答えた。

「調べました?」

「まあね。それでも捜査本部はあんたを犯人だと言ってる」

 間宮は「そりゃ酷いな」と言うと天井を見上げた。

「妹は──いや、妹だけじゃない。当時の被害者は皆、廃工場で晒されるようにして遺棄されていました。最近報道されている──」

「ハングマンみたいに?」

 間宮が頷く。

「同じ奴だと思うか?」

「いや、それは分からない。でも、ずっと探してるんです。妹を殺した奴を。それで廃工場を巡って痕跡を探してた」

「そうだったのか……」

 西島はラーメン屋へ向かう際に、第二の殺人現場となる廃工場の前で間宮に出会った日の事を思い返した。

 写真を撮りながら、間宮は妹を想い、そして後悔したのだろう。些細なことで喧嘩してしまった事を、何度も、何度も、写真の数だけ。

「奴らは手口を変えない」

 間宮は強い口調で言った。

「自分は犯罪の芸術家だと思ってる。

 だけど、小説家や漫画家と違って、自分の色を出しながら新しい作品を作るような事はしない。

 サインをするように同じものを作る。そうすることで主張するんです」

「随分と詳しいな」

「何故だと思います?」

 間宮は空き缶をゴミ箱に放り投げると、その軌跡を眺めながら言った。

 

「僕も、サイコパスだからですよ」

 

 カン──。

 ゴミ箱の空き缶同士がぶつかり合う音が、やけに響いた。

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