第3話 混乱
「ちょっと待ってくれ。頭が混乱してきた」
そう言うと西島は文字通り頭を抱えた。
間宮がサイコパス? どういうことだ?
妹を殺された被害者家族なんだろう?
妹と喧嘩別れした事を後悔し続けている、そんな男がサイコパスだと?
間宮への疑いが晴れたばかりなだけに、西島は激しく混乱した。
しかし、いくら考えたところでスッキリしない。
西島はガバッと顔を上げると、間宮に向き直った。
「率直に聞く。何かやったのか? その──」
「動物を虐待したり? そんな事しませんよ。勿論、人を殺したこともありません」
「じゃあなんだ? 誰かを虐めたりすることに快感を覚えるとか……」
「それはあるかも」
啞然とする西島に「冗談です」と言うと間宮は笑った。
しかし、西島は冗談が通じない。それに、間宮の真意を率直に知りたかった。
「おい、一体どういう事か、ちゃんと説明しろよ」
「すみません。でも、正直なところ、自分でも分からないんです」
「俺の方こそさっぱり分からんよ。なんだって自分をサイコパスだと思うんだ」
二人の目の前を、シリンジや点滴などを乗せたワゴンを看護師が押していく。
それを目で追いながら、間宮は言った。
「サイコパス検査です。僕の中に、『MAOA』と言うサイコパス遺伝子が認められたんです」
「サイコパス遺伝子……?」
西島は聞き覚えのある言葉に驚いた。
「俺もつい最近、捜査会議でプロファイラーからその件は聞いたが……。でも、必ずしもサイコパスになる訳じゃないんだろ?」
「さあ、どうでしょうね」
間宮は冷めた表情でそう言ったが、はっと、驚いたように西島を見た。
「待ってください。そのサイコパス遺伝子の事、誰が話してました?」
「えっと、確か……」
西島は腕を組むと唸り、ポンと手を打つと言った。
「そうだ。横井ってプロファイラーだ」
「横井? 横井儀一ですか?」
「いや? 確かサトシ……。横井聡って名だったと思うが。横井犯罪心理学研究所とかいう所の所長で、四十絡みの気取った野郎だ。どうした?」
「僕の検査をしたのも、横井犯罪心理学研究所所長です」
二人の間に沈黙が流れる。
「間宮さん」
沈黙を破ったのは西島だった。
「詳しく聞かせてくれないか」
* * *
その日の晩。西島の足取りは随分と重かった。
それ以上に頭も重いのか、気付くと前屈みになって歩いている。
やっとの思いで歩を進めながら、西島はアパートへと向かっていた。
今日も散々な日だった。
勿論、葉月を救出出来た事はこの上ない喜びだったが、頭重の原因は、その後の間宮の告白に加え、森永と渡邉への報告である。
散々絞られ、人員不足であるから捜査から外しはしないが、向こう半年の減給は免れないだろうと言われた。
「参ったな」
思わず声が出る。
すると、街灯の下で声を掛けられた。
聞き覚えのある声に顔を上げる。
そこに立っていたのは、コンビニの袋を下げた、神父の新堂だった。その表情は変わらず優しい微笑みを湛えている。
コンビニの袋を下げた姿は少し意外な気もしたが、彼の日常の一端を感じさせ西島は少し嬉しくなった。
「新堂さん、先日は有難うございました」
西島は律義に頭を下げた。
「おや? 私が何かお役に立ちましたか?」
新堂はそう言うと微笑んだ。流石、心根が凡人とは違う。恩着せがましいところが一切ない。
新堂がこう言ってくれている時は、しつこく礼を言うのも野暮という物だろう。
西島は話題を変えた。
「今日は神父服なんですね。やっぱりその方がお似合いだ。私服だと別人のようで」
新堂は一瞬きょとんとした表情を見せたが、なるほどと言った。
「そうかもしれません。西島さんはこの格好を見慣れていらっしゃいますもんね」
「ええ。その服を見ただけで、スッと気持ちが楽になるほどです」
「本当ですか?」
「本当ですよ」
二人は夜道でくすくすと笑った。
だが、これは冗談ではない、実際新堂に会うと、肩から力が抜けるのを感じる。彼に対し、絶大な信頼を寄せているのだと改めて思う。
「そう言って貰えて私も嬉しいです。あ、そうだ」
新堂は、良かったら寄って行かないかと西島を誘った。
「実は今日、琴音ちゃんのご両親がご友人の結婚披露パーティーに行かれているので、その間彼女を預かっているんです」
琴音はこの教会に通っている信者の娘である。
五年前、この教会の前で最初に逢ったのが、当時まだ小学校一年だった琴音だ。その出会いがあって、新堂とも懇意となったと言っていい。
「随分久しぶりでしょう?」
「いいんですか?」
「勿論です。琴音ちゃんも喜びますよ」
そう言うと、新堂は西島を教会横の小さな平屋建ての家へと案内した。
「おとぎ話に出てきそうな家ですね」
西島がそう言うと、新堂がここは元々納屋だった建物なのだと言って笑った。
* * *
「西島さん!」
玄関に入った西島の姿に気付くと、琴音は走って来た。
以前はこの後飛びついてきたのだが、流石に小学校六年生ともなると恥ずかしいのか、西島が想像していたお迎えはなかった。
「昔は飛んできたのになぁ」
西島がそう言うと、琴音はもうそんな子供じゃないと頬を膨らませた。
肩で切り揃えた黒髪。色白で、大きな目を縁取る長い睫。西島を見上げるその表情は、確かに少しお姉さんになった。
「琴音はきれいになったなぁ」
「西島さんはオジサンになった。ねぇ、まだお嫁さんは来ないの?」
可愛らしく小首をかしげ、痛いところを突く。西島は引きつった笑いを浮かべた。
「お嫁さんは……残念ながらまだだな」
「でも、彼女は出来た? ねぇねぇ」
子供らしい直球に、油断した西島は思わず固まった。と同時に、葉月の顔が浮かぶ。
「いや、あの……」
しどろもどろになる西島を見て、琴音は「きゃー!」と声を上げた。
そして、台所に立つ新堂の下へと駆けていく。
「神父さま、大変! 西島さんに彼女が出来たみたい!」
「え? そうなんですか?」
新堂は手を拭くと、お祝いをしなくてはと戸棚からワイングラスを取った。
「どんな方なんですか? そんなお相手がいたなんて初耳ですよ。是非お聞きしたいな」
言いながら、冷蔵庫から白ワインを出す。
「いや、その……」
先日、教会の前で新堂に彼女かと聞かれた時に全力で否定したせいか、新堂の記憶に久住葉月は残っていないようだ。
さて、どう説明しようか。
「ええっと、素直と言うか、真っすぐで……、頑張り屋で、真面目で……」
葉月のいい所をひとつ挙げる度に顔が熱くなっていくのはワインのせいだと思いたい西島だった。
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