第三章

第1話 失踪

 ──妙だ。


 翌日、西島は酷く居心地が悪かった。

 今朝から葉月が、ちらともこちらを見ない。


 昨夜何かやらかしたか?


 ラインのやり取りを思い返してみるも、さっぱり分からない。

 デキる男なら、葉月からの『是非行きましょう』の後に、もう一言返して『おやすみ』を添える。

 それに相手からの『おやすみ』が返ってきて終了とするのだが──。

 西島は違った。


 どういう事だ?

 飯誘って、コイツが是非って言ってたろ? それ以降、別に何にも言ってないけどな。


 西島は腕を組み考え込んだ。

 こと女性に関してデキない男・西島に女心など分かるはずもなく、当然、自分が『ブチった』などとは思ってもいなかった。

「ん?」

 机の上に、葉月が無言でそっと白い小さな封筒を滑らせてきた。

「虎ノ門……金毘羅宮?」

「お守りです。昨日、折角早く上がれたし」

 わざわざ買いに行ってくれたのか。

 封筒を開けてみると、中には確かに青い厄除けのお守りが入っていた。

 葉月の横顔みる。ムスッとしているが、耳が赤かった。

「サンキュ」

 手を伸ばし、葉月の頭をくしゃりと撫でる。

「西島さんから……」

「うん? どうした?」

 葉月の蚊の鳴くような声に、思わず覗き込む。

「西島さんから……ライン、終わらせないで」

 俯いたまま、葉月がぽつりとそう言った。

 西島は正直意味が分からなかったが、むくれている原因はこれかと理解し、わかったよと答えた。

 

 *   *   *


「昨日、凄いことがあったんです」

 ラインの件で西島が約束すると、葉月は途端に機嫌が良くなった。

 女とは実に切り替えが早い。

「なんだ、凄いことって」

「間宮廉に偶然会ったんです!」

 秘密を打ち明けるかのようにそう言うと、葉月は昨日の一件を西島に報告した。

 何故昨日のうちに報告しなかったのかと、内心西島は苛立ちを覚えたが、先ずは葉月の話を最後まで聞き、胸を撫で下ろした。

「何もなくて良かった。次からは気を付けろよ」

 本当にそう思った。葉月が誘拐でもされていたらと思うと、背筋が凍る思いだ。

 葉月は素直にはいと答えたが、西島に向き直ると声を落とした。

「あの……、私、思ったんですけど……。間宮は本当にハングマンなんでしょうか。十五年前の件もそうですけど、なんだか……」

 葉月は言葉を探しているようだが、西島には間宮を擁護しているように見えた。

 急激に、むかっ腹が立つ。

 西島は葉月をじろりと睨むと、呆れたように言い放った。

「ハッ、なんだよ。イケメン・間宮に抱き抱えられて惚れたのか」

 途端、ガタンと椅子を倒し、葉月が立ち上がった。

 西島を睨む目に涙が浮かんでいる。

「あ、おい、久住……」

「バカッ!」

 そう言うと、葉月はバッグを引っ掴んで帳場を出て行き、そのまま帰って来る事はなかった──。

 

 *   *   *


「西島刑事。久住刑事のご両親から、捜索願が出ました」

 森永に呼ばれた西島は、言葉を失い立ち尽くした。

 二日前、些細なことで葉月を怒らせてしまい、葉月はそのまま帳場を出て行き帰ってこなかった。

 その日の晩も、昨日も、一日中ラインや電話をしたが全く返事がない。

 西島は個人的な事と上司に報告しなかったのだが、まさかこんな事になっていたとは。

「何か、ご存じではないですか」

「すみません、俺には全く──。コンビ仲も上手く行ってる方だと……」

 そう答えながらも、頭の中に浮かんだのは間宮の姿だった。


 まさか、あの野郎が久住を拉致したのだろうか。


 心がざわざわした。全身の毛が逆立つような感覚もあった。

 しかし、森永に悟られてはならない。西島は必死に平静を装った。

「……そうですか。彼女から連絡があったら直ぐに報告してください」

「承知しました」

 頭を下げて、捜査一課の大部屋を出る。廊下を歩き、階段に差し掛かったところで猛然と走った。庁舎を出て駅へと向かう。


 クソ野郎! 締め上げてやる!

 

 *   *   *


「間宮ァ!」

 ドアが開くなり、西島は間宮の胸倉を掴んで部屋に押し入った。

 油断していた間宮は玄関のたたきに足を引っかけ、そのまま西島と共に部屋へと倒れ込む。

 西島は間宮に馬乗りになると、拳で間宮の顔を殴った。そしてTシャツを引っ掴むと引き寄せる。

「貴様! 久住をどこへやった!」

「ちょ……なんなんですか、いきなり!」

「テメェの胸に聞けッ!」

「はな──ッせ!」

 間宮は西島の腹を蹴った。西島の背中が玄関ドアにぶち当たる。しかし、直ぐに立ち上がると、西島は再び間宮に向かって行った。

「貴様! 久住を拉致ったろうが!」

「んな訳──、いい加減にしろよ!」

 互いに胸倉を掴んだ状態で睨み合う。

 二人の荒い息だけが部屋の中に響いた。

「一体……、何があったんですか……」

 間宮が西島から手を離すとため息混じりに言った。

「あの女性の刑事さんが、拉致されたんですか?」

「とぼけるのか」

「ホントにいい加減にしてくれよ!」

 どさりと、間宮は床に座り込んだ。そして盛大に息をつく。

 二人は暫し無言で視線を交わした。

「……ネットで調べましたよ。あなた、五年目に誤認逮捕で糾弾されてますよね。なのにまた同じことを繰り返すんですか?」

 エアコンのコンプレッサーの音が響く。

 西島は、ズルズルと力なくその場に座り込んだ。鼻の奥がツンとした。

「何を……、何を信じろって言うんだよ……」

 分からなかった。

 西島は頭を掻きむしり叫んだ。

「何を信じればいいんだよ!」

 

 キンコン。


 静かな部屋に、ラインの着信音が響いた。

 その音に、西島は慌ててパンツのポケットを探る。

「久住だ!」

 西島のラインアカウントを知っているのは葉月だけだ。

 ロックを外し、ラインアプリを開く。

 葉月のアカウントから動画が送られて来ていた。

「──!」

 西島の唇が戦慄く。声にならなかった。

 そんな呆然としている西島の横から、間宮が覗き込む。動画に気付いた間宮は、貸してくださいと西島の手からスマホを取り、動画をタップした。

 画面いっぱいに動画が再生される。

「これは──」

 間宮の狭い部屋の中に、スマホから電車の音が鳴り響いた。

 そして薄暗い画面の中に、薄汚れたコンクリートの床が映っている。

 それは細かな砂利を踏む音と共に移動し、ゆっくりと上向き、壁際の地面に転がる久住葉月の姿を捉えた。ガムテープで口を覆われ、両手両足を縛られている。

 間宮も思わず口元を覆った。

 カメラは更に近づき、顔、体、縛られた足、そして腕。葉月を嘗め回すかのように執拗に動く。


『んん! ん~ッ!』


 ガムテープで口を封じられながらも、必死に声を上げる葉月をアップで映したところで動画は途切れ、室内に静寂が戻った。

「……なんだよこれ」

 間宮の声が聞こえたが、西島はそれを無視して必死に考えた。

 

 ハングマンだろうか。だとして、一体なぜ久住が狙われる?

 標的は穢れた女のはずだ。一体どうして……。


 失踪から二日──。

 T大法医学教室による司法解剖で、ハングマンは被害者を拉致したのち、数日生かしていたことが明らかになっている。

 三人とも胃だけではなく、腸の中も空っぽになっていたのだ。

 解剖したT大法医学教室の月見里教授によると、人間は腸を空にするのに二四~七二時間かかると言い、ひょっとすると犯人は、それを待っていたのではないかと言う事だった。

 それが本当ならば、葉月の命が危ない。

「もう一度見せてください」

 間宮はそう言うと手を差し出した。動画を見せろと言っているのだ。

「僕は廃工場や廃倉庫の写真を撮って回ってる。ひょっとしたら、知ってる場所かもしれない」

「……お前を信用しても大丈夫だと言う証拠が何処にある」

 西島は、間宮がクロだと言う考えを捨て切れないでいた。

 先日葉月と接触したのも、わざとかもしれないのだ。

「アンタらだけで探せるならそれでもいいよ」

 間宮は床に座ったまま壁に背中を預けると、投げやりに言って西島を見た。

「でも、ホントにそれが連続殺人事件の犯人からだったら、探し出せた時は死体かもしれないぞ」

 間宮の言う通りだ。

 しかし、もし間宮が犯人だったら罠かもしれない。

 五年前のあの事件以来、西島は白か黒かを見極めることが出来なくなっていた。

 怖くなったのだ。

「十五年前──」

 ふいに、間宮は外を見ながら話し始めた。

「失踪前日に、喧嘩したんだ。妹と。ずっと……後悔してる。そんなのが最後の会話だなんて……」

 アンタだって後悔したくないだろと、間宮は言った。


 ──バカッ!


 葉月が失踪する前に残した言葉が頭の中で鳴り響く。

「僕の事を信じられないならそれでもいいよ。でも、彼女を探したいんだろ?」

「ああ……」

 そうだ。迷ってる暇はない。一刻も早く、彼女を見つけ出さねばならないのだ。

 西島は間宮にスマホを渡した。

 

 *   *   *


「ひょっとしたら……」

 繰り返し動画を見ていた間宮はそう言って立ち上がり、パソコンを起動させるとカチャカチャとキーボードとマウスを操る。

 西島はぼんやりと、間宮の部屋を見渡した。

 自分のアパートと変わらない、1Kの狭い部屋。六畳の洋室には、パイプベッドと、パソコンの乗ったスチールの小さな机。床にはカメラ転がっている。

 ここでひとり、間宮は毎日何をして、何を考えているのだろうか。

「見てください」

 間宮に呼ばれ、思考を断ち切った西島はパソコンのモニターを覗き込んだ。

「これは僕が以前撮った廃工場の写真です。ここに写っているラインごとのルールが書かれた看板を見てください」

 そう言うと間宮は写真をズームアップした。

 確かに、薄暗い中に錆と汚れの付着した看板が横向きにして立てかけてある。

「これと、彼女の背後に少し映り込んでいる看板。同じじゃありませんか?」

 そう言って、今度は西島のスマホの動画を一旦停止し、拡大した。

 似ている。いや、同じだ。

「さっき、動画から電車の音がしましたが、僕が撮ったこの廃工場も、清瀬市の武蔵野線沿いにあります」

 西島を見詰めると、間宮は緊張した面持ちで更に言った。


「ここに、彼女がいるかもしれない」


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