第3話 第三の殺人

 翌朝、西島は世田谷区喜多見にある廃工場にいた。

 薄暗い廃工場の中、崩れかけた壁や散乱する廃材が無秩序に転がっている。所々に苔が生え、湿った空気が立ち込めていた。

 祭壇に薔薇、壁に『Guilty』の血文字。

 そして、目の前には裸の白い女が、責めるかのように西島を見つめ、ぶら下がっている。

 西島は目を逸らし、唇を嚙んだ。


 こいつもハングマンの仕事だ──。


 次々と捜査員が引き上げていく中、西島は一人立ち尽くしていた。

 ふいに、昨夜の葉月とのやり取りが、西島の脳裏でリフレインする。


 ──でも、そんなことしてる内に次の事件が起きたりなんかしたら。

 ──もう少し内偵を進める。勝手なことはするな。

 ──でも。

 ──もう遅い。帰れ。


 自分の態度に、何を言っても無駄だと帰って行った久住。

 何故あの時、彼女の言葉を受け入れられなかったのだろうか。

 あの時自分が決断していれば、目の前のこの女は死なずに済んだのかもしれない。

 同じ轍を踏むまいと、慎重になり過ぎた結果がこれだ。

 

 俺はまた、自分の身勝手で人を殺してしまったのか──?


 自分への嫌悪感で眩暈がする。悪心も──。

 西島は現場から出ると、側溝で吐いた。

 苦しさに、否応なしに涙がにじむ。

 しかし、それ以上に自分の無力さと、そして再び過ちを犯した怒りと悲しみが、西島の心を突き刺していた。

 

 *   *   *

 

 同日、警視庁捜査本部。

 

「本日早朝、世田谷区喜多見の廃工場にて、女性の死体があるとの通報があり臨場。現場の状況が一連の事件と全く同じ事から、ハングマンによるものと思われる」

 会議室に、森永警部の声が響く。

 西島は喜多見の現場から戻ると、今日も末席に腰を下ろし、ぼんやりと聞いていた。

「現場に残されていた本人の物と思われるバッグの中に入っていた免許証から、被害者は内藤静香、二七歳と想定され、現在、東北に住む両親が確認のためこちらに向かっている」

 報告を聞きながら、西島は更に憂鬱な気分になった。これまでに報告された被害者の持ち物やスマホの履歴を鑑みると、彼女は間違いなくセックスワーカーだ。愛しみ育てた自分の娘が、東京でそんな仕事に身を染め、挙句凄惨な殺人事件の被害者として発見されたと知った両親の衝撃と苦痛はどれほどの物か。想像に難くない。

「本日も、プロファイラーの横井先生にお越し頂きました。先生。先生の見解をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「勿論です!」

 森永に促され、横井は立ち上がると演台に立った。

「皆さん。おはようございます!」

 疲れ切った捜査員を前に、横井は今日も帳場に不似合いな高級スーツを身に纏い、無駄に元気な声で呼びかけた。

 パラパラと、小さく「おはようございます」の返事が返ってくる。

 横井はそれが気に入らなかったのか、片眉を上げると、もう一度「おはようございます」と言い、手を耳に当てた。

 この男は、疲労し切っている捜査員に、子供番組のようなレスポンスを求めている。

 西島は嘆息した。舞台俳優のようなよく通る声にもうんざりしていたし、どうもこの男が胡散臭く感じてしまって仕方がないのだ。

 別に、資料だけ提供する形でも充分だと思うのだが、横井は明らかに自分の承認欲求を満たすためにここにいる。

 その証拠に、横井は皆の視線が自分に向いていることを確かめるかのように軽く手を上げたり振ったりと、まるで公開番組の司会者のようだ。


 ──ここをどこだと思っているんだ。

 

 西島は酷く不快だった。

「では始めましょう」

 六割近くのレスポンスコールを得た横井は、漸く本題に入った。

「一連の被害者と犯行の特徴から、ハングマンは女性に対して怒りを持つ、冷徹非情なサイコパスであると想像出来ます」

 そう断言した横井は演台からマイクを外すと、それを手に会議室正面の中央まで、ゆっくりと歩きながら話し始めた。

「サイコパスは、往々にして生まれながらに遺伝子レベルでその素養を持っており、我々はそれを『MAOA』遺伝子と呼んでいます」

 突然始まった横井の医学的な話に、頭の固い捜査員たちはざわついた。スマホを手に、何やら調べ始める者もいる。

 しかし、そこは講演などで慣れているのだろう。横井は右手の平を翳すと、まるで捜査員ひとりひとりに触れるかのように、空中で左から右へ動かしながら言った。

「これはあくまでも遺伝子ですからね、ここにいる皆さんの中にも、持っている人がいないとも限りませんよ?」

 流石と言うべきか、横井はたったそれだけで、瞬時にその場を静かにさせてしまった。

 更に、全員の視線が横井の方へと集中する。

「まあ、難しいことは割愛しますが、要は犯罪行動を起こす遺伝子だとお伝えし、以降これを『サイコパス遺伝子』と呼ぶことにしましょう」

「あの~、その遺伝子があると必ずサイコバスになるんですかね?」

 捜査一課の班長、渡邉が声を上げた。

 横井は良い質問だと言うと、名前を聞く。

「捜査一課の、班長、渡邉です」

 渡邊は、殊更に班長を強調した。

 その様子に横井は一瞬真顔になったが、直ぐに満面の笑顔を浮かべた。

「渡邉さん! 流石です! 捜査一課の班長さんだけある。着眼点が違いますね!」

 渡邉は教師に褒められた小学生のように、頭を掻きながら横井に集中し始めた。

 西島はそれを末席で眺めながら、嫌な奴だなと思った。

 ああやって名前を呼んで称賛することで、あのクソ野郎はすっかり横井のファンになっている。

 おまけに、着眼点が違うなど、おべんちゃらもいいところである。あんな風に、「ここにも持っている人がいるかもしれない」などと言われれば、誰しも心配になって聞きたくもなるだろう。

「ご心配には及びません」

 横井はにこやかにそう言うと続けた。

「サイコパス遺伝子は、あくまでも素養でしかありません。それにきっかけを与える事で、人をサイコパスにしてしまうと言って良いでしょう」

 渡邉は横井の顔をじっと見ながら、うんうんと頷いている。

「さて、先日私がお伝えした犯人像を覚えていらっしゃるでしょうか」

 横井が指を鳴らすと、照明が落ち、正面のモニターに先日の犯人像が映し出された。


 ① 三十代男性。

 ② 知能指数が高い。

 ③ 感情の欠如(共感出来ない、罪悪感がない)。

 ④ 社会的地位がある、人に尊敬される職業。

 ⑤ 経済的に余裕がある(高報酬を得られる仕事についている、または環境にある)。

 ⑥ 細かい事によく気がつく、慎重で計画性がある。

 ⑦ 女性が不信感を抱かないようなハンサムである。


「先日も申し上げましたが、これはサイコパスの特徴でもあります。

 そして私の推理では、犯人は女性に対して非常に激しい憎しみを感じているサイコパスです。今こうしている間にも、善人を装い、女性を付け狙っています。

 我々は、それを阻止せねばならない!」

 会議室に拍手が巻き起こり、西島はますます気分が悪くなった。

 一体これは何なのか。帳場が横井の自己顕示欲のはけ口にになっている。

 それに、西島はこれまでの被害者のタイプから想像するに、ハングマンは『ただ女性に対して憎しみを感じている』のではなく、『倫理的、性的に乱れた女性を嫌悪している』のではないかと考えていた。

 そして、そんな女性たちを『有罪(Guilty)』として裁き、処刑しているのではないかと。

 些細なことかもしれないが、何かがズレている気がした。勿論、五年前のように自分の見当違いもあり得るのだが──。

「結局前回と同様、サイコパスだって言っただけで何の見解にもなってませんよね。あの横井って人も、警察を煽ってるみたい」

 隣に座っている葉月が呆れたように言う。西島と同様、横井に対し不信感を感じているようだ。

「そうだな」

 西島は葉月の横顔を眺めた。

 昨夜あんな別れ方をしたのに、葉月はけろりとした表情で、おはようございますと言ってきた。

 変な奴だと思ったが、そのおかげで何ごともなかったかのように、こうやって並んで座っていられる。

 ひょっとしたら、こいつは自分よりよっぽど器がでかいのかもしれないと、西島は思った。


「他に特になければ──」

 森永が会議の終了を宣言しようとした時だった。

 会議室にひとりの男が入って来て、渡邉に何やら耳打ちをした。

 次第に渡邉の顔色が変わり、憤怒の表情で西島を振り返る。

 そして──。


「にぃしぃじぃまァァァァッ!」


 渡邉は机の上の資料をはたき落とすと、会議室内の長机をまるでブルトーザーの如く突き出た腹で次々と薙ぎ倒し、末席にいた西島のシャツの胸倉を掴んだ。

 葉月が小さく悲鳴を上げるも、渡邉は目もくれず、西島に憎悪の目を向けている。

 二人は睨み合い、会議室は騒然となった。

「貴様ァ! ホシのヤサを掴んでおいて隠しているらしいな! 誤認の次は隠蔽か! そんなに手柄が欲しいか! え? クズ野郎!」

 渡邉は唾を飛ばし、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 このヤマは班長として自分が仕切っているのだという自負がある渡邉にとって、西島が報告しなかった事実は許しがたいものだっのだ。

「やめてくださいッ! 班長!」

 葉月が渡邉の腕を掴んだが、それはあっさりと振り払われ、葉月は尻餅をついた。

「どう言うことですか? 渡邉さん?」

 演台の方から森永の冷たい声が響く。

 渡邉は西島を突き飛ばすと、肩で息をしながら森永に向き直った。

「こっ、この野郎は……、本庁の防犯カメラシステムでホシのヤサを掴んでおきながら、秘匿してやがりました!」

「秘匿じゃ──」

「黙れクソ野郎が!」

 渡邉は興奮していて話にならない。

 西島は無言で森永に視線を移す。カチリと目が合った。

「西島刑事。説明して下さい」

 森永は冷静に、しかし冷たく言った。

 

 *   *   *

 

「一致します」

 西島から間宮の情報を聞いた横井はきっぱりと言った。

「と、という事は! この間宮とか言う野郎がホンボシですか、先生!」

 横井の意見を聞く渡邊は、教祖から託宣を受けようとする信者のようだ。

 西島はその様子を見て、この男は最早刑事ではないと呆れた。

「渡邉さん。先入観を持つことは危険です。しかし、任意で事情を聴く必要があるかもしれませんね」

 森永の言葉に、西島はほっと胸を撫で下ろした。

 この男がストッパーとならなければ、渡邉は間違いなく横井に言われるまま、西島に間宮を引っ張らせただろう。

 そうなったら、五年前の二の舞となるのは明らかだ。

「西島刑事」

 森永は椅子に腰を下ろすと足を組み、西島をじっと見上げた。顔が整っている分、冷徹さが浮き彫りとなる。西島は森永の前で直立不動となった。

「早い段階で報告をしていれば、今回の事件は未然に防ぐことが出来た。──かもしれません。そうですね?」

「かも……しれません」

「西島、貴様ァ!」

 素直に認めない西島に、渡邉が再び掴みかかる。しかし、森永が煩そうにひと睨みすると、渡邊は大人しく引き下がった。

「繰り返します。あなたが報告していれば、防げたかもしれない。ですから、ここはあなたが責任を取り、間宮に接触してください」

「なっ?」

 声を上げたのは渡邉だった。

「待ってください警部! こいつぁ私のヤマです!」

 渡邉が納得行かないとばかりに声を張り上げる。しかし、森永はそれを無視すると続けた。

「もし、間宮がハングマンだったら──。私の言っている意味は分かりますね? 西島刑事」

 西島は唇を噛んだ。

 森永は、間宮がハングマンなら、お前のせいで内藤静香は死んだのだと、そう言っているのだ。

「分かりますね?」

 森永が繰り返す。

 西島は小さく息をつくと言った。

「俺の、不始末で……。内藤静香は、殺された。と──」

「そっ、そんな!」

 葉月が顔を歪め抗議の声を上げる。

 渡邉はそんな葉月を押しやり、満足げな笑みを浮かべた。

「ああ、なるほど! 確かにそうですな」

 そして西島を睨むと、眉間に皺を寄せる森永に、構わず顔を寄せて言った。

「しかし警部。コイツは保身のために間宮はハングマンではなかったと言うかもしれませんぜ? なにせ、捜査情報を隠蔽したくらいです」

「西島さんはそんなことしてません!」

「黙れ! 女!」

 葉月が一際大きな声を上げ、渡邉はそれを一喝した。

「渡邉さん。不適切です」

 更に森永が静かにたしなめる。渡邉は途端に小さくなった。

 昨今はハラスメントに対して警視庁内でもかなり厳しく注意がなされている。

 昭和を生きて来た渡邉にはちっとも理解が出来ず、なかなかこれまでの習慣が抜けきらないのだ。

 そんな昭和の遺物である渡邉を無視すると、森永は続けた。

「自身の保身のためにハングマンの正体を隠蔽などすれば、間違いなく次の被害者が出ます。それだけじゃない。

 あなたは勿論、我々、そして警察全体も只では済みません。あなたはそれに耐えられますか? 西島刑事」

 その場の全員の視線に晒されながら、西島は森永に服従した。

「承知……しました」


 どのみち結果は同じだ。

 誤認逮捕の一件から五年たって尚、西島の立場は何ひとつ変わっていなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る