第4話 第二の殺人

 その朝、一時帰宅していた西島は、葉月からの電話とサイレンで目を覚ました。

 葉月によると、中野の殺人事件に酷似した事件が発生したのだという。

「直ぐに現場に向かってください。場所は──」

 どきりとした。

 西島のアパートの近所であったことは勿論だが、それは先日西島がラーメン屋へ向かう道すがら、不審な白パーカーの男を見た倉庫だった。

「すぐ行く」

 身支度をし、寝床を整える事もせずに慌ただしく部屋を出る。

 息を切らせ、走って現場に向かう道中、西島の心臓は鼓動を速めた。

 それは、心臓が必死に血液を送り出しているためだけではなく、否応なしに湧き上がる嫌な予感のせいでもあった。


 見覚えのある、今や空き家となっている古びた倉庫の前には人だかりが出来ており、制服警官が興奮した野次馬の整理に躍起になっていた。

 西島は野次馬を押しのけながら進んでいく。最前列まで出ると、竹山の姿が見えた。

「竹さん!」

「おお、西やん!」

 西島の声に振り返った竹山は、首にかけたタオルで汗をぬぐった。

 まだ朝の8時過ぎだというのに、既に蝉もやかましく鳴いている。

「今日もホンマ、朝から暑いなぁ。早よ発見されて良かったわ」

 竹山はそう言いながら西島を先導する。

「目撃者はいないんですか」

「そやねん。今回も、早朝に例の音楽が鳴ってることに気付いた近所のバアさんが見に来てな。そしたらこの有様で大騒ぎや。バアさんは倒れて担ぎ込まれるし──」


 音楽──。

 アヴェ・マリアか。


 西島は竹山と共に、目隠しに取り付けられたブルーシートの隙間から現場に入った。

 むっとする倉庫内。その中は埃と血の臭いで充満していた。

 

 同じだ──。

 

 西島の目はそれに釘付けになった。

 そこにあったのは、中野の現場の再現とも思えるほど、そっくり同じだった。

 首を切られた逆さ吊りの女の遺体。

 血の海と、散りばめられた薔薇。

 マリア像と蝋燭の置かれた祭壇。

 そして、壁に大きく書かれた『Guilty』の血文字。

 中野の事件で報道されたのは、頸部に切創のある遺体が逆さ吊りとなって発見されたと言うことだけだ。

 ここまで詳細にコピー出来るはずがない。同じ人間の仕業だ。

「西やん……。これは続くで」

 竹山がため息混じりに言う。西島も同感だった。

「身元が分かる物はありましたか?」

「あった。財布に免許証。それによると、ガイシャは加藤美香、まだ21歳」

「他には?」

「勿論スマホもあったで? こいつはロックが掛かってたけどな」

 西島は頷いた。

 やはり、犯人は被害者を晒している。そう確信したが、口に出すのはやめておいた。

「そういや、西やん。中野のガイシャのスマホからは何か出たん?」

「いえ。今のところは」

「ほか」

 山中涼子のスマホはロックがかかっていた為、サイバー犯罪対策課に依頼し、通話記録、メールの送受信、ラインや写真などは一通り調べて貰ったが、特段目立ったものは何もなかかった。現在更に詳しく、消去された可能性のあるデータやアクセス履歴の復元を依頼。調べて貰っているところだ。

「ほな、仏さんを下ろすで」

 竹山の号令で、鑑識員が集まり、遺体を下ろす作業が始まった。

 ブルーシートの上に、遺体を横にする。

 文字通り血の気のない真っ白な遺体。

 西島はその傍らにしゃがみ込むと手を合わせた。

 顔を上げ、壁の血文字をちらと見る。

 Guilty──。

 この娘に、一体何の罪があると言うのだろうか。

 ふと、人の気配を感じて隣を見る。いつの間にか、隣で葉月も手を合わせていた。

 眉間に皴が出来る程に、ぎゅうっと目を瞑っている。

「……あんまり力入れると、顔がケツの穴みたいになるぞ」

「えっ? やだ! ウソッ!」

「ウソだよ」

「え……?」

 葉月は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。西島は笑いがこみあげてくるのを堪え、立ち上がった。

 竹山に断りを入れ、被害者の遺留品を検める。

 安っぽいエナメルの小さなバッグには、財布、化粧ポーチが2つ、香水、スマホが入っていた。

 スマホはサイバー犯罪対策課にロック解除してもらわねばどうにもならない。

 西島は、財布を開けてみた。

 財布の中に現金は殆ど入っておらず、漫喫やラブホのカードが何枚も入っていた。そして2つある化粧ポーチの内の1つには、生理用品と沢山の避妊具。

 西島は、ブルーシートの上で虚空を見つめている加藤美香を振り返った。

 ひょっとしてこの女は、ネカフェ難民、もしくはホームレスなのではないだろうか。

「仏さんを搬出するで! ブルーシートでマスコミをブロックしてな!」

 竹山の声が倉庫内に響く。

 若い制服警官がブルーシートを広げ、目隠しを始めた。


「西島さん」

 葉月が、黒髪のポニーテールを揺らし駆け寄って来た。

「どうした」

「班長が、付近の防犯カメラをチェックするようにと」

 西島はそれを聞いて、カッと頭に血が上るのを感じた。

 こんな古い住宅街の中に、防犯カメラなどあるはずがない。

 防犯カメラがついているような所まで行ってチェックをしたところで、一体何を探せというのか。

 これでは捜査から外されたも同然だ。

 西島は、遺体に付き添って出ていく、腹の突き出た男を睨んだ。

 渡邉浩一。捜査一課の主任で、課長の因幡警視の取り巻きの一人だ。

「西島さん?」

 まだ、この捜査一課の中のしがらみなど知らない葉月は、不思議そうに西島を見上げている。

 思えばコイツも不幸な女だ。せっかく刑事になっても、俺などに付けられては──。

「とりあえず、カメラがついてるお宅を探しましょうか!」

 真面目な葉月は、そう言って西島の袖を引く。

「あのな、この付近にカメラなんか──」

 言いかけてはっとした。

 

 カメラ──。


 そうだ。あの白いパーカーのカメラの男。

 あいつは一体何者なんだ。


「久住、行くぞ」

「え? ちょ……、待ってください! どこ行くんですか?」

 西島はブルーシートを捲って倉庫を出ると、大通りへと向かって速足で歩いた。その後ろを葉月が必死に追いかける。


 確かあの白パーカーは、俺と目が合った後、国道の方へと向かって行った。

 国道に出れば、コンビニなんかもちらほらとあったはず。

 白パーカーの映ったカメラを追いかけて行けば、あの野郎にたどり着くかもしれない。


 西島は激しく気分が高揚するのを感じ、思わず足を止めた。

 急停止したことで、西島の背中に葉月が激突する。

「いった~……。どうしたんですか、西島さん」

「別に」

 そう言って再び、今度はゆっくりと歩きだす。

 急に温度の下がった西島に葉月は戸惑いを見せたが、黙って付いてきた。

 

 落ち着け。

 

 西島は自分に言い聞かせた。

 舞い上がってしまえば、また同じことを繰り返しかねない。

 冷静に。確実に。奴を──、いや、そうではない。事件を追うのだ。

 もう二度と、同じ失敗はしない。

 

 *   *   *

 

 西島と葉月は、大通りにあるコンビニの事務所にいた。

「3日前のデータは残ってますかね」

 葉月は西島のその言葉に驚いた顔をした。

「え? 昨日じゃなくて? 3日前?」

「別に昨日のデータでもいいが、そこからお前は何を探すんだ」

 西島がそう言うと、葉月は眉尻を下げた。

「怪しい……男……とか?」

「バカだろ、お前。それじゃあ、砂漠の中でトカゲの糞を探すようなもんだ」

「と、トカゲ?」

「すみません、3日前です。確か、午後3時以降……」

 店主は頷くと、防犯カメラのデータを再生し始めた。

 早送りで見ていくと、店の前を白い長袖パーカーの男が通った。

「ストップ! 少し戻してください。白いパーカーの男です」


 こいつだ──。


 画像は粗く、フードを被っているせいで顔までは特定出来ない。

 しかし、このクソ暑い中、プルオーバーの長袖パーカーを着て歩いている者はそうはいない。だから、あの日も目に付いたのだ。

 西島は店主にデータの提出を依頼すると店を出た。

 その後も通り沿いの店のカメラを確認。男が中目黒駅で電車を使ったことまでは確認出来た。

「これから先は、本庁へ戻って『街頭防犯カメラシステム』と『ライブカメラ』で男を追う」

「はい。でも、どうしてあの男なんですか?」

 納得いかない表情の葉月をちらと見ると、西島はにやりと笑った。

「怪しいから」

 途端に葉月の耳が赤くなる。

「もう! 私と違って根拠があるんでしょう!」

 葉月は不服そうに口を尖らた。

 確かこいつはアラサーだった筈だが、こうやって見ると随分と若く見える。

 西島はそんなことを思いながら、冗談だと言うと、3日前にあの倉庫の前で白パーカーの男を見たのだと話した。

「あの倉庫を撮ってたんですか……」

「確かに根拠としては薄いが、違うなら違うで潰しておきたい」

 そう言うと、葉月はそうですねと頷いた。

「先ずはあの男のヤサを特定して身元を調べる」

「はい」

 そして確かめてやる。


 あのフードの下に、どんな顔を隠しているのかを──。

 

 


 

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