第2話 臨場

 東京都中野区の住宅街に、深夜とは思えぬ人だかりが出来ていた。

 寝間着のままひそひそと言葉を交わす者、スマホのカメラを構える者。中には報道関係者もいる。

 皆、その目はどこかぎらついており、行きかう警察官を捕まえては何が起こっているのかと興奮気味に聞いていた。

 そんな人でごった返す中を、泳ぐように進むひとりの男がいた。

「どいて! どけ!」

 そう言って人をかき分けるワイシャツの腕には、『捜一』の腕章が付いている。

 そして人波を脱すると、自分の後ろを追って来た女の細い腕を引っ張った。

 女は勢いよく野次馬の中から飛び出し蹈鞴を踏むも、何とか体勢を整える。

「す、すみません、西島さん」

 そう言って顔を上げたが、既に西島の背中は離れたところにあった。

「ハァ」

 自然と溜息が漏れた。

 久住葉月くずみはずき、二八歳。独身、実家暮らし。彼氏なし。

 学生時代にのめり込んだドラマの影響から、刑事に憧れ警察官に。

 ようやく生活安全部から憧れの捜査一課に入ることが出来、喜んだのもつかの間。一課長、因幡警視から西島に付けと言われた途端、希望は絶望に変わった。

 西島は、葉月より十歳年上の三八歳。上背もあり、整った顔立ちの所謂イケメンなのだが、刑事部では浮いた存在だ。

 刑事は二人一組で動くのが常であるが、そんな西島を自分にあてがうという事は、一課で活躍の機会を得られないどころか、まともな教育すら受けられない事が確定したに等しい。

 女だからとナメめられているのかもしれない。

 ならば、仕事が出来るところを見せなければ。警察官として、刑事としてやっていけるという所を見せねば。

 葉月は少し焦っていた。

 元々葉月の父は、葉月が警察官になる事に反対だった。

 一人娘であることもあり、警察官など危険だ、婿養子を取って家業の団子屋を継げと散々言われて来たのだ。

 そこへもっての一課引き上げである。

 喜び勇んで辞令を父の眼前に突きつけた手前、こんな事で弱音を吐いていては、父の鼻をあかすどころか逆効果である。

「頑張れ、葉月!」

 葉月は、肩まである黒髪を括り直して気合を入れると、西島の背中を追った。


「おお、西やん」

 黄色いKEEP OUTのテープを潜ったところで、痩せた鑑識員が片手を上げ、西島に声をかけた。

 皴の刻まれた、人のよさそうな笑みを浮かべて白髪頭を掻く、一見すると昼行燈のようなこの男は、警視庁でも有名な切れ者鑑識員、竹山誠吉である。

 その見てくれとは裏腹に、竹山は幾度となく難事件を卓越した鑑識技術と推理力で解決に導いてきた。

 更に、竹山は鑑識の腕も然ることながら、曲者刑事の扱いにも長けていると専らの評判で、その評判がただの噂ではない事は、西島の表情を見れば一目瞭然だった。

「竹さん。お疲れ様です」

 

 笑ってる……。


 葉月は恐ろしい物でも見たかのような顔で、竹山と言葉を交わす西島を見た。

「もう入ってもいいッスか?」

 西島はそう言うと、住宅街にポツンとある、目の前の廃工場を指した。

 門扉には、雨風に晒され劣化した木製の看板が辛うじてかかっている。その看板と、ほのかに漂うグリースの臭いが、そこが過去に自動車修理上場であったことを教えてくれた。

「ああ、ええよ。案内するわ」

 そう言うと、竹山は足を止め、葉月を振り返った。

「お姉ちゃん、大丈夫か? 中はエライことになってんで? 殺人コロシの現場は初めてやろ?」

「平気です!」

 葉月はきっぱりと言った。

 竹山は葉月の震える足をちらと見たが、ニッと笑うと、葉月の頭をポンと優しく叩いた。

「よっしゃ! ほな、オッチャンについといでや?」

 

 *   *   *

 

 竹山の後について現場に足を踏み入れるなり、葉月は無様な程に震えた。

 平気だと言った手前、見られたくはなかったが、がくがくと体が震えてしまうのを止められなかった。

「ちゃんと見ろ」

 西島に頭を掴まれ、天井から下がった物に無理やり顔を向けさせられる。

「あ……う……ッ」

 言葉が出ない。代わりにじわりと涙が出た。

「西やん、無理さしたらアカンで。男でも吐いてるモンがおったさかい」

 竹山の声に、西島はフンと小さく息を吐き、しかし素直に葉月を解放した。

「無理ならここから出てろ。邪魔になる」

 西島はそう言うと葉月から離れていった。

 呆れられた──。

 平気だなんて言っておいてこのザマだと、話にならないと思われたかもしれない。

 葉月はぐいと涙を拭うと顔を上げた。

 しっかりしろ。先ずは見るんだ。

 この惨状を目に焼き付け、怒り、そして被疑者を捕まえる。

 それが刑事の仕事なのだ。

「西島さん!」

 西島は、振り返るとじろりと葉月を見た。

「あ、あの──」

「不用意に動き回るな。俺の後ろにいろ」

 それだけ言うと、西島は竹山を促す。

 竹山は西島の隣でニカッと笑うと、手招きをした。

「お姉ちゃん、こっちやで」

「はい!」

 葉月は、床に置かれた幾つもの番号札を踏まないように気を付けながら、ゆっくりと歩を進め、西島の後ろに付いた。

 そして、改めて周りを見る。

 現場の廃工場は鑑識の強烈なライトによって照らされているが、天井から下がった水銀灯は点いていない。表面は薄汚れ、随分長い間灯りがともっていないと想像できた。

 窓はいくつもあるが、そのほとんどは割られている。

 そのせいだろう、吹き込む風雨で壁や床は汚れており、水が溜まった所もあった。

 そして、目の前には──。

 葉月は、緊張と恐怖でごくりと喉を鳴らした。

 二階事務所からテラスのようにせり出した部分から垂れ下がったロープ。

 その先に、白い──、やけに白い裸の女が逆さ吊りにされていた。

 その真下には大量の血液と、あれは──薔薇の花びらだろうか。

 まるで飛び散った血液のように撒かれている。

 そして、ぱっくりと口を開いた首筋の──。

「うぐっ……」

「目を逸らすな」

 西島に釘を刺される。

 葉月は頷き、深呼吸をして下唇を噛むと、無言で竹山の報告を聞いた。

「第一発見者は近所に住む男性。なんやら音楽が鳴ってる言うて見に来たところ、この惨状やったと」

「音楽……ですか」

「うん。MP3プレーヤーとか言うやつで、リピート再生されていたそうやで」

 そう言うと、竹山はジップロックに入った小さなプレーヤーを西島に見せ、西島は袋の上から再生を試みた。

 工場内に、透明感のある歌声が響く。

「それ……、アヴェ・マリアですよね」

「ん? お姉ちゃん知ってんの?」

「キリスト教の讃美歌……? だったと思います」

 実際は聖母マリアを讃える歌であり讃美歌ではないのだが、葉月がそう答えると、竹山はふうんと言って音楽を止めた。

「わざと鳴らして発見させたんやろうけど……」

「狂ってる」

 西島が竹山の言葉を継ぐ。

 竹山はひとつ頷くと、「続けるで」と報告を続けた。

「被害者は山中涼子。三三歳、女性。頸部を鋭利な刃物で切られとる。ああ、それと、すぐそこに、なんや祭壇みたいなんがあるやろ? その裏にガイシャのバックを隠してあったわ」

「バッグ?」

 西島の問いに、竹山が頷く。

「そやねん。いうても、ブランド物ちゃうで? その辺にあるようなズタ袋っちゅうんかな。安物の布バッグや。財布も手つかずやったわ」

 中には免許証やマイナンバーカードも入っており、それらの写真から、被害者が山中涼子であると確認したようだ。

「後で仏さんの家族に確認して貰うけど、まあ本人で間違いないやろな。しかし──」

 竹山は唸った。

「バックはそうやって隠してあったけど、身分証を抜かないっちゅうのは、ツメが甘いな」

「いや……。寧ろ、遺体の身元は晒したかったんでしょう。だから身分証を抜かなった。バックはただ──」

「ただ?」

 思わず葉月は繰り返した。すると西島は目をすがめ、じろりと葉月を見て言った。

「お前はこの現場に布バッグがポンと置かれてたら、どう思う」

「え……」

「率直に言え」

「はい!」

 葉月は目の前の現場に、バックが置かれている様を想像した。

 まるで、映画やドラマに出てくるかのようなこの事件現場に、ぽつんと置かれた布バッグ──。

「えっと、違和感……を、感じます。なんかその……」

 語彙力!

 葉月は唇を噛んだ。悔しい。妥当な言葉が出てこない。こういう時、どう表現すればいいのか。

 すると、頭を抱え唸る葉月に、「見苦しいんだよ」と、西島が言い放った。

「ここまで、ある種芸術的に現場を整えたのに、そこに生活感丸出しのバッグがあっちゃ台無しだろ」

「あ……」

 はっとした。

 と同時に、自分はここに来て現場を『観客の目線』で見ていたのだと改めて思い知らされた。

 つまり、犯人の思うように見せられたのだ。

 それに対して西島は、犯人の目線で現場を見ている。

「っは~。なるほどな!」

 竹山そう言うと、興奮したように捲し立てた。

「西やんは、ホシは、彼女が何者であるかを知らしめたかった。せやけど、それらはこの場に不似合いやったから避かしたと。そう考えてんやな?」

「恐らく、ですよ。まだ何も分かっちゃいない」

 西島は濁した。

 その様子は慎重ともとれたが、葉月には、竹山が賛同したことで急に西島がブレーキをかけたようにも見えた。

 せっかくいい雰囲気だったのに、白けたような、そんな気分になった。

「死因は首のアレですか」

 西島が言いながら指さす。

 もっと近くで見たいが、真下に血の池があり近づけないと言った感じだ。

「解剖に回さんとハッキリしたことは言えんけど、たぶん、直接的な死因は出血性ショック死やろな」

「処刑したってことなんでしょうね」

 そう言うと、西島は背後の壁を振り返った。


 そこには大きく『Guilty有罪』の文字が、被害者のものであろう血で書かれていた。

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