5-7 色鮮やかな可能性

 時刻は午後五時五十分。

 アニメ解禁イベントである『その丘のてっぺんで君の花が咲く』の上映会はとっくに幕を開け、今は劇場版のエンドロールが流れているところだ。エンターラの皆はいったいどんな反応をしているのだろう? 衣装に着替えて舞台袖までやってきたものの、観客の表情まで観察する余裕はなかった。


 ちなみに、エンドロールで流れているのはボーカルのないインスト曲だ。

 主題歌である『恋とひまわり』はオープニングで流れていて、エンターラの皆にとってはまだ作品の雰囲気くらいしかわからない状態で聴いたことになる。


 映画を観終えて、翠奈達がカバーする『恋とひまわり』を改めて聴いた時、皆は何を感じ取ってくれるだろうか。期待と不安でいっぱいで、翠奈は無意識にこぶしを握り締める。


「スイナさん。だいじょぶ、です」


 すると、ポエッタが両手を温かく包んでくれた。

 ポエッタ・ロココ。ポネリアン魔法学校に通うフェアリー族の女の子。

 出会った瞬間は、困り眉が似合う女の子だなと思ってしまっていた。でも違う。一度前を向いたらどこまでもまっすぐで、力強くて。気付いた時にはむしろ翠奈を引っ張ってくれるような存在になっていた。


「私が、ついてます。スイナ、さん。安心して、おけです」

「え、ロコちゃん格好良い……でも可愛い……」


 おけです、というのはつまりオーケーということだろう。

 上目遣いでこちらを見つめる姿は愛らしく、だけど同時に頼もしくもあった。


「ちょっと、あたしもいるんだけど?」

「いたぁっ」


 バシンと背中を強く叩いてきたのは言わずもがなプルマだ。

 プルマ・ラエトゥス。ラエトゥス家の次女で、クリエス人のための物語を綴る女の子。

 初めは正直、オタク文化を満喫するギャルっぽい女の子という印象が強かった。だけど本当は二つのエンターテイメントを繋げる自分の使命に誇りを持っていて、きっと人には見せない真面目な部分がたくさんある女の子なのだと思う。


「あたし、少しは思っちゃうんだよね。翠奈について行って、思う存分推し活したいって」

「……それって、使命を放り出してってこと?」

「う、翠奈も意地悪なこと言うなぁ。……そんな訳ないじゃん。普通に日本人に生まれても幸せだなぁって思うけど。日本で暮らしてる翠奈が羨ましいって思うけど。でも……大好きなエンタメのために、あたしはこれからも頑張りたい」


 力強いプルマの言葉に、翠奈は表情を引き締める。

 ポエッタもそう。プルマもそう。そしてきっと、翠奈もそう。自分達の心の中には譲れない信念があって、今――三つの想いが一つになろうとしている。


 アイドル活動は自分が元気をもらうためのもの。

 これが少し前までの翠奈の信念だった。

 だけど今は、ちょっとだけ形を変えている。



 アイドル活動は――皆で『楽しい』を共有するものだ。



「翠奈ちゃん」

「わっ、ミ、ミラ様……?」


 本番一分前。

 舞台袖に顔を出したミラにそっと肩を叩かれ、翠奈は目を丸くさせてしまう。


「ありがとう」

「え?」

「いや……終わってからだと感極まりそうでね。それに…………いつお別れになるかわからないから」


 頭を撫でながら優しくお礼の言葉を告げられ、翠奈は一瞬だけ目を伏せる。しかし、そのまま手を振って去っていこうとするミラに、翠奈は慌てて「待ってください」と呼び止めた。


「わたしは、これで伝えます」


 ありがとうの代わりに、マイクをぎゅっと握り締める。

 ミラにはたくさんの感謝があった。きっと、ミラに声が届いていなかったら自信がないままに歌詞を書いていたのだろうと思うから。


「ん」


 柔らかい笑みを浮かべるミラの姿を確認してから、翠奈はポエッタとプルマとともにステージへと飛び出していった。



 エンドロールが終わっても、会場は温かい拍手に包まれている。

 この拍手は初めて触れるアニメそのものに対するものなのか、『その丘のてっぺんで君の花が咲く』に対するものなのか。それとも、翠奈達によるアニソンカバーを向かい入れるためのものなのか。


 全部だと良いなと思いながら、翠奈は暗転中のステージに立つ。右隣にはポエッタ、左隣にはプルマがいて、そっとアイコンタクトを交わした。

 二人がいるから大丈夫。緊張しない。……と言い切りたいところだが、ステージが明るくなるや否や、翠奈ははっとしてしまった。あちこちに溢れるキラキラと潤む瞳。そこには確かな感動の余韻があって、翠奈の心は震える。


 ――どうか、アニメだけじゃなくて、アニソンへの感動に繋げられますように。


 祈りながら。願いながら。

 やがて流れ出す『恋とひまわり』のイントロとともに身体を揺らし始める。


 三人の衣装は素朴な白いワンピースだった。

 それぞれ花柄の刺繍がワンポイントで添えられていて、ポエッタが水色、プルマがピンク色、翠奈がミントグリーンの色違いになっている。自分達のイメージカラーであり、『その丘のてっぺんで君の花が咲く』のキャラクター達をイメージした色でもあり。三人はまるでシンクロするように、歌声を重ね合わせる。


 ミディアムテンポの切ないメロディに、色の違うアンバランスな歌声。

 高校生。甘酸っぱい出会い。すれ違う想い。繊細な感情。走り出す憧れ。手を伸ばす夏色。目を逸らしたくなるほどに眩しくて、時には苦しくて、だけど確かに希望はあって。そんな青春模様がぐちゃぐちゃに混ざり合って、聴く人の心を『その丘のてっぺんで君の花が咲く』の世界へと連れて行く。

 翠奈が先頭を歩いて、ポエッタが大きな一歩を踏み出して、プルマががむしゃらに走って。だからこそ成立する歌を今、三人で届けられている。


(……あぁ)


 ふと、翠奈は気付く。

 翠奈はずっとソロアイドルとして活動してきた。キッズダンサー出身という特殊なルートでアイドルになった翠奈にとっては、ソロで活動するのが当たり前になっていたのだ。もちろんバックダンサーはいるし、時には生バンドでのライブもする。


 だけどそれは、祝井翠奈としてのステージの話だ。

 今、翠奈の右隣にはポエッタがいて、左隣にはプルマがいる。三人で感情を爆発させるように歌声を響かせて、同じ振り付けをして、たまに視線を交わして、ふとした瞬間に心が弾む。


 誰かと一緒に一つのせかいを届けるのがこんなにも楽しいなんて、知らなかった。


(そっか)


 エンターテイメントにもたくさんの種類があるように、アイドルにもたくさんの形がある。そんな当たり前の事実に、翠奈は今更気付いてしまった。

 現実に戻って、『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマを歌う。それは翠奈にとってとても大きなことだけど、決してゴールな訳ではない。もしかしたらこれがきっかけで別のアニメタイアップの話が舞い込んでくるかも知れないし、アイドルとしても新しい道が開かれるかも知れない。


 これから先の未来には、色鮮やかな可能性があるのだ。

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