5-6 最後の朝

 七日目の朝がやってきた。

 今日はエンターラにとって特別なアニメ解禁日であり、翠奈が現実へと帰る日でもある。


 手の甲の花弁はもちろん最後の一枚だ。

 だったら、紋章が消えるのは明日の朝なのではないか? と思いそうになるが、そういう訳ではない。花びらが一枚になった時点で現実へと帰る準備ができてしまっていて、翠奈が完全に満足したら紋章が消えるとともに魔法陣が現れる。つまり、気付いた時にはミラ達との別れが訪れてしまうのだ。


 意識するとやっぱり泣き出したくなる気分に駆られてしまう。でも、寂しい気持ちはすでにミラが受け止めてくれたから。

 あとはもう楽しむだけだ、と翠奈は思った。


「おはよう、シロモチ」


 いつものように「モッチョー」と鳴くモチモチドリにあいさつをして、大きく伸びをする。

 あとでコンキリオが作ってくれたステージ衣装に着替える訳だが、翠奈は迷わずゴシックロリータなワンピース(今日はピンク色)に袖を通していた。相変わらず可愛いし、身に付けるだけでテンションが上がってしまう。元々ゴスロリ系は好んで着ていたが、この七日間でますます好きになってしまったようだ。



 それから食事をとったり、ポエッタとプルマと最終リハーサルをしたり、衣装合わせをしたり。バタバタと慌ただしく時間は過ぎていく。

 時刻は午後三時。

 開演時間まであと一時間になり、緊張感も高まってきた。

 翠奈とポエッタとプルマの三人は今、ライブハウスの楽屋で待機をしている。翠奈はイヤホンで音楽を流しながらひたすらにイメージトレーニング。ポエッタはノベル版の『その丘のてっぺんで君の花が咲く』を読んでいて、プルマは落ち着かないように楽屋の中をうろちょろしながら発声練習。そんなバラバラな本番前の光景なのだが、緊張しているという意味では皆同じのようで。


「わっ、誰? どうぞ!」


 という上ずったプルマの声で、翠奈とポエッタは慌てて顔を上げる。

 イヤホンで聞こえなかったが、どうやら誰かが扉をノックしたようだ。


「祝井さん、ポエッタさん、プルマ」


 アイスシルバーのベリーショートの髪に、つり目のオッドアイ。よく見ると童顔で、背も成人男性にしては低めで可愛らしい印象がある。

 そんな彼――コンキリオは、何故かきっちりとしたスーツに身を包んでいた。


「げ、お兄様どうしたの? さっき衣装持ってきてくれた時はパーカーだったじゃん」

「いやまぁ、今日は大切な日だからね。アニメ解禁もそうだけど、『何でも屋勇者のサブカルライフ』も、エンターラでの発表会みたいなものだから」

「え、何々? お兄様も登壇するの?」

「しないよ。それに……もっと言えば」


 呟きながら、コンキリオは何故か申し訳なさそうにこちらを見る。

 何だろうと首を傾げる前に、コンキリオは口を開いた。


「ごめん祝井さん。僕が今日、祝井さんが歌うオープニングテーマを聴いてしまったらネタバレになっちゃうから。聴くことができないんだ」

「あ……」


 そっか、と思う。

 なんて律儀なんだと一瞬だけ思ったが、そうではない。確かに『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマは完成したが、現実に戻ればまたブラッシュアップされて形を変える可能性だってあるのだ。


 コンキリオ――原作者である紺藤桐生先生には、ちゃんとした形で聴いて欲しい。

 だって彼は、エンターラという素敵な世界を漫画という形で伝えてくれたのだから。


「だからまた、向こうの世界で」


 コンキリオはじっと、ルビーレッドとターコイズブルーの瞳を向けてくる。現実で会う時はカラーコンタクトでオッドアイを隠した姿になるのだろう。

 彼の瞳は濃褐色。

 それが、これからの翠奈にとっての当たり前になるのだ。


「紺藤先生。寂しそうな顔をしていますね」

「そんなことないよ。確かにミラ・ラエトゥスの弟である僕とはお別れになるけど、でも……それだけだから。僕なんかよりも、姉さんやポエッタさん、プルマとの別れを惜しんだ方が良いよ」

「へー。そんなこと言っちゃうんですか」


 翠奈は腕組みをしてジトっとコンキリオを見つめる。

 これでは駄目だ、といとも簡単に思えてしまった。今伝えたいことは伝えておいた方が良い。そう、ミラに教えてもらったから。


「大丈夫ですよ。きっと、アニメの発表会とかイベントとかで再会できますから。それに……紺藤先生が素敵な作品を描く人だってことはわかってますから。エンターラでの日々を覚えていなくても、ちゃんとわかってます」


 言って、翠奈は胸を張る。

 でもそれはほんの一瞬のことだった。わざとらしく眉をハの字にして、弱々しい笑みを浮かべてみせる。


「それはそれとして寂しいですけどね。もっとミラ様とルーベルさんの姿を見てニヤニヤしてる紺藤先生とか、見たかったです」

「そこなんだ?」

「だって、『あ、本当に原作者さんなんだ』って思った瞬間でしたもん。……はっ、それより聞いてくださいよ! ミラ様とルーベルさんといえば、昨日の夜にですね……」


 ドキドキしたり、そわそわしたり、寂しくなったり、急にテンションが上がったり。今日の翠奈の感情は思った以上にジェットコースター状態だ。アニメが解禁されて、アニソンを伝えて、オープニングテーマを届けて、現実に帰る。あまりにも特別で、大切な日。様々な感情が押し寄せてきてしまうのは、最早仕方のないことなのかも知れない。

 昨夜のミラ×ルーベルのネタバレを密告しながら、翠奈はそっと抑えられない笑みを零していた。

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