5-5 ラブコメブレイカー

「お……おま、お前…………盗み聞きしてた……ってこと、かよ」


 更にはルーベルの動揺が半端じゃなく、翠奈は思わず目を逸らす。

 これはとんでもないラブコメ展開だ。『何でも屋勇者のサブカルライフ』のファンからするとたまらない展開だが、いくら何でも急速に進みすぎではないだろうか?


 翠奈が「好きなんですね」と訊ね、ルーベルも否定せずにネタバレを語る。直接的な言葉を放った訳ではないが、最早「恋」以上の感情があるのは明白で。

 ミラも、顔を真っ赤にさせている。


「盗み聞きとは何だ。私はただ……翠奈ちゃんの様子を見に来ただけだぞ。ルーベルはとっくに差し入れを渡して帰っていると思ったんだ」

「でもお前、聞いてたんだろ?」

「……知らん」

「だいたいお前、顔が赤いぞ。熱でもあんのかよ」

「さ、触るな! 何でもないから気にするな。ただ…………ちょっと、慣れてないだけだ」


 思い切り顔を逸らしながら、ぼそりと呟くミラ。

 当然のように翠奈の心は「フウゥゥ」でいっぱいになる――のだが。

 このまま翠奈しか知らない状態でラブコメ展開が進んで良いのか、という疑問も一緒に芽生えてしまう訳で。


「二人とも、ちょっと待った! ストップ!」


 一瞬だけ躊躇ってから、翠奈は二人の間に割り込む。

 せっかくのラブコメ展開を邪魔するとは何ごとか、と自分でも思う。しかし、『何でも屋勇者のサブカルライフ』の一ファンとして、そしてオープニングテーマを担当するアーティストとして、このままではいけないと思った。


「本っ当に悪いんですけど、紺藤先生がいないところで進展しないでください! 我々読者が詳細に知ることができなくなってしまうので!」


 ラブコメブレイカーとはこのわたし、祝井翠奈のことよ。……と頭の中で宣言しながら、翠奈は堂々と言い放つ。

 本当に、心の底から最悪な存在だと思った。何なら結婚まで発展する可能性だってあったのに、翠奈がすべてを壊してしまったのだ。ありえないったらありゃしない。


「……お、おぉ」


 当然のように、二人は呆気に取られている。

 しかしこればっかりは譲れないのだ。自分は、この世界をエンターテイメントにすることを選んだ人間なのだから。


「少しくらいわがまま言ったって良いじゃないですか! こちとらタイアップアーティスト様なんですからぁ」


 言って、翠奈はじっと二人を見つめる。

 ミラもルーベルも、気付いたら本音で話せる相手になったのだ。流石に「タイアップアーティスト様」は調子に乗りすぎた気もするが、きっと二人なら受け止めてくれるはずだ。


「色々と凄いこと言うな、お前」


 最初に口を開いたのはルーベルだった。

 腰に手を当て、「やれやれ」という雰囲気を醸し出している。


「いやでも助かったよ翠奈ちゃん。あのままでは翠奈ちゃんに恥を晒すところだったからな」


 一方でミラは、苦笑を浮かべながら正直すぎる言葉を漏らしていた。

 勇者様にこんなことを言っては失礼かも知れないが、


(意外とヘタレな部分もあるんだな)


 と思ってしまったのは内緒である。


「翠奈ちゃん、ちょっと」

「え? あ、はい」


 ミラにちょいちょいと手招きをされ、翠奈はミラに近付いた。何だろうと思う間もなく耳打ちされ、翠奈の鼓動はドキリと跳ねる。

 しかし、


「この件についてはちゃんと向き合うから。弟の漫画でちゃんと届けるから。だから安心して欲しい」


 囁かれた言葉に、翠奈は別の意味で高揚感を覚える。

 嬉しい。ただ、そう思った。



「ミラ様。ルーベルさん」


 翠奈は改めて二人の姿を見る。

 ミラ・ラエトゥス。勇者の子孫であり、数多あるエンターテイメントを愛する何でも屋勇者。

 ルーベル・インサニア。魔王の子孫であり、本当は心根の優しいレストランのシェフ。

 二人とは明日でお別れだ。

 だけど、現実に戻れば『何でも屋勇者のサブカルライフ』の中で動き回る二人に再会することができる。

 だから翠奈は笑うのだ。


「わたし、エンターラに来られて良かったです。この世界のエンタメに触れることで、わたしにとってのエンタメはどんな存在なのかって……たくさん、気付くことができました。きっとこの感情が、『何でも屋勇者のサブカルライフ』の世界を知ることだったんです」


 アイドルとしての自分も。

 これからアニメソングを届ける立場になる自分も。

 ただ一人のオタクとして、アニメや漫画が大好きな自分も。

 全部が楽しくて、誇らしくて、元気をもらえる大切なエンターテイメントだ。


「だから、明日は期待していてくださいね!」


 ただただ楽しみな気持ちが抑えられなくて、翠奈は一人のアーティストの顔を覗かせる。

 今ばかりはポエッタにも負けないくらいのポジティブに溢れているのではないだろうか? そんな自信すらあって、翠奈はますます笑ってしまう。

 なのに、


「翠奈ちゃん」


 何故か、ミラの表情は真剣そのものだった。隣でルーベルも意味深に目を伏せていて、いったいどうしたのだろうと思う。


「ミラ様、どうし……」

「寂しい気持ちに嘘を吐いてはいけない」

「……っ」


 嘘、という言葉が心の中で零れ落ちる。

 隠せていたつもりだった。――というよりも、気付かないようにしようと思っていたのに。だって、こんなにもたくさんのポジティブな想いをもらったのだ。今更、寂しいなんて気持ちが芽生えたらいけない。

 はずなのに。


「泣きたい時は泣けば良い。後悔を残したままだと、明日のステージが失敗してしまうかも知れないぞ?」

「う……それは」

「ほら、遠慮せずに私の胸に飛び込んでくると良い。大丈夫だ。私は女の子ならいくらでも抱き締めてあげられるからな」


 言いながら、ミラは両腕を広げる。


(まったく。この人はどこまでもお人好しな勇者様なんだから)


 無意識に隠そうとしていた感情にまで気付いて、包み込もうとしてくれる。きっと、ミラが心優しい勇者だからこそできることなのだろう。

 でも、翠奈は何となく悔しいと思ってしまった。


「じゃあ、約束してください」

「お、何だ? 最後のお願いってやつか?」

「はい。…………ミラ様。いつかルーベルさんのことも抱き締めてあげてくださいね」

「な……っ」


 くわっとミラの両目が見開かれる。

 反射的にルーベルの反応に注目すると、彼は思い切り視線を逸らしていた。まったくもって恥ずかしがり屋な人達である。


「そ、それが最後のお願いっていうのはおかしいだろう。良いから早くこっちに来いっ」


 と言いながら、ミラは自らこちらに近寄り抱き締めてくる。

 いつもの鎧姿だからところどころ痛い。だけど温かくて、優しくて、自然と目頭が熱くなってくる。あぁ、自分はこんなにも我慢をしていたのかとようやく気付いてしまった。


「ミラ様……っ」

「寂しいな。私も寂しいよ。こんなにも可愛くて面白い女の子、翠奈ちゃん以外いないからね」

「面白いって何ですかぁ」

「ふふっ、すまないね。でも大好きだという気持ちは変わらないよ。これからも私は、君のことを応援しているから」


 囁き、そっと頭を撫でられる。


 ――この感覚だけは、一生忘れたくないな。


 無理かも知れない願望を頭に浮かべながら、翠奈は涙を流す。

 寂しさを口に出すこと。そんな時間も大切であることをミラが教えてくれたから。最後の一歩を踏み出すように、翠奈はミラの愛に甘えていた。

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