4-4 決断

 翌日。エンターラに来て五日目の朝がやってきた。

 モッチョーと鳴くモチモチドリに、花弁が一つ減って三つになった紋章。すっかり慣れた光景だが、微かに寂しさも混ざっていて。


(……よしっ)


 ベッドから起きるなり、翠奈はぺちぺちと頬を叩く。それから握りこぶしを作り、気合いを入れた。

 緊張していないかと言われたら、きっと答えは否だろう。

 今日は自分にとって大事な決断をする日だ。どうしたって鼓動は高鳴るし、そわそわしてしまう。だけどもう、決めた。

 と、いうよりも。


 ――自分はただ、弱い心から抜け出せなかっただけなのだ。


 時刻は午前十時。

 いつものようにゴシックロリータなワンピース(今日は白色)に身を包み、食堂で朝食をとる。それから翠奈はミラとともに客間へと向かった。


(ここ、あの時以来だな……)


 感慨深く思いながら、翠奈は辺りを見回す。

 ヴィクトリアンフロアタイルが印象的な客間は、高級感とともに可愛らしさもあって胸が躍ってしまう。


「ロコちゃん。……紺藤先生とプルマちゃんも、もう来てたんだ」


 翠奈が初めて客間に訪れたのは、コンキリオを紹介された時だった。あの時はミラに弟妹ていまいがいることすら驚きで、コンキリオ=紺藤桐生だと知った時は動揺のあまり語彙力が低下した覚えがある。


 ちなみに、ポエッタの服装はふわふわの白いワンピース。コンキリオは黒パーカーにジーンズで、プルマがピンク色のタータンチェックのセーラー服だった。コンキリオとプルマは出会った時と同じ恰好で、自然と息を呑んでしまう。


(懐かしいな)


 すでに懐かしいと感じてしまうほど、エンターラでの日々は濃く、楽しさに溢れていた。

 駄目だなぁ、と翠奈は思う。

 覚悟を固めれば固めるほど、寂しさが頭をよぎってしまうのだから。


「祝井さん」

「あっ、すみません紺藤先生。少し、ぼーっとしてしまって」

「いや、大丈夫だよ。僕も落ち着かないんだよね」


 言って、コンキリオは力なく笑う。

 眉は珍しくハの字になっていて、心なしか元気のない様子だ。


「ごめんね、祝井さん」

「えっ、あ、いや……紺藤先生が謝ることは何も……」

「原作者として、君に真実を明かせなかった責任は僕にもあるから。あくまで僕は、エンターテイメントとしてエンターラの魅力を漫画で届けたかったんだ。真実をすべて描いてしまったら、現実とエンタメの境目がわからなくなってしまうんじゃないかって思って」

「紺藤先生……」


 一歩、また一歩とコンキリオに近付く。

 やがてコンキリオの両手を優しく包み込むと、彼ははっとしたようにこちらを見た。


「大丈夫ですよ。先生の想いはちゃんと伝わってますから」

「い、いやその、祝井さん……。いきなりの握手会は心臓に悪いんだけど」

「先生……? これからシリアスな話をする展開じゃなかったんですか……?」

「……ごめん、つい」


 ほんのりと頬を朱色に染めながら、コンキリオは視線を逸らす。

 彼も少しはアイドルに興味を持ってくれたということだろうか。だとしたら嬉しいな、と翠奈は微笑む。


「ロコちゃん、答えは出せた?」

「……はい。だいじょぶ、です」

「そっか。わたしもだよ」


 言いながら、翠奈はポエッタの髪を撫でる。

 別にこれは余裕の言動という訳ではないのだ。勇気を分け与えるというよりも、共有する感覚。そして、翠奈もまたポエッタからたくさんの勇気をもらった。

 だからこの行為は、ありがとうの意味が強いのかも知れない。


「わたしの答えから話しても良いですか?」


 ポエッタを見て、プルマを見て、コンキリオを見て、最後にミラと視線を合わせる。

 皆が頷くのを確認してから、翠奈はゆっくりと口を開いた。



 自分はアイドルだ。祝井翠奈という、唯一無二の存在だ。

 普段は自信がなくてネガティブ思考の自分でも、アイドルとしての自分には誇りを持つことができる。だって、ファンの笑顔にたくさんの元気をもらっているのだから。

 ……なんて言うと、「何を当たり前のことを」と思うかも知れない。


 でも、自分も誰かにとっての大切なエンターテイメントになれているのだと思うと無限の力が湧いてくるのだ。


「やっぱりわたしは、歌とダンスで皆を笑顔にしたいんだって。この間のミニライブで改めて気付きました。『祝井翠奈』っていう存在を必要としてくれる人がいるのなら、わたしはわたしであり続けたい。皆を元気にして、わたしも元気になる。そんなかけがえのない時間が大好きだから」


 はっきりと気持ちを言葉にしながらも、翠奈は一瞬だけ目を伏せる。

 きっと、エンターラにも『祝井翠奈』を必要としてくれる人はいるのだろう。だからこそ翠奈は申し訳ない気持ちに包まれてしまった。


「元の世界には、わたしのことを応援してくれているファンの皆がいます。ライブとか、リリースイベントとか、ファンレターとか、SNSとか……。色んな場所で温かい想いをくれるんです。家族や友達も、ずっとわたしのことを応援してくれていて……だから…………」


 確かにエンターラは居心地の良い場所だ。

 大好きな『何でも屋勇者のサブカルライフ』の世界で暮らすことができる、と考えるだけで胸が躍ってしまう。


 だけど翠奈はとっくに気付いていた。

 自分にとって『何でも屋勇者のサブカルライフ』は、エンターテイメントとして大切な存在なのだと。



「そんな大切な存在を、わたしは歌で伝えられる。……こんなにも幸せなことはないなって思ったんです」



 最初は不安でいっぱいだった。

 何でアニソン実績のないアイドルが――と頭を抱えたものだ。

 だけど、ミラが自分を救ってくれた。

 エンターラを知る度に、ミラ達と触れ合う度に、『何でも屋勇者のサブカルライフ』が特別なものになっていく。元々好きだった漫画が、大好きでたまらなくなっていく。


 プレッシャーは心のどこかにあるのかも知れないけれど。

 それ以上に、『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマを歌うことができるのは祝井翠奈だけだと言える自分もいるのだ。


「わたし、『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングテーマが歌いたいんです。だから、わたしは現実に戻る道を選びます」


 言った。言ってしまった。

 鼓動が速い。でもこの胸の高鳴りは決して嫌なものではなくて。

 前に進める喜びとなって自分の心に溶けていた。


「そうか」


 最初に口を開いたのはミラだった。

 短い返事なのに、翠奈の心ごと抱き締められているような感覚に包まれる。眼鏡の奥のオッドアイはどこまでも優しくて、嬉しそうで。

 何故か、吐く息が震えてしまった。


「どうした? 私の胸に飛び込んでくるか?」

「もう。本当に……ミラ様は優しすぎますよ」

「今更な話だな。私はいつだってお人好しな何でも屋勇者だぞ?」

「…………はい、知ってます」


 囁きながら、翠奈はミラの言葉に甘えるように抱き着く。

 昨日のポエッタといい、少々女の子に甘えすぎだろうか? ポエッタはふわふわで、ミラは頼もしい。異なる二つの温もりは、想像以上に強く翠奈の背中を押してくる。

 だから、翠奈は寂しさを振り切って笑うのだ。

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