4-2 現実とエンターテイメント

「あの、ミラ様。クリエス人って、元々は日本人だった人が多いんですか?」

「いや、そうでもないよ。ポネリアンが日本の影響を受けている町っていうだけで、他の町はもっとグローバルでね。私の両親が日本人以外の異世界人と接することが多いんだ」


 言いながら、ミラは何故か苦笑を浮かべる。

 翠奈が首を傾げると、ミラは観念したように口を開いた。


「何も異世界は日本だけという訳ではないのだがな……。無意識に日本人を贔屓ひいきしてしまっていて、本当に申し訳ないと思っている……」

「いやいや! ポネリアンはポネリアンでちゃんと成り立ってるんだから良いじゃないですか。わたしは居心地の良い町だって思いますよ」

「……それって」

「あ、いや……そのっ」


 はっとしたようなミラの視線から慌てて逃げ出す。

 今、目の前には二つの選択肢があって、翠奈はポネリアンのことを「居心地の良い町」と言った。エンターラに残った場合の話をじっくりと聞いたあとだったのもあって、勘違いをさせてしまったのかも知れない。


「すみません。……まだ、頭の整理ができなくて」


 思い切り目を泳がせながら、翠奈は弱々しい声を漏らす。

 ミラもまた、力ない笑みを浮かべながら翠奈の頭に手を置いた。


「いや、私の方こそすまない。最初から君に真実を告げてしまっては、元々の願いがブレてしまうと思ってね。なかなか言い出せなかったんだ」

「いえ、それは全然。わたしも何度か寂しさを口に出してしまいましたから。言うタイミングが見つからなくて当然です」


 花の紋章を見つめながら、翠奈は眉根を寄せる。

 しかし、


「あっ」


 何かに気付いたように翠奈は瞳を大きくさせる。

 視線の先には、じっと黙って二人の会話を聞いてくれていたポエッタの姿があった。


「ロ、ロコちゃん!」


 一瞬にして裏返る翠奈の声。

 確かに今は翠奈にとって大事な話をしていた最中だ。でもここは魔法学校の図書室。本来の目的はポエッタの悩みを解決することである。


「ご、ごご……ごめんロコちゃん! わたしも予想外のことで取り乱しちゃったっていうかっ! ロコちゃんのことを置いてけぼりにしちゃって……」


 両手をわたわたと動かしながら必死に言い訳を重ねる翠奈。我ながら滑稽な姿である。

 しかし、ポエッタはむしろ冷静な様子だった。

 静かに首を横に振り、翠奈の肩に手を乗せる。


「違う、です」

「へっ?」

「置いてけぼり、違う……です。私にとっても大事……です、から」


 言って、ポエッタは翠奈を見てからミラとも視線を合わせた。

 ポエッタの大きな瞳から確かな決意を感じる。困り眉な印象が強いはずの彼女の姿は、今の翠奈にとっては希望の塊のように見えた。


「翠奈ちゃん。これはポエッタちゃんにも関係のある話なんだ」

「……それって、どういう」

「私は何でも屋勇者だ。人々の悩みに手を差し伸べるのは、君のような異世界人だけではない。……翠奈ちゃんにエンターラで生きる道があるように、エンターラ人にも異世界へ行く選択肢があるんだよ」

「ふえっ?」


 素っ頓狂な声を出すのはこれで何度目だろうか。

 原作通りじゃない部分がまたまた現れて、翠奈は唖然としてしまう。もちろん『何でも屋勇者のサブカルライフ』の中ではエンターラ人の悩みもたくさん解決している。しかしエンターラ人が異世界へと行く描写は一切なかったのだ。


「じゃ、じゃあ……わたし達の世界にはエンターラ人も紛れ込んでいるっていうことですか?」

「んー、それは少し違うかな。紛れ込んでいるのは私達ラエトゥス家だけだよ」

「でも、だったら異世界に行くっていうのは」

「まぁ、俗に言う『異世界転生』ってやつだね」

「えっ」


 ――何それラノベじゃん!


 という、今更すぎる突っ込みが心の中に零れ落ちる。


「それは、クリエス人みたいに記憶が残った状態で異世界転生するっていうこと……ですか?」


 ちらりとポエッタの姿を確認しながら翠奈は問いかける。


「いや、記憶は残らないよ。エンターラ人だった頃に好きだったものの影響を受けることもあるが、確証がある訳でもないんだ」


 記憶が残らない異世界転生。

 それは、翠奈がクリエス人になる道を選ぶよりもハードルが高い選択肢だと思った。


「……!」


 だけどポエッタの真剣な表情は一ミリも変わらなくて。

 翠奈はもしかして、と思う。

 ポエッタが難しいと感じている『一歩踏み出す』は、翠奈の想像を遥かに超える大きさのものではないのか、と。


(って、わたしも人の心配してる場合じゃないか)


 確かにポエッタのことも大事な問題だが、まずは自分の心とも向き合わなければいけない。

 翠奈はミラを見据え、ぎこちない笑みを浮かべてみせる。

 どうやら自分はまだ、完璧な笑顔を見せられる状態ではないようだ。


「……真実は、理解してくれたかな?」

「はい。色々と驚きの連続でしたけど……何とか」

「そうか」


 ふうっと息を吐いてから、ミラは一瞬だけ目を伏せる。

 やがて、覚悟を決めたようにルビーレッドとターコイズブルーの瞳を向けてきた。



「翠奈ちゃん、改めて言わせてもらうよ。……元いた世界か、こちらの世界か。どちらかが現実になって、どちらかがエンターテイメントになる。君にはそれを選ぶ権利があるんだ」



 ――どちらかが現実になって、どちらかがエンターテイメントになる。



 そうか、と思った。

 翠奈はエンターラを通じて再認識したものがある。


 それは、エンターテイメントの存在の大切さだ。

 自分はアイドルで、『何でも屋勇者のサブカルライフ』のオープニングアーティストに抜擢されて、最初はどうしようと悩んで。だけど今はもう、大好きな世界を歌で表現できることに喜びを感じている。


 でも、そんな大好きな世界でもエンターテイメントを受け取ることはできるのだ。

 物語の中の憧れの存在だったミラと友達になって、ルーベルとの仲を近くで観察できて、コンキリオやプルマともサブカル文化を満喫して、この世界でも自分はアイドルをしていて。

 そんな幸せな日々も、選択肢次第では可能になってしまう。


「あの、ミラ様。……もし。もしもですよ。わたしがエンターラに残る道を選んだら、現実のわたしはどうなるんですか?」

「元々『祝井翠奈』という人間は存在しなかった、ということになるね」


 やっぱりか、と翠奈は思う。

 これはあくまで翠奈の想像でしかないけれど。エンターラに残る道を選ぶ者は、最初から現実世界を抜け出したいと思っていた人がほとんどなのではないだろうか。

 だけど翠奈には家族がいて、友達がいて、ファンの皆もいる。

 悩む必要なんて初めからないはずなのに。


「わたし、は……」


 ぐるぐると頭が回る。

 芽生え始めていた「やりたいこと」と、突然目の前に現れた「新しい幸せの形」。

 ミラの判断は決して間違ってなどいなかった。ネガティブモードのままエンターラに逃げる選択肢を与えられてしまったら、何もかもを投げ出して「何だ、じゃあここで生きれば良いじゃん」と思っていたかも知れない。


 だからこそ心が震えてしまう。

 こんなにも胸が苦しいのは、きっと抗いたい気持ちがあるからだ。負けたくないのだと、ちゃんと思えているからだ。

 なのにゆらゆらと不安定に揺らめく自分の想いはどこまでも情けなくて。


「スイナ、さん!」


 ビクリ、と背筋が伸びる。

 反射的にポエッタと視線合わせようとするも、視界がぼやけて上手く見えない。


(あ、わたし……)


 泣いていたのだという事実に、ようやく気が付く。

 翠奈は慌てて目元を拭い、必死に笑顔を向ける。


「ごめんね、ロコちゃんだって色々悩んでるところのはずなのに……って近っ」


 ポエッタの顔が目と鼻の先にある。

 何だ何だどうしたどうした、と内心では大騒ぎだ。女の子同士とはいえ恋人の距離感である。しかもふわりと花の香りがして、「あーそっかぁ、ロコちゃんは本当に花から生まれたフェアリー族なんだぁ」なんて自覚してドキドキしてしまう。

 しかし、


「失礼……しますっ」


 本当にドキドキするのはここから先のことだった。

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