第三章 アイドルとしてのわたし

3-1 エンターラでの衣装作り

 ありえない。

 ありえないったらありえない。


 とんとん拍子とはよく言ったものだが、まさか「やってみるか」と閃いてからこんなにも目まぐるしく動き出すとは思わなかったのだ。

 確かに翠奈は、


「あの、ミラ様。わたし……エンターラのライブハウスで歌ってみたいって思うんですけど」


 と言ったし、ミラだってノリノリで了承してくれると確信していた。

 しかしライブを開催するのは決して簡単なものではない。生バンドではないにしろ様々な準備が必要だろう。衣装を用意したり、チケットを捌いたり……。翠奈だって心のどこかには「断られるかも知れない」という不安もあった。


 実現するとしても、翠奈が現実に戻るギリギリに開催されるだろう――と思っていたのに。



「おお、それは名案だな。明日やるか!」



 などという衝撃の言葉をミラは放った。

 まだルーベルのレストランにいる時の話である。つまり、ミラの言う「明日」は寝て起きたらすぐに訪れてしまうということだ。


「ミラ様。路上ライブならまだしも、明日は流石に無理ですよ」

「ん、そうか?」

「いや『そうか?』じゃないんですよ。ライブハウスのキャパは二千人なんですよね? 現実ならともかく、わたしはエンターラでは無名アイドルなんですよ」

「あぁ、それなら大丈夫だぞ。異世界アイドルというだけでエンターラ人は興味津々だからな。当日券でも何も問題はないだろう」


 ミラは腕組みをしながら得意げに微笑む。

 尚も半信半疑に思っていると、今度は頬杖をつきながら言い放った。


「まぁ、本音は私が早く翠奈ちゃんのステージを観たいというだけなんだけどね」


 反則だ。

 上目遣いで、微笑を浮かべて、どこか甘えたような声色でそんなセリフを吐くなんて、あまりにも反則すぎる。


「本当にできるんですか?」


 翠奈の中にあった「無理ですよ」が音を立てて崩れていく。

 この瞬間、「明日、祝井翠奈のライブが開かれる」という嘘みたいな現実が動き出していた。



 翌日。

 翠奈がエンターラで過ごす三日目の朝がやってきた。今日もモチモチドリが「モッチョー」と元気に鳴いている。なんて平和な朝なのだろう。


「本当に今日ライブするんだなぁ」


 いまいち実感が湧かず他人ごとのような声を漏らす。「可愛いなー」なんて思いながら窓の外のモチモチドリに手を振ってから、翠奈はふうっと息を吐いた。


「よし」


 気合いを入れるように呟く。

 展開の早さにはビックリだが、だいたいもってライブがしたいと言い出したのは翠奈なのだ。エンターラで歌ったら良い刺激になるかも知れないし、ミラ達への感謝を込めて自分にできるエンターテイメントを披露したい。


 だからいつまでもぼーっとしている訳にはいかないのだ。

 今回行うライブは祝井翠奈のミニライブ。数曲ピックアップをしてセットリストを決めるのは自分でやらなければいけない。ダンスも昨日のアニソンあるある再現大作戦でやった「謎ダンス」くらいしか最近はしていないため、ちゃんと自主練習もする予定だ。


「いや急に忙しいじゃん。まぁ、この忙しさも懐かしい感じがして良いんだけ、ど…………ん、はーい」


 今日も今日とてゴシックロリータなワンピース(今日は赤色)に身を包むと、不意に部屋のドアがノックされた。

 顔を出したのはコンキリオとプルマだ。コンキリオはオーバーサイズのグレーのTシャツに黒いチノパンツ。プルマはまた制服姿で今度は紺色のブレザーだった。


「祝井さん、おはよう。朝早くからごめんね」

「いやそんな! こちらこそ急なお願いをしてしまってすみません」

「向こうの世界の時間が止まってる間は僕も暇だからね。どんどん頼ってもらって大丈夫だよ。それに……僕もオープニングテーマを歌ってくれる祝井さんのステージは気になってたからね。いやまぁ、元々知らなくてごめんって話なんだけど」


 言いながら、コンキリオは申し訳なさそうに頭を掻く。

 その隣でプルマがドヤ顔を浮かべていた。


「へへーん、あたしは翠奈のこと知ってたもんね」

「プルマはアイドルが好きなんだっけ?」

「んー、アイドルじゃなくて声優アーティストだけどね。まっ、アイドルコンテンツだとまた話が変わってくるけど」


 楽しげに胸を張るプルマに、翠奈は内心「本当にオタクなんだなぁ」と感心してしまう。現実で出会ったら友達になりたいくらいだ。


「それで、プルマちゃんが持ってるのって……」

「あ、うん。そだよー。翠奈のステージ衣装!」


 言いながら、プルマは手に持っていたものを見せびらかす。

 翡翠色のチャイナ風ドレスだ。膝上丈のミニスカートで、へそ出しの衣装。お団子風の髪留めと黒いチャイナブーツもしっかりと用意されている。


 これは、翠奈が実際に着用していたステージ衣装だ。

 流石に再現度百パーセントとまでは言わないが、胸を張って祝井翠奈の衣装だと言えるほどには完璧な出来である。


「凄い……。本当に一晩で完成しちゃったんだ」


 感嘆の息を吐きながら、翠奈は手渡されたチャイナ風ドレスを隅々まで見つめる。蝶が散りばめられた柄もそのままだ。


「……ん?」


 すると、翠奈は一瞬だけ眉根を寄せる。

 いたのだ。スカートの裾にひっそりと描かれたモチモチドリが。その絵柄は完全に『何でも屋勇者のサブカルライフ』に出てくるモチモチドリだった。


「紺藤先生……?」

「あぁ、バレちゃったかな? ただ再現するだけじゃつまらないかなって思って。まぁその、ちょっとした遊び心ってやつだよ」


 言いながら、コンキリオは照れたように鼻をこする。


 一見するとコンキリオが蝶やモチモチドリの刺繍をしたように思うかも知れないが、実はそういう訳ではない。エンターラでの裁縫は現実とは少し違っていて、魔法が用いられている。


 とはいえ、何でもかんでも魔法で簡単に服が作られるという訳でもないのだ。

 現実で言うところの縫製工場のような施設はエンターラにもあり、基本的な服の形は工場で作られる。今回のチャイナ風ドレスも、元々は武道系の女性の衣装として作られていたものだった。


「でもそんな遊び心で描いたイラストも、ちゃんと服のデザインとして反映されてるんだから凄いですよね」


 翠奈は顔を綻ばせながらモチモチドリの刺繡を見つめ、やがてコンキリオの手元に視線を移す。彼が手にしているのは翠奈のステージ衣装のデザイン画だった。「こういうデザインが良い」と翠奈が伝え、コンキリオに描いてもらったものだ。


 基本的な服の形と、イラスト。

 二つが魔法によってかけ合わさることにより、一つの衣装として完成する。これがエンターラでの衣装作りなのだ。

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