1-3 キュンキュン開放

「あ」


 やる気がみなぎってきたところで早速エンターラを旅しよう――と思ったら、翠奈はとあることに気付いてしまう。


「あの、ミラ様」

「ん、どうした? 不安なことがあるなら何でも訊いて良いんだぞ」

「この七日間、ずっと現実の……元の世界の時間は止まっている感じですか?」


 翠奈が気付いてしまったもう一つの『原作通り』。

 それは、現実の時間停止だ。エンターラで過ごしている間は現実の時間が止まってしまう。というのも漫画の中で描かれているのだ。


「もちろんそうだ。翠奈ちゃんが一週間も行方不明になったらまずいだろう?」

「いやまぁそうですけど。……そうかぁ」


 翠奈は思わず半眼状態になる。

 確かに宙に浮く卵も、壁かけ時計の秒針が止まっていたのもこれで納得だ。現実の翠奈が一週間の行方不明状態にならないのも正直助かる。

 でも、それはそれとして、


「作詞がしたいがために、わたし……現実の時間を一週間も止めてるのかぁ」


 この現実もまた微妙な気持ちにならざるを得なかった。


「でも翠奈ちゃんは『何でも屋勇者のサブカルライフ』のための作詞をしたいのだろう? だったら私達にとっても大切な願いなんだ。気にすることなんて何もないよ」


 しかし、得意げな顔のミラにそんな言い方をされてしまったら何も言い返すことができない。

 だいたいもって、エンターラについてはまだまだ知らないことだらけなのだ。『何でも屋勇者のサブカルライフ』との関係性も謎に包まれたままだし、本当にポネリアンの町が日本のサブカルに染まっているかどうかも未だ半信半疑である。


「さ、おいで。私がこの世界のことを教えてあげよう」


 恥ずかしい気持ちがゼロかと言われるとそうではないけれど。

 だけど今は、お人好しの勇者様に甘えてしまうのも悪くはないと思うから。

 差し出された優しい手を、翠奈はぎゅっと握り締めた。



 ***



 まずミラに案内されたのは学校だった。

 ポネリアン魔法学校。『何でも屋勇者のサブカルライフ』にも度々登場する魔術に特化した学校だ。校舎はまるで洋館のようで、白と緑のクラシカルな佇まいをしている。


 今はちょうど登校時間らしく、制服姿の生徒達が次々と校舎の中へと入っていく。制服の色は黒く、ネクタイやローブが緑色だ。中にはとんがり帽子を被っている生徒もいて、徒歩ではなくほうきに乗って空を飛んでいる生徒もいる。


(ファ、ファンタジーだ!)


 翠奈は思わず心の中で、何が「別に異世界だとは思わない」だ。「海外旅行に似たような感覚だなぁ」だ。……と盛大に突っ込みを入れる。


「ほわぁ」

「ふふ、驚いているようだな。日本とは違う雰囲気があるだろう?」

「ぜんっぜん違います! まるで映画のプロローグでも観てるような感覚ですよ」


 きっと自分の瞳はキラキラと輝いているのだろうと思った。ファンの前に立っている訳でもないのに、こんなにも生き生きとした表情をするのも珍しいくらいだ。

 そして翠奈は気付いている。箒を使わずに空を飛んでいる生徒もいることに。


「あ、あれ! ミラ様あれはもしかして……!」

「ああ、フェアリー族だな」

「へぇあっ」


 さっきから謎の擬音が止まらない。

 だけど仕方がないではないか。フェアリー族は人間ではなく花から生まれる妖精なのだから。


 背中に透明な羽が生えていて、身長は百三十センチ前後。人間よりも魔術に長けていて、生まれて間もない頃から魔法学校で暮らしている。

 フェアリー族にとっては教師=親のようなものであり、十八歳になって立派な魔法使いになることで恩返しをしている――という設定もエモくてたまらないポイントだ。


「設定じゃなくて現実だぞ」

「え、もしかして口に出てました?」

「逆に無意識だったのか……?」

「ほおぉ」


 恥ずかしくて両手で顔を覆い尽くす。

 だってフェアリー族なんてファンタジー中のファンタジーなのだ。可愛らしい容姿も、人間とは違う生き様も、いちいち翠奈の琴線に触れてくる。『何でも屋勇者のサブカルライフ』でもフェアリー族がメインの話=感動回なんて言われるほど、感情移入しやすい存在だった。


「まぁ、フェアリー族との交流はまた後日にしよう。他にも見てもらいたい場所があるんだ」

「は、はい。……すみません、興奮してしまって」

「いや、むしろ嬉しいよ。最初は君にコスプレ扱いされて頭を抱えたものだからね」

「う……。それは、だって」

「仕方がないことだというのは私が一番理解している。だから翠奈ちゃんは気を遣わなくて良いんだよ」


 言いながら、ミラは翠奈の髪を優しく撫でる。

 相変わらずの紳士的な言動に、翠奈はまたもや謎の擬音を漏らしそうになってしまった。だけどすんでのところで堪えることに成功する。


(わたしはアイドル……キュンキュンさせる側の人間であり、する側の人間ではない……)


 妙なプライドがぐるぐる回る。

 異性にキュンキュンするのは二次元のキャラクターに対してだけ、というのが翠奈の中にあるルールだった。しかしミラは女性の勇者。何も問題はないのではないか? という疑問が過ったのはほんの数秒後のこと。


「……ふへへ」


 そこには、いとも簡単にキュンキュンを開放させる翠奈がいた。

 祝井翠奈、十八歳。職業アイドル。

 可愛い女の子なら二次元も三次元も関係なく大好きだが、格好良い女性も大好物だ。――そう、はっきりと言えてしまう自分に気付いた瞬間だった。

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