1-2 原作通りのエンターラ

 アニメ化が決定している『何でも屋勇者のサブカルライフ』は、週刊トリップファンタジーで連載されているスローライフファンタジーだ。

 著者は紺藤こんどう桐生きりお。まだ二十代前半という新進気鋭の若手作家で、緻密で温かみのある作画と世界観が魅力の漫画家だ。


 翠奈が原作ファンになったのは単行本の一巻が発売された時のことだった。

 エンターラで暮らす何でも屋勇者、ミラ・ラエトゥス。勇者の子孫であるミラは平和になった今でも正義感が強く、人々の助けを求める声を感知できる能力を持つ。

 そんな彼女が異世界を通じてサブカルチャーに興味を持ち、エンターラに取り入れていく様は面白く、同時に嬉しい気持ちに包まれたのを覚えている。


 祝井翠奈もサブカルの中を走る一人のアイドルだから。

 誰かを笑顔にすることの幸せを、作品を通して共有できたような気がした。だから翠奈は原作ファンになったのだ。


 そんな漫画の中の物語が実際に存在していたと知ったら、自分はどう思うだろう?


 なんて、当然のように想像したこともなかった。

 異世界転移だなんて、それこそ創作の中に存在するものだ。なのに翠奈の足下に魔法陣が現れて、「しまった、魔法陣ライトは寝室に持っていくんだった」などという無意味な抗いを頭に浮かべてしまう。

 まぁ、結果的にはすべてを受け入れて瞳を閉じたのだが。



「…………う」


 少しだけ頭がくらくらする。もしやこれが噂の転移酔いというやつだろうか。体感が良いはずの翠奈でさえ若干気分が悪くなってしまったことを考えると、三半規管が弱い人にとってはかなりの地獄ではないだろうか。


「翠奈ちゃん、大丈夫か?」

「あ、はい。大丈夫です。ほんのちょっと酔っただけなので」

「そうなのか? それにしては目を瞑ったままなのだが……」

「…………いや、わかってます。わかってますから。今、覚悟を決めますからっ」


 頑なに目を閉じたまま、翠奈はそっと両手を握り締める。

 確かに『何でも屋勇者のサブカルライフ』には何度も転移酔いの描写が出てきたし、たった今翠奈も経験してしまった。


 ここはさっきまでいたキッチンではなく、エンターラ。

 意識すればするほどに夢と現実が混ざり合って謎の緊張感に襲われる。だけど翠奈は一歩を踏み出すためにここへきた。


(えいやっ)


 というかけ声とともに、翠奈は思い切って目を開ける。



 あぁ、異世界だ。……とは思わなかった。

 その代わり、


「……あぁ」


 ――エンターラだ。


 と思うことはできた。

 翠奈が転移した場所は大きな広場だ。中央にド派手な噴水があり、ついついぽけーっと眺めてしまう。するとミラが「座ろうか」と鉄製のベンチまで導いてくれた。

 転移したばかりの異世界人が茫然としてしまうことは漫画の中でもよくある展開で、ミラがベンチに誘導するシーンも度々ある。


(原作通りだ……)


 なんて思いながらも、翠奈はミラの言葉に甘えてベンチに腰かける。


「ここは……やっぱり、ポネリアンの町っていうことですか?」

「お、よく知っているな。その通り、ここは私の故郷のポネリアンだよ」


 ポネリアン。

 それは『何でも屋勇者のサブカルライフ』の舞台であり、物語の主人公、ミラ・ラエトゥスが暮らす町の名前だ。


「本当におしゃれですよね。漫画のままの風景でビックリしました」


 きょろきょろと辺りを見渡しながら、翠奈は率直な感想を漏らす。

 元々、ポネリアンの風景はヨーロッパの街並みに似ていると思っていた。翠奈も一度だけ、アーティスト写真の撮影でフランスに行ったことがある。建物の一つひとつが芸術作品のようで、看板一つにしてもデザイン性に溢れていて、だけど優しい雰囲気もあって。まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような気分だった。


 ポネリアンの街並みはその感覚に似ている。

 だからまだ、翠奈にとっては異世界というよりも海外旅行なのだ。決して現実離れした風景ではなくて、だけど看板の文字や人々の会話に注目してみると見知らぬ言語に溢れていて。やっぱりここは日本ではないのだと再認識させられる。


「ミラ様、おはようございます!」

「ああ、おはよう」

「また転移者様を連れてこられたのですね」

「うむ。これからポネリアンの町を案内するところなんだ」


 ――あれ?


 頑張ってください! と言いながら立ち去っていく青年に会釈をしながら、翠奈は自分の頭が疑問符でいっぱいになるのを感じる。


「翠奈ちゃん、どうかしたか?」

「いやその、日本語が……」

「えっ」


 すると何故か、ミラが目を丸くさせる。

 まるで「どうしてそこに疑問を持つんだ」とでも言いたいような表情だった。


「…………本当に原作通りなんですね」


 異世界の中に自然と混ざり合う日本語に思わず動揺してしまったが、これもまた『何でも屋勇者のサブカルライフ』通りの要素だった。


 ミラに連れられてやってきた異世界、エンターラ。

 言語はもちろんエンターラ語だ。「エンターラ語がアニメにでてきたら、声優さんは大変なんだろうなぁ」と思ってしまうくらい、発音からして独特な印象がある。


 しかしエンターラ――特にポネリアンは、ミラが持ってきた日本のサブカルチャーの影響を受けまくっている町だ。一部のエンターラ人は日本語を話すことができる、というのが漫画の中の設定だった。


「だいたい、さっきからずっと私が日本語を話しているだろう?」

「……実際はエンターラ語だけど、魔法で日本語に変換してくれているのかな、と思っていたので」

「あぁ、異世界転生ものによくある設定だな」

「それ理解できちゃうんですね」


 はは、と翠奈は苦笑を浮かべる。

 流石はサブカル大好きな勇者様だ。


「ところで手の甲の紋章には気付いたかな?」

「え……あっ」


 ミラの言葉に、翠奈ははっとして右手の甲を見る。

 まるで腕時計をしていないのに時間を確認するポーズをしてしまった。でも、腕時計の代わりに浮かび上がるものがある。


「花の紋章……」

「それも原作通りだろう?」

「はいぃ」


 頷く声が震える。

 確かにこれも原作通りだった。

 翠奈の手の甲には花の紋章が描かれている。花弁の数は七つ。花の紋章はミラに連れられてやってきた異世界人の証であり、大きな役割を果たしている。


「わたしがエンターラで過ごすことができる残り日数が示されているんですよね」

「ああ、その通りだ」


 力強く頷くミラに、翠奈の鼓動は静かに速くなっていく。

 七つの花弁ということは、翠奈がエンターラで過ごすことができるのは残り七日間ということだ。七日間というのもまた漫画と同じであり、日が経つにつれて紋章の花弁の数が減っていく。花弁がなくなり紋章が消えてしまう=現実へと戻る時が訪れたということだ。


(原作通りだと、現実に戻るとエンターラで過ごした記憶はなくなるんだよね。でも、問題解決のための記憶は夢として残るっていう形になる、か……)


 最初でこそ夢だ夢だと騒いでいたが、結局のところは夢になってしまうらしい。そう思うと寂しい気もするが、翠奈はすでに夢も現実も関係ないと一歩を踏み出した人間だ。


 好きを貫くために翠奈はミラの手を取った。

 だったらもう、この七日間を有意義に使うだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る