第35話 ただ,あの子のために

 薄暗い体育館の中でバスケットボールが跳ねる音が体育館中に響いていた。そして,そのボールを投げると綺麗にゴールに向かって入って行った。


 まるで,リング自身がボールを引き寄せるような感じで……。


 その光景を壇上に座りながら見ていた遙人はシュートを決めている自分に尋ねた。


「悠人はバスケ部には入らないの?誠央学園でも部活に入っていたんでしょう?」

「そうだな。だが,正直に言うともう部活に対して熱意は何もない。中学の時もそうだが,俺に取ってバスケは逃げる手段の口実でしかなかったからな。」

「そっか。」


 重い空気が流れる中,俺はシュートを決めるのを止めて遙人に向き合った。


「母さんと妹はどうしてる?」

「母さんはまだ病院で入院しているよ。悠人が居なくなった直後は起きることすらままならない状況でね。日に日に窶れて見ていられなかったよ。だけど,それからしばらくしたら徐々に回復はしてきたかな。主治医の先生は今年中には退院できるんじゃないかって言ってたよ。」

「そうか。……よかったよ,本当に。」


 遙人と反対側の壇上に座り込むと片手で頭を抱えた。無事だったとはいえ,場合によっては二度と顔を見ることさえできなかったかもしれないのだ。それを思うと,如何に自分のやったことが愚かなことであったか,俺は言葉にすら表せなかった。


「……母さんが回復してきたのは,悠人が父さんに謝った時だよ。母さんと妹にとんでもないことをしてしまったって。」

「!?お前,それを知っていたのか?」


 地元を離れて全寮制の中学校に転校してからしばらくして俺はやっと冷静に慣れたのか,父親に母と妹の近況を聞いたのだ。妹は常盤女学園に入学することになり,母はあの時のことがショックで倒れてしまい,病院へ緊急搬送されたと話してくれた。


 それを聞いた俺は必死で父に謝罪したのだ。とんでもないことをしてしまったと。しかし,それ以降,俺は滅多なことで父親にすら電話を掛けることはなかった。母をあのような状況にした自分が家族としていられるわけがないと自分を責めて生活費すら受け取ろうとせず,自らの手で家族の縁を切ろうとしていたのだ。


 だが,父は月に一度は電話を掛けており,その時に自分の近況をいつも尋ねていたのだ。その状況を遙人は偶に父から聞いていたのだ。


「母さんの心情は分からないけど,悠人が思っているほどの感情は持ってないと思うよ。ただ,妹だけは別だけどね。あの子は本気で悠人のことを怒っているよ。」

「そう,か。」


 それもそのはずだ。自分は母を追い込み倒れさせて挙句の果てに妹にすら傷付ける言葉を放ったのだ。嫌われて当然だなと思った。


「遙人は俺の事をどう思っているんだ?」

「…………。」

「答える気はないか。なら,別の質問を……。」

「恨んではないよ。母さんと妹には悪いけど僕は君と喧嘩した直後から恨むことはなかったよ。流石に母さん達に言った時と倒れた時は恨んだけどね。でも,直ぐにそう言う感情は無くなったよ。僕も結構薄情な人間だろう?あれだけのことがあったのにもう悠人のことを恨んでないなんて。……まあ,あれは僕が何もしなかったということもあるからね。」

「遙人……。」


 今度は遙人が片手で頭を抱え出した。だが,さっきのことが本当の話なら何故遙人は編入初日にあのようなことを言ったのか理解ができなかった。


「何でお前は編入初日に俺に突っ掛かって来たんだ?今の話が本当ならお前があのような発言をするのはおかしいだろう?」

「必要だったからだよ。悠人を家に戻すためにね。それに,常盤さんには言ってないことだけど悠人の状況を調べるに当たって誠央学園の事も少し調べたからね。」

「お前!?誠央学園のことを何処まで調べたんだ!?」

「真相までは調べてはいないよ。僕が知りたかったのはそっちの状況だけだったからね。ただ,悠人の周りの状況を調べるだけでもびっくりしたよ。何,あの学園は?正直,こっちの学園が学生達を編入させた理由が分からないぐらいだったよ。にしたんだよ?」


 俺は何も言えなくなった。それを調べた遙人の調査力にも驚いたが,何よりあの遙人がその話をしただけで嫌悪感を滲み出しているのだ。誰にも滅多に怒らない遙人が話をしただけで嫌悪感を滲み出す,それほどの問題を誠央学園は抱えていたのだ。


「まあ,今はその話はいいよ。正直,今の誠央学園の状況は僕達が居た中学校よりも酷い状況だと思ったよ。中学の女子達は君に過剰に接していたけど他人を蹴落としてまで君を手に入れようとはしてなかったからね。……それに,今の彼女達は変わることができたから。」

「今,何て言った?」

「何でもないよ。あと,悠人が僕というか家族に後ろめたさがあるのは編入初日の発言に返してこなかった時点で薄々とわかったからね。だから,僕は恨まれ役を買おうと思ったんだ。」

「恨まれ役?」


 遙人の言った言葉の意味が分からず,俺はどういうことだろうと思った。すると,遙人は昨日美陽に言った話を俺にも話した。その話を聞くとやはり色々と思うことがあり,容認できるはずもなく怒りを露わにした。


「ふざけるな!自分勝手に何て行動を起こしているんだ!一歩間違えれば,お前だけじゃなくてお前の周りにも迷惑が掛かっていたんだぞ!」

「そう言って昨日,常盤さんに物凄く怒られたよ。ユウの気持ちを考えて言っているのかとね。やっぱり,二人とも眩し過ぎるぐらい似ていると思うよ。」


 遙人は物思いにふけた顔で天井を見上げた。そこには何もなく,ただ真っ暗な天井が目の前に映っているだけだった。


「常盤さんにも言ったけど僕には本当に生きる意味なんてないんだよ。悠人のこと以外でも色々とあり過ぎたからね。」

「遙人,俺が居なくなった後,何があったんだ?」

「それだけは言えないよ,絶対に。」

「言えないってどういうことだ!?お前,まだ何か隠して……!?」


 俺は何も言うことができなかった。遙人の目は何度か父がある日になると必ずしていた寂しい目をしていたのだ。まるで,闇の中に只一人いるような絶望に満ちたような感じで,今にも消え去りそうな……。


「無理やり聞くの構わないけど,覚悟しておいてね。……忠告はしたよ?」

「……その話は俺達の話と関係あるのか?」

「少し関わるけど,それほど関わってないかな?」

「話せるようになったら教えろ。今は聞かないでおいてやる。」


 不貞腐れた顔をすると遙人は苦笑した。昔から納得いかない時はいつもその表情をしていたなと懐かしく思ってしまったらしい。


「でも,もう計画の方は諦めるよ。こうして悠人から話をしに来たのならはっきりと言えるからね。……悠人,実家に戻っておいでよ。このまま誠央学園にいると本当に次は君が壊れるよ?母さんと妹に謝りたいって言うなら僕も手伝う。」

「悪いが,それはできない。昔の俺なら迷わず,そうしただろうな。だけど,今の俺には……。」

「常盤さん達,かな?」

「……ああ。」


 出会ったのは僅か数ヵ月だけだが,美陽達には本当に世話になり過ぎてしまった。そして,美陽は誠央学園で起きた事件に関わり過ぎているのだ。おそらく,彼女は問題が解決するまで逃げることはしないだろう。


 そして,彼女が逃げないならおそらく翔琉達も美陽と一緒に居るはずだ。自分だけ彼女達を見捨てて逃げることなど到底できようはずがなかった。


「大切な人ができたんだね。やっぱり,常盤さんって悠人の恋人じゃないの?」

「あんなツンツン女,こっちから願い下げだ。そういうお前はどうなんだ?常盤さんと偽装カップルって聞いたぞ?」

「まあ,彼女とは恋人の関係じゃなくなったけど親友の関係にはなったからね。今では彼女とはそういう関係でもいいかなって思ってきているよ。」


 そう言って遙人は壇上に寝転がった。それを見て俺も同じように壇上に寝転がると薄暗い天井を見上げた。


「僕達って,何処ですれ違ってしまったんだろうね。お互いのことはもう恨んでないのに,相手を傷付けて,周りに迷惑を掛けて,何やっているんだろうね。」

「…………。」

「悠人?」

「悪い。1つだけお前に言ってないこと……心当たりがある。」


 悠人が僕に言ってないこと?それに心当たりって,一体何だろう?不思議そうに考えていた遙人に俺はあることを話した。


「お前の幼少時のこと,虐められていた時のことを常盤さんに話したんだよ。」

「!?君は何を教えているんだよ……。」

「話は最後まで聞け。あの時,俺はお前を助けようともしなかった。その影響でお前は性格が変わってしまい,俺のことを恨んでいるんじゃないかってな。だから,俺を助けなかったのはその時のことが原因だと最初は思っていたんだよ。」

「学食でもそう言ってたね。友達と遊んでいて俺を見捨てたのはお前だろうって。でも,それは事実だよ。君を見捨てて,僕は友達と……。」

「小学校にいた妹を迎えに行ってたんだろう?お前の友人達と一緒に。」

「!?!?」


 何故,悠人がそれを知っている!?そんな驚いた顔で遙人は俺を見ていた。


「父さんから聞いたんだよ。俺が妹に関わろうしなくなったことで今まで黙っていた男子達が妹を狙い始めたって。だから,お前は俺の変わりに友人達と一緒に妹の送り迎えをしていたんだろう。流石に授業中は無理だから定期的に連絡も入れて授業が終わったら部活のない奴等と一緒にわざわざ小学校まで行ったりして。」


 やってることがシスコン過ぎるぞと言われてしまった。ただ,俺もそれくらいしないと駄目だと言うことは重々承知していたのだ。それくらい自分達の妹は地域の男子達から狙われていたのだ。


 その可愛らしい容姿もそうであったが,彼女の持っている力,その能力に見惚れた馬鹿どもから妹の安息を守るために。


「悠人は知っていたのか……。僕が妹を優先していたことを……。来年には常盤女子学園の中等部に入学することは分かっていたから,この1年は何としてもあの子を守らないと駄目だと思っていたからね。流石に,大人達が手を出すと大問題になるからそれがなかったのが唯一の救いだったかな。それじゃ,食堂では何で?」

「……すまん。正直,知ってはいたが見捨てられていたことを怒っていないと言えば嘘になる。」

「まさか,悠人!?あの子のことを本気で怒って……。」

「そんなわけあるはずないだろう?俺のシスコン振りはお前が一番分かっているはずだぞ。あんなことをしたのに今でもあいつのことは大切に思っているつもりだ。」

「そっか。それじゃ,尚更実家には帰ってもらわないと駄目だね。それと……。」


 そう言って起き上がると遙人も語り出した。俺が知らない,妹とのことを……。


「僕も知っていたよ。小学校低学年の時に僕よりも妹を優先にしていたことを。」

「!?」

「当時の僕達はまだ幼かったんだ。それに相手も子供だったからね。一人を守るだけで精いっぱいだったと思うよ。だけど,当時の僕はそのことで妹のことを恨んでいたよ。何で自分だけこんな酷い目に合わないといけないんだろうって。おそらく,もう少し遅ければ,悠人の所に立っていたのは僕だったからもしれないよ。」

「…………。」

「だけど,そうはならなかった。小学校3年生の時に偶然,父さんと母さんが話しているところを目撃してね。母さんが泣いていたんだよ。」


 遙人は両手を組んで俯いてしまった。その時のことを思い出すと辛い気持ちになったのか,自分が泣き虫であったこと,力がなかったことを後悔していた


「悠人が父さんに報告していたことは母さんも聞いていたらしくてね。その時の母さん,泣いて僕に謝ってたんだよ。あの子が原因で遙人を苦しめてしまっているって。その時に子供ながら理解したんだよ。僕が弱いから母さんを泣かせたんだって。こんな姿を妹が見たら今度は妹が母さんみたいになってしまうんじゃないかとも思ったよ。だから、僕は弱さを捨てたんだ。悠人に劣っていたとしても家族を守れるぐらいには自分が強くならないと思えるほどにね。だから,その時から少しずつ父さんを真似してみたんだ。」

「お前の性格が変わった理由はそれだったのか……。」

「そうだよ。それと……母さんが入院した時にその時のことを話してくれたんだよ。ただ,その話を偶然妹に聞かれちゃってね。逃げ出そうとした彼女を捕まえると泣きながら謝られたよ。それからというもの,あの子は僕に無茶苦茶甘えるようになったんだよ。悠人が居なくなった反動かもしれないけどね。……僕が秘密にしていたことはこれで本当にに全部だよ。」


 全てを話し終えて俺を見た遙人は何故か驚いた顔をしていた。何故かって?隣にいた俺は片手で頭を抱え込みながら笑いを耐えていたからだ。


「悠人?」

「い,いや,すまない。色々と思うことが合ってな。……お前がさっき言ったことを訂正させてくれ。俺達はすれ違っていたわけじゃないんだ。ただ,優先していた者がお互いじゃなかっただけんなんだよ,きっと。違うか?」

「……そうだね。僕達ってとんでもないシスコン兄弟だよ,本当に。」


 そう思うと久しぶりに心の底から二人で笑い合った。自分達は何もすれ違っていたわけではないのだ。ただ,自分達にとって大切な,妹のことを優先していただけに過ぎなかったのだ。


「それなら早く妹に謝った方が良いと思うよ。悠人のことを許してくれるかは分からないけど……。」

「う……。でも,今真面にあの子と話せるか分からないぞ。何せ,中学の時はあの子ですら嫌悪感を抱いているほどだったんだからな。」

「それでも,本当は仲直りしたいんでしょう?だったら善処したら?ショック療法で僕の友達に頼もうか?」


 前向きに考えるからそれはやめてくれと言うと,遙人は俺を見ていい顔で笑い出した。それからというもの,俺達は今までお互いに何があったか話し合った。


 だが,その話の内容はいつの間にか妹のことに関することに変わり,如何にこの二人が過度のシスコンであるか,聞いていた者がいれば,呆れる話ばかりであった。

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