第32話 あの日,兄が変わった事件

「みはるん,少し落ち着いたら?食べ過ぎだと思うよ?」

「結衣の言う通りよ。美陽がそれだけ食べるなんて余程ご立腹見たいね。」


 不貞腐れながらカフェで三皿目のチョコレートケーキを食べている自分を見て葵と結衣は呆れながらその光景を見ていた。


「悪いかしら?」

「悪くはないけど,太るわよ?」

「うっ……。」

「そうだよね。ここのケーキも美味しいけど,この間お店で食べた神条君のケーキも美味しかったなぁ。しかも,カロリーまで少ないって最高じゃない!」


 先日,祖父母のお店で食べたケーキを思い出したのか,結衣はもう一度食べてみたいとその可愛らしい顔に似合わず、涎が垂れそうになっていた。だが,私は遙人の名前が出た瞬間,ケーキを食べるのを止めて何故か大きな溜息を吐いてしまった。


「もしかして,御神じゃなくて神条君と喧嘩したの?」

「そういえば,食堂で神条君に何か叫んでいたって皆言ってたけど何かあったの?」

「それが……。」


 先程の食堂の件を話すと,葵はケーキを食べていた時よりも私を見て呆れ返り,結衣に至っては早く謝った方が良いと言われる始末であった。


「あなたねぇ,自分で神条君の被害を大きくさせてどうするのよ?グループの子達は今大人しいけどあなたの言葉でまた神条君に嫌がらせを始めたらどうするのよ?」

「わ,わかっているわよ!それに,冷静になったら神条君がそんなこと思うはずがないって分かるのはずなのに。……本当にどうしよう。」


 今度は自分が言ったことへの後悔なのか,テーブルに伏せて落ち込んでしまった。


「でも,俺を見捨てたか……。本当にあの二人の喧嘩って闇が深過ぎるんじゃない?首を突っ込むのいい加減やめたらどうなの?」

「私も葵と同じ意見だよ。さっき見たいにみはるんが話を広げちゃうってこともあり得るから少し様子見をした方がいいんじゃないかな?」


 親友二人にそう言われて少し悩んだ。二人の言う通り自分がこれ以上首を突っ込めば本当に大問題になるのは確かだと思った。


 だが,私個人の感情で言うと仲直りをしてほしいとは考えており,誠央学園の生徒会副会長としても,あの事件を起こした原因を作ってしまった張本人としては両学園の交友のためにあまり喧嘩を長引かせたくなく,色々な感情が入り混じって複雑な心境だったのだ。


「肩書が増えると色々と大変ねぇ。とりあえず,まずは神条君に謝ることから始めたらどうかしら?御神はいつも通りだから放っておいても特に問題ないと思うし。」

「葵,それ悠人君に酷いと思うよ?」

「あいつはいいのよ。優柔不断なのはいつものこと何だし。それと,あいつは自分の体質もあなたの体質のことも含めて,美陽のことは結構理解しているでしょう?本当に御神と付き合ってないのよね?」

「何回もそれは言っているでしょう。ユウとは付き合ってもいないし,そういう関係になるつもりはないわ。それに,実際にユウに触れられたこともないわよ。」

「私はお似合いと思うんだけどなぁ。それに,悠人君とみはるんが付き合っちゃえば,グループの子達も何も言ってこなくなるんじゃないかな?」


 結衣の言葉には一理あるとは思う。だが,逆に彼女達が今まで以上に暴れ出す可能性もあり,自分はそういう関係になりたいとは思ってもいないのだ。


 何せ自分は【男性恐怖症】。


 共学の中学校や社交界のパーティーのお陰で対面で話すことはできるようになったが,未だに男性に触れられることも怖くてできず,手を握られただけで卒倒してしまうぐらいなので恋人を作るなどもっての外なのだ。


「と言いつつ,美陽ってベタな恋愛小説とかドラマって好きよね?この子の内面がこんなピュアだって誰が思うかしら。」

「だ,誰がピュアだって……。」

「でも,みはるんって夕焼けに染まる屋上で告白されるとかそういうシーンに憧れているよね?」

「うっ……。」

「しかも,好きなタイプって心優しい典型的な王子様タイプ何でしょう?」

「い,いいでしょう!ベタでも!」


 恥ずかしくなったのか,テーブルに顔をもう一度伏せて悶えてしまった。その光景を微笑みながら見ていた二人は私が【男性恐怖症】であることを少し哀れに思えてしまったようだ。


「まあ,あなたに恋人ができた時はちゃんと応援してあげるわよ。」

「……そう言って,葵も皆に恋人のこと言ってないでしょう?」

「そ,それは……。」

「葵も言っちゃえばいいのに。私だってお兄ちゃんとのこと皆知っているんだよ。」


 オレンジジュースを飲みながら言う結衣を見て少し考えた。先日の交流会の件で結衣と聖人会長が恋人であることが大々的に学園内で広まり,結衣を狙っていた男子達は一斉に結衣を狙うことを涙ながら諦めた。


 そして,それは楓先輩も同じであり,まさかあの人が二股の彼氏と付き合っているとは思いも寄らなかった。だが,私が一番びっくりしたのはまだ学園内では広まっていない葵の恋人のことだ。


 美月からそのことを聞いた時は結衣や楓先輩の時よりも驚き,事実を確認すると恥ずかしながらも彼女は教えてくれた。自分の周りって何故こんなに濃い恋人達が多いんだろう?濃い恋だけに……。


 ********************


「そういえば,美月はどうしたの?」

「翔琉に用事があるって言ってたわ。どうして翔琉なのかしら?……あ!」


 ケーキを食べ終わり,特に生徒会の用事も今日はなかったためか,久しぶりで3人で下校しようとすると私は何かを思い出したような顔をした。


「どうしたの?」

「生徒会で貰った資料を机の中に置いたままなのよ。急いで取ってくるわ。二人は先に帰っておいて。」

「みはるん,資料ぐらい明日でもいいんじゃないの?」

「そういうわけには行かなわよ。一度それで痛い目にあったこと忘れたの?」


 そのことを聞くと,二人はお互いに顔を見合わせた。確かに置いてある資料はそれほど大したものではないが,誠央学園の生徒会にいた時にそのことが原因で大目玉を食らったことがあったのだ。


 そのため,どんな些細な資料であっても厳重保管するように徹底しているのだ。


「下校って一人でも大丈夫?」

「美月が校内にいると思うから連絡入れて一緒に帰るわ。二人共,また明日ね。」

「バイバ~イ,みはるん。」


 二人と別れると美月にメッセージを送り,急いで教室へと走って行った。校内へ入ると人気はなく学生達をたまに見かける程度で静まり返っていた。


 自分の教室の前に付くと私は扉を開けて自分の机の中に置いてあった資料を見て安堵した。その資料を鞄に入れると教室の窓が開いていることに気付き,夕焼けに照らされた机に一人ポツンと座って外を眺めている金髪の青年がいることに気付いた。


 先程,教室へ入った時は人気がまるでないと思っていたが,どうやら彼はずっと居たみたいで今にも消え去りそうな感じに見えてしまった。


「ん?常盤さん?」


 彼もどうやらこちらの存在に気付いたのか,私の名前を呼んで微笑んだ。一瞬,その顔見るとドキッとしてしまったが,それよりもお昼でのことを謝ろうと私は彼に頭を下げようとした。だが,先に彼の方がこちらを見ておどけて尋ねてきた。


「もしかして,昼間の説教の続きかな?僕ドⅯじゃないからあんまり怒られることは苦手なんだよね。」

「……神条君って本当はそういう性格だったの?」

「さあ,どうだろう?それで,誰もいない教室にどうしたの?」

「生徒会の資料を忘れたから取りに来たのよ。神条君はどうして教室に?」


 そう言われて,遙人はもう一度外の夕焼けを見た。その顔は何処か寂しく,そして何か憂いた表情をしていて私は何だか心配になってしまった。


「常盤さんは悠人のことをどう思っているの?」

「……へ?」


 行き成り彼に尋ねられて私は間抜けな返事をしてしまい,それを聞いた彼は笑いそうになっていた。


「いや,喧嘩はしているけど仲良さそうに見えるから恋人なのかなと思って。」 「そ、そんなわけないでしょう!誰かあんな人と恋人なんか……。」

「……少し残念かな。彼には支えになってくれる人が必要だと思ってたから。」

「神条君?それって,どういうこと?」


 尋ねても遙人は何も答えず,ただ先程同様に外を眺めているだけであった。その態度を見ると意を決して私は遙人に気になっていたことを尋ねようと思い立った。


「神条君,さっきの話の続きなんだけどユウを助けなかったのってどういうこと?」

「そのままの意味だよ。悠人が【女性恐怖症】になってから僕は彼のことを助けようとしなかった。その事実は変わらないよ。……例え,僕が悪くなくてもね。」

「僕が悪くない?」

「常盤さんには話しておいてあげるよ。さっき僕に怒ってくれたお礼も兼ねて。まあ,誰か知らないけど火消しをされたからまた色々と見直さないと駄目だけどね。」


 私が怒ったからお礼を言う?まったく意味が分からないんだけど……。理解が追い付かず,悩んでいる私を見て少し苦笑すると,彼は話し出した。


「まず,悠人が【女性恐怖症】になったのは彼が中学1年生の時だよ。当時,教育実習に来ていた女子大生に好意を抱かれてね。……その人に襲われたんだよ。」

「!?」

「まあ,未遂で終わったんだけどね。勿論,その件は警察沙汰になり,悠人はその時のショックで女子に対してトラウマを持つようになってしまった。家族で合った母や妹を拒絶するほどにね。でも,一番彼を苦しめていたのはその事件が起きた後だったんだよ。常盤さんは何だと思う?今の悠人を見ているなら分かるはずだけど。」

「今のユウって……!?まさか!?」


 彼が言ったことが間違いであってほしいと思った。だが,真実は残酷であった。


「常盤さんの思う通りだよ。小学校の時から悠人は女子達から人気があってね。成長して行くに連れてカッコよくなっていく彼を女子達は挙って狙うようになったんだ。勿論,その中には邪な考えを持つ子達もいたよ。そんな彼女達は事件で傷を負った悠人を慰めて近付くチャンスと思い,悠人に過度に献身的になった。そして,その反動か,悠人の周りには男子の友達が一人も居なくなったんだ。」


 遙人が言った過去のことはまさに今の彼の周りの状況と同じであったのだ。ただ,男子の友達が一人も居なくなったとは一体……。彼は続けて話し出した。


「悠人の男友達はね,その多くが悠人の周りにいた女子達が目的で近付いていたんだよ。既に小学校の時から仲の良かった男友達は僕の周りに移っていたからね。だからこそ,悠人の周りにいた女子達が急に過剰に接するようになって逆に悠人の周りいた男子達は彼を疎ましく思い,本性を現して悠人を虐めていたんだよ。」

「そんな……。」


 遙人が話したことは自分が思っていたことよりも想像を絶する話であった。何故,悠人があれほど人付き合いを拒否し続けるのか,何故,女子達の視線や接触を極端までに拒絶するのか,彼の話を聞いて納得してしまった。


 だが,それが真実であるなら目の前の双子の弟はどうして彼を助けなかったのか?何故,そこまでの理由を知りながら悠人に手を差し伸べなかったのか気になった。


「神条君,そこまで知っておきながらあなたはユウを見捨てたの?」

「見捨てたか……。そう言われても,おかしくないかな。でも,何故か拓海はどちらも悪くないって言われたよ。実際は常盤さんの方が正しいんだけどね。」

「どちらも悪くない?」

「分からなくて当然だよ。分からないからこそ,誠央学園の女子達は悠人に振り向いてもらうことを諦めないんだよ。あれだけ拒絶していたら何かしら事情はあると思うはずなんだけどね。」

「っ……。」


 遙人に言われて私は言い返すことができなかった。遙人の言った通り,彼女達は悠人が【女性恐怖症】であるにも関わらず,悠人のことを狙い続けているのだ。


 だが,その理由を彼は知らないのだ。まさか,彼女達が悠人を狙っている理由が誠央学園の男子達に理由があるとは思ってもいないだろう。だが,それこそ彼が知らなくてもいいことだ。


 何せ,その話は呆れる処か,そんな下らない理由なのかと言われたら同じ学園の学生として恥ずかしくて世間の笑われ者になるのは確実だからだ。そんな彼等や彼女達を放置していたのが,私達が居た誠央学園なのだ。


「まあ,こっちに取っては好都合だったけどね。……赤松先輩の件がなければ上手くいくと思ったんだけど,本当に残念だよ。」

「残念?」

「正直に言うとね,僕は悠人のことをまったく恨んでないよ。母と妹に言ったことは許せないけど,状況を考えると悠人が一番の被害者だと思っている。だからこそ,彼を救わないと駄目だと思ったよ。」

「!?そこまで思っているなら何で……。」

「だけど,僕と悠人が仲直りをした所で周りは変わるのかい?彼女達は悠人を諦めてくれるのかな?そして,美月ちゃんを狙っていたような誠央学園の男子達が中学の時の男子達みたいに悠人を虐めないと断言できるのかな?現に赤松先輩は権力を使って僕を蹴落とそうしていたしね。だからこそ,悠人が居なくなった後の中学校と同じ状況を作ろうと思ったんだよ。」

「同じ状況……?」


 彼の次の言葉を聞くと私は目を見開いて唇を噛みしめた。彼が口にした言葉,それは余りにも身勝手で自分のことを大切に思ってくれている人達の気持ちを踏みにじみる行為であったのだ


【僕という存在を犠牲にして彼等に痛みを知ってもらう。自分達がどれだけ愚かな行為をしたか理解させるために】と…………。

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