第26話 縮まる距離と縮まらない距離

「御神君,しっかりして!?」


 未だに地面に倒れて血を流している俺を見て聖人会長は保健室の先生を呼ぶように言った。だが,その言葉を聞くと,俺は弱々しい声で大丈夫ですと聖人会長に言い,ゆっくりと起き上がろうと膝を付いた。


「ユウ!?あなた鼻から血が出ているわよ。」

「これくらいなら大丈夫だ。骨も折れてなさそうだしな。それにしても,赤松先輩。どれだけ強いボールを投げているんだ。女の子の顔に当たったら悔過で済まされない……あれ?」


 立ち上がろうとした瞬間,足がふらつき,床に倒れそうになってしまった。どうやら,少し脳震盪を起こしており,真面に立てる状況ではなかったのだ。


 だが,自分が地面に再び倒れることはなかった。直ぐ傍を見ると,近くにいた美月が支えて倒れないようにしていた。だが,俺その行動を2つの意味で驚いた。


「御神君,大丈夫!?」

「あ,ああ。俺は大丈夫だが……。」

「よかった。聖人会長,御神君を保健室に連れていきます!お姉ちゃん,後のこと頼んでもいいかな?」

「えっ!?……ええ,わかったわ。」

「お願いね。それじゃ,御神君。ゆっくり行くから捕まってね。」

「常盤さん,今の状況……。」


 何かを言いかけた俺の言葉にも耳を傾けず,美月は心配そうに俺を支えて体育館を後にした。だが,体育館にいた者達は先程の美月の行動,悠人の状況を見て彼のことを知る者は驚いていた。


 とくに美陽や彼の弟である遙人は非常に驚いた顔で二人が体育館を出ていった方向に顔を向けたまま動かすことができなかった。


「はい,これでもう大丈夫よ。それから,まだ身体がふらつくなら横になっておく?ベッドはまだ空いてるから。」

「い,いえ,大丈夫です。お気になさらずに……。」


 保健室に着くと美月は怪我のことを保健室の先生に説明し,俺はそのまま手当てを受けた。だが,それよりも先生は目の前の二人を見て微笑ましそうに見ていた。


「でも,まさか常盤さんが彼を保健室に連れて来るとは思わなかったわね。彼,【女性恐怖症】何でしょう?もしかして,【女性恐怖症】って嘘なんじゃ……。」

「先生……さっきの俺の姿を見てそれ言いますか?」

「それもそうね。でも,あんなに怯えられるなんて悲しいわね。私ってまだまだいけると思っていたのに。」


 学園の先生と思えぬ発言とその服装からチラッと見える豊満な2つのたわわを揺らすと先生は溜息を吐いた。一般の青少年であれば,その光景を見れば生唾を飲み込むほどの破壊力はあるはずなのだが,俺に取っては別の意味で凶器でしかなく,今でもこの場から直ぐに立ち去りたい気持ちでいっぱいであった。


「御神君,だっけ?もしかして,あなたの【女性恐怖症】って昔同級生……女性に何かされたのかしら?」

「!?」

「やっぱり,そうなのね。昔,似たような人に会ったことあるから,もしかしたらと思ったんだけど……。よければ,カウンセリングでもしようかしら?」

「い,いえ,お気付かいなく!」

「そう?受けたくなったらいつでもいらっしゃい。あ,でも,大人の相談は受け付けてないからそのつもりでいてね。」

「そんなものありませんから!!」


 保健室の先生はクスクスと笑うと用事があるということで保健室を出て行った。いつも思うが,どうして星稜学園の先生達はあんなに軽いノリ揶揄うんだろう?


 それなのに,授業は分かりやすいし,生徒達の相談にも真摯になって聞いてくれるので頼れるようで困ったものだと思った。


「まったく,揶揄うのもほどほどにしてほしいな。」

「あはは……。ここの先生は愉快な先生が多いから……。」


 美月がそう言うと,お互いに思うことがあるのか,黙り込んでしまい,少しの間だが,保健室の中が静寂に包まれた。


「……御神君,さっきはありがとう。それから,怪我をさせてごめんなさい。」

「気にしないでくれ。それに,あのままボールが当たっていたらもっと大変なことになっていたから。」


 自慢ではないが,自分が頑丈であることを理解していた。だが,その俺が鼻から血を流し,未だに痛みは引かず,ボールが当たった場所はヒリヒリとしていたのだ。


 もし,これが俺ではなく,目の前の彼女に当たっていたと想像すると同じ怪我では済まなかったのでは思ってしまったのだ。


「本当に大丈夫?まだ,痛みとか引いてないんじゃ……。」

「っ……。」

「御神君?……あ!?」


 美月に目の前で顔を覗かれると,反射的に顔を背けようとした。その様子から彼が【女性恐怖症】であることに思い出し,慌てて美月は謝罪した。


「き,気にしないでくれ。ただ,あんまり見つめられると,その……。」

「ご,ごめんなしゃい……あ,噛んじゃった……。」

「……プッ。」


 俺は口元を手で押さえて必死に笑いを耐えていた。その姿を見ると,美月は珍しく頬をリスの様に可愛らしく膨らませて怒りそうになった。


「酷いな,御神君。」

「ご,ごめん。少し可笑しいというか,可愛らしいというか……何でだろうな。」

「ん?」

「何故か常盤さんと話している時は全然嫌悪感がないんだよな。俺は確か【女性恐怖症】のはずなのに。美陽の妹だからかな?」

「でも,葵ちゃんや結衣ちゃんも大丈夫だよね?どうしてだろう?」


 その言葉を聞いて俺も少し悩んだ。確かに,美陽の妹と言われれば,大丈夫だと言えるかもしれないが,彼女とは出会ってまだ1ヵ月半ぐらいしか経ってないのだ。何せ,葵と結衣でさえ,今の状況になるのまでに数ヵ月は掛かっていたのだ。


 それに,彼女に関してはもう1点気になることがあったのだ。


「体育館で言おうとしたんだが,常盤さんがここにまで運んでくれたんだよな?」

「そういえば……御神君,大丈夫だった?」

「それが,まったくと言って何ともないという・・・。」


 何故か美月に触れられていたのにいつもの嫌悪感がまったく起こらなかったのだ。体育館から保健室までそれなりの距離があり,美月は保健室に着くまでずっと自分に肩を貸していた状態であった。それなのに,まったくと言って青ざめることもなくむしろ先ほどの先生と同じような2つの物体……は頭の隅に追いやり,自分は何故だろうと思い,腕を組んで考えた。


「御神君,お姉ちゃんとはどうなの?」

「あいつとは口論はするが,そもそもお互いに【男性恐怖症】と【女性恐怖症】だからな。お互いに気を付けているのか,触れ合うことは全然ないよ。だからなのか,口喧嘩になるとお互いに容赦がない。」

「そうなんだ。そういえば,この間のオリエンテーションで距離が近かったけど触れ合う距離って近さでもなかったし,そんな理由だったんだね。」


 美月は少し考えた素振りをすると,もう一度,俺の顔を覗き込んだ。亜麻色の髪に美陽と同じ綺麗なアースアイの眼をした妖精のような可愛らしい顔が目の前に映ると赤面してしまい,今度は美月が笑いそうになっていた。


「御神君,大丈夫?顔,真っ赤だけど?」

「常盤さん。もしかして,ワザとやってない?」

「ごめんなさい,さっきのお返し,です。」


 可愛らしく少し舌を出してそう言うと俺は片手で頭を抱えた。大人しそうに見えていたが,この子は美陽の双子の妹であったことを忘れそうになっていた。美陽も偶に悪戯をする時があり,この姉妹は絶対に小悪魔が住み着いていると確信した。


「そういえば,遙人の彼女なのに自分と保健室にいて大丈夫なのか?」

「多分,大丈夫だと思うよ?遙人君もそこまで独占欲強いわけじゃないから。」


 あっさりと言われてしまい,二人の関係って本当に学園公認の恋人の関係なのかと疑ってしまった。そして,その遙人のことで思い出したが,体育館で行われていた交流会はどうなったんだろうか?


 時計を見ると試合は終了している時間なので試合そのものは終わっているはずだが,あの状況で試合継続はまず難しいのではと考えた。


「ユウ,大丈夫!?」

「悠人!大丈夫か!?」


 慌てた様子で美陽と翔琉が保健室に入ってくると鼻に絆創膏を貼った俺が大丈夫そうに軽く手を振ると,二人は安堵した顔でそのまま近付いて来た。


「大丈夫そうね。それにしても,美月がユウを連れて行った時は驚いたわよ。」

「まあ,それは美陽だけじゃなかったと思うぞ。誠央学園の奴等,二人が出て行った方を見て目を丸くしていたからな。で,実際どうなんだ?」


 翔琉にそう言われてお互いに顔を見合わせると先ほどの状況を二人に説明した。案の定,美陽は驚き,翔琉は珍しい物を見るような目で二人を見た。


「ユウに大丈夫な女性がいたなんて驚きね。しかも,それが身近に居た美月だ何て。

でも,どうして美月は大丈夫なのかしら?」

「……少しだけ,心当たりがある。」


 俺は彼女と初めて出会った雨の日を思い出した。あの時,俺は道行く女性達の視線に嫌悪感を示していたが,彼女だけは俺のことを好奇な目で見なかった。

 むしろ,俺の体質のことを知ると心配そうに自ら気を付けると言ってくれたのだ。おそらく,あの時から美月に対して何等かの変化があったのだろう。


「ふ~ん,美月とそんなことがあったのね。……私,初耳なんだけど。」

「お,お姉ちゃん,目が怖い……。」

「別に大したことは何もないぞ?報告するほどのことでもないだろう?」

「本当に!報告する!ほどでも!ないと思っているの!?」

「美陽,顔を近付けるな!!近い近い!!あと,自分の体質のことも理解しているのか!?少しは考えろ!!……翔琉,試合の方はどうなったんだ?」


 顔を近付けながら問いつめているた美陽に注意すると,あの後の試合の状況を翔琉に尋ねた。それを聞くと,翔琉は頭をかいて何とも言えない表情をした。それは美陽も同じであり,何か問題事でも起きたのかと考えてしまった。


「一言で言うと俺達の敗退だ。まあ,あれだけ点数が離された上に,お前が抜けた時点で挽回が難しいからな。それから,赤松先輩だが……お前がいなくなった後,無理やり結衣を連れて行こうとしてな。美月ちゃんのことで怒っていたことが再燃焼したのか,遙人が一撃で赤松先輩を気絶させやがった。」

「遙人が?」

「ユウ,神条君って何か格闘技とか習っていたりする?一瞬だったから分からなかったけど,美月が暴言を言われた時よりも怒っていたわよ。」

「あと,誠央学園の女子達からは物凄く奇声があったな。全員じゃないかもしれないが,あれは相当あいつに惚れ込んでいるぞ。」


 遙人が素顔を見せてからどんな手の平返しだよと,翔琉は呆れたように言うと俺も顔を笑うしかなかった。だが,赤松先輩の一撃で気絶させたことを聞くと俺は昔のことを考えた。


 俺達は小さい時からそれとなく父親から武術を教わっていたが,遙人はあまり得意ではなくむしろ苦手であったはずなのだ。何せ小さい時は泣き虫で少しの怪我でも泣き出して母親に甘えるほどで1つ年下の妹にすら慰められている状況であった。


 しかし,そんな彼は何故か小学校高学年になってから急に変わり出し,一切泣くことを止めたのだ。いや,それ以前に性格が非常に大人びた態度を取るようになったのだ。そして,遙人が何故そのような態度を取り始めたか,未だに分からないのだ。


「本当に俺は家族なのにあいつのことを何も知らないんだな。いや,知らなくても大丈夫だと思ってしまっていたんだな。」

「ユウ?」

「何でもない。ところで,遙人は何処に?」

「まだ,体育館だと思うぞ?さっきの件も含めて,今後の赤松先輩と取り巻き達の対応を相談しているじゃないか?まあ,白星会長だけじゃなくて美月ちゃんにも手を出したから相当問題になるとは思うが……。」

「私は御神君に守ってもらったから,そこまで気にしてないんだけど……。」

「残念だけど,そう言うわけにはいかないよ,美月ちゃん。赤松先輩は今回の一件でやり過ぎたからね。」


 扉の方から声が聞こえてきて見ると,最初の時と同様に眼鏡を掛けて前髪を元に戻した遙人が立っていた。そして,ゆっくりとこちらに近付いて来た。


「神条君,体育館の方は?」

「あの後,お開きになったよ。それから,赤松先輩達は蒼一郎先輩達に拘束されて連れて行かれたよ。おそらくだけど,赤松先輩達はよくて無期限の停学処分,最悪退学処分になるんじゃないかな?」

「おいおい,それって重過ぎないか?」

「あの先輩はこの学園で一番やってはいけないことをしてしまったからね。それに,理由は今回のことだけじゃないと思うから。」


 言い終えると,遙人は椅子に座っている俺を見た。その視線を見ると,いつもと違い,俺は視線を逸らさずに遙人の顔をしっかりと見て言葉を待った。


「……ありがとう,悠人。美月ちゃんを守ってくれて。」

「気にするな。お前こそ,今度はちゃんと彼女を守れよ。」

「君に言われなくてもそのつもりだよ。」


 お互いにそう言うと二人は微かに笑い,美陽と美月は顔を見合わせると仲直りしたと思い安堵した。だが,遙人が言った次の言葉を聞いて二人は絶句してしまった。


「でも,今回の件とあの時のことは別だよ。僕はまだ君を許していない。……。」

「っ……。」

「「えっ!?」」

「今回の件は貸しにしておくよ。行こっか,美月ちゃん。」


 美月にそう言うと遙人は保健室から出て行き,彼女も申し訳なさそうに自分達に頭を下げると遙人を追いかけて行った。


「ユウ,今の話って……。」

「…………。」


 何も喋らない俺を見ると,美陽は保健室を出て行った遙人を追いかけて行った。


「あいつの方から言われてしまったな。どうするんだ?」

「どうするも,事実の話だからな。否定することはできない。」


 遙人からその言葉を聞いた途端,俺は片手で頭を抱えるとその時のことを思い出したのか,傷付けてしまった二人のことを思うと悔やみきれない表情をした。

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