第60話

「バーバラ見て!庭に薄っすらと雪がつもっているわ」


「本当ですね!どうりで今朝は特に冷えると思いましたよ」


「庭に出てみようかしら?」


「ダメですよ!体を冷やしてはいけないと言われたばかりではないですか!」

バーバラに叱られては、仕方ない。


「はーい。分かった。大人しくしておくわ。でも、レナード様大丈夫かしら?」


「これぐらいの雪なら大丈夫ですよ。もう国境沿いの警備に行って一ヶ月になりますからね。早くお会いしたいのではないですか?」


「もちろんよ!今日の日を指折り数えて待っていたもの」


私とバーバラが二人で話していると、玄関ホールの方で声が聞こえた気がした。


「レナード様かしら?!」

私は愛しい人の帰還かと思い、慌てて部屋を飛び出した。

後ろから、


「走ってはいけません!玄関先は寒いかもしれまんので、せめてショールを!」

とバーバラが追いかけて来る。


しかし階段の上からホールを眺めると、そこには執事と肩に薄っすらと雪を積もらせた配達員が居た。私は少しガッカリしながらも、階段をゆっくりと降りる。バーバラがそんな私の肩にそっとショールを掛けた。


階段を降りる私の存在に気付いた二人が私を見て微笑んだ。


「奥様、ちょうど良かった。ご実家からお手紙ですよ。それと、お兄様からも。まるでタイミングを合わせた様ですね」

と二通の手紙を少し掲げた。


私は二人に近づく。配達員は改めて私に頭を下げた。


「外は寒かったでしょう?何か温かいものでも飲んでいきませんか?」

私の声に、


「お心遣いありがとうございます。でも雪が酷くなる前に、他の手紙も配り終わらないと。では、失礼します」

と配達員は肩の雪を床に落としながら玄関を出て行った。



私は執事から手紙を受け取ると、部屋へ戻ってそれを開く。


「お父様、随分と元気になられたようだわ。声が出るようになったって」

母からの手紙に目を通しながら、私はバーバラに報告した。


「まぁ!それは良うございました」


「お母様も、まるで新婚時代の様に二人の時間を楽しんでいるって。……良かった」


きっと、父の看病で疲れる事もあるだろうに、それを微塵も感じさせない手紙に私は胸が熱くなった。


兄の手紙にはミネルバが大きなお腹で元気に飛び回っていると書いてある。ミネルバらしい。


「ナタリー……婚家でも大変みたいね」

兄の手紙の最後にはナタリーの事が書かれていた。

確かにナタリーは何もしなくて良いと言われ、何もしていないらしい。そう……何もしていないのだ。

ボーエン男爵の姉君はボーエン男爵の全てを仕切っている様で、お茶会を開いたり、社交をするのも全て姉君。

夫であるボーエン男爵は国を東から西、北から南と忙しく飛び回っているので、家には殆ど居ないらしい。

その間、姉君とナタリーはボーエン家で二人きり……本当に何もさせて貰えないらしく、たまに兄がボーエン男爵を尋ねて行くと、ナタリーが泣きついてくるらしい。


「小姑が取り仕切る家ですか……何もしなくても良いと言われても嫌ですね」

私が兄の手紙をバーバラに話して聞かせると、バーバラはそう言って顔を顰めた。


「確かに……少し息が詰まりそうだし、退屈そうだわ」


「どうしてボーエン男爵は結婚したんでしょうね?確か前妻の方との間にご嫡男もいらっしゃるし、家政もお姉様のお陰で困っていない……何故でしょう?」


「兄も最初にそれを尋ねたそうよ。そうしたら『妻という肩書の人間が居たほうが、商売は上手くいくんですよ。その方が信用して貰えるんです』って答えたらしいわ。ご嫡男は結婚して王都に住んでいるらしいし……流石のナタリーも誰にも頼れず、この結婚に踏み切って随分と恨んでいたお兄様に助けを求めるぐらいだもの」


兄はそれでも『自業自得』と突き放した……そう書いてあった。


私は窓の外を見てため息を吐いた。あの配達員が言っていた通りになってしまった。朝方には薄っすらだった庭の雪は木々の上に積もり、地面の芝もすっかり見えなくなってきている。


「雪……酷くなっちゃったわ」


「本当ですね。……窓際はお寒いでしょう?暖炉の近くへどうぞ」

バーバラはそう言って、温かなお茶を注ぐ。


私は窓際から後ろ髪を引かれる思いで離れた。

今日帰ってくる予定のレナード様を待ち侘びている為、何度も何度も窓の外を眺める私に、バーバラは心配そうにしていた。


「もう、こんなに雪が積もったら今日は帰って来られないわよね?」


バーバラに『否』の答えを期待して質問する。しかし、


「そうですねぇ。……少し難しいかもしれませんね」

と言うバーバラに、私はあからさまに落ち込んだ。


辺境伯領の冬は長い。家政も然程する事がない私は、じっとしているとついついレナード様の事を考えてしまう。


「……刺繍でもするわ。少しは気が紛れるし」


私はレナード様の作業部屋へ向かうため、扉に向かう。


「ご一緒しましょうか?」

と尋ねるバーバラに、


「家の中だもの、大丈夫。ちょっと過保護よ」

と私は笑う。

バーバラも『旦那様の心配性が感染りましたかね?』と笑った。


作業部屋で刺繍糸を探す。

色を選ぼうかと膨大な量の糸を眺めるが、ついつい考えてしまうのはレナード様の事だ


全く糸選びは進んでいないのだが、随分と長い時間、この部屋に居た様な気がする。あまり長いとバーバラの心配性がまた顔を出してしまうだろう。


「重症だわ」

心の大半をレナード様に奪われてしまっている自分に苦笑する様に呟くと、


「エリン?!!病気なのか????」

と慌てた声がした。

私は愛しい人の声に笑顔で振り向く。


「レナード様!!おかえりなさいませ!」


レナード様は外套を羽織ったまま。その外套には雪がまだ付いたままだった。


「エリン!」

抱き締めようとしてレナード様は動きを止めた。私がそれを不思議に思い、首を傾げる。


「雪で濡れている。このまま抱きしめてしまうとエリンまで被害を被るだろう」



「せめて上着を脱いでから……」


「早くエリンに会いたかったんだ。出迎えがないから……」

とレナード様は少し拗ねたように言った。


「ここはあまり外の音が聞こえなくて」

言い訳の様に私が言うと、レナード様は少し微笑んだ。


「まぁ、良い。会えたから」


「雪が酷くなって来たので、今日は戻られないかと」


「俺だけ強行で帰ってきた。皆はもう少し先の宿屋で休ませてる」


「まぁ!大丈夫でしたの!?ご無理なさらなくても」


「俺がエリンに会いたかったんだ」

そう言ってまた私を抱き締めようとするレナード様は、ハッとして、また動きを止めた。

私はその姿に苦笑する。


「さぁ、そのままでは風邪を引いてしまいますわ。一緒に戻って、まずは着替えましょう」


「あぁ、そうだな。エリンは糸を選んでいたんじゃないのか?」


「はい。でも中々決めきれなくて」


レナード様の事で頭が一杯だったから……とは恥ずかしくて言えない。

そこで私はふと、前々から思っていた疑問を口にする。


「レナード様?前々から不思議に思っていたのですが……何故ここには女性用のトルソーが置いてあるのです?」


「ん?これか?エリンのドレスに刺繍する為だ」

レナード様は至極当然の事の様にサラッと答えを口にした。

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