第59話

流石に殿下には返す言葉もないのか、ハロルドは唇を噛み締めて羞恥に耐えていた。

だが殿下は攻撃の手を緩めない。


「君の言葉を借りるなら、伴侶には『安定した生活を約束する』だったかな?今のパトリック伯爵家にそれが出来る保証はなさそうだ。もちろん、領民の生活を脅かすのは王族として心苦しい。領民の救済には手を貸そう。だが、自分の家族は自分でどうにかするんだな」


「殿下の手を借りずとも、僕はちゃんとやれます!」


ハロルドの精一杯の強がりに聞こえる。

周りでは失笑が聞こえる。……王都では本当に噂になっていた様だ。辺境伯領には聞こえてこない話というのはこうして多いのだろう。


すると殿下は少し憐れむ様に、


「パトリック伯爵家は歴史のある、古い家だ。それはそれで素晴らしい事だと私も思う。だが時代は常に動いている。やり方もその時代、時代に合わせるべきだ。前伯爵はそれに気付いたが、少し遅かったようだな。君をちゃんと導く前に身を引いてしまったのも悪かった。だが、領民に罪はない。つまらんプライドは捨てろ。大切なのは領民だ。家の歴史でも、お前のちっぽけなプライドでもない」


「まだ!まだやれます!僕だって隣国との取引を……」


「取り付ける前に、領民が疲弊する。救済手続きを始める事を勧める」


「でも……」


「それと……辺境伯夫人も言っていたが奥方を大切にするんだ。妊婦に負担をかけるな。私の大切な妃も妊婦だからな。さっきの発言は見過ごせない」

殿下はそこまで言うと、


「さぁ!!余興は終わりだ!皆夜会を楽しんでくれ!酒も追加するぞ!」

と手を叩いた。


それを合図に、遠巻きに私達を眺めていた人垣はバラバラと散らばり始めた。


ハロルドは握った拳をフルフルと震わせながらも、その場から早足で立ち去った。会場を去るつもりらしい。私はその背中を目で追った。



その私の視線を遮る様に、ひょっこりと殿下が顔を覗かせた。


「余計な事をしたかな?」


「いいえ。パトリック伯爵家の現状を全く知りませんでしたので……。あそこまで言われれば伯爵も助けを求めるのではないでしょうか?領民が苦しむのは、私にとっても不本意ですので」


「いつか言わねばならないと思っていたのでな、この機会を使わせて貰ったが……灸を据えすぎたかな?だがメイリンがどうしても許せないと言うのでな。……お互い妻には弱いと見える」

そう言って殿下はレナード様を見て笑顔になった。


「あぁ。妻は偉大だからな」

レナード様も柔らかく微笑み返した。



夜会から戻り、王都の辺境伯邸でホッと一息つく。


夜も更けると少し肌寒くなって来た。王都でこれなら辺境伯領はもっと寒く感じるだろう。


寝室のバルコニーに出ると、月が綺麗だった。ガウンの前をキュッと閉じて、私はその月を眺める。空気が澄んでいるからか、肌寒くても何だか心地良い。


ハロルドと婚約解消をしてからというもの、目まぐるしく私の状況は変化した。いや、私の状況だけではなく、ナタリーの状況も、ハロルドの状況も。


すると、後ろから太い腕が私を包み込む。


「寒くないか?」


「大丈夫です。月がとても綺麗だったので」


私がそう言うと、レナード様も同じ様に月を眺めた。


「何を考えてた?」


「ハロルド様と私が婚約解消した事で、たくさんの人の状況が変わったなぁ……と」


「そうかもしれないな。一つのきっかけで大きく人生が変わる。……言葉にしたくもないが、君がパトリック伯爵夫人になっていたとしたら、俺は君の妹と結婚して……いや、考えたくもない」


そう言ってレナード様は殊更私をギュッと抱きしめた。


もし……私がハロルドと結婚していたら……。カミラ様は前伯爵の元からは去らなかったかもしれないし、前伯爵が寝込むことにもならなかったかもしれない。そうすればハロルドは多くの事を前伯爵から学んで、もっと相応しい領主になれていたのだろうか。そして私はパトリック伯爵家の厳しい仕来りを守りながら、カミラ様の様に色々な事を飲み込んで日々を過ごしていたのだろうか?

ならばレナード様はナタリーと結婚して……そこまで考えて、私はブルブルと首を横に振った。想像したくもない。


「どうした?」

私の様子にレナード様が尋ねる。


「私も『もし……』を想像してみようかと思ったのですが、ちょっと無理でした」

私が苦笑すると、レナード様も『同じだな』と一緒に笑った。


「きっとこうなる運命だったのだ。まずジュードが家出をした事も、パトリック伯爵家とエリンの縁が切れた事も。そして俺がエリンと結婚した事も。全てが今に繋がっている」


「そうですね。全てが今の私の幸せに繋がっていると思います」

私がそう言うと、レナード様は私を急に抱き上げた。


「きゃあ!」


「エリン、これからもずっと一緒だ。改めて俺と結婚してくれてありがとう」


「それは私の台詞です。全てが運命だと言うなら、私は神に感謝します。これからもずっと、一生よろしくお願いします」


私達は綺麗な月に見守られながら、静かで温かな口づけを交わした。

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