第58話
「今更、それを言ってどうするのです?」
「だから謝罪をしようと……」
「では謝罪を受け入れます。私はもう全て過去の事と思っておりますので。それで、お話は終わりまして?」
早く去ってくれないかな……そう思いながら私がそう話を切り上げようとすると、
「なぁ……エリン。もう一度僕とやり直して貰えないか?」
とハロルドは驚くべき事を言い出した。
「はい?」
「だから。辺境伯と離縁して僕とやり直そう。辺境伯なら、君と離縁したとしても、また相手は見つかる」
「何を馬鹿な事を……。パトリック伯爵も、もうご再婚なさったと聞きましたが?」
この人……頭がおかしくなっちゃったのかしら?私は本気で今そう思っていた。
「まぁ……。実は子どもが出来たんだ。だがイライザは元々平民。親戚に頼んで養女に迎えて貰ったが、結局貴族としての振る舞いは全く出来ないから、こういう場にも連れて来ることが出来ない。もちろん家政もだ。僕は領地経営や仕事で手一杯だから、今、家を取り仕切るのも使用人任せだ。母も見つからないし、僕に今必要なのは君だ。君は僕の為にあれだけ努力してくれた。それに気づきながらも、ナタリーを選んだ僕が馬鹿だったんだ。あ、安心してくれ。イライザには子どもを産んだら出ていってもらうから」
ここまで聞いて、私は怒りに震えた。この人は女を何だと思っているんだろう?
「女は……家政をする為に生きているわけでも、子どもを産むために生きているわけでもありません!」
私がそう少し大きな声で言うと、
「その通りだ」
とハロルドの後ろから飲み物を手にしたレナード様が現れた。
ハロルドは後ろを振り返ると、レナード様の姿を認め、少しバツが悪そうな顔をした。
「エリン、待たせたな」
レナード様はハロルドの横を通り過ぎると、私にグラスを渡してハロルドから私の姿を隠す様に前に立ち塞がった。
「パトリック伯爵。俺に喧嘩を売っているのか?エリンは俺の妻だ。近づくな……と前にも注意した筈だが?」
レナード様の声は冷たく淡々としている。
「辺境伯!貴方ならエリンでなくとも選び放題だろう?僕にはエリンが必要なんだ。エリンならパトリック伯爵家の仕来りも習わしも十分に理解している。それに……こう言っては何だが、エリンは僕の事を愛してくれていた。ナタリーに邪魔されてしまったが、僕だってエリンを婚約者として愛していたんだ。僕達なら上手くやっていける。エリンと離縁してくれ!」
「ふざけるな。俺にはエリンしかいない。それは別に辺境伯夫人として相応しいからではない。それは二の次だ。俺がエリンしか愛せないからだ。お前の様にこっちがダメならあっち。あっちがダメなら、こっちなどと簡単にコロコロ変わる愛ではない。お前の言う『愛』はとても薄っぺらい。結婚相手に何を求めるのか……それは人それぞれだろうが、俺が求めるのはエリンだけだ」
きっぱりと言ったレナード様に私も続く。
「パトリック伯爵。確かに貴族の女性は婚家の為に家政を行ったり、跡継ぎを産む事を幼い頃より教え込まれておりますし、政略結婚も致し方ないと割り切っている方も多くいらっしゃいます。だからと言って私達に心がないわけではないのです。相手に求めるばかりでは、ダメなのではないですか?」
私の言葉に、ハロルドは反論した。
「僕はちゃんと仕事をして、安定した生活を約束してるんだ。何の文句があるんだ?イライザにだって安全に子どもが産める様に世話してやってるんだ。僕はやるべき事をやっている!」
それを聞いてレナード様はため息を吐く。
「エリンが言いたい事は、そんな事じゃない。君がちゃんと相手を思いやっているかとそう言っているのだ」
「僕だって、相手がちゃんと自分の務めを果たしてくれさえすれば、大切にするよ」
「交換条件か?君の愛は」
そう呆れた様にレナード様は言った後、
「俺は無条件にエリンを愛している。エリンが家でボーッとして何にもしていなくても、俺の側に居てくれさえすればそれで良い」
……それだと、私が家政をサボっている様に聞こえる。いや、一応ちゃんと頑張っている。不器用なりに。
「ハッ!そんなわけにはいかないじゃないか。僕達は貴族だよ?辺境伯は、相手エリンだからそう思えるんだ。エリンは優秀だからな」
「君は婚約者時代にエリンに感謝した事があるか?」
「感謝?何を?」
「パトリック伯爵家の為にした努力にだよ」
「……婚約者として当たり前だと思ってたよ」
……ハロルドに『ありがとう』なんて言われた事あったかしら?いや……なかったわね。
当たり前だと思っていたのなら、そうか。
「うーん。君とは一生分かり合えない。君を理解している貴族男性は居るだろうがな」
そう言ったレナード様の言葉に何人もの男性がスッと目を逸らしたり、下を向いたりした。
私は、
「パトリック伯爵。私は絶対に貴方を選びません。奥様は妊娠されていらっしゃるのでしょう?気持ちが不安定になる事もあると聞いた事があります。大切にされて下さい」
そうハロルドに声をかけた。
「エリンの言う通り。奥方を悲しませるんじゃない。それと……二度とエリンに近づくな。これは忠告だ。次はない。何かしたらパトリック伯爵家ごと潰す」
「脅しか?」
「脅しだ。お前は信用ならん。最後に……エリンが言った事をもう一度良く考えるんだ。女性は君が都合よく扱って良い存在ではない。道具ではないんだぞ」
レナード様がそう言った時、遠巻きに見ていた人垣が割れ、殿下が姿を現した。
「レナード!何だが面白そうな事をしているな、私も混ぜろ」
と殿下は満面の笑みだ。
「お前が来るとややこしくなる。王太子なら王太子らしく、向こうでふんぞり返ってろ」
レナード様の不敬な物言いにハラハラしてしまうが、殿下は全く意に関せず。
「おぉ、パトリック伯爵。何だが辛気臭い顔をしているなぁ。ん?噂は本当だという事かな?」
殿下にそう言われ、ハロルドは顔をサッと赤くした。
「噂?」
レナード様の呟きに答える様に殿下は続けてハロルドへと声をかけた。
「君に代替わりした途端、隣国との取引が解消されたそうじゃないか。まぁ……前伯爵が取り付けた仕事だったからなぁ。元々パトリック伯爵領は目立つ産業がない。そこで隣国との取引に目をつけた前伯爵の狙いは良かったと思うがな。まだ君には早かったようだ」
……知らなかった。確かにパトリック伯爵領に主だった産業はなかったが、堅実な領地経営と広大な土地を活かして収入は安定しているものだとばかり……。最近、何度も前伯爵が隣国に足を運んでいたのは、その為だったのかと思い至る。
その言葉に、ハロルドの顔はますます赤くなってしまった。
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