第57話

名を呼ばれ会場に入場すると、参列者からの視線を痛いほど感じた。


「……とても見られている気がします」


「そうか?俺はこれからのダンスの方が気になって胃が痛い」

とレナード様が顔を顰める。


私はその様子がおかしくてついクスッと笑ってしまったのだが、何故かその途端に周りの視線がサッと逸らされた。


「今度は目を逸らされました」


「……ダンスはどうしても踊らなければダメか?」

どうにもレナード様はダンスが気になって仕方がない様だ。私達の会話も噛み合わない程に。


「別に踊らなくても大丈夫ですけど、そうすると色んな方々からのご挨拶の嵐になるかもしれませんよ?」

と言う私の言葉に、レナード様は少し低く唸った後に、


「……なら踊るか……」

と絞り出した。



殿下への挨拶の時、


「おー!珍しいなレナード。まぁ、辺境伯にもなったし、美しい奥方も手に入れた。流石にもう社交は避けれ通れなくなったか」

と殿下がからかう様にそう言うと、レナード様はギロッと殿下を睨んだ。


「おいおい、睨むなよ。周りが怖がって寄って来なくなるぞ」


「願ったり叶ったりだ」


レナード様にとっては、逆にその方が助かるのかもしれない。


殿下の隣で、


「クレイグ辺境伯に会えて嬉しいのはわかりますけど、あまりはしゃがないで下さいな」

と妃殿下が苦笑した。そして私に顔を向けると、


「はじめまして。お話は聞いてるの。会えて嬉しいわ」

とにっこり微笑んだ。


「お初にお目にかかります。体調はいかがでしょうか?お元気になられて心から嬉しく思います」


「ええ。最近は食欲が増してしまって逆に困っているぐらい元気よ。ありがとう」

妃殿下は自分のお腹の辺りを愛おしそうに撫でると、そう言って笑った。


王族への挨拶を終え、ダンスタイムに入ったが、私達は踊らずにそれを眺めていた。

しかし、私達に挨拶に来る人はあまり居ない。私が不思議に思っていると、



「クレイグ辺境伯。この前はありがとうございました」

とにこやかな笑顔で私達に近付いて来る人物が見えた。


「あぁ、良い結婚式だった」

レナード様がそう答えた相手は私の叔父であるクック伯爵だ。


「そう言っていただけるとありがたい。しかし、辺境伯が夜会に参加するのは珍しいので、皆最初は浮足立っていたが……入場時に顔を顰めるから周りは怖がって私達を遠巻きに眺めているだけの様だな」

と叔父は豪快に笑った。


……なるほど。あの時皆が目を逸らした様に感じたのは、それが理由だったみたいだ。

最近ではよく喋り、よく笑う様になったレナード様に見慣れてすっかり忘れていたが、その厳つい顔つきと雰囲気で、彼がいつもは怖がられていた事を思い出した。


それでも、その恐怖(?)に打ち勝って挨拶にお見えになる方々とお話したり、公爵様方に挨拶に行ったりと、ダンスは踊らなくとも少し疲れてしまった。


「エリン疲れたろう?少し休もう」

とレナード様に壁際に置かれた長椅子へとエスコートされた。


レナード様は私をそこへ座らせると、


「飲み物を取って来るが、ここを動くんじゃないぞ?変な男が寄ってきても無視するんだ。誰にも付いて行ってはダメだ」

と幼子に言い聞かせる様にして、飲み物を取りに行った。

私は返事をしながらも過保護なレナード様に苦笑してしまうのだった。


「ふぅ……」

ダンスも踊っていないのに、疲れてしまった。本格的な社交は初めてだが、華麗な社交界も実は体力勝負なのかもしれない。


長椅子でくつろぐ私の前に影が出来た。


「エリン」

この声……私はその声の主を確かめる為顔を上げる。


「あら……パトリック伯爵ではないですか。こんばんは」

聞き覚えのある声は私が思った通りの人物だった。

しかし、彼の顔は何故かとても疲れて見える。そして、不思議な事に彼は一人だった。


私が慌てて立とうとするのを、ハロルド様は手で制した。


「座ったままで構わないよ。直ぐに話は終わるから」

その口ぶりから、私に話があって近付いたのだとわかる。


「お話……ですか?」


「うん。なかなか君が一人にならないから、どうしようかと思ったが、こんな所でもないと君と話す事が出来ないと思ってね」


周りの貴族が私達に気付き、何となく遠巻きに様子を窺っているのが分かる。

考えてみれば、奇妙な取り合わせだろう。元婚約者で、今は離縁された元妻の姉。離縁の原因は皆の知る所であろう事は容易に想像出来るが、私が辺境伯夫人とあっては、あからさまにその事を尋ねて来る強者は今の所見当たらない。


「主人に聞かせられない様なお話なら、ご遠慮いたします」

私が一人になるのを待っていたと暗に言われてしまっては、今から聞く話が楽しいものだとは到底思えなかった。


「手短に。エリン……本当に君には申し訳ない事をした。今、僕が君を手離した事をどれだけ後悔しても、もう手遅れだとは分かっているが、それでも、君に謝りたくて」

ハロルド様はそう言って頭を下げた。周りがざわつく。貴族はそうそう簡単に頭を下げない。特にパトリック伯爵家はプライドが高くて有名だ。そんな家の当主が頭を下げた事で、周りの目がますます私達に集まってしまった。


「!頭を上げて下さい。全て過去の事。謝っていただく道理はありません」

私はこの状況を早く終わらせたくて、慌ててそう言った。


ハロルドは私の言葉に頭を上げたが、そこから一気にまくし立てた。


「ナタリーなんかを選んだ僕が馬鹿だった。あの可愛らしく甘える姿に最初は心惹かれたが、直ぐに間違いだったと気付いた。君を取り戻したいと思った時には、既に君は嫁いだ後。

仕方ないから何とかナタリーと上手くやっていこうと思ったが、彼女のわがままに、ほとほと疲れてしまった。浮気をした僕が悪いのはわかっているが、貴族の男なんてそんなものだろう?疲れた心を別の女で癒して何が悪い。

それを理解せずにナタリーのあの結婚式での大失態。その上、彼女は伯爵夫人としての務めを全て放棄した。僕には離縁は当然の結果だったんだ」



私はハロルド様のよく動く口を見ながら、なんと他責思考の持ち主なのだろうと呆れてものが言えなくなってしまった。


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