第52話

「さあ、ユラ行きましょう」

首の辺りを撫でるとユラは嬉しそうに首を振って、ゆっくりと歩き出した。


屋敷まで半分ぐらいの所まで来た時だった。それは突然私達の前に姿を表した。



「グォー!!」

「ヒヒーン!!」

その影に驚いたユラが前足を上げた。私は振り落とされない様に必死に手綱を握る。


その大きな影は立ち上がる。それは今まで本でしか見たことのない獣……大きな黒い熊だった。


「く、熊……」

声が震えるが、まずはユラを落ち着かせなければならない。

私はユラを落ち着かせる様に何度もユラの首を撫でる。ユラに乗った私と熊は十数メートル離れて向かい合った。


「ユラ……落ち着いて……そう良い子ね」

ユラも恐怖を感じているのだろうが、ブルブルと鼻を鳴らしながら前足を小さく動かした。


こんな時、どうすれば……?そう思うが恐怖で体が固まる。


「ユラ……ゆっくりで良いの。少しずつ後ろへ下がりましょう……そう。ゆっくりよ。刺激してはダメ」

緊張で喉が渇く。あの熊に襲われたら、私もユラもただでは済まないだろう。


熊は立ち上がって二本足で立ったまま、低く唸り声を上げている。

どうしてこんな所に熊が……?そんな事が頭に浮かぶのは現実逃避のせいだろうか。


ユラは私の声に、少しずつゆっくりと下がり始めた。目を離してはいけない気がする。手綱が汗で滑る。私はついそれに気を取られて、手綱を握り直す為に、下を向いてしまった。


「グワォー!」

それを合図と思ったのか、四つん這いになった熊がドスドスと走ってこちらへ向かって来た。


……ダメだ!やられる!そう思った次の瞬間、勢い良く向かって来ていた熊の横から銀色の大きな塊がその熊へと猛然と突っ込んだ。


隙を突かれた熊が向かって来ていた直線から横へとふらついた。熊はその銀色の塊に目を向ける。

熊のターゲットが私達からその銀色の塊に移った瞬間だった。


……セルだ!

ここはセルが守る森から随分と離れている筈なのだが……。


セルは大きな口を開け、その熊へと喰らいついた。熊はそれを回避しようとまた立ち上がる。

大きな黒い獣と銀色の獣は激しく衝突した。


ユラはその様子にすっかり怯えてしまっている。私は二頭の衝突音にハッとした。

そして金縛りが解けた様に、もう一度手綱を握り直すと、ユラの腹を蹴った。

今のうちに逃げなければ。

ユラはパニックになりながらも、何とかその場から後退する。私達はそれを機に、二頭に背を向けて、駆け出した。


ある程度離れた場所で、私はユラの背を降りた。


「ここまで来れば大丈夫よね……?」

不安になりながらも、ユラをそっと撫でる。


「怖かったでしょう?もう大丈夫よ」

自分にも言い聞かせるかのように私は言葉を呟いた。


「セルは無事かしら……」

自分達が安全圏と思われる場所へ避難できた事で、私達を助けてくれたヒーローの事が心配になってきた。セルも大きな狼だが、あの熊もかなり大きかった。

だからと言って、先ほどの場所に戻る程の勇気はない。

……というか、ここ……どこだろう。


闇雲に走ってきてしまった私は、少し冷静になり辺りを見回す。帰り道からは外れてしまった様だ。私は急に不安になった。


何処かに見覚えはないかと、キョロキョロしていると、向こうの方から銀色の姿が近づいて来ていた。

私は思わず


「セル!」

とその獣の名を呼んだ。


「ユラ、ここで待っててね」


セルは狼だ。ユラが怖がるかもしれないと、私はユラにそう言ってから、彼女の側を離れる。ユラは鼻をブルブルと鳴らしながら、私の言葉を理解した様にその場に大人しく留まった。


私はゆっくりとセルに近づく。そこでレナード様の言葉を思い出した。あくまでもセルは動物だから、不用意に近づいてはいけないと。


そんな私の気持ちを察したかの様にセルは私と少し距離をとった場所で立ち止まる。その姿はとても雄々しく、パッと見る限りでは怪我はないように思えた。


「……セル、あなたは無事?怪我はしていない?」

つい、いつもの調子でユラに話かけるように、セルにも声をかけた。……まぁ、返事はないがジッと私を見つめる彼の眼は『大丈夫だ』と告げている様だった。


「助けてくれたのね、ありがとう」

私がそう言うと、セルは今来た道を振り返る。そして、私の方をもう一度見つめた。


私が不思議に思っていると、セルはくるりと向きを変え、今来た道を戻り始めた。そして少し歩くとまたピタリと止まり、私を振り返る。まるで付いて来いとい言われている様だ。私が迷子になっている事までセルにはお見通しらしい。


「ま、待ってて!ユラを連れて来るから!」

私は走ってユラの元へと戻ると急いでその背に乗った。


セルは私達を先導するように歩いている。私とユラは少しだけ距離を保ちながら、その後を追った。

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