第51話

「辺境伯に嫁いだのです。私なりに覚悟は出来ております」

そう言った私に、レナード様は


「俺がエリンと離れる事に耐えられないんだ」

と笑った。



そんな風に話していたのは、何か虫の知らせでもあったからなのだろうか?

『噂をすれば……』というのは人ではなく事柄にも当てはまるのかもしれない。それはあの夜から半月程が経った頃だった。


「ここから少し離れた地で、他国からの侵略を受けた。先発隊を送ったが、直ぐに俺も行かなければならない」


「分かっております。ご無事をお祈りしております」


留守を預かるのが私の役目ならば、私はそれを全うする。それが夫婦というものだろう。私は少しの不安を抱えながら、レナード様を見送った。


レナード様の無事を祈りながら、日々を過ごす。

この辺境に残って、ここを守ってくれている騎士団の皆からは、


「我が騎士団の強さはどの国にも負けません。それ以上に団長の強さは別格。直ぐに片付けて戻って来ますよ」

と声を掛けて貰った。

皆、私を気遣ってくれているのが分かる。私はレナード様だけでなく、皆に守られているのだと思えて心強かった。


不安に襲われる時はレナード様の刺繍部屋から糸を見繕っては刺繍をして心を落ち着かせる。そんな日を数日程過ごした時、


「まぁ……お義父様が?」


「はい。釣りをしている時に足を滑らせた様で」


騎士団から退いて、釣り三昧の日々を過ごしていると聞いていたが、その最中に怪我をしたと執事から報告が入る。


「不自由はしていらっしゃらないかしら?」


「別宅にも使用人はたくさんおりますので、奥様が気にされる事はないですよ」

執事にそう言われても、何となく落ち着かない。


「別宅まではここから馬で三十分程でしょう?私……お見舞いに行ってこようかしら?」


そう言った私に執事は直ぐ様馬車を用意すると申し出た。


「ユラと散歩がてらに行ってくるわ」


「ダメでございます!旦那様から奥様を一人にするなと言われております」


騎士団の方々を始め、皆私に少し過保護ではないかしら?


「それならば……護衛を連れて……」

執事からの提案に私は首を振った。


「そんな!申し訳ないわ。騎士団に残っている方々は少数。皆も仕事でお忙しいのに。別宅までは特に険しい道もないし、私の乗馬技術でも問題ないわよ」


ユラと私は相性が良かった事もあり、私は自分で言うのも何だが、乗馬は随分と上手くなったと自負していた。練習で三十分以上乗る事もある。


別宅まではなだらかな道が続くし、何の問題もないと私は執事とバーバラを説得し、お義父様のお見舞いへとユラに乗り屋敷を後にした。


「わざわざすまんね。大した事はないんだ」

寝台の上で寝ていたお義父様が起き上がろうとするのを、私は手で制した。


「あ!寝たままで!ご無理なさらないで下さい」


「いや~面目ない。歳には勝てんな」


「この怪我に歳は関係ありませんよ。でも顔色が思ったよりも良さそうで安心しました」


私の言葉にお義父様は微笑んで頷いた。


「足を滑らせた所で大きな岩に背を打ち付けてしまったが、それ以外は元気だよ。レナードが留守で不安な時に申し訳ないね」


「とんでもない。領地は穏やかそのものです。戦況も良いお話しか耳に届いておりませんし、もうすぐレナード様も戻られる事でしょう」


「レナードなら大丈夫だろう。私も早く治さねばな。ハリソンの結婚式に間に合わなくなる」


そう言って笑ったお義父様は少し顔を顰めた。


「痛みますか?」

私が慌てれば、


「少し響く程度だ。大丈夫」

とお義父様は力強く頷いた。



今日は泊まっていくと良いと言われた私はその言葉に甘える事にした。


寝台の上にテーブルをセットして、メイドと共に何とかお義父様を起こして背中の負担にならぬ様にクッションを背もたれにする。

小さなテーブルに夕食を用意するのを私も手伝う。ついでに、私も寝室で夕食をご一緒する事にした。



「ここに来てまだ数日だが、一人の食事は味気ないものだとつくづく思ったよ」

スープを口に運びながらお義父様はそう言った。


「私もここ数日そう痛感しております」


「ふむ。だが、良く考えてみればあまり食の進まぬ息子と寡黙過ぎる息子。三人の食事に会話はほとんど無かったがな。……エリンが来るまで。エリン、君がレナードに嫁いでくれた事を心から喜んでいるよ」


優しく微笑んでくれたお義父様に胸が温かくなる。


「私も同じ気持ちです。私を家族として迎え入れて下さいました皆様に心から感謝しております」


「ハリソンが変わったのも……君の影響ではないのか?」

尋ねるお義父様に私はゆるく首を振った。きっかけはあの夜かもしれないが、変わろうとしたのはハリソン様だ。ミューレ様の力も大きいのは間違いない。


「君はよく謙遜をする」


「……レナード様に頂いた温もりを少し分けただけです」


「レナードはそんなに良い男だったか。父親の私も知らなかった姿だ」

そう笑ったお義父様はまた少し顔を顰めた。痛いのだろうが、我慢強いお義父様は直ぐに元の優しい微笑みに戻ると、少しだけ声を潜めて、


「君の妹でなくて、本当に良かったよ。パトリック伯爵のご子息には感謝しかない」

と私にウィンクをしてみせた。


翌日、朝食を終えた私は義父様に別れを告げて、屋敷へと戻る。

何度も皆に気をつける様に言われたのだが、行きも何の問題もなくユラと共に気持ちよくここまで来られたのだから、そんなに心配しなくても……と私は苦笑した。



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