第30話


「でも、たかがメイドのくせに……っ!」


我が家にもメイドはいる。その物言いにどうかと思って私が口を開こうとするのを兄が制して静かに告げた。


「ナタリー、ストーン伯爵家当主として、明日改めて話を聞くが……こちらに過失がある限り期待はするな。それと……たとえ使用人と雇用主という関係があるとはいえ、お前の先程の発言は使用人の尊厳を損なうものだ。一週間、屋敷からの外出を禁ずる」


「そんな!!ハロルドと話も出来ないの?」


「お前が口を出せば、余計に拗れる。僕が話した方が賢明だ」


「酷い!酷すぎるわ!」


ナタリーは乱暴にナプキンを座席に叩きつけると大股で食堂を出て行った。


「ナタリー!!」

お母様が咎めようとするも、もうナタリーは部屋を出ていっている。


もう母もため息をつくしかなくなっていた。


私もレナード様も明日には辺境へと戻る予定なのだが……私、このまま帰ってしまっても良いのかしら?


夕食を楽しむどころではなくなってしまった。

私とレナード様が部屋に戻ると直ぐに、母が部屋を訪ねて来た。


「レナード様……身内の恥を晒してしまって本当に申し訳ありません」

母は深々と頭を下げた。


「頭を上げてください。俺は気にしていない」


私達は一度席に着いて話す事にする。バーバラがお茶を用意してくれたが、それを飲む様な雰囲気でもない程に空気は重々しい。


「今日、パトリック伯爵家から知らせが届いてね……。もちろんまだ白紙には戻されていないのだけど、元々ナタリーはパトリック伯爵に好意的に見られていないから……」

母が話始めた。


「もう……解消は免れないのかしら?」

私の質問に母は


「ほら……貴女がハロルド様が他の女性と会っているのを見た……と言っていたでしょう?あの話をパトリック伯爵にしてみようと思うの。もし……ハロルド様が不誠実な事をなさっているのなら、ナタリーだけに非がある訳ではなくなるでしょう?正直……ハロルド様との婚約を解消してしまったら……ナタリーに良い縁談はもう期待できないわ」

とため息をついた。


確かに……。既にナタリーと歳の頃が合うご子息で婚約者が居ない方を探すのは難しい。

それにナタリーはハロルドとの結婚を決めてすぐに学園も辞めてしまっている。

婚約者がいればそれは問題ないが、これから探すとなれば学園を卒業しているという肩書が欲しい所だ。


「でも……そんな取引をするような真似をしては、パトリック伯爵の気持を逆なでしてしまうのではない?」

私は不安になり、そう母へと尋ねてみるも、


「そうね……でも、もうこれしか手段はないかもしれないの」

と母は項垂れた。


しかし……翌日になって、ここから驚くべき方向へと話は進んでいくのだった。




翌日、私とレナード様は予定通り辺境伯領へと帰る準備をしていた。ナタリーの事が気にならないと言えば嘘になる。


「……いいのか?エリン」


「私が居ても……とは思う反面、気にならないと言えば嘘になります。でも……私が残るのなら……」


「俺も残る」


……ですよね。昨晩も『エリンが残るなら俺も残るから』と言われてしまって、残るとは言えなくなっていたのだ。


「そんなに騎士団を離れてしまっても良いのですか?」


「構わん。団長がいる」


と言っても、辺境まで移動だけでも時間がかかる事を考えると、これ以上ここに滞在するのも……。


すると、玄関の方で執事の声が聞こえた。……どうもパトリック伯爵がおみえになったようだ。


私も一応挨拶に向かう。……ちなみにレナード様も一緒だ。


兄と執事がパトリック伯爵を出迎えている。母はナタリーの部屋に居るようだ。……ナタリーが下手な事をしないように見張っているのだろう。


「パトリック伯爵。お久しぶりでございます」


パトリック伯爵だけかと思えば、ハロルドも一緒の様だ。


「おお!エリンじゃないか!それに次期辺境伯のレナード様まで」


「初めてお目にかかる。レナード・クレイグだ」


レナード様とパトリック伯爵が握手をしているのを微笑んで見ていると、


「エリン……私が不在の間にハロルドが勝手な事を……。すまなかったな」

と伯爵が眉を下げた。


……そんな悲しそうにして貰わなくても、私は今、レナード様と結婚出来て幸せだ。


こんな事を言っては何だが、ハロルドと結婚しても……私はずっと自信のないままだっただろう。

今考えるとハロルドに褒められた事はない。……いや、『しっかりしている』と言われた事はあったかもしれない。それを褒められたというのは微妙なところだ。

それなりに婚約者同士の甘い雰囲気はあったし、触れ合いもあったが……それに誤魔化されていた様な気がしなくもない。


「お気になさらず」

……それ以上の事は言えずに私は黙り込んでしまう。少しの沈黙が流れ、それを察した兄と執事が二人を応接室へと案内した。


その後ろ姿を見送りながら、


「さて。そろそろ帰りましょうか。私達の家に」

とレナード様を見上げると、何とも情けない表情を浮かべていた。


「どうかされました?」


「エリン……本当は俺との結婚より……」


「いえ。私はレナード様と結婚して幸せです!」


ピシャリと言えば、レナード様は少し嬉しそうにした。

ここ数日で分かった事だが、レナード様は私がこの結婚やレナード様の事をどう思っているのかをとても気にしているようだ。


私達は二人で部屋へ戻り、荷物の整理を終えた。

帰る前に父に会いに行く。今回はレナード様も一緒だ。


ちょうど二人、応接室に通りかかった時、部屋の中からパトリック伯爵が怒鳴る声が聞こえた。

レナード様は私をギュッと自分へ引き寄せる。


「ハロルド!!お前という奴は!!なんて事をしてくれたんだ!!」


パトリック伯爵の怒りの矛先はハロルドの様だ。

そして、何故かナタリーの泣き声も聞こえる。……一体、この部屋で何が行われていると言うのだろう。私とレナード様は思わず顔を見合わせた。

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