第28話
私は犬も食わなさそうな喧嘩に口を挟むつもりはない。
素知らぬ顔で庭を散歩していると、何故かハロルドが庭へと回って来た。うちの家を我が物顔で歩くのは止めてもらいたい。
彼は私の姿を認めると、満面の笑みを浮かべ早足で近付いて来る。
その勢いに私は思わず後ずさる。
「エリン!帰ってきてたのか!」
……何故、両手を広げながら近付いて来ているのだろう?
そう思っていると、ハロルドがその腕で私を抱き締めようとする。……のを私はヒラリとかわした。
「元気そうですわね、ハロルド様。父の顔を見に帰ってきましたの」
ハロルドは空振りした腕をもて余す様に組んだ。
「伯爵……いや、もう前伯爵か。何はともあれ目を覚ましたのは本当に喜ばしい事だ。……しかし、僕達が旅行中に辺境伯に嫁ぐなんて……水くさいじゃないか」
……何が?別に嫁ぐ前にハロルドに挨拶をしなければならないような道理もない。
「急に決まりましたので……」
「それもおかしな話じゃないか。何故そんな慌てる必要があったんだ?」
私だって不思議だったけれど、レナード様は不安だったと仰って下さったわ。それを思い出すだけで少し温かい気持ちになる。でもそれをハロルドに言うつもりはない。
「そこは私にもよく分かりません。でも恙無く結婚式を終える事が出来ましたし……」
と言う言葉に被せるように、
「ジュードが帰って来る事が分かっていれば、君を手放さなかったのに……」
とハロルドが少し甘さを含んだ声音でそう言った。
……気持ち悪っ!寒くもないのに何故か鳥肌が立ったわ。
それにこの人何を言っているのかしら?お兄様の事なんて、本当は私達の婚約解消には全く関係がないのに。
私が少し首を傾げると、
「あの時は、このストーン伯爵家には君が必要だと思って身を引いたけど……今ならよく分かるよ。君が必要だったのは、僕の方だ」
「はい?何が仰りたいのか理解出来ないのですが……?」
「こうして手放して初めて気がついた。君ほど僕に相応しい
それは……ナタリーがパトリック伯爵から認められていないから?私なら伯爵様が納得して下さっていたから……という風にしか私には聞こえない。
「あら?私の様な地味で面白みのない女は好みではないのでしょう?私、そこはナタリーの様にはなれませんもの。その点ではハロルド様に相応しいとは思えませんわ」
『その点では』とあえて主張させてもらう。
ナタリーに劣っているとは思いたくない。
確かに私は華やかさも可愛らしさもナタリーに比較すれば足りていないかもしれない。
でも、そんな自分でも大切にしてくれている人がいる。自分を過剰に卑下する事は、その人……レナード様にも失礼だと思える様になった。
「そんな事を言うなよ。僕はナタリーに騙されてたんだ。僕の気を引くために猫を被っていたと言えばいいかな……あんなにワガママだとは思わなかったよ」
……今までも十分、ワガママに振る舞っていたと思うけど。ナタリーのワガママは今に始まったことじゃない。
『痘痕も笑窪』好きな気持がある時には欠点も可愛く思えてしまうものだ。
「騙されたも何も……。貴方がナタリーを選んだのよ?伯爵様に認めて貰える様に貴方も協力してあげたら?」
「正直……父は他の家に適当な令嬢がいないか探ってるようだが……伯爵位以上のご令嬢で直ぐに婚姻出来る様な女性が見当たらない。
かといってナタリーがパトリック伯爵家に相応しい淑女になれるかどうか……」
もう少ししたらハロルドは二十一歳になってしまう。この状況、待ったなしだ。
だからと言って私がハロルドやナタリーにしてあげられる事は何もない。それに、日中見たあの女性の事だって……。それをハロルドに詰め寄るつもりはないが。
そんな事を考えていると、ハロルドが私の手をそっと取って握った。
上の空だった私は咄嗟に反応出来なかった。
「ちょっと!離して……っ!」
「少し見ない間に、エリン……綺麗になったな。本当に僕か馬鹿だったよ。君はあんなに僕の事を好きで、相応しくなろうと努力してくれていたのに」
案外強い力で握られた手は振りほどけず、私は困惑した。
確かに、ハロルドと釣り合う様な人間になりたいと努力はしていたし、好意もあった。それを否定するつもりはないが、今更、口に出されても嬉しくも何ともない。
ナタリーは家に居るのだ。この庭だって何処からか見られているかもしれない。ナタリーがこの状況を見たら面倒くさくなる事間違いなしだ。
「もう……っ!離し……」
と言ってハロルドの顔を睨もうと顔を上げた瞬間、ハロルドの首に剣が当てられているのが見えて、私は『ヒュッ』と息を呑んだ。
「妻の手を離せ。でなければ殺す」
物凄く物騒な事を言って、ハロルドの首元に剣を突きつけている相手……
「レナード様!」
「………!な、なにをす、するんだ」
声を震わせたハロルドが私の手をそっと離して、抵抗をしないことを示すかの様に、両手をそっと上げた。その手も震えている。
レナード様はハロルドの首に当てていた剣を鞘に収めながら、私に近付くと、抱きかかえる様にして私の姿をハロルドから隠した。
「妻に触るからだ」
「だからと言って剣を向けるとは!」
「嫌なら触れるな。何なら視界にも入れるな」
とレナード様は無理な事を言っている。
「レ、レナード様落ち着いて……」
私はレナード様の背中に隠されながら声をかける。
「俺は落ち着いている」
確かに声は落ち着いてるようなんですけど、体が熱いんです!
怒りなのか、それとも先程まで王宮で剣の手合わせをしていたせいなのか……そんな事を考えていると、ハロルドが
「ふん。エリンも可哀想だ。お前みたいな野蛮な奴に嫁がされるとは」
と苦し紛れの暴言を吐く。
そう言われたレナード様の体がピクリと揺れて私の方を振り向いたのだが、何故か顔が青い。……ご気分でも悪いのかしら?
私はレナード様の様子が気になりながらも、反論のため少しレナード様の後ろから顔を覗かせた。
「レナード様は野蛮ではありません!!貴方よりよっぽどお優しい方です!訂正して謝罪して下さい!」
「剣を突き付けられた僕がなぜ謝らなければならないんだ?!謝るのはそちらの方だろ?!」
と私達が揉めていると、声が聞こえたのか、ナタリーが庭に現れた。
「ハロルド、まだ帰ってなかったの?まさか……!お姉様と此処で会う約束でもしていたんじゃないわよね?!」
そんな事を私がするわけがない。自分が私の目を盗んでハロルドと密会していたからって、私まで一緒にしないで欲しい。私はとても不快になったてつい顔を顰めた。
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