第27話
「あれ……ハロルド様ですよね?」
「見間違えるわけないわ。絶対ハロルドよ。お相手は……誰かしら?」
私とバーバラは声を落としてヒソヒソと二人で話す。ハロルドが花束を渡している相手は妖艶な美女といった感じだ。真っ赤な唇がゆっくりと弧を描く。着ているワンピースも彼女の体にピッタリとフィットしており、貴族のご令嬢……という感じではなさそうだ。
行き交う人々の声にかき消され、二人の会話は聞こえないが、とても親密そうに見える。
女性は花束に鼻を寄せ香りを嗅ぐと嬉しそうに微笑んだ。
ハロルドが腕を差し出すと彼女はその腕をとり、ピッタリと寄り添って何処かへと二人は歩いて行った。
二人の背中が人混みに紛れて見えなくなると私達はまるで息を止めていたかのように、大きく息を吐き出した。
「……どうします?」
バーバラの言いたいことはわかる。これを見てしまった私達はこれからどうすれば正解なのか……。それは私にもわからない。
「ナタリーに言った所で荒れるのは目に見えているけど……あの二人の関係が……その……良くないものだとすれば、婚約を白紙に戻した方が良いのかも」
「そうですが……奥様が口を挟むのも……」
「そうなのよね。他家に嫁いだ私が色々と口を出すのは問題よね。……あぁ……あんなもの見なければ良かったわ」
バーバラや他の辺境伯邸の使用人に『奥様』と呼ばれる事にまだ慣れない私は少し照れながらも、そんな場合ではないと改めてため息を吐いた。
ナタリーとハロルドの逢瀬を見かけたミネルバも同じ様な気持ちだったのかしら?
そう思うと、あの時私に話をしてくれたミネルバもきっと悩んだのだろうな……。
「とりあえずお花を買って帰りましょう。お父様の寝室に飾りたいから」
私は切り替える様にそう言って、向かい側の花屋へと歩く。バーバラも急いでそれについて来た。
「綺麗なガーベラねぇ~」
私がお父様の寝室に花瓶に生けたガーベラを運んで来ると、母は笑顔でそう言った。
「確かお父様もお好きな花だったでしょう?」
そう言う私に父も瞬きで答えてくれた。
「……お母様、ちょっとお話があるの」
私の様子に母は『ん?』といった顔をするが、何かを察した様に、
「少し席を外しますね」
と父へと声を掛けた。父はまたそれに瞬きで答える。
マージに声を掛けて、母と私は寝室を出た。
「ハロルド様が?」
私が花屋の店先で目撃した光景を母に話すと、驚いた顔で母は聞き返した。
ナタリーに言うのは絶対に不味い事はわかっていた。だからといって胸に留めておく事も出来ず、私は母にだけ話すという選択を取った。
「ええ。でも貴族のご令嬢……といった感じではなくて。別の婚約者候補という訳でもなさそうだったから、これを
「そうね……。少しパトリック伯爵にそれとなくお話してみるわ。でもその時間ならナタリーはパトリック伯爵家でお勉強中……そんな時を狙って何処かの女性と仲睦まじくしているのは……些かねぇ」
「そうよね。ナタリーの目を盗んで……というのなら、後ろめたい関係だと勘ぐられてもおかしくないもの」
私は自分の時にナタリーとイチャイチャしていたハロルドの事を考えると、あの女性と『何でもない』とは思えなかったのだ。
「ハロルド様は美丈夫だから……周りの女性が放っておかないのかもしれないけどねぇ」
と顎に手を置いて苦い顔をする母。
確かにハロルドは美丈夫で、私も婚約者になってから、随分と周りにやっかまれたものだ。だけど……レナード様の方が美丈夫だわ……と心の中で反論する。皆、それに気付きにくいだけ。
そう思うと、昨日うっとりした目でレナード様の事を見ていたナタリーの顔を思い出して、モヤモヤしてしまった。
……ナタリーなんてどうなったって良いじゃない。そう思ってしまいそうになる心をなんとか押し留める。
母に話したところで解決はしないのだが、私は少し気が楽になって、ついでに気分転換に庭を散策する事にした。
辺境伯邸の庭は少しだけ殺風景だ。レナード様は『女手がないからな』とポツリと言った。
レナード様のお母様は子どもの頃に亡くなったと聞いていたから、少しだけその声が寂しそうに聞こえたのを思い出しながら私が庭を散歩していると、
「もう!!どうして私が勉強している時に、側に居てくれないのよ!!」
と言うナタリーの大きな声が聞こえてきた。パトリック伯爵家から帰ってきた様だ。
「仕方ないだろう?僕にも用事があるんだ。君が勉強している姿を眺めているだけで、パトリック伯爵を継げるわけがないじゃないか。
僕にだって僕のやるべき事があるんだ。共に頑張ろうと、そう約束しただろう?」
「もう知らない!!ハロルドなんて大嫌い!!」
揉めている声が聞こえる。相手はハロルドのようだ。……『用事』ねぇ……。私が見たあの女性との逢瀬が彼の用事だとでも言うのかしら?
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