第10話
「暗くなって来たわね」
私が窓から外を覗いてそう言うと、
「一雨来そうですね」
とアーサーが答えた。
「ナタリー達、雨に降られないと良いけど」
「御用のある領地までは然程遠くありませんが、雨が降ると厄介な場所を通らなければなりませんので、もしかすると一晩何処かにお泊りになるやもしれませんね」
アーサーの言葉に、私は振り返って『そうね』と答えた。
領地の宿では二部屋予約していると言っていたけど、突発的に一晩泊まるとなると、宿の空き状況が心配になる。婚前旅行とはいえ、過ちを犯さなければ良いけど……と考えながら、私は自分で自分に苦笑する。私が二人を心配したって仕方ないのに。
「お母様の様子を見てくるわ」
薬を飲んで、ぐっすり眠っている筈だけど、そろそろ夕食の時間だ。起こすのは忍びないが、様子だけでも覗いて来よう。
そう言って私が執務室の扉を開けると、
「お嬢様!大変です!!ジ、ジュードお坊ちゃんが!」
と門番が走り寄った。
「お兄様がどうかしたの?」
と私がその門番に尋ねた、その後ろから
「ただいま……エリン」
と杖をついた兄とそれを抱える様に立つ大男が目に入った。
そして、その大男は……
「………………天使」
と呟いたが私は突然の兄の帰宅にそれどころではなかった。
「お兄様、何処へ行っていたの!?心配したのよ?」
椅子に座らせた兄につい詰め寄ってしまうが、兄は怪我人だ。
「あ、ごめんなさい。つい……でも……」
「いや……いいんだお前が怒るのも無理はない。父上はどうだ?意識は戻ったのか?」
と言う兄の言葉に、私は驚いてしまう。
「ど、どうしてお父様の事を……?!」
すると今まで黙っていた大男が、
「俺が言った」
と一言口を開いた。
は?どういう事?
私がその男性を驚いて見つめていると、彼は顔を真っ赤にして俯いた。……どうしたのかしら?
しかし……物凄く背が高く、ガッチリとした男性だこと。騎士の方かしら?でもよく見ると……顔はとても整っている。
「その方は……クレイグ辺境伯の次男、レナード様だ。僕がずっと世話になっていた人だ」
という兄の説明に、私はますます訳がわからなくて首を傾げる他なかった。
兄の話はこうだ。
領地経営の勉強に飽き飽きした兄は、突発的に家を出た。そう特に何の目的もなく。
ある日、王都から離れた街でスリに財布をスられそうになった時、近くに居た騎士が助けてくれたのだそうだ。その姿を見た兄は騎士ってカッコいい~!となって騎士になろうと決心したらしい。……単純すぎて呆れる。
で、騎士になるなら辺境伯様の所で鍛練しようとクレイグ領に向かったのだそうだ。
辺境の騎士団は実力さえあれば入団出来るという噂を聞いていたので、身分は隠して兄は辺境の騎士団の見習いになったのだが、今の今まで体を鍛えた事も、剣を使った事もない軟弱な兄には全くもって騎士としての適性は無かった。
適性は無かったが、何故か根性だけはあった兄は、そのまま見習いとして鍛練していたらしい。……しかし、ある日不注意から剣が手から離れて足へ。兄は大怪我をしてしまった。直ぐ様手当したお陰で足は失わずに済んだが、今後騎士として生きていく事は不可能になった……という訳だ。
「足は……大丈夫なの?」
私はそこまでの話を聞いて、椅子から投げ出す様に伸ばされている兄の左足を見た。
「痛みは殆どないが、あまり体重をかけられない。だから……一生こうして杖をついて過ごすしかないようだ。それでも足を失わずに済んだんだから儲けものだよ」
と兄は脇に置いた杖をポンポンと叩いた。
「そう……」
自業自得じゃないかと責める事は流石に出来そうにない。私が視線を落とすと、
「自業自得だよ。我が儘で家を飛び出した僕への罰だ。……そう思った時、我が家を思った。僕はストーン伯爵家を継ぐという使命を放り出した。お前やナタリーはこれから嫁にいくのに、我が家はどうなるのかと急に心配になったんだ」
と兄が言った。私は顔を上げると、つい
「そんな……勝手だわ」
「わかってる。本当に勝手だよな。その事で悩んでいる時に、レナード様に声をかけられた。
足の事もあって、とても僕を気にかけてくれていたから、その時に初めて自分の身分を明かしたんだ。そしたら……父上は倒れて意識不明。そのせいでお前がパトリック伯爵家との縁談が白紙になった事、その上お前がこのレナード様と改めて婚約した事を初めて聞いたんだ。驚いたよ。同時に申し訳なくて、申し訳なくて……僕が落ち込んでいるとレナード様が家に戻ろうと……連れて帰ってやるからと言ってくれたんだ」
と兄は隣に座る大きな男性……レナード様を見て軽く頭を下げた。
レナード様は、
「早く帰った方が良いと思ったから、馬に乗せて連れ帰った」
と言葉少なにそう言った。
「お陰で、気分が悪くなってしまって……肩を借りる羽目になってしまったんだ」
兄の顔色が悪かったのは、馬に酔ったかららしい。ほとほと騎士には向いてなかっただろうに、何を血迷ったのだろう。
すると、
「ジュード!!」
とお母様が応接室の扉を開けて飛び込んできた。
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