第5話
そこからどうやって帰ったのか、はっきりとは覚えていない。
気がつくと私は着替えもせず、寝台に突っ伏して泣いていた。
ノックの音とバーバラの心配そうな声が聞こえる。
「来ないで!」
と返事をするのがやっとだった。
どうしてこうなってしまったの?
お父様が倒れるまで……ハロルドとは確かに信頼関係が築けていると思っていた。
美丈夫な彼に見劣りしないよう、外見にも気を使った。顔を変える事は出来ないからバーバラに相談して、私の髪色や肌の色に合ったドレスやワンピースを選ぶ様にしていたし、化粧も研究した。髪も艶が出ると言う香油は全部試したし、爪の手入れも怠った事はない。
真面目過ぎるって何?じゃあ、学園の課題が出来ていないからと、ズル休みをするような人間になれば良かったの?……ナタリーの様に。
ナタリーの名を思い浮かべると、私はまた胸が軋んだ。天真爛漫なナタリーを何度も羨んだ。
子どもの頃から、父も母も、ナタリーが失敗しても『ナタリーだからしょうがない』と結局は許してしまう。ナタリーも自分は出来ない子だからと笑って済ませてしまう。
それを呆れて見ていた私は、あんな風にはなりたくないと思う気持ちと、羨ましいと思う気持ちの矛盾した感情を持て余していた事を思い出していた。
すると、部屋の外から
「エリン?ハロルド様が来ているのだけど……。お部屋に入ってもらう?」
と母の声が聴こえた。
私は涙を手の甲で拭うと、
「お母様、今は誰にも会いたくないの。帰ってもらって」
と返事をした。今、ハロルドの顔を見たら……何を口走るかわからない。……ナタリーにもだ。
しかし、部屋のドアノブをガチャガチャと回して
「エリン、話があるって言っただろう?ここを開けてくれないか?」
とハロルドの声がした。……鍵をかけていて良かった。
「ハロルド、ごめんなさい。今は無理だわ」
「……エリン……。わかった。また明日話そう」
私の答えに一応納得してくれたのか、部屋の外から人が遠ざかる気配がした。
私は少しだけホッとした。
少しして……
『コンコンコン』と焦った様なノックの音がしたかと思うと、
「ねぇ、エリン!ハロルド様がナタリーと結婚するって言ってるの!どういう事なの!?説明してちょうだい!」
と母が扉を叩きながら、私に問う。
ハロルド……私と話し合う前に、母に先に言ってしまうなんて。……私の気持ちなんてどうでも良いのね。私と彼の過ごした年月とは一体何だったのだろう。
私はゆらりと立ち上がり、激しく叩かれている扉を開ける。
そこには、今にもまた扉を叩こうとした形で固まる母の姿があった。
泣き顔の私を見て、母も顔を悲しそうに歪める。
「お母様……。私だって理由が知りたいわ。私の何が悪かったの?私のどこがダメだったの?」
と私がまた涙を流すと、母は私を抱き締めた。
「エリン……」
そう言って母は私の背中を撫でる。
「ハロルド様の気持ちは私にもわからないけれど、貴女に非はないわ。それは間違いない」
と抱き合う二人の前に、私の部屋の前を通りかかったナタリーが、
「あ!お母様!もうハロルド様からお話があったでしょう?私、ハロルド様にプロポーズされたの!もちろん結婚するわ!!」
と嬉しそうに声を掛ける。
この状況に、そんな事を明るく言える妹の神経がわからない。
「ナタリー何がどうなってるの?分かるように説明してちょうだい」
母は私をそっと離すと、頷いた。部屋に入っておけという事だろう。
しかし、私を見たナタリーは、
「あら……お姉様泣いてるの?あぁ、ハロルド様の事よね。だってお姉様はハロルド様を好きだったんだもの、悲しむのは当然だわ。
でも遅かれ早かれこうなる運命だったのだと思うの。
これからは私がお姉様の代わりにハロルド様を支えていくから、安心してね」
とナタリーは同情している様な口ぶりで申し訳なさそうに眉を下げたが、彼女の口元は笑っていた。
ナタリーは母に連れて行かれた。母もナタリーのあんまりな物言いに呆れ果てていた様だったが、ナタリーにはあまり通じていなかった。
私はまた部屋で一人。外はすっかり夜になっていた。灯りを点けるのも億劫で、私は月明かりだけで過ごす。今日は満月なのか、月明かりだけでも十分だ。
その月明かりは今の私を優しく包んでくれた。
翌日、ハロルドはまた我が家へとやって来た。
私は体調が悪いからと会う事を拒否した。
後から母に聞いた話では、今の我が家の状況を考えると、私をパトリック伯爵家に嫁がせるのは難しいと思う事。かといって長年の付き合いであるストーン伯爵家をこのまま見過ごす事は心苦しい、出来る事なら家族として繋がりを持って支援してあげたいという気持ちがある……だから、ナタリーを代わりに婚約者として迎えたい……ハロルドはそう言っていたらしい。
……嘘ばかり。結局は地味で面白味のない私より、明るく可愛らしいナタリーが良かった……という事。本音と建前が違いすぎて、私は笑ってしまった。
こうして私とハロルドの婚約は解消された。
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