第2話

話題のカフェは大人気だったが、ハロルドが予約してくれていたお陰で、眺めの良いテラス席へと案内された。



「凄い!素敵!!ねぇ、ねぇ、ハロルド様、見て見て!」

と誰よりもはしゃいで、ハロルドの腕を引っ張っているのは、私……ではなくナタリーだ。

ハロルドもそんなナタリーを諌めるでもなく、


「本当だ。綺麗だね」

と何故か横に並んでいるナタリーを見てそう言った。………婚約者は私の筈なのに、私は何故か二人の背中を見守る様な格好だ。お陰で綺麗な景色すら見えやしない。

綺麗なのは景色?……それともナタリー?


ナタリーは少し小柄で綺麗なブロンドにピンク色の瞳の可愛らしい容姿をしている。私はややくすんだブロンドに鳶色の瞳、そして女性にしてはやや高い背丈。別に卑下するわけではないけれど、ナタリーの容姿を羨ましく思う事は多々あった。


「ねぇ、二人共席に座らない?」

私はなるべくイライラした気持ちを表に出さない様に心掛けて二人へ声を掛ける。二人は振り返ると、


「あぁ……そうだな。ナタリー座ろうか」

とハロルドはナタリーをエスコートして椅子に座らせた。


二人は話が合うのか、とても楽しそうに会話をしているが……私はまるで蚊帳の外。

そんな私に申し訳なく思ったのか、ハロルドが急に、


「ジュードはまだ見つからないんだろう?」

と尋ねてきた。


「ええ。置き手紙には『領主なんて嫌だ!俺は旅に出る』と書いてあったけど、それからは全くの音信不通。兄が居なくなってもうそろそろ三ヶ月になるわ」

と私はため息混じりに答えた。


するとナタリーが、


「ねぇ、お姉様。結婚、延期したら?」

とサラリと言った。……実は私も少しだけ考えた事があるのだ。父の体調も思わしくない。次期当主である兄のジュードは行方知れず。執事や、ハモン、母、それと私でなんとか父の代わりを果たしてはいるが、今、お祝い事など……という気持ちも大きい。それに、私は結婚してら家を出る身。母に頼られている自覚があるからこそ、私も悩んだ。しかし……


「……それは困るよ。もう僕は二十歳なんだ。うちの家には仕来りがあって、次期当主は二十歳の内に結婚しなければならない」


そう……これが原因で、私は約半年後に迫った学園の卒業と同時に結婚が義務付けられていた。

なので、延期など言い出せる筈もなく、クヨクヨと悩んだ夜もあったのだ。しかし、そんな私を見て、母は『きっとそれまでにお父様も良くなるし、ジュードだって帰って来るわ。貴女は心配しないで、ハロルド様に飛び込めば良いのよ?』と言って、私の背中を押してくれたのだ。


しかしナタリーは、


「え~、でもお姉様が居なくなってしまったら、うちはどうなるの?お母様だってお姉様に頼りきりじゃない」

と口を尖らせた。

自分が私の代わりに母を支えようとは全く思っていない妹に呆れてしまう。


「ナタリー……貴女、少しは家の事を手伝ったらどう?今はアーサーも領地に居て、ただでさえ忙しいのに……」

と私が眉を潜めると、


「…私はお姉様みたいに優秀じゃないもの。学園の課題で精一杯だし、お父様のお仕事の内容なんてチンプンカンプンなのよ?どうやって手伝えと言うの?」

と怒った様に反論するナタリーにイライラする。


私も思わず、


「私だって最初から出来たわけではないわ。一生懸命学んでいるの。お父様のお仕事の手伝いをしろとは言わないから、少しはお父様のお世話を……」

とつい強い口調になってしまうのを抑えられない。

すると、ナタリーは目に涙を浮かべて


「お姉様には、私の気持ちなんてわからないのよ……」

と唇を噛んだ。


ナタリーの気持ちって何?家族で支え合おうと言う私が間違っているの?

私がナタリーの様子に困惑していると、


「まぁ、まぁ。二人共落ち着いて。折角の景色と料理が台無しじゃないか。エリン、君は優秀だからか、少し人の気持ちが理解出来ていない時があるよ。お姉さんなんだから、あまり妹に辛く当たるなよ」

とハロルドが間に割って入って……ナタリーの涙を優しくハンカチで拭いた。

そのハンカチは……私が刺繍してプレゼントした物だったのだが、それを見た私は何故かとても惨めな気分になったのだった。


カフェでの料理は美味しかったのだと思う。だけど私には何の味もしなかった。


馬車の中では、ハロルドとナタリーが楽しそうに会話するのを聞きながら、ハロルドがナタリーの味方をした事、そして私に向けられた僅かな叱責混じりの言葉を頭の中で反芻していた。


私は家に帰って、誰にも何も言わずに急いで自室へと閉じ籠もる。


少しすると、控え目なノックの音が聞こえ


「お嬢様、ハーブティーを淹れましょうか?」

と私の侍女であるバーバラが声を掛けてくれた。

きっと、私の様子がおかしいからと、気を使ってくれたのだろう。


バーバラは私が幼い頃からの専属侍女だ。ナタリーは我が儘が多いため、侍女の入れ替わりが激しいが、私にはずっとバーバラが付いてくれている。

出来ればパトリック伯爵家に嫁いでも付いてきて欲しかったのだが、ハロルドからダメだと言われ、泣く泣く諦めた。


「……どうぞ」

と私が返事をすれば、茶器を乗せたワゴンを押しながらバーバラが入って来た。バーバラももう三十を過ぎている。彼女とは十五年程の付き合いだ。


「お嬢様の大好きなレモングラスですよ」

と私の眼の前に爽やかな香りのお茶が置かれた。


バーバラは何も尋ねない。私が話したくなるまで、余計な事は言わないで待っていてくれるのだ。


「……私って自分が優秀だと人を見下している様に見えているのかしら?」


「誰がそんな馬鹿な事を……。お嬢様は努力の人です。こう言っては何ですが、特別頭が良い訳でも、手先が器用なわけでもありませんよ」


バーバラは時に歯に衣着せぬ物言いをするが、それが彼女の本心だと伝えてくれているようで、私は嬉しい。


「……そうね。学園の課題だって、きっと人一倍時間がかかっているし、刺繍だって何回指に針を刺したことか……」

と言って、私は今日のカフェでの出来事を思い出して口籠る。ハロルドは私からの贈り物だったハンカチをあのまま泣き止まぬナタリーにあげてしまったのだ。パトリック伯爵家の家紋でもある鷲の刺繍……。結構時間がかかったのにな……。


すると私の目の前がぼやけてきた。

 

「お嬢様。私はお嬢様の努力を知っています。きっと分かる人には分かっていますよ」

とバーバラが私の手にハンカチを渡した。どうやら私は泣いてしまった様だ。


「そうなら良いな……と思うわ。でも、お父様もお母様も……『姉だから』と。私はその一言で何も言えなくなってしまうのに……」


分かって欲しい人には、私の努力は伝わらない。ナタリーが遊んでいる間、ぐっすり寝ている間、私は遊ぶ間も、寝る間も惜しんで、アーサーやお母様の手助けが出来る様、お父様のお仕事を学んでいるのだが、知っているのは、きっとこのバーバラだけだ。

そうやって俯いてしまった私の頭をバーバラは抱き締めた。


「お嬢様は、甘えるのが下手くそなんですよ。もう少し甘えて下さい。私が受け止めます」

そう言ってくれるバーバラに私は泣き笑いの表情になりながら、


「バーバラにはいつも甘えてばかりよ。こうして私の気持ちが落ち込んだ時には、必ず側に居てくれるもの」

とバーバラの腰の当たりに抱きついた。


両親にも妹の様に無邪気に甘える事が出来ない私は、あまり可愛げのない子どもだった事だろう。

天真爛漫な妹を羨ましく思いながらも、自分は自分だと言い聞かせてきた。


ハロルドに出会って、あの優しさに甘えているつもりだったけれど、ナタリーの様に……とはいかないのが現実だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る