48.予防接種スタート
チビが雑草一本抜くはずが、人が三十人くらいすっぽり入れる大きな穴を作ってしまったのはしっかり埋め戻させた。チビは「根が深くて土が固かったからー!」などと言っていたが、その根は十センチ程度だった。五メートル以上も深くない。雑草一本の駆除のたびに、人が何人も入れる大穴を掘っていたら菜園では働けない。菜園ではここまで大穴ではなかったけれど、セイとナタリオさんが首を横に振っていたのがよくわかった。
大穴を作った翌日から、チビの日中の仕事は日々細々とある大荷物運びの手伝いに変更。なぜか草むしりに執着しはじめたチビにぶーぶーと不満を言われたが、畑の作物に被害を出すような状況では駄目。やりたいならしばらく大穴が掘られても大丈夫な山小屋の近くで自習させることにした。
チビの草むしりで大きな穴を掘ったの話は瞬く間に管理所職員に伝わり、調理場や菜園で顔なじみの職員には大いに笑われ、なぜか焼き菓子や菜園で収穫された余剰の野菜を貰った。ありがたい。
私の浮遊バイク訓練三日目、風に対する反応のコツを掴みかけてきた。
オニキスと不意打ち参加のキィちゃんによる乱気流に何度も振り回されつつも、繰り返し訓練して体で知っていく部分が大きいと感じる。じっくり考えていたら落下してしまう。
目の前の計測器の値の変化と実際に乱気流に振り回される車体の制御がガッチリと噛み合うにはまだまだだが、コロンボンさんから「これなら合格できる」と言ってもらえた。
若干苦手な後退旋回もやはり繰り返し訓練して感覚を掴むしかない。後退で旋回なんて実際にやる場面が思いつかないが、これも乱気流に巻き込まれた際の訓練の一環。命大事。頑張ろう。
訓練の合間の休憩の際、私が買った浮遊バイクに屋根を付けたのは失敗だったかなと後悔がチラリ。乱気流の訓練を受けていて、今更ながら浮上十メートル超えができる浮遊バイクに屋根がつけられない理由もしみじみとわかったからだ。訓練用のバイクには屋根がないのに車体で受ける風の力は凄まじい。屋根があったらもっと風を受けて制御困難になるだろうと思ったのだ。
私の新しい浮遊バイクは雨と真夏の日差し避け、前面からの風除けもできるように屋根をつけてある。屋根があるほうが便利と思ったのに、あのバイクで乱気流に巻き込まれたら屋根の受ける風もすごいだろうし、制御できるか不安になる。
「普段の生活だと乱気流に巻き込まれることは早々ないって! 屋根があるほうが雨が凌げるし、他の人もだいたい屋根つけてるのはやっぱりそれだよ。もし本当に第十五エリアに行くときは作業用バイクを借りていけばいいんじゃないかな?」
「普段の利用で選んだんだんだからあれはあれでいいんだよ。山道行くときに伸びてきたちょっとした枝も弾くし、いつの間にかできてる蜘蛛の巣が顔に張り付くこともなくなっただろう? 木から落ちてくる毛虫も防げる。毎日が乱気流に振り回される生活じゃないぞ?」
コロンボンさんとトウマに言われて、あっと思う。
連日乱気流の訓練を受けていて感覚がおかしくなっていたようだ。
日常で狂った暴風に襲われることはほぼ稀。トウマの言う通り、蜘蛛の巣や落下してくる毛虫の被害も確かになくなった。前面ガラスと屋根を拭き掃除するだけでいいありがたさ。
二人に苦笑された。
さて、今日の午後は妖獣世話班は大事なミッションがある。リーダーの予防接種だ。
結果を言えば無事にリーダーに予防接種を受けさせることに成功。シード先輩とニット先輩が受付窓口の交代だと言いながらリーダーをがっちり捕まえて押さえ込んで医務室に連行。ガッチリ体格のシード先輩は言わずもがな、一見するとひょろりとした姿だがニット先輩もなかなか力がある。
お子さまの看病で不在のサリー先輩以外の妖獣世話班全員でリーダーが予防接種を受けるのを見届けるという謎の儀式を執り行い、予防接種会場にいた全員に笑われた。
私から話を聞いていたトウマとコロンボンさんも見学に来て笑うしかない光景。
なお、一時的に妖獣世話班の受付窓口を不在にしたが、勤務スケジュール変更案のまま当日受付窓口に『御用の方はお呼び出しください』の看板を立てて凌いだ。その間は受付に誰も来なかったようだ。よかった。
明日、夏眠預かり中の妖獣が帰ると数日間仮眠予約がなくなるので、明日の夕方にニット先輩が夫婦揃って予防接種。その次の日が私で、バイクの訓練最終日に訓練が終わったら、トウマを捕獲して受ける予定になっている。
リーダーの予防接種の姿を見て笑っていたトウマに、予防接種を受けないで季節性の風邪にかかるほうが長く高熱に魘されるんだからさっさと受けようねと言ってみた。無言だった。二十八歳
整備班の班長さんとトウマの予防接種は相談済みだ。次のミッションも頑張ろう。
シード先輩は私と同じ日に予防接種を受けることになっている。予防接種後に熱が出てもだいたい一日半から二日後には引くので、リーダーとメイリンさんが復帰できるだろうとサリー先輩の攻めの勤務スケジュール。
そこから一日空けてサリー先輩とルシア先輩の予定だが、二人は風邪症状が残っていて受けられなかったら延期になる可能性があるので、そのときは要調整。早く受けるのは変わりない。
他の班や部も同じように早々に予防接種を終わらせようと勤務スケジュールの画策をしていて、今年は早々に予防接種が終わりそうだという。
理由はただ一つ。秋に陛下が来る。受けておかねば、である。
リーダーの予防接種を見届けて、夏眠所になっている部屋の掃除をしてから遅い昼食。今日はかなり久しぶりに職員寮のカフェでランチ。もちろん今日もトウマと一緒である。バイク訓練五日間の昼は一緒に摂ってくれる。嬉しい!
私がチビ画伯の似顔絵を焼印したパンケーキを食べてみたいと言っていたのを覚えていて、トウマが手配して職員寮のカフェで出してくれることになったのだ。そのカフェもチビ画伯の焼印したパンケーキの試作で手伝っていたと言うからどれだけの人が関わっていたのか。
チビが試行錯誤した原画の縮小複製も見られるように用意してくれていてありがたい。実際の原画は縦横二メートルくらいあるらしい。
「何が描いてあるのかぜんぜんわからない!」
「のたうちまわる線、だな」
一作目はもはや絵でもなんでもないものだった。隣のテーブルに並べられた縮小サイズの原画を見て笑ってしまう。
「それがここまで描けるようになるなんて」
「何が何でも『自分で描く』って頑張ったって聞いたぞ」
パンケーキに焼印されるチビの似顔絵はデフォルメされたイラストになっていて、カパッと口を開けて笑っている。ちょっとバランスが悪いところもあるけれど、チビが描いたというのが大事なポイント。
なんと
パンケーキの前にサラダとオムライスをトウマとシェアして食べつつチビ画伯の変遷を堪能。
パンケーキは皿に盛り付ける提供方法のほか、二枚のパンケーキの真ん中にクリームを挟んで持って食べられる提供方法があり、街では手持ちタイプが手軽で人気だという。カフェでは皿に盛り付けてくれた。
チビの顔にナイフを入れるのかと躊躇いつつも、結局は美味しく食べた。生地をコーヒー風味にしてもらったのだが、うん、美味しかった。
チビ画伯の似顔絵の焼印はクッキーにも展開できないかと検討されている。また私の知らぬところでチビと腹黒な所長、今回の場合はモモンドさん、ラワンさんあたりも動いて、歌手デビュー記念とかなんとかこじつけて出すんだろう。楽しくやってくれたらいいか。そう思おう。
トウマは今日の午後もバイクの整備。秋に向けての点検もあるが、ちょうと新旧入れ替えの点検も重なり、点検対象の台数が多いのだという。嬉しそうに愛しのバイクたちに足取り軽く向かって行ったので、私は売店に寄って買い物をしてから山小屋に戻った。
預かっている妖獣たちは蔓植物にぶら下がって木と木の間を行き来する遊びに夢中だった。小動物だからこその遊びだと思う。チビやオニキスでは無理な遊び。
チビは今日も懲りずに草と格闘し、オニキスはチビの様子を眺めて、ボコッと穴ができるたびにため息。穴の大きさが人の頭のサイズくらいになっただけマシだと思う。
首を傾げているチビはオニキスが教えている異能の制御方法がイマイチうまくいかず、それでもめげずに穴を作り続ける。ちゃんと埋め戻してね。
買ってきたものを保冷庫と食料庫に入れていたら、テラスにフクロウたちがやってきた。
バケモノカサハナが咲いていた件で、数日前にリーダーが所長たち上層部と話し合い、フクロウたちが仕事として受けてもいいというなら任せることになった。
リーダーとフェフェからフクロウたちにバケモノカサハナの実の採集までを説明したら、一も二もなく引き受けてくれて、まずは偵察に行ってくれていたのだ。
「近くを探索したら他にも数本あった。まだ蕾だったがうまくいけば十数個の種が採れるかもしれん」
「本当に?」
「その、だな。一番に採れた種を半分、いや四分の一でいいから分けてくれぬか」
「何言ってるの? オパールたちの安定に使う分が最優先だから一個使って大丈夫だよ。二個目の採集頑張ってもらわなくちゃだけど」
「本当か! 二個目もすぐに採れるとは思うが、少なくても五個は確保できるよう頑張るぞ」
「おう!」
バケモノカサハナは妖獣たちにとっては貴重な薬になる。野生だと種を潰して中を舐めるそうだ。
フクロウ一号のやる気が凄く高まった。オパール一号の不安定さがどうにも落ち着かないもんね。
「──あの周辺の場所はどうだった?」
オパールとフクロウたちの棲む場所はあっただろうか? 深く関わったから別れるのは寂しいけれど、心穏やかに過ごせる場所を見つけてほしい。
「うむ。よい場所だと思う」
「焦らないで探してね。キィちゃんも助けてくれてるみたいだし」
「忝ない」
私が緑連豆のことや伯父のことでバタついていた間、そういえば見かけなかったなーと思ったキィちゃんは、原始の森の奥深くに行って、オパールたちの棲む場所によさそうなところをプレゼンし続けていたそうだ。キィちゃんはなかなか面倒見がいい。
帰ってくる際にチイの葉と川魚を獲ってきたフクロウたちはオパールたちのところに戻っていった。
木と木の間を蔓植物に捕まってヤッホーッと飛び交う小さい妖獣たちが、「クルマー」と教えてくれたので道の先を見たら、運転しているのは研究部門の統括部長さんで助手席にはモラさん。
テラスのテーブルに招いたら謎茶三号のことだった。
「謎茶三号は鬱々した気分を改善する薬効成分が強めだった。あーんまり人と交流しないアタシの耳にもいろいろ聞こえてきたし、慌ただしいリリカの疲労困憊が悶々鬱々に見えたんだろな?」
モラさんが紙に印刷してきてくれた分析表の一つの薬草を指しながら教えてくれた。
確実に伯父のときの不安定さだ。スライムも心配してくれたのだとわかると謎茶作りを止めろとは言えない。むしろ嬉しい。
謎茶三号の成分がわかってぬるま湯でゆっくり淹れるのがよいのだと教えてもらい、早速テラスで試飲。
「あれ? 苦くない」
「熱湯だと苦味が出ちゃう葉が入ってっからね。ぬるま湯か、常温の水出しかな」
ところで謎茶三号の分析だけを教えてもらうだけなら通信でも済む。なのにわざわざ部長さんとモラさんが来たのはなんでしょう?
「アレをモラが使うのが決まってな。見せに来たんだ」
「聞いちゃいたけどなかなか大きい。アレなら住めるね!」
アレとはリーダーの別荘。次の使い手はモラさんだった。討伐班、伐採班、医療班、研究部門で取り合いになっていたが、研究部門の使用者変更という形で
山小屋に向かうルートで職員寮から続く道のりで数分走ると正面に建材用人工森林があって行き止まりになるのだが、その森と森の向こうに草原が広がっていて、研究部門の実験農場として開拓すると教えてもらった。
「あの森の向こうは昔の職員居住地だったところなんだ。土地の管理の関係で建材用の人工森林で目隠ししてあるから知らない職員も多いけど、あのあたりを開拓して、実験農場の作り直しが決定してさ。アタシがその先発隊」
「開拓ですか」
「そ、開拓。このあと行くけど見てみたい?」
「行きたいですけど妖獣たちの見守りが」
「行くー!」
「俺らも行きたーい!」
蔓植物を体に巻き付けて蓑虫みたいになってぶら下がっている妖獣たち。ちょっと目を離したら何をしているやら。
部長さんもモラさんも見上げた頭上の様子に苦笑いだ。
まずはモラさんがリーダーの別荘の見学。鍵がかかっていないので中もキョロキョロ。まだモノが雑多にあるが、モラさんとしては使い方の参考になったらしい。
そこから開拓するという場所に移動。
部長さんが運転する小型車両の後ろの荷台に妖獣たちが乗り込み、私は浮遊バイクで追う。
チビは草むしりの練習に集中したいと言い、オニキスは伐採班と行ったばかりのところだからと、チビについてくれることになった。
管理所や職員寮から山小屋に向かう道のりで、毎日のように見てきた建材用の人工森林。私には行き止まりの場所としか認識していなくて、人工森林にぶつかったら左に曲がって山を登って行く。山小屋からその場所まで来てみると、木と木の間を人が通ったらしき跡があった。山小屋に戻るときもぜんぜん気にして見てなかった。伐採班とオニキスが行った道のりだろう。
一見すると木々が立ち並び、クルマは通れそうにないのに、若干蛇行しながらも小型車両が通れるようになっていた。その後ろについてしばらく進むと木がなくなり、拓けた場所はかなり広い。
部長さんとモラさんの話では昔の職員居住跡地だと言っていたが、今の職員寮のように巨大な高層建築物がドンとあったわけではなさそうな雰囲気。村があったような、そんな感じがする。
部長さんとモラさんは草茫々の場所をあちこち指しては何を建てるなどと話し始め、ついてきた妖獣たちは膝丈くらいある草の中でかけっこを始めてしまった。
「お、この下になんか埋まってる。下水の管だったヤツ?」
「ここは雨水か何かの水路だった? あれま、割れてら」
「あっちに小川があるぜー! お、こっちに湧き水が染み出てるんだなー」
その昔に人が住んでいた痕跡を
「今の実験農場は菜園に近すぎて交配に気をつけないとならないから離れた場所に移したかったんだが、なかなか費用がな。チビが巨木で大金を稼いでくれたろう? あれのおかげで計画を進めていいってなったんだ」
「ホント、開拓するための資金がなかなかねー。それが急にやってもいいってなってワクワクだよ! ブチョー! 早くあの仮設住宅移動してください!」
「生活排水処理の諸々の工事をしないと移せんだろうが。もう少し待て」
モラさんは大きな体を揺すってドスドスと歩きまわっていて楽しげだけど、どうしてあの大きな体で私より走るのが速いんだろう? ルシア先輩に通じる不思議さ。
「ここが整い次第、リリカの住む場所もこっちにしようと思う」
「え?」
「すぐってことじゃないが、今チビが
急な引っ越し話に頭がついていかない。
「最初は仮設ばかりになるかもしれないが、窓の外に他家が見える。夜に明かりがある。誰かがいる。……長いこと山の中に一人ですまなかった」
リーダーの別荘がなくなったら寂しいと泣き言を吐露したのが部長にも伝わったのだろうか。多分そうなのだろう。
あの山小屋に住むことになったのはチビと離れたくなかったのが一番だった。チビもそうだった。急に決まった就職先。管理所や職員寮近くにチビが落ち着いて寝られる場所がなかったのもある。
見学させてもらったら、山小屋に私が研究を続行する苔の観察に向いていた部屋があったのも好都合だった。
確かに寂しかったのは寂しかった。
夜は真っ暗で、木の葉の擦れる音とたまに虫の大演奏。それらすら聞こえないと、闇と静寂に包まれる山小屋。
ここに来た最初の頃は山小屋のテラスのところでチビが寝てくれて、チビが
一人と一匹。
ずっとこうして暮らすんだと思っていた。
思い込んでいた。
今ならそうじゃないと過去の私に言える。
開拓する場所を見る。
森に囲まれた草しかない場所。
畑になる場所、住居が建つ場所、道となる場所──
「研究職員村の始まりだな! チャッチャラーンッ、ランララララーン」
「ドドドドーン」
「ズチャンチャ、パパパパパーン」
「へい!」
「おっおおー!」
うるりとした涙がすっこんだ。
部長さん、冒険小説とか冒険劇好きだよね。だけど冒険を始めなくていいです。妖獣たちものらなくていいからー!
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