43.のんびりとした日常
もらった空き瓶をトーマスに借りた籠に入れたら、ちゃっかりスライムも入り込んだ。
オパールたちが戻るときに山小屋まで運んでくれることになったので、テラスに置いてくれればあとは放置で構わないと告げておいた。若干埃を被ったままの空き瓶はスライムが勝手に掃除するだろう。
オニキスは今日一日休みでグダグダしたいとやる気ゼロ。「昨夜は早くに寝たのに疲れが取れない」とあくびばかり。そうかと言って今すぐに寝たいわけでもなく、いつものように腹を上にしてぷかぷか浮いて風まかせに漂っている。
牧場の従業員さんから浮かれ食いする妖獣はいなかったと聞いたがその手の中には唸っている小さな妖獣が一匹。興味本位でフクロウが持ってきていた痺れ辛子の葉を食べてしまったという。
「腹がぁー気持ち悪いぃー」
「一枚全部食べるからだ」
「これは摘む程度がいいんだ」
フクロウたちがやれやれと言った風で水を飲むように促していた。
一時間くらいすれば落ち着くだろうというので、離れの厨房にあったボウルにタオルを敷いて、そこに寝かせて落ち着くまで連れ歩くことになった。
他の妖獣たちは昼前までは牧場の空き地でゆっくり。その後に山小屋付近で運動会。
ぞろぞろと餌場から妖獣たちが出てきたがチビが出てこない。オニキスと一緒に食べていたはずだからオニキスが出てきたということはチビも食べ終えている。
どうしたんだろうと餌場の出入り口に向かうと従業員さんたちが困惑した顔で餌場の中ではなく、裏手を見ていた。
「どうし」
どうしましたか? と尋ねる声は途切れた。
「こう?」
「そー! そー! ゴードンもヘンリーも上手ー!」
「エヘヘ!」
餌場の裏手は飼料などの保管庫が建ち並ぶ。その隙間でチビとゴードンとヘンリーが踊っていた。飼料などの若干異臭のあるこんな場所でやることじゃないだろうに。
「あっ! リリカ
チビが戦艦の中でラワンさんとコロンボンさんと相談しながら考えた『さかながたべたい』の振り付けだった。
モモンドさんがコンサートは子どもたちも一緒になどと言っていたな、そう言えば……。
キレよく楽しく踊るゴードンと、そんな兄の動きを真似ているがひっちゃかめっちゃかのヘンリーの踊りを見ているだけで和む。ただ、もう一度言うが若干異臭漂うこの場所でやるもんじゃない。こんな隙間ではなく、外に出ようと言いかけたときにマドリーナが中年の男女二人を連れてやってきた。
「ゴードン、こんなところで何してるの? 今日はサー先生に聞きたいことがあるから早く行くって言ってなかった?」
「そうだった! わあっ! きがえなきゃ!」
マドリーナに言われて、いきなり母屋に走り出したゴードンだが、母屋のほうにいた従業員さんがゴードンを待ち構えて確保。続いてヘンリーも走って行ったが、トーマスと牧場の従業員さんが追いかけて途中からトーマスが抱えて行った。
「リリカ、チビ、紹介させて。牧場で働くことになるフォスターとクララ。フォスターは餌場の担当もするからチビとも会うわね」
「はじめまして……に、なるでしょうか。妖獣世話班所属のリリカ・コストゥです」
「こうして直接のご挨拶ははじめましてですね。フォスター・エバリアスです。こっちは妻のクララ」
「クララです。マドリーナから黒豆の団子をもらったり、先日のバーベキュー会のときも勝手に楽しませてもらってました」
マドリーナが紹介してくれたフォレスターさんとクララさんはリーダーやシード先輩と同年代くらいだろうか。五十歳には至っていないように見える。チビとフォスターさんは先日の定期討伐のときに会ってはいるが直接の接点はなかったそうだ。ご機嫌に歌うチビに笑いを堪えるのが大変だった言われた。あのときはどうしたら歌い止めるられるか通信連絡きたもんなあ。
それにしても昨日倒れたのにもう動いているマドリーナに驚いてしまった。しかし、マドリーナが倒れたのを知ってフォレスターさんは引っ越しを早めるため来てくれたそうで、親世代というのは微妙だが、一回りは年上のクララさんにも車椅子を持ってきてやったのにと言われて肩を竦めるマドリーナ。
当初はフォスターさんだけの異動だったが、クララさんも異動を検討してくれているという。クララさんは売店の惣菜などを作る調理チームでパート勤務。今さきほど見てきた牧場の加工班の仕事に変わってもいいと言ってくれたとマドリーナが嬉しそう。牧場の各箇所の案内が終わったら売店の人事へ交渉しに行くらしい。
「マドリーナはこれから大人しくしないとならないっていうのに無理しそうだろう? 年上の私が喝を入れようかとね」
実際マドリーナは無自覚で無理しがち。ぜひ監視してほしい。
エバリアスさんご夫婦の息子さんと娘さんはどちらもシャーヤラン領外の学校に進学して出ていってしまい、今の職員寮の部屋は広すぎるので、夫婦二人暮らしの程々の部屋に引っ越したい希望もあったという。
挨拶し終えたら、いつの間にかチビもオニキスと同じように腹を上にしてぷかぷか浮いて休憩していた。
「なんというか、平和というか無防備な姿よね」
「あの二匹はだいたいあんな感じです」
牧場の朝、チビとオニキスが腹を空に向けてヘソ天で風に流されるまま漂っているのは当たり前の光景だが、クララさんは初めて見たといい、ちょっと衝撃だったようだ。オニキスは普段はキリリと冷静な姿なので、だらしない姿で寝ているのが想像できなかったらしい。
「チビが来てからよね〜。オニキスがあんな風に
チビのせいだった。
マドリーナはフォスターさんとクララさんに母屋周辺の建物の案内をしている最中で、これから離れも案内をするというので私も戻ってきた。
離れの厨房の奥にある棚からスライムが勝手に空き瓶を持ち去っていたことがほぼ確定し、さっきスライムを叱って、トーマスから棚に残っていた空き瓶は貰ったことを伝えるとマドリーナは大笑い。フォスターさんとクララさんはポカーンとしていた。
離れの部屋はどちらかというと子どももいる家族向けの部屋数が多い間取りだと言うが、こちらも見てみたいというフォレスターさんとクララさん。三人が離れを一通り見て回る間にスライムが忍び込んでいった棚を軽く掃除していたら戻ってきた。
私が掃除していた棚を見て、マドリーナとクララさんが話し合い。そう老朽化もしていない棚だが、今の離れでは使い道がない。どうやら母屋か加工場にある棚と交換して使うことになりそうだ。
母屋に戻る三人を見送って、漂っていたチビを呼ぶ。朝は大号泣したが、お腹も満たしたし、さっきはもう踊っていたからだいぶ元気になっただろう。
「チビ、巨木の鑑定行けそう?」
「あっ! 放置してきた木! 行く! 行ってくる!」
シュタッと姿勢を戻してきたチビに鑑定してくる内容を伝える。
伐採班から送られてきた鑑定のポイントを読み上げれば、チビは異能の伝言板に似たものを作り出し、書き写して復唱。
倒木はそのままに朽ちて山の再生とするのも大事。前回持って帰ってこなかったのは材木置き場がいっぱいだったのもあるが、伐採班の人たちとチビで話し合って放置してきたのも間違いではない。
先の巨木の売価がものすごくよかったので、手のひらを返すように金になるならと欲が出て動き出しているものの、鑑定の結果、売れないなら仕方がないとはなっている。
「鑑定したら通信連絡するっ! モモンドのおっちゃんから夕方に歌の打ち合わせしたいって連絡きたから、それまでには絶対帰ってくるっ!」
「打ち合わせ場所見つかったんだね。気をつけてねー!」
バビュンと飛んでいったチビを見送ったら、ぷかぷか浮いていたオニキスが寄ってきた。
「そいつにミルクを用意してやれ。痺れ辛子の刺激が強くて腹ン中が傷むんだろ」
私が持って歩いているボウルの中でぐったりしている痺れ辛子に負けた小さな妖獣。異能で治癒をかけているだろうが一瞬で治るものでもない。
「って、オニキスが言っているんだけど、ミルクならなんでもいい?」
「……アーモンドがあれば……」
ボウルの中でうずくまっている妖獣から弱々しい声で希望を聞けたので早速対応だ。
オニキスは気ままに漂っていたいようなので自由にさせておく。
オパールとフクロウたちが休憩したら妖獣たちを山小屋に連れて行ってくれるというので、ありがたくお願いして、管理所に向かうことにした。
浮遊バイクの前かごに座席シート下にしまっておいたレインコートをぐしゃぐしゃに詰めてボウルがゴトゴト動かないように固定。離れの厨房にあったタオルなどを借りてボウルを包みこんだので、風も防げただろう。
今日は薄曇りできつい暑さがなく、こういうときの温度差が体にくる。管理所で風邪が蔓延しているのも頷ける気温に秋の訪れが近いと感じた。
今日着てきたのは長袖の作業服だが生地は薄め。そろそろ厚手の生地の作業服にしないと浮遊バイク走行中の風で体温を奪われ、ちょっと後悔した。明日からは厚手のを着よう。
「ニット先輩おはようございます」
「おはよう。妖獣預かるよ」
「ありがとうございます」
牧場を出発する前に班共有の連絡網で報告しておいたら、ニット先輩が準備しておいてくれた。
「痺れ辛子は俺たちもやらかして、しばらく舌も腹も痛かったなあ」
そうだった。私が風邪で寝込んでいた間に妖獣世話班のみんなで葉を一枚パクっと食べた事件があった。ニット先輩もあのときは山小屋に来ていて、パクリと葉を一枚食べた人。
「リーダーからの連絡見た? フェフェのところにって」
「いえ、まだ」
「運転中だったかもね。こいつのことは任せて。図書室行ったら?」
ニット先輩に言われて通信端末を見たら、リーダーから図書室に寄るよう連絡が入っていた。
私があれこれ振り回されている間も、フェフェはゴゴジの伝言板の書き写しを続けてくれていた。昨日はマドリーナのことが心配でゴードンたちの運搬を手伝ってもらったときに書き写しのことを聞くのを忘れてしまった。
急いで図書室に向かうと、フェフェが籠もって使う個室からフハハハと奇妙な笑い声が聞こえてきた。
「フェフェ?」
「おっ、リリカ、タイミングがいいな。見ろ! ちょうど終わったぞー!」
空中を縦横無尽に飛び舞うフェフェの指した机の上。ゴゴジの巻物状態のボヤキの伝言板を書き写してくれた紙の束が積まれていた。
「フェ〜フェ〜さ〜ま〜」
「グエッ! ぐるじい!」
私の近くに寄ってきたフェフェを捕まえて抱きしめたら力が強すぎた。すみません。
「訳すのはこれからだが、書き写しミスがないか確認したらいったん区切りだ。チビの歌録りとその関連で腹黒いヤツが細々とした依頼を積み上げているから、訳すのはしばらく待て」
腹黒いヤツとは所長ですね。
「うう、フェフェ様〜」
「だから『様』をつけるな、気持ち悪い」
フェフェは書き写しながら読んだので、農業のことを知るきっかけになって楽しかったという。
妖獣は人よりずっと長く生きるけれど、知ろうとしなければ長く生きていても知識は増えない。人とかかわらなければ人の営みに必要な知識も持たない。
フェフェの生い立ちを聞いたことはないけれど、前の記憶は引き継がずに今の姿に生まれ変わったのだと予想している。リーダーと出会ったときからアレコレと知りたがる変わった妖獣だと聞いたから。
フェフェに感謝しつつ、フェフェの書き写してくれた紙の束を図書室の職員さんたちといっしょに箱に詰めた。フェフェが書き写した紙は順番に撮影して通信端末でも見られるよう残してもらっている。
ゴゴジが残してくれたボヤキは菜園のことばかりで内容が非常に偏っているが、古代文字の文法の参考になる学術資料として紙の保管や撮影を図書室でやってもらえることになったのはとてもありがたい限り。
「さて、アロンソとメイリンが昼を一緒にと言っとったが、まだ早いか?」
「え? もう帰ってきてるの? 昼過ぎって聞いていたけど?」
「今は部長とアロンソと話しとるぞ」
リーダーの奥さんであるメイリンさんには醤のお礼を言わなくちゃ。部長さんとリーダーと何かの会議中だというので、連絡が来るだろうと話しながら、この時間にセイの様子を見に行くことにした。
菜園にできた新しい温室は名前は温室だが二つは冷温室と呼ぶのが正しい利用で、シャーヤランの夏の気温よりも十度は低い。もう一つは外との気温差はあまりなく、雨風の影響を制御して苗栽培などに使い出している。外の菜園に人影がなかったので温室を覗いたがセイはおらず、作業していた菜園の職員に古い作業小屋だと教えてもらった。
古い作業小屋付近に近づくととても賑やか。
早朝の収穫を終えた菜園の職員以外にも手伝いに来てくれている人たちがいっぱいいて、わいわいと選別作業をしていたのは引き抜かれた茎のままの緑連豆の山だった。
「お~、今日はくるのが早いんじゃないか? うん、今日はぼんやりしてないな」
「うむ、昨日は頭半分寝ておったようだったからの」
会ってすぐにナタリオさんとセイに、昨日の私は半分以上寝ていたと言われて、確かにそうだったかもしれないと苦笑。諸々貰ったもののお礼を言って、私も緑連豆の茎から実の詰まったサヤをちぎって収穫する作業を手伝いながら話をする。
ここでも昼から管理所の食堂と博物館上のカフェで緑連豆メニューの提供開始が最大の関心事だった。
「爆発的に売れなくてもいいから、そこそこ売り上げが長いのがいいよなー。そうしたらまず廃棄がなくなる。収穫サイクルが動き出す。生産量もわかってくる。そうなることを祈りたいな」
ホワキンさんの言葉にみんなが頷く。最初は物珍しさで売れるだろうが、一時的に売りたい施策ではない。定番メニューになるのが理想。
今日は物珍しさもあって注文数があると予想されていて、職員寮にある売店の調理チームの厨房とカフェの厨房でも仕込みを手伝っているそうだ。
「あたしこの前の試作を食べられなくて、絶対今日の昼は緑連豆パスタ!」
「僕も!」
「私は団子のデザートのリベンジ!」
「俺はラップサンドだな。海老とソースが絶妙で美味かったと聞いたら食うしかないだろ」
「スープもよかったぞ」
今ここにいる全員が緑連豆メニューを食べる勢いなのが嬉しい。シャーヤラン周辺ではその昔の食糧難の時代に栄養を補った食材としての認知度もある。領主館での試食会でも緑連豆の新しいメニューというだけで関心が集まるのは必至だという発言もあった。
「ふむ。わっしも緑連豆で作った新しい何かを食ってみようかの? ホワキン、わっしも食堂に連れて行ってもらえるか?」
「セイも食うか? いいぞ、行こう行こう!」
「おほー! 楽しみだの!」
野菜は生が一番だと言うセイまで興味津々だなんて。
それにしても食堂とカフェにどれくらいの緑連豆を納品したのかわからないが、管理所職員がこの勢いだと足りるだろうかと不安になる。
試作メニュー作りで管理所にわさわさとあった緑連豆は収穫し尽くした。下の街の畑から生りすぎて廃棄するしかないとなっている分を譲り受けているはずだが、観光客向けも物珍しさで出るだろうし、大丈夫?
そうチラリと思った不安は的中し、下の街から緑連豆を掻き集めまわって選別作業に必死となるのは数時間後のこと。
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