42.泣かせてしまった
シャーヤランから帰ってきた日は気疲れや帰ってきた安堵さで日が落ちるのを同じくらいに寝てしまった。
チビもよく寝たと言って朝の挨拶をしたが、なんだか様子がおかしい。
「なぁなぁ、リリカー」
「うん?」
「オレっちは歌って楽しくできるの嬉しいけど、本当に歌手デビューしていいの? リリカはさ、式典のときにオレっちを見世物にしたくないって泣いてくれたけど、オレっちといるとリリカが見世物になってる……」
チビは存在だけで目立つ。歌わなくても踊らなくてもいるだけで目立つ。そんな目立つ存在とともにいれば、どうしたって私も目立ってしまう。
しかし、今更だ。
私が嫌だと思う見世物は式典の裏事情の部分。
リーダーやトウマも最初は腹立たしいと思ったが、今は
長い年月そうして保たれている平和な世の中に私も生きている。
そう理解したけれど、はいそうですか、わかりましたと割り切れないのは私個人の気持ちの整理の問題で、式典デビューの話しをしたときのチビとキィちゃんの言葉を思い出す。
──人がいがみ合う世の中が来なきゃいい。
──たくさんの命が奪われ、荒れるのはもう嫌なんだ。
──本当に嫌ならあたしたちは人の前から消える。
異能という特異な力を持つゆえに、存在するだけで人の世界で希少だと持て囃される妖獣。その妖獣の中でも大きな体で目立つ存在のチビ。
首都で相棒になったときの騒ぎも凄くて、あのときも精神的に参ってしまった。
チビからの相棒の申し出を断ることもできた。
でも、悩みに悩んで、私はチビの相棒になると決めた。
「チービー、私はチビと生きるって話をしたよね」
「うん……」
チビはしょんぼりしてどんどん地面に顔が潜り込んでいる。
「式典の話を聞いたときはチビが戦力みたいに思われるっていうのがすっごく嫌だった。なのにチビは裏事情も何もかもひっくるめて受け止めてくれた。だからね、私もチビが楽しいことしたくて起きちゃう騒動は頑張って受け止めるから。コンサートのステージに私を出さないように話してくれたの、嬉しかったよ?」
「う……うん……、でもさ、でもでもでもでも、本当に、ほんとーに歌っていい? コンサートもしていい?」
チビの顔がずっぽりと地面に埋まってしまい、その状態で泣きながら話してくるから声が聞き取りにくいぞ。
「ふふふ、いいよ。ほら顔あげて、穴はちゃんと埋めてね?」
「なーんにも考えてなかったって反省してる……。ぐずっ……」
ボコッと顔を出してきたチビは涙をこぼして鼻水だらだら、涎もだらだら。
うん、チビだもの。確かに本当に何も考えていなかっただろう。
妖獣にも個性がある。預かっている妖獣を見ていても一匹一匹違う。妖獣からも変なやつと思われる率が高いチビはなかなかの存在だが、過去には本を出版した妖獣がいるのも知った。
チビが歌うのが好きなら歌っていい。
チビはだいたい無意識に鼻歌まじりで過ごしている。宙に浮いて黙っているときも何かのリズムを刻む尻尾。
討伐班の支援の仕事を張り切っていた際、気持ちが高ぶって鼻歌が自作の歌になったのだろう。最初は多分適当に言葉を紡いだだけだと思う。それがうまいことハマってウケた。なんとなくできた歌の語呂を直していく中でチビ作詞作曲が完成したのもきっとたまたま。ぜんぜん計画的じゃない。むしろ、「どうしたらみんなが聞いたときにウケるだろうか?」しか考えてない歌だった。
曲録りしよう、歌手デビューだ、コンサートだと持ちかけたのは人のほう。
昨日の話し合いでコンサートの話しが出て、ウキウキと話していたけれど、そこでチビは気づいたのだという。自分が目立つのはいいけど、私は人前に出るのは好きじゃない。コンサートはすごく楽しそうだし面白そうだけど、私が巻き込まれることを思いっきり忘れていたと。ここまで大きな話になるとは思わなかったと。
べそべそ泣いて謝ってくれたが、だけど歌いたい、コンサートやりたい、魚は食べたいと願ってくるチビに苦笑しかない。
「本当に嫌だったらちゃんと言ってるから、ほーらー、もう泣かない」
「うぐぅっ!」
ぐずぐず泣いて、涙と鼻水と涎で酷い有り様。
預かっている妖獣たちが起きてきて、大泣きしているチビに驚き、オパールとフクロウたちもなんだどうした? と見に来てくれて、大あくびでやってきたオニキスはチビを慰めず、「まあ反省したのはいいんじゃないか。反省から学ぶかどうかは微妙な気がしてならないが」と私の未来を憂いてくれた。そんな気はしてる。ありがとう。
大泣きしたチビを落ち着かせ、チビが顔をのめり込ませて作ってしまった穴はフクロウたちが元に戻してくれた。
何週間かぶりにオパールたちも牧場に行くという。オパールたちは以前に
泣いていたチビを宥めていたら作業服はぐっしょり。急いで着替えて浮遊バイクに跨った際にハムスターに羽根が生えたような姿の妖獣が、バイクの下を見て首を傾げているのを見てピンときた。
浮遊バイクを降り、自動制御モードで車体を宙に停止させる。かがんで車体の下を見たら、予想通りでがっくりきた。
車体の下の地面に接触しないパーツにスライムが貼り付いていた。しかもよく見たってわからないくらい薄くなって貼り付いていた。
「スーラーイームー」
……。
「はあー。もー、前かごに入って」
じっと見ていたらスライムが諦めたように、もぞもぞ動いて前かごに移動。
「連れ行くのはいいけど、何か盗ったら駄目だからね」
ブヨン。
今のスライムの震えが了承なのか文句なのかわからないが、チビを泣き止ませたり、着替えたりしていたので、いつも牧場に向かう時間を過ぎてしまっている。スライムとの応酬は諦めた。
妖獣たちも異能で飛べるのだが、飛ぶスピードがそう速くない妖獣もいたので今日も預かった妖獣たちを浮遊バイクの後ろとチビの背中に乗せて、ちょっと急ぎめで移動。
牧場に着くとゴードンとヘンリーが走って出てきた。一瞬、マドリーナに急変があったのかと思ったが二人の表情は明るい。
「ゴードン、おはよう。マドリ……お母さんは元気?」
「うん。げんき!」
「ヘンリーもおはよう」
「エヘヘヘ」
浮遊バイクを降りたらゴードンとヘンリーが片足ずつしがみついてきてしまい、これは歩けない。チビとオニキスに目配せして妖獣たちと餌場に向かってもらえば、牧場の従業員さんが待っていてくれていた。オパールたちが何度も何度も首を下げて謝っている姿も見える。フクロウたちも一緒になって謝っていて、「もういいってー。体調はどうだ? 何か食べるか?」という声が聞こえてきたので、このままおまかせしよう。
少し遅れて来たトーマスの表情も落ち着いている。マドリーナは大丈夫そうだ。
トーマスがヘンリーを片腕で抱いたら、ゴードンはトーマスの足に移ってくれた。
「昨日はありがとな。マドリーナは異動してくる人の対応してな。あとで離れに来るよ」
「もう新人さんが来たの?」
「マドリーナが倒れたのを知って前倒しで来るのを考えてくれてな。リリカが帰ったあとに見舞いにも来てくれたんだ。で、今日は引っ越してもらう部屋の案内をしててな。空き部屋だった掃除は、まあ拭くだけ拭いて誤魔化せたが……。ん? スライム連れてきたのか?」
「ああ……、それが……」
「この距離を這って来ていたのかと思ったが、車両に
「でも、来るときに私のバイクに貼り付いていたとして、私はこのあとに管理所に行くし、それから帰るとスライムは山小屋にいたなと思い出して。だから這って帰っていた可能性あるんですよね」
「瓶を持ってか?」
「多分」
想像する。スライムが空き瓶を体に乗せて這っている様子。
「空き瓶が勝手に歩いてたらスライムだな」
「従業員の皆様にも周知でお願いします」
リーダーと所長にも報告して、管理所周知してもらおう。
そんな話をしていたら、スライムが前かごから這い出てきてけっこうなスピードで離れに向かって行った。幼児の駆ける速さと同じくらいのなかなかのスピードで、ヘンリーが「おおおっ」と興味を示してしまい、トーマスの腕の中でじたばた暴れ出す。
この数ヶ月であのスライムが人に危害となる行動を取ったのは、研究対象とされて無理やり山小屋を離れさせたときのみ。危害と言っても人体に怪我をさせることは一切せず、脱いであった服を部分的に溶かしたり、研究器具を溶かしたり。一方で、花瓶を作ったり、私の恋路の一喜一憂を知って踊ったり、謎茶ブレンドしたりと、とても知能的なこともわかってきていて、あのスライムに関してだけなら危険度ほぼゼロだろうというのが管理所の研究職員の非公式な認識ではある。
しかし、一般的にスライムは溶解液が危険な生物。それをしっかりヘンリーにも教えなければならない。
ゴードンは森の浅いところに狩りに出る知識として「スライムは危険」ということ学んでいるうえで、「山小屋でスライムは変」という理解だが、ヘンリーはまだ理解できていない。
ヘンリーは首を傾げていてわかっていなさそうだが、その様子を見てゴードンが「おにいちゃんとはくぶつかんいこう? こわいスライムいるんだよ。ドロドロにとかしちゃうんだよ」と、一般的に危険とされるスライムのことを一所懸命に説明していた。
「それにしても迷いなく離れに行ったな」
トーマスの笑い混じりの言葉に頷くしかない。あのスライムめ、牧場の離れから空き瓶持ってきたなと確信した瞬間だった。
妖獣たちの餌の監視観察は牧場の従業員さんに委ね、トーマスたちとともに離れに移動しながら話しをした。
ゴードンの博物館の案内係の仕事は今週でいったん区切って終わりになるが、ゴードンの希望もあって学校が始まってからも隔週くらいの間隔でやり続けることになったこと。ヘンリーも幼年保育に通わせることが決まったこと。ヘンリーは下の街の学校まで行く送迎の大型車両に乗るのが楽しみらしいが、人見知りを発揮して最初の頃はすぐに泣いて帰ってきそうだとトーマスとマドリーナは予想していること。
離れの厨房に入ったところで牧場の従業員さんがゴードンとヘンリーを連れて行ってくれたので、ずっと我慢していた発言をする。
「スライム、さっきこの奥の棚に入っていきましたよね」
「速かったなー」
離れの厨房の奥にある引き戸の棚。高さ二メートル程度のアルミ製の飾り気のない極々普通のものだ。上下二段に分かれているうち、上の棚の引き戸と引き戸の隙間からスライムは中に入っていった。
この厨房を使えるようにしようとなったときに、直してもらうものは何か、何がどこにあるのかを確認してまわって、私かマドリーナのどっちかが開けたはず。もし引き戸の滑りが悪かったらトウマに依頼を出したはずだがその記憶はない。妙なものが入っていたら私とマドリーナのことだ、無駄話に花を咲かせたはず。そういう記憶もない。
思い切って開けたらスライムが空き瓶を包みこんでいた。
じわじわとスライムの表面に小さいトゲができて、どうやら不満な様子だが私はここに来る前に言った。
「何を抱え込んでるの? 盗ったらダメって言ったけどな?」
まだ盗ってないと言いたげな様子がひしひし感じるが、駄目なものは駄目。引き下がるものか。
スライムが不法侵入した棚の中には空き瓶が五つ、金属缶が二つ、トレイのような平たいものが倒れて何枚か。あとはがらんとしていた。
「ねぇスライム、スライムが作った花瓶を私が研究者に預けた際、花瓶が見当たらないっすごく怒ったよね? 花瓶はスライムのもの。私が勝手に持ち出したのは謝ったし、すぐに返したよね? それと同じなの。ここにあるものはこの牧場のものよ。それを勝手に奪ったらトーマスが怒って『返せ!』って言われて仕方ないんだよ? ここにあった空き瓶を山小屋に持ってきちゃってるよね?」
スライムのトゲトゲがシュンと引っ込んでなくなった。怒られていると理解している。本当にこのスライムは頭がいい。どこが頭だかわからないけど。
「今回だけは使わない空き瓶だったから許してくれるっていうトーマスとマドリーナに謝って、本当なら御礼もしないとダメなんだからね! 次からは使う使わない関係なく、勝手に持ってきたらダメ! 空き瓶だけじゃなくほかのも全部! 牧場以外も! わかった?」
いつもは掃除をしろとスライムに怒られて縮こまるのは私だが、今回ばかりは私がスライムを怒る。ガミガミと怒っていたら包みこんでいた空き瓶を手前に出してきて、そのまま棚の中でデロンと広がって動かなくなってしまった。不貞腐れたのか落ち込んでいるのかわからないが、盗ったらいけないということは理解したと思いたい。
トーマスと目配せして、スライムはひとまず放置。
上の段の引き戸の反対側を開けてみたら、そっちは空っぽ。下の段には皿や器がいくつか。入っているものはさほど多くない。中のものを出して片付けることになった。
「ほら、スライム出てきて。今この棚にある空き瓶は貰えることになったからトーマスに御礼を言おう?」
言おうと声がけしたのはいいがスライムは喋れない。でもこう言えば踊るか跳ねるかするだろうと思えば、棚の中で水溜りのように広がっていたスライムがシュッと丸くなり、小さくポンポンと跳ねた。跳ねているのが御礼のつもりだろう。普通はそんなことでは御礼にならないと滾々と説教したが我慢した。
水溜りのように広がっていた部分が濡れているように見えて溶解してしまったのかと焦ったが、恐る恐る確認したら単なる水のよう。
「え? もしかして涙?」
「スライムも泣くんだな」
スライム観察の報告事項が追加された瞬間だった。フライ返しを使って濡れているところの水のようなものを集められるだけ集めてトーマスが見つけてきてくれた小さい空き瓶に入れる。あとで分析してもらおう。
棚から空き瓶を取り出して作業台に並べると、スライムが棚から作業台まで跳んできた。棚から作業台まで三メートルくらい離れているのに跳躍力が半端ない。
「あの体のどこにそんな跳躍力が?」
「リリカは麻痺しているようだが、体の一部を鞭のようにするだけでもおかしいからな? 体表をトゲトゲにするのもおかしいし、あと普通のスライムは掃除しないし、踊らないし、茶のブレンドもしないからな?」
昨日の部長さんと同じことを言われてしまった。そう、このスライムは存在そのものが奇妙。跳躍についても報告しなければ。私、スライム研究者じゃないんだけどなあ。
作業台に並べた空き瓶のまわりを跳ねて踊るスライム。謎茶ばかりたくさん作られても処理しきれないのだが、私の精神安定を慮っている可能性もあると聞いてしまったので、やめてくれとも言い難い。
「近々落ち着くんじゃないか? 茶の原料も無限じゃないだろう? ブレンドされてる草は冬も生えるのか?」
「あ、枯れる」
「今のうちに作り溜めしたいのかもな」
それならもうちょっとだけ様子見だ。予想以上にたくさん謎茶を作られたらお裾分けしてまわろう。
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