41.睡眠不足

 トウマを職員寮に見送って、早朝に救急搬送されたマドリーナを見舞いに行けば、どこに病人がいるんですかというくらい元気になっていて、本当に安堵した。


「ちょーっとだるいなぁって思ったら、倒れるとは思わなくて自分でも驚いちゃった」

「もおっ、驚いたんだからね!」

「おどろいたんだからー!」

「だからー!」


 随分と元気なマドリーナに対して、ちょっと怒るフリで言ったら、ゴードンとヘンリーが真似してきた。

 ゴードンとヘンリーも落ち着きを取り戻し、トーマスの両腕にまとわりついている。『母親を助けなかった父親』の冤罪も解消されていてよかった。

 ゴードンはマドリーナが妊娠したことを理解しているものの、ヘンリーはイマイチわかっていなさそうだが、労らなければならないことはなんとなくわかるみたい。

 ちょうどトーマスたちが昼食をところに行ってしまったが、すぐに追加で私の分も注文してくれあので、デリバリーされた昼食を一緒に摂った。


「あー、戻ったら動けるかしら。空き部屋の掃除をしないとならないのに」

「空き部屋?」

「やっと従業員が増えるのよ」

「それはおめでとう!」


 菜園と牧場では、なかなか人員が集まらないとよく愚痴を聞く。

 飼育している牧場たちのいる場所とトーマスたちが住む建物は離れているので動物の糞尿などの匂いは漂ってこないのだが匂いのイメージが大きく、なおかつトーマスの牧場では屠殺もある。精肉に加工されたものを食べるのに実際に屠殺して解体する現場だとなると躊躇してしまう人が多いのはわからないでもない。


「一人は魔物の討伐班にいる人だけど、二年前に足を痛めてから討伐業務は厳しいって異動先にウチを選んでくれたの。もうありがたいったら! もう一人は完全に新人。それにしてもあの子がまさか本当に採用試験を受けるとは思わなかったわねぇ」

「ああ。初めて会った頃は情熱はあっても畜産についてぜんぜん勉強してなかったからな。命を育てて奪うんだ。情熱の有無でやる仕事じゃねぇから、『獣医師の資格が取れたら』って一番レベルの高い条件を言っておいたんだが、頑張ったんだなあ」

「本気で勉強して、獣医師の資格取って、食品衛生管理の資格も取ってくれて、ウチの期待の新人よ!」

「はへぇ~。すごい人ですね」


 マドリーナは『あの子』と言ったが私より歳は上だった。

 その人が十五歳前後のときにトーマスとマドリーナは会っていて、学校を抜け出すことの多かった少々問題のある子だったという。なにかをきっかけに牧場に興味を持ったが、その頃はまだ小動物の解体すらしたことすらなく、学校を抜け出していた子が獣医師の資格を取るのは並大抵の努力ではなかっただろう。

 獣医師の資格を取った人は女性だと聞き、朝の餌の時間に会うこともあるだろう。どんな人なのかちょっと気になった。


 母屋の従業員寮も空いているが離れもあるので、どっちに住むかは選んでもらう予定。もし離れに従業員が住むことになっても、離れの厨房はもともと外での作業向け調理場として作られたので、従業員で摂る食事は母屋の利用で変わらない。だからこれからも妖獣世話班の休憩で離れの厨房は自由に使っていいと言われて、ふと思い出す。

 厨房の奥にある開かずの棚。

 スライムが瓶を盗ってきたかもしれないこと。


「棚? どの棚だ? 俺はあの厨房にほとんど寄らないからどこに何があるかぜんぜん思い出せん」

「まあ、空き瓶くらいあげるわよ? 思い出せないし」


 いろいろ考えたがスライムが瓶を持ち帰ってきた最有力先は牧場の離れの厨房。おそらくトーマスもマドリーナも私も思い出せないどこかにあった瓶だろうとなり、よく這って来たもんだと感心されてしまった。私もそう思う。


 マドリーナは自分で空き部屋や離れの掃除をやる気満々だったが、今回倒れたのを目撃したトーマスとゴードンが無理しちゃ駄目だと首を横に振り続け、最後はヘンリーの「かあさんがたおれたらいやー」の一言にマドリーナも折れた。

 妊娠していても相当の事情がない限り、ある程度は動くことが大事なのは知っている。けれど、今回は倒れたばかり。トーマスたちの判断を私も推した。

 空き部屋の掃除は総務に依頼を出すところまで話に付き合い、それとは別に折を見て離れの厨房の棚を私とトーマス、マドリーナの三人で整理することにした。


 マドリーナは妊娠が判明したこの機会に総合健診を受け、問題がなければ帰宅。

 今日はトーマスは牧場を休み、ゴードンも博物館の案内役を休んでマドリーナについているというので、何かあったら連絡してと退室した。


 午後からは山小屋に戻って預かっている妖獣たちの大運動会を見守る役目だが、セイに会う時間がありそうだったので菜園に向かった。

 セイはナタリオさんと古い作業小屋の片付けをしていて、私の姿を見たら小さくうんうんと頷いてきた。ありがとう。

 ナタリオさんからシシダでのチビと私が映った報道のことを言われた。チビは式典デビュー後の初の他領業務ということもあり、けっこう何度も繰り返し報道されたらしい。


「『大きいと隠れられんから報道されまくるんだなぁ。わっしは自分を小さく作ってよかった』なーんてセイが言っててさ」

「わっしは式典でどうしても外に出ないといけないとき以外はマエルの服の下に隠れていることが多いからな。おかげでマエルは小太りと思われとるがの」

「セイが服の下に潜り込んだところでそこまで太って見えないだろ」

「はははっ」


 とても和気藹々。

 今の妖獣は小動物の姿に似た外見が多い。それは隠れやすさを求めたからかもしれないとゴゴジが言っていたのを思い出す。昔々は大きな姿の妖獣もかなりいたことも。


 セイとナタリオさんの片付けを見ているだけなのもなんなので手伝おうとしたが、気づけばウトウトしてしまい、「帰れー、さっさと帰て寝ろー」と起こされる始末。


「寝る時間がいつもと違ってて疲れが残ってるんだろな。そっちのリーダーからは明日から復帰って聞いてるから、今日は無理すんな。さっき採れたブラックベリーやっから、な?」

「自分では寝たと思っても心も体も休息が足りてないんじゃろな? 管理所の者たちに風邪が流行っとるし、こういうときに無理すると感染りやすい。早く帰って休むが良策ぞ? ほれ、採れたてのトウモロコシもやるから、な?」

「ここを出たところにある葉モノも持っていっていいから、な?」

「わっしのトマトも分けてやるから、な?」


 阿吽の呼吸のナタリオさんとセイに、いい子にはお菓子をあげようくらいの感覚で小箱に野菜などを詰められて渡され、帰れ帰れと追い立てられてしまった。貰うだけ貰って何もしていないのが申し訳ないが、昼食を摂って腹が満ち足りて眠気が来たんだろうとも言われてしまった。普段は食後だとしても睡魔に襲われることはあまりないのだが、言われた通りシシダから帰ったばかりで疲れているんだろう。


 駐車場に行けば浮遊バイクの荷物置き場に空き瓶が八個置いてあり、付箋にシード先輩の字で「窓口にきた」とのメモ。今朝書き込みした空き瓶募集を見て、早速不要な瓶を妖獣世話班の当日受付窓口に持ってきてた方々に感謝である。

 山小屋に戻って空き瓶を洗っていたら、スライムが寄ってきて喜びの舞。


「まだ貰えると思うから、もう瓶を盗ってきたら駄目だからね」


 ……。


 なぜそこで舞うのを止めて無反応になるかな。ジト目にもなるってもんだ。

 洗った瓶はテラスに近い窓の近くにタオルを敷いて並べて乾かす。夜までには乾くだろう。


 テラスの向こう側にオニキスが横になっているが、その体の上をハムスターに似た妖獣が跳ぶ。オニキスは障害物競走の障害の一つにされているようで、やれやれと言った風情。

 山小屋に戻って顔を洗って眠気を振り払う。妖獣たちの様子を見る仕事はあるが体が非常に重たいが仕事だ! サリー先輩もルシア先輩もしっかり休んで風邪を治してほしいし、リーダーとシード先輩の負担も減らしたい。


 情報端末を操作して、明日以降の預かる妖獣を確認する。

 よかった、数は多くないどころかかなり少ない。そろそろ世間の夏休みは終わるので、妖獣の相棒の人も商会取引や観光などを切り上げて帰り始める。一昨年と去年の数字を見ればこのまま落ち着いた数になれば各メンバーが兼務する研究などの時間確保がしやすくなるのだが、今年は秋にも預かりピークがあるので、落ち着くのは初冬だろうか。

 シード先輩と牧場の従業員さんが書き込んでくれた報告内容を読み、明日の朝の餌を肉から果物に変更する妖獣のことも把握。

 リーダーからニット先輩が来週から日中短時間勤務で正式に復帰する連絡にも確認済みの返信。ニット先輩のお子さまはまだ生後半年で、あと半年くらい育児休暇は取得できるのに、育児支援を活用しながら働く形に切り替えたことになる。ご家庭それぞれ。仕事場と居住が同じ場所にある特殊な環境だからできることなのかもしれない。

 セイの相棒であるマエルさんが休暇の終了を前倒しして戻ってくるとあるが、セイが菜園にいる期間は当初通りなので菜園にはまだ言わないでいいとあり了承の印を付けた。マエルさんの休暇終了の前倒しは何かがあったのではなく、秋以降で別途長期休暇をもらいたいので日数を調整した理由が添えられていて、理由がわかると他人事だがホッとする。


「おーい、リリカー、誰か来るぞー」

「うん?」


 オニキスが大きな声で教えてくれたので、情報端末を置いて外に出ると車両の走行音が聞こえた。管理所内を走り回っている小型車両はどれもこれも同じにしか見えないが、リーダーでもシード先輩でもないのはわかる。


「部長さん?」


 研究部門の統括部長が運転しているのが見えて、研究報告書を全然出していなくて怒られることが一番に思い浮かんだが、それだったらリーダーから言われるし、なんだろうな?


「なんでしょう?」

「アロンソからスライムの作った茶が増えたって聞いたぞ」


 謎茶のこと?

 そういえば、今朝帰ってきたら謎茶三号があったんだった。


「研究室には明日持っていこうと思ってました。何人もらってくれるかなぁ」

「そうじゃない。リリカ、そうじゃない。『スライムが茶をブレンドするなんて!』と驚いた最初の時の感覚はどうした? しかも三種類目だと?」

「そうなんです。しかもどこかから瓶を盗んできちゃって。盗ってくるなと言ってもシレッとしているし困っちゃいます」

「そうじゃない。リリカ、今、気にするところはそこじゃない……」


 部長さんに頭を抱えられてしまった。

 じっと私と部長さんの会話を聞いていたオニキスも「そうじゃない、そうじゃない……」とつぶやいて顔を地面につけて前脚で頭を抱えていて、障害物競走をしていた妖獣たちがオニキスを慰めている。

 自分の発した言葉を反芻。


 普通、スライムが茶のブレンドなんてしない。そんなこと言ったらスライムは掃除もしないけど……。


 はい、自分の駄目さを自覚したと思います。

 でも、もう、あのスライムには慣れちゃった感もある。

 掃除をしろと怒るし、花瓶を作っちゃうし、トウマとの仲を応援して踊るし、茶をブレンドするくらい些細じゃなかろうか?


「普通、『些細』じゃないからな?」


 はい……。


 部長さんを山小屋に招き入れて、スライムの謎茶一号、二号、新作の三号を並べたらスライムがうようよとテーブルに上がってきて、三つの瓶とともに部長さんの前に鎮座。

 なんだろう。スライムがドヤ顔している気がする。どこのあたりが顔になるかわからないけど。

 部長さんも謎茶一号と謎茶二号は前回までに試飲しているので、新作の謎茶三号を淹れる。朝は随分苦みが出てしまったので、蒸らすのは短めにしてみたがやっぱり苦みがある。湯の温度だろうか?

 部長さんは香りを嗅いだ。


「最初のやつは頭がスッキリする。二番目のは安眠効果。この新作は以前に別の薬草茶で嗅いだ香りがする。俺も茶は詳しくないが、鎮静効果だった覚えがある。二番目の茶はリラックスによる安眠だが、この新作のリラックスは心の安定に近いはずだ」


 心の安定と言われてスライムを見た。

 とある研修の試験が迫って唸っていたときに謎茶一号は生まれた。

 式典前の不安な時期に寝付けないことが増えた頃、謎茶二号は生まれた。

 そして、謎茶三号。

 私がシシダに帰省する前、おでこに貼り付いたイチゴちゃんの伝言板をじっと見たスライム。謎茶二号を飲んでも寝付けなくて落ち着かない日々を過ごしていたのをスライムも知っている。

 妖獣世話班の所属部門長である部長さんも私の伯父のことは共有されている数少ない一人で、謎茶の瓶と並ぶスライムを見て、私のために作ったんだろうと推測の言葉を落とした。

 謎茶一号と謎茶二号の成分鑑定をしてくれた研究職員さんも、謎茶一号、二号を続けて鑑定したときにそんな想像を言っていた。

 ありがとうね、スライム。


「さて、アポなしでおしかけてすまなかった。その新作の茶葉を分けてくれ。分析は前回も前々回もモラだよな?」

「はい。前回も前々回もモラさんがやってくれました」

「次からは分析してから飲めよ。毒が含まれていたらどうするんだ?」


 そう言われてみて、何が混ぜられているかわからないのに、早朝に新作を飲んでしまった。このスライムが悪いものを作ると思っていないが、このスライムと意思疎通ができているとは言えず、何をしでかすかわからない。未知の生物のことを信じ過ぎてはいけないとリーダーともども反省せねば。


「モラは三日前から風邪で休ませているんだ。症状は軽いんだがまわりに感染うつると困るんでな。数日間待ってくれ」


 サリー先輩もルシア先輩も風邪で休みだが、モラさんもなのか。


「急に風邪の症状を訴える者が増えたんだが、朝夕との温度差が出てきたからだろうな。リリカも気をつけろよ? こう言いながら、気をつけていてもかかるときはかかるんだよな」

「できるだけ気をつけます」

「あと話は変わるが、チビの歌手デビューおめでとう。ふはははっ」

「うぐ……、今から中止とかないですかね?」

「ここで一番偉い腹黒がニコニコしてるから、何が何でも実行するだろうよ」


 うん、所長、本当にニコニコしてた。


「そうだ! 明日から緑連豆メニューを観光客向けの食堂で出す話も聞いたか? 博物館の上のカフェも同時だ」

「え? こんなに早く?」


 領主館で飛び交っていた話でも早めにいう案もあったけど、あのときは伯父のことで頭がいっぱいで正直話しの半分も聞いていなかった。

 私も調理班がどういう風に最終調整したのかは味わっていない。

 緑連豆メニューが楽しみだと話をしつつ、部長さんに謎茶三号を分析用に分けて見送ったらそろそろ夕方。

 妖獣たちは障害物競走を止めて、痺れ辛子を植えた小川で石拾いに夢中になっていた。何が楽しいのかよくわからないが痺れ辛子を植えた部分への水の流れを整えてくれていたのでお礼を言った。

 妖獣たちの寝る場所を確認。全匹、山小屋のある場所のひとつ下の広場で寝るというのでいつも通り。

 オニキスは日が落ちたらチビのねぐら近くの自分の塒に向かうという。

 明日はトウマが休み。オニキスも休み。


「明後日からの浮遊バイクの訓練、よろしくね」

「あの訓練の仕事は俺にとってはそう難しくもなくて休めるからありがたい。ここ数日間はあっちの支援こっちの支援で不規則になって睡眠不足だったからな。なのにチビのやつ、朝に連絡したらブツブツ文句言いやがって。てめぇは勝手に徹夜したんだろうがっ!」

「う、うん、ごめんね?」

「リリカが謝ることじゃない。チビに依頼する予定のものまでまわってきそうだし、クソッ……」


 チビの歌手デビューのまとめ役はモモンドさんだが、裏の統括は所長。チビは歌録り優先を決定しているのはその所長。チビの歌のことも管理所としてはチビの仕事として動かしている。お金の匂いがプンプンする。チビの魚資金になるからいいけれど。

 しかしその余波で歌のことがなければチビに依頼される仕事が、オニキスとフェフェに仕事の依頼がまわっていて、チビは完全に楽しんでいるのに勝手に申し訳なさが募る。


「まぁいいさ。いつだって気がつきゃ歌っているチビだからな。儲かったらアイツの稼いだ金で俺も魚を食わせもらうさ」

「ふふっ、そうして」


 私も若干眠い。妖獣たちが寝る場所までついていくが、まだまだ遊びたりない妖獣もいて監視装置を持ってこようかと考えていたら、フクロウ一号、二号が来てくれた。


「夜は見ておくから世話係殿も寝るといい」

おさ殿にも言ったが、ここにいる間は手伝う。世話班の見習いとでも思ってくれてばいい」

「ありがとう。今夜は甘えさせてもらう」

「うむ」

「そうしてくれ」


 私も就寝と起床時間がいつもと違っていたので頭がぼんやりする。早めに寝て、明日からしっかりしなくちゃね!

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