40.誰にだってプライバシーはある
アビーさんに
ラワンさんとコロンボンさんは仮眠程度しか寝ていないはずだがとても元気。
数歩遅れて所長と警備隊の副隊長さんも入室してきた。私たちの出迎えに来てくれていたのに、この二人も寝たんだろうか?
「寝ているぞ? リリカこそ寝たのか?」
私の素朴な疑問は顔に出ていたらしい。所長の私の顔から読解する能力、怖い。
メンバーが揃ったので話し合い。
クゥクゥと寝ていたチビもラワンさん、コロンボンさん、モモンドさんが来たと声をかけたら起きてきて、窓の外で元気いっぱい。たまに小躍りするほど。
部屋から外に出られる扉を開け放し、チビはそこから顔を半分覗かせて話を聞く。
チビの歌は録音したものを正規のルートで配信販売する。つまり歌手デビューする。ここまでは予想していたので驚かない。
秋に陛下が来訪する日程中にコンサートをやろうと暴走しはじめた提案も、所長もアビーさんも止めないので、確定事項なのだなと若干遠い目になった。
陛下の船の上でチビは歌う約束もしている。コンサートを二度すると思えばいい。ただ、私はステージに上がらないことは約束してもらった。
「うん、だいじょーぶ。リリカをステージに上げようとはオレっち思ってないから」
私の鈍くささとリズム感のなさを正しく理解しているチビが、私に曲の振り付けを教える時間の無駄さを滔々と語る悲しさよ。
音楽や芝居に関して、私は完全に観客側。ステージ側のことはわからない。楽譜を見てもちんぷんかんぷん。チビがラワンさんとコロンボンさんとモモンドさんに語った私のリズム感のなさは、所長とアビーさんも知っている。以前にイベントの手伝いに駆り出された先で踊りの輪に巻き込まれ、まったくまわりと合わせられない謎のポージングを披露し続けた私を救出してくれたのは所長室の職員さんだった。
「世間の目として妖獣の相棒は近くにいるほうがいいから、現場スタッフには入ってもらうけど、リリカを演者にする気はないから安心して」
「ああ、いてくれればいい」
アビーさんと所長の言葉もありがたいけど居た堪れない。裏方スタッフ頑張ります。
あれやこれやと話し合いは進み、チビ歌手デビュー計画の統括責任者はチビに替え歌を吹き込んだモモンドさんになった。
モモンドさんを裏でこそこそするなと引っ張り出してきてくれたコロンボンさんは演奏者の取りまとめ。
商売ルートなどは法律士のラワンさんがついてくれるのでとても心強い。
所長は大枠を聞いて、相当駄目なことがない限りは好きにしろと、にこにこしている。
所長は何気に面白いことが好き。サプライズも好き。妖獣の歌手デビューだなんて多くの人を驚かす出来事。それがこの管理所発なのを面白がっているのだろう。
アビーさんは個人的には楽しみたいが、また大騒ぎになると予想して先々の所長のスケジュール変更を画策し始めていた。
警備隊の副隊長はチビの歌手デビューに伴うあれやこれやの警備検討の責任者。領主館側の警備隊の人とボードゲームで勝ち、この責任者の役目を負ったのだとどこか楽しそう。
「陛下や領主らを警備する名誉ある役目も捨てがたいが、チビが作り出すお祭りのほうが楽しいじゃないか」
遠回しに陛下や集まってくる領主皆様の警備などは嫌だと言っている気がしないでもなく、どう反応していいかわからないことを言わないでほしい。副隊長さん、ぺろ~っと下を出しても駄目です。
山小屋を出てくるときにリーダーが言っていたように、私は思いっきり巻き込まれよう。イチゴちゃんの伝言板が届けてくれた事件に巻き込まれるより、山岳救助などのような人死と直面するつらい内容よりも、人に笑顔が生まれる騒動に巻き込まれるほうが私もいい。
「メイリンが明日には帰ってくるから、早速演奏者招集だな。チビは夕方にこっちに来れるか?」
「何時くらいにどこー?」
「夕方の、そうだな。早くて四時、いや五時かな。職員寮の二十二階にある音楽室なんだが」
「職員寮かー。オレっちが外に浮いてるのをちっちゃい子が見つけちゃうと騒いじゃうからなー」
コロンボンさんは演奏合わせをチビに聞いてもらおうとしたみたいだが、ここは過去の経験からチビが冷静だった。
それなら新しい休憩所に集まれないかと場所の調整をしてみたが、明日は午後に休憩所で職員寮の子どもたちが集まって遊ぶらしく確実に使えるかわからない。使えそうならあとで連絡となり、その次の日以降から休憩所の外の出入り口付近で演奏練習に使いたいことを総務と調整するところまで話し合い、今日の打ち合わせは終わり。
「チビは通信機は持っているのか? 俺と連絡が取れるようにしてもらえないか?」
モモンドさんが尋ねてきたので頷く。チビにも管理所職員との通信限定で魔導具の通信機は買ってあげている。私以外にも所長室や妖獣世話班のメンバー、トーマスなどと連絡先を交換していて、私の知らぬことも連絡をしていたりする。
「あるよー。ちょっと待ってね」
チビは尻尾をぐいっと顔の前まで持ってくると、異能で隠している通信機を目視できるようにした。
チビの鱗とは全く違う明るい赤色の輪を見るのは久しぶり。人のベルトを改造してチビ向けに作ってもらうときに前脚のどっちかに付けるのかと思えば尻尾だった。
そんなところに嵌めて外れない? と聞いたら、異能で留めるから問題ないという。
そんなところに嵌めて聞こえる? と言ったら、異能で耳に転送しているから問題ないという。
そんなところに嵌めて相手に声は届いてる? と言ったら、尻尾を顔の近くに持って喋ればいいだけじゃんと言われた。声は異能でどうこうしないのかとボソリと言えば、何でもかんでも異能じゃないよと、ぷかぷか宙に浮かれて言われても説得力はなかった。
チビはモモンドさん、ラワンさん、コロンボンさんと通信連絡が取れるよう連絡先を交換して、今日はもう寝たいと先に
ラワンさんとコロンボンさんもこの打ち合わせで今日の勤務は終わり。艦内で寝ないで曲を整えたり、振り付けを描いていたからしっかり寝てほしいと先に送り出した。
モモンドさんも一緒に退室していき、残った所長と警備隊の副隊長に呼び止められた。
「ラワンとコロンボンから以前に伐採班とチビが放置してきた倒木の鑑定の話があった。明日のチビの気分で行けそうなら
あの巨木で得られた代金は予想外の収入で、諸々経費を差し引き、大半は管理所の建物と職員寮の管理維持費になるそうだ。私の生きる時代に実行されるか不明だが、職員寮は建て直しの話もある。未来のため確保できるお金は多いに越したことはない。
伐採班とチビが持って帰ってくればよかったかもとぼやいていた倒木も巨木。こちらも売れそうなら将来のための資金にしたいらしい。
もちろん鑑定に行ってもらうチビには魚が思いっきり食べられそうなくらいの依頼料が発生。明日チビに伝えたら喜んで鑑定に行くだろう。
「どんな状態ならよくて、どうだったら駄目なのか条件の情報を教えてください。明日チビに伝えます」
「そうだな、伐採班から条件を送らせる。アビー頼む」
「承知しました」
そして警備隊の副隊長は、私の浮遊バイクの訓練日程を決めてしまおうと、私を連れて警備隊室へ。
途中でトーマスから通信連絡があり、マドリーナと会えるというので後で寄ると告げた。マドリーナの体調は安定したらしい。よかった。
警備隊室の一般受付に入るとだいぶ髭が伸び放題のトウマがいた。シシダに行く前のバーベキューのときはしっかり整えている無精髭だったが、完全放置の髭面。
しかし、なぜトウマがここに? と思った疑問は私の浮遊バイクの訓練スケジュールの相談で判明した。オニキスが浮遊バイクの上空訓練時に必要な突風起こしの仕事を引き受けてくれたので、相棒のトウマも訓練補佐になってくれるという。よくよく聞くと訓練補佐という名目で訓練場にいる間、警備隊が保有するバイクや車両の整備点検をするようだ。
「では、明後日から集中訓練で五日間を予定しましょう。指導はコロンボンです。開始時間ですが九時から……」
「すまない。こっちの都合なんだが、できれば十時開始にしてほしい」
「リリカさんは十時からで大丈夫ですか?」
「私はやっていただける日時にあわせます」
トウマの都合に合わせ訓練は十時からになった。
管理所職員向けに浮遊バイクのライセンス取得のための訓練を組むと冬以降になるが、私の訓練は警備隊としても個別集中訓練できるのではないかと話し合ってくれたそうだ。
提案してくれたのはコロンボンさんと、もう一人は私の前の浮遊バイクにペンキをぶちまけられたシャナイの事件で、被害届の受付対応してくれた警備隊の人。あのペンキ事件の直後、実は追加訓練があったのだが、私は事件解決の目処が着くまで対象外とされてしまい、声をかけられなかったのを気にしてくれていた。大変ありがたい話なので五日間で試験まで漕ぎつけたい。
「前回残った課題は手動モードの際の空中維持か……。うん、五日間あれば克服できるでしょう」
「ありがとうございます」
警備隊の副隊長さんが情報端末に入力後、紙にもざっと書いて部下に渡せば訓練の相談は完了。
よし、明後日から頑張ろう。
トウマとともに警備隊室を後にすると、トウマはクワアァと大あくび。そういえば早朝作業と言っていた。
「遅くなったがおかえり。初の外仕事は握手攻めだったんじゃないか?」
「うん、握手攻めだった」
「バイク屋でもそうだったしな。握手をしたいとして近づいて刃物を向けてくるようなの者いるから気をつけろよ」
「き、きをつける……」
「チビと一緒にいれば悪意ある人物は近づけないようにしてくれるから大丈夫だと思うが。バカはいる」
そんな怖いこと考えてなかった。
しれっとチビが探っていてくれたんだと思うと鼻筋を撫で回したい。
「バーベキューのときは疲労感というより悲壮感が漂っていたが、帰ってきたら元気な顔色に戻ってて安心したわ」
私の疲れ具合と睡眠不足を悲壮感と見ていたトウマの勘にギクッとする。伯父の命が危ないとなっていたから、感情が漏れていたのだろう。
「あの木ね、ものすっごいおっきい取引だった。チビが傷なく運搬してくれてホッとしたよー」
「そうそう、シシダでチビが活躍したのはこっちでも報道されて、なかなか話題だぞ?」
「報道され、……されるよね」
「俺も見たが堂々としていたし、録画しているから見るか?」
「見たい」
戦艦を見学にきていた集団のなかに報道の姿もあったので、まぁ仕方ない。
トウマが肩に掛けていたバッグから大きめの情報端末を出してくれて、録画されていた報道動画を見たら、雪山に向かうときの映像と帰ってきたときの映像の組み合わせ。
「……チビが『ドーモドーモ』って体を揺らして尻尾フリフリしたのは映ってないならヨシ」
「そんなことしたのか」
「戦艦を見にいっぱい見学者が来ててね。チビはサービスだって言って」
チビと私の会話はコントになりがちで空軍の人たちの腹筋を鍛えていたが、見学者にはキリリとしたチビの姿としてみえていたようだ。私の姿もズームアップされていた映像があったけど、軍人さんと真面目に話をしている姿にしか見えない。よし、大丈夫。
「……この場面はいいかもしれないが、こっちの報道もあるからな」
「ん?」
もう一つ見せてくれたのは、チビが黒石豆の大箱を鼻先に斜めに乗せて「ア~ラ、ヨッと」大道芸している姿。その斜め後ろで、私は道行く人に次々と声をかけられて、なんとか笑顔で握手しまくっている映像だった。
「……」
「今は誰でも撮影しているからな? いろいろ諦めたほうがいいぞ?」
私やチビのまわりの人は部分的にモザイクがかかっているだけ、良心的な報道ではあった。
チビが巨竜になった直後に首都で出回ったあらゆる映像は私とはまったく接点のない他人の個人撮影が多く出回った。完全に盗撮行為。何も知らない人たちに暴かれていった私の素性。とても怖かった。
盗撮に該当する写真や動画をむやみに他人に撒き散らすのは違法で、情報交換ツール上でも制限があり、違法者は通報されてしっかりと罰を受ける。
首都でチビが巨竜になった直後の私はまだ相棒とは言えなかったので、あれらの盗撮行為をした人たちは罰を受けている。写真や映像も取り下げられたし、報道各社にも指導が入ったが、映像や写真が撒き散らされた事実自体は戻せるものではない。
首都で数日間、私とチビを匿って保護してくれた警備隊の方や、学院に戻って親身になってくれた教授と先輩数名だけが私のことを本気で心配してくれて、学院寮で目を光らせてくれたっけ。
シャーヤランに来て、管理所職員になったときに世の中からは妖獣の相棒は準公人同等として見られることは説明を受けた。今はそれを受け入れている。
公人や準公人および類する著名人は、何の許可もなく盗撮された写真や動画が報道されることも多いが、私が生まれる前の時代に、「たとえ公人でもプライバシーはある」と問題となり、私生活の勝手な報道や情報拡散には厳しい目が向けられる。
シャーヤランに来てから、今のところ私として嫌な気持ちになる撮影等の報告はない。管理所だけでなく領主館でも逐次ウォッチしてくれていているし、大半の人は良心的だ。
シャーヤランの街を私一人が歩いているだけなら、実はチビの相棒だと認識されることは滅多にない。
すでに私の姿は多く出回ってしまっているが、印象に残らない外見。とくに美人でもなければ、自分で言うのも変だが不美人というわけでもなく、印象に残る顔じゃない。身長も低すぎず高すぎず、目立って太ってもいなければ目立って痩せているわけでもない。髪色も焦げ茶色でぜんぜん目立つような色じゃない。なので、チビを連れずに一人で買い物をしているだけなら、街を行き交う観光客に呼び止められることはないし、街の人は気にもしない。観光客が私に気づいて「もしかして?」となるときは、さり気なく逃がしてくれる店もいくつかある。
リーダーとフェフェ、トウマとオニキスという存在があることも大きいが、それ以前から「妖獣と妖獣の相棒を見ても大きく騒がない」ように街の人が気を配ってくれているのをひしひし感じる。
公の報道はもう仕方ない。チビといる以上、私は全世界に名前も姿も知られていくので、変顔で報道されていなければよしとする。
「せっかくリリカと会えたんだが、すまん。この数日間の勤務時間帯が不規則でうまく寝られなくて体調がちょっとマズイ。明日は休みなんだが体調を整えさせてくれ。それで明後日のバイクの訓練あとは一緒に昼でもどうだ?」
「うん、ゆっくり寝て! 訓練後の昼を楽しみにしとく!」
「ああ、リリカも無理すんなよ」
警備隊室を出て、職員寮に向かうトウマと別れるとき、流れるように額にキスをされた。ボボボボボッと顔が真っ赤になったのがわかる。
そんな私を見てクスッと笑って去っていったトウマだが、髭モジャモジャが中途半端だと若干邪魔だなと、妙な感想が頭の隅っこ生まれ、落ち着きを取り戻す私なのだった。
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