37.帰ろう

 結局シシダには四日間滞在することになり、三日目にチビを戦艦の外に出す事情ができて、湯治場にも義姉が入院している病院にも連れて行くことができた。


 空軍は巨木取引後にシシダに寄ることは事前連絡していたので、シシダの住民は空軍の戦艦がくることにワクワクしていた。戦艦の姿が見えてきたら、陸軍の戦艦も一緒だったことで、多くの住民は滅多に見ることができない戦艦二隻に大興奮。

 ただ、シシダの主要な地域長たちは戦艦の一つが陸軍のものだとわかった時点で、警備隊の取り締まりに来てくれたと拝みたい気持ちになったと知るのは後のこと。シシダの警備隊だけでなく、山脈の向こうの街の警備隊もよくない状況だったそうだ。

 空軍の軍人が湯治場で湯を楽しんでいる姿が目立ち、大半の住民は陸軍が来た理由に意識を向けず、陸軍側は動きやすかったという。八十人もの空軍の軍人が湯治場に繰り出したのは住民の意識を逸らすためだと後出しで言われたが、艦長をはじめ、大半の軍人は不意の休暇で湯治場を楽しんでいただけな気もする。結果的に有効な作戦になったのはよかった。

 戦艦を見に来る人の中には拝む姿もあった。イチゴちゃんもホッとしていることだろう。


 シシダの警備隊で実際に何があったのかの詳細までは教えてもらえなかった。悪人が地域の取り締まりをしているなんて情報が広がったら、その地域にいい印象は持たない。観光産業に配慮してくれたのか、私が滞在した期間では詳細を明らかにできなかったのかはわからないが、個人的には伯父の居場所がわかった夜、陸軍元帥閣下がわざわざ空軍の戦艦に来てくださり、後は任せろと言ってくださったことが心強かった。


 空軍の出立が予定より延びたのは、二日目の朝に陸軍空軍ともに山岳救助出動をしたため。その事後対応もあり、シシダを発つスケジュールが一日ずれた。

 緊急救助要請信号を受信したら、有事に直面していない限り、その近くにいる軍は救助に赴く。管理所の討伐隊や採集隊も同様で、私も管理所職員。まだ救助の最前線に出られる能力はないが、後方支援に入る心構えはある。

 シシダ特別区を囲む山脈にはそれぞれ登山客が絶えない人気の場所。たまに無茶な登山を決行して遭難する人も少なくない。

 今回の緊急救助要請信号の発信元は無謀な登山客ではなく、大陸で最も標高の高い山へのアタックが成功したグループが、下山の途中で小規模な雪崩に遭遇してしまった事故。雪崩に巻き込まれた人も出たが、幸いにも浅い場所にいたのを見つけてその場で仲間たちが掘り出して救助。しかし、荷物が流されてしまって下山が困難になった。それで緊急救助要請信号を発信した。

 緊急救助要請信号を受信してからの、空軍と陸軍の軍人さんたちは素早かった。

 チビのことは隠し通すつもりだったが現場の様子によってはチビの力を借りたいと要請され、私もチビもすぐに頷いた。人命第一。

 緊急救助船が飛び、チビと連絡を待つ。

 幸いにも向かった救助船で無事に救助となったのでチビの救助現場への出動要請はなかった。


 その後になって、チビが外に姿を出すことになったのは山岳救助後の雪崩の影響などの確認の依頼があったため。

 通常なら複数の探索機を飛ばして確認する調査だが、シシダの山脈は高くて広範囲。何機もの探索機を飛ばして調査するにもかなりの時間がかかってしまう。しかも今そうした業務を担う警備隊は陸軍査察の真っ最中。

 そこでチビに要請となった。

 空軍ではセイがいれば調査任務は受けているということで、チビも初日の夜にたくさん食べさせてくれたお礼ができると、張り切って調査任務の仕事を受けた。


 と、いうことで三日目の朝、戦艦からチビ登場。

 シシダには二回『チビ船』で帰省しているので街の人たちはチビの姿を知っているけれど、観光客は思いがけない巨大竜の登場に大興奮。


「シャーヤランの大竜だ!」

「わー! どうしてシシダにいるんだ!?」

「本物だー!」

「でーかーいー!」


 チビに、『どよめく声に反応するな、手を振るのは仕事が終わってから、歌うな、踊るな』と言って戦艦の外に出たのだが、柵の向こうの見学人たちに向かって「ドーモドーモ」と体を左右に揺らし、尻尾をぶんぶんと振りやがった。


「チー……ビー……」

「体と尻尾は言われなかったしー。ちょっとはサービスしたほうがイイって」

「何のサービス!?」

「ブフッ!」

「クッ!」

「今日も腹筋が鍛えられるっ」


 空軍の方々には、私とチビのふとした会話はコントでしかないようだった。


 チビの依頼に私がついて行っても役立たずなのだが、世間では『妖獣は相棒とともに仕事をする』風に見られていることもあり、私も空軍の防寒着を借りてチビと並走する船に乗り込む。

 一気に高度を上げていくので、乗船してすぐに酸素マスクを装着し、耳も保護。

 大歓声に見送られ、発着場から調査船が一気に高度を上げて山脈を目指す。昼前には天候が崩れる予報なので、チビも短時間での任務完了に真剣だ。

 チビから告げられる情報を地図に記していく。

 救助現場と離れたところでも小規模な雪崩の形跡があり、そちらで人が巻き込まれた気配はないことを確認し、範囲を広げて周囲の状況も見ていった。


「うーん、さっきも言ったけどやっぱり新しい雪が原因だと思う。数日前に上の方で一気に降ったんでしょ?」

「一週間前に悪天候の記録が四日間ある。そのときの積雪か」

「新しい雪が滑ったんだろうなー。そうなるとさっき通ったポイント以外も危ないし、この山の裏手も同じだね」

「山頂アタックするグループに注意を出さないとな」


 空軍の方とチビの会話を必死に書き留めるのがやっと。

 山岳救助の研修はまだ中級レベルの途中で、突然の最上級レベルの実習は学ぶことばかり。

 山頂へのアタックルートはおもに三つあるが、そのうち一つは厳重警戒、二つが注意ということがわかって、天候の様子を確認し、時間いっぱいその他にも見ていけるところを見ていくことになった。新雪の雪崩で流された登山グループの荷物一部もチビが見つけた分は回収。できるだけ山にゴミは放置したくない。


「あのね、無理な話なんだけど、ここの雪の下の、そのまた下の氷の中に遺体がある」


 チビが雪が完全に凍った氷の下を『て』、見つけてしまったそうだ。五年前後で行方不明になっている登山客の一人だと思うと言う。


「セイもたまに視て、出してやれたらと言うが、『人の力でできないことは妖獣に頼まない』は守らないとな」

「うん。視ちゃったから言っただけ。その時の登山用のものも結構埋まってて。うーん、ボンベなんかがあるけど、潰れて中は空っぽ。爆発はしない」

「ならば、このままだ」

「この氷河が麓まで流れて、いつか出てこれたらいいね」

「何十年も先の話だな」

「そだね」


 そんな会話に一瞬、書く手が止まってしまったが、妖獣を便利な道具として使わない。これを守れないなら妖獣は人を見放すのも知っている。

 天候が崩れるギリギリまで範囲を広げて調査した。

 発着場に戻れば柵の向こうは出発前よりも多い人だかり。チビがいることがバレて、一目見ようと集まってくるのは予想済みだったが、湯治場や商店街にいた観光客のほぼすべてが来てしまったんじゃないかと思うほど。

 チビは鑑定の異能を使い続けてだいぶ疲労モードだったが、だけど見物人がいるので踏ん張ってお澄ましポーズ。もうちょっとだけ頑張ってほしい。

 私と言えば、探査機から降りるととても体が重たく、よろけてしまった。

 酸素マスクや諸々対処する機器は装着していたが、短時間の高度の上下は何の訓練をしていない私には負荷が大きかった。『チビ船』のときに、どれだけチビに守ってもらっているのかを痛感した。


 ラワンさんとコロンボンさんが駆け寄ってきてくれて、重装備の防寒着を脱ぐのを助けてくれながら、目だけで裏ミッションの成功を教えてくれた。

 チビ登場となれば、絶対に発着場に人が集まる。この騒ぎを利用して、人目を避けて伯父を戦艦に保護する役を請け負ってくれていたのだ。


「湯治場の付近がガラガラになって、湯に入り放題です」

「チビがここにいるだけで営業妨害になってますかね」

「ずっとあの様子が続いてしまうと苦情が来るかもしれませんが、数分ここで姿を見せたら落ち着くでしょう。たまたまこういう状況が生み出せたとはいえ、とても好都合な状況でした」

「ありがとうございました」


 ラワンさんが裏ミッションのことを教えてくれて、これで私が不安で仕方なかったことは解消。

 伯父は詐欺に引っかかり、そこからつけ込まれて妖獣の素材を奪取する無謀な計画に巻き込まれていた。伯父は自らの死も覚悟で犯罪組織たちのところから脱走。すべてを父や組合長に告白した。話を聞いた父や組合長たちは犯罪組織から逃がそうとしたが、こういうときに頼りたい警備隊の動きが不穏で、逃がす宛もすぐには思い浮かばず、伯父の体は誰が見てもよくない状況。匿うという選択肢しか取れなかったらしい。

 すでに陸軍は伯父を嵌めた組織の摘発にも動いてくれていて、全員逮捕されることを祈るばかり。


「さっき石材を見に行ったグループもいい笑顔で帰ってきました」


 空軍もシシダの建材や石材の現物が見れたことで、採用するには至れなかったものの、石材やそのほかの建材について有意義な話を聞くことができたと言っているのだという。


 偶然生まれた点と点を繋いで綱渡りのような計画だったが、伯父の保護が完了したとわかって思え返せば、どれか一つがなかったら、ここまでうまく動けなかったかもしれない。

 

 伯父保護を目的とした帰省も終わり。

 滞在が一日延びた最終日は、湯治場にチビを連れて行って両親と兄に会わせることができ、病院にも許可を取って義姉とも会えた。

 イチゴちゃんは相変わらずの無視っぷりだったが、酒屋の店先の定位置でのんびり寝ている姿があるだけでいい。


「義姉さんが出産したら教えてね」

「ああ、お前も体には気を付けてな」

「これも持っていきな」

「こんなに! こんなには持って帰れないよー」

「チビが大箱でくれって言うから用意したのよ?」

「チービー」

「おやっさんとおっかさんがくれるって言うからー」

「はっはっは! チビが持っていってくれるんだから持って帰れ。黒石豆はちょっとやそっとじゃ腐らないからな」

「あー、もー、ありがとう。あっちで買うと高いんだ」


 そんな大箱一杯の黒石豆の箱をチビは鼻先に乗せて大道芸。道行く人が立ち止まってやんややんやと騒ぎとなった群衆に、艦長たちも紛れていて完全に湯治場を満喫する観光客だった姿も思い出の一ページ。


 伯父は陸軍の戦艦に収納されていた救助用の輸送船ですでに保護施設に移送されている。どこに移送されたのかは今は教えてられないと言われたが、両親と私には都度報告してもらえることになった。

 伯父は心身衰弱が酷く、何らかの違法薬物を投与されて思考を奪われていた障害も出ていた。治療には数年かかる。おそらく両親や組合長、ババ様たちはそのことにも感づいて、公の場への保護を願い出ることに躊躇ちゅうちょしたのだろう。

 伯父がいる場所を教えてもらえたら会いに行こう。父と母とはそう話した。


 空軍の戦艦が出航するときは、多くの湯治場、商店街が一時休業して、たくさんの人が見送ってくれた。

 私とラワンさん、コロンボンさんも甲板に出て整列に混ぜてもらえて見送ってくれるみんなに挨拶し、最後は大きく手を振る。チビは甲板には乗らず、戦艦の横に浮いて見送ってくれる人たちにバイバイ。

 ふと空中を見たらイチゴちゃんが浮いていて、「よくやった」と書かれた伝言板を顔にベチンと投げつけてきた。

 どうして素直じゃなんだろう。

 なかなか痛かった伝言板はすぐに消えて、手には純白の毛皮。


「へ?」

「リリカさんそれなんですか?」

「……」


 顔にぶつかった伝言板を掴んだつもりが、突然現れた毛皮に嫌な予感がしつつ、のろのろと広げてみれば、イチゴちゃんの外側のように見える。


「イチゴちゃんの、毛?」

「姿そのまま……、まさかの脱皮系?」

「だっぴ……」


 コロンボンさんが疑問だらけの顔で毛皮を回して見ていたが、脱皮したと言われても切れ目もなく、目と鼻と口の穴と、足の裏の肉球のあった場所の穴とお尻の穴……。

 どこからどう脱皮したのか全然わからない。

 いやそんなことより、どうすんだ、これ。


「あの、これ伝言板では?」


 側にいた軍人さんに言われて毛皮をもぞもぞ動かせば、確かに小さな伝言板があった。

 私もラワンさんも伝言板を見つけた軍人さんもその他の誰も触れることができず、妖獣の伝言板にあるまじき透明度のなさ。ラワンさんも見たことがあるその濁った白さ。

 二人揃って半眼になった。


「おそらく所長宛ですよね……」

「ええ、きっとそうですね……」

「あれでは? 『白肌の煌めき』の……」


 真っ白な高級イチゴの礼に、純白に煌めく自分の毛皮。


「納得」


 そんな話をしていたら、小さな白い伝言板がユラリと動き、またしても私のおでこにビタンと貼り付いた。

 二度目になると諦めも早い。あの伝言板を知るラワンさんがいるので心強いのもある。

 しかし、絶妙に斜めに貼り付くのは何なのか。貼り付く場所は選ばせてほしかった。

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