36.緊張の糸が切れて
「イチゴちゃんの導きだったのかい」
「はい」
「はあ、そうだったかい。そう言われるとね、こっちもね、イチゴちゃんがなんとなく人の選別をしてくれていたように思うよ」
「そうなの?」
「採用しようと思った従業員が実はよくない輩だったことがわかったりね。イチゴちゃんが何かしてくれていたんだろうサ。美味しいイチゴを集めて差し入れなきゃならないね」
「そだね」
組合長のお母様、私はババ様と呼んでいる。
今、ババ様と伯父がいた部屋ではラワンさんとコロンボンさんが伯父や父から話を聞いている。私も聞いていたが区切りのいいところでババ様に誘われ、屋敷の奥庭に出た。
ある程度の話は聞いたが、伯父のところまでたどり着くのが私の役目で、それより先はどう考えたって力不足。警備隊のコロンボンさんと法律士のラワンさんが同行者となってくれたのはこういうためでもある。伯父を戦艦に連れていきたいが人目は避けたい。そうしたことも空軍、陸軍と相談して最適な方法を出してくれるだろう。
ババ様は伯父が早まったことをしないように見張っていて、ここ数日間、外に出ていなかったという。外の空気はいいねというババ様の車椅子を押して進む奥庭の木々は秋の装いを始めていた。
「式典の報道見たよ。立派になったもんだ」
「私が立派なんじゃななくて、チビが凄いから」
「その凄いチビが相棒にって選んだんだ。リリカは立派なんだよ」
「ババ様……」
私の幼少期は寂しいもので、同年代の子たちに理由なき無視を受けた。親世代の仲は悪くなく、自分たちの子に私と仲よくするよう言い聞かせたり、なぜ無視するのか訊いてくれたりしたが、私はたいがいひとりぼっちだった。
学校から真っ直ぐ帰ってきて湯治場にいる父と母を見て、見様見真似で手伝い、どうにも落ち着かないとババ様のところに来て、お屋敷を走り回るだけ走り回り怒られた。
「『泣くもんか』って言いながら泣いてたリリカが、おっきな竜の横に堂々と立っててサ。陛下にも御目文字したんだろう? あたしゃ嬉しいよ」
ババ様の中で、私は泣き虫リリカ。
今は穏やかに笑えるリリカを見せてあげられているかな。
「陛下にお会いできたのもチビがいたからで、私はまだまだ研修ばっかりだよ」
「一つ一つ覚えていきゃいいんだよ。どうしてもできなかったら、どうしてもできないって相談するんだ。いい人たちに出会えているんだろう? いい顔してるからわかるよ」
「──うん、上司と先輩たちがね、『近所のおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん』になってくれた」
「本当によかったよ、よかったよ」
「あと、……お付き合いしてる人も、いる」
「お付き合いの間にじーっくり相手は観察するんだよ」
「ふふふ、ババ様だけだよ、そうやって忠告してくれるの。からかわれて、ちょっと疲れちゃったこともあったから」
「今のあんたなら大丈夫だろうよ」
車椅子のハンドルを持つ私の手の甲をポンポンと叩き、皺々の顔をもっと皺々にして笑うババ様。
私に「飛び級して逃げちまえ」と発破をかけてくれたのもババ様。それでもやっぱりここの学校には居づらさがあって、「外の学校に行くかい?」と、私の親とも話し合ってくれて、首都の学院に行く突破口と道筋を作ってくれたのもババ様だった。あのときに伯父に会っていて、気持ちの面で後押ししてくれた。
「話が終わったようだね」
組合長が中庭に面した部屋の窓を開けて呼んできたので、車椅子を押して戻る。
伯父はベッドに寝ていて、一瞬容体が悪くなったのかと心配したが、軍に保護されるとわかって安心したらしく、倒れるように寝てしまったと聞き、私がへたり込みそうだった。
「ここに連れてきた時から倒れそうな
父は伯父の体がそろそろ限界だとして、病院に連れて行こうと提案したが、組合長たちには消えない不安があって匿い続けていたという。
「リリカさんが出た後の話し合いのことはあとで話します。そろそろ戻らないと」
「はい、よろしくお願います」
「そうそう、これは持ち帰っていいそうです」
「あ、シチュー焼き」
ラワンさんが指したテーブルには、表面を保護シートで覆ってくれてある器。完全に冷めてしまったシチュー焼きだった。
「器は帰る前に持ってきてくれればいいから」
「うん、温め直して食べるね」
「出来立てを食べて欲しかったよ」
「ごめん」
母も疲れた顔をしていて、茶房にいたときとは全然違う。監視と警護をしていた男性陣も気が緩んだのか、さっきまでは目がつり上がっていたのに、穏やかな顔になっていた。
湯治場に戻れば、茶房で黒餅団子と黒石豆茶に興味津々の艦長たちがいて、まだ湯巡りをする話をしていた。
「三日しかいれないんだ。時間いっぱい楽しむぞ!」
「そんなに連続して入ったら、湯当たりしちゃいますよ?」
「むっ」
艦長、むっ、ではなく。
湯に浸かりすぎも体に負荷になる。そうしたらせっかくの湯治の意味がない。
「艦長〜、またシシダに来れる用事を作ればいいんですよ〜」
「いい提案だ。用事を生み出すか」
「はははははっ」
和気あいあいの会話を聞いて、笑顔で怒りそうな王弟殿下が想像できてしまったけど口にはしない。
艦長たちとは事前に打ち合わせておいたジェスチャーで、伯父と面会できたことを伝達。とりとめのない会話の合間に小さな頷きで労い返してくれた。
せめてあと一ヶ所入りに行こうと相談し始めた艦長たちは、その後に商店街もぶらぶら歩きたいと言うので、輸送車両を一台分だけ動かしてもらって先に戦艦に戻る。複数台できたのは別行動になることもあると予想してのこと。
艦長に近い部下三人が、湯疲れしたから帰りますーと乗ってきたけど、この人たちが陸軍とのパイプ役のキーマン。
車両が動き始めたら、ふにゃふにゃしていた表情を一変させ、ラワンさんとコロンボンさんから伯父の状況や父や組合長たちが匿っていた背景が報告された。
「体の様子を聞くと、早く戦艦に保護して医者に診せないとですね」
「ロクデナシが観光客に紛れている可能性も高い。どうやって連れ出すかな」
「そのあたりも確認だな」
「本当にありがとうございます」
「大丈夫ですよ。これも仕事ですから」
発着場に着くと、柵越しに戦艦見学者が大勢集まっていて移動販売車が飲み物や軽食まで提供し始めていた。
「うわあ……」
「戦艦を停泊させるといつもこんな感じになりますよ。でも、こういう平和な光景が一番です」
「……そうですね」
軍人さんの言葉は重い。
今は大きな戦争はないけれど、小さな衝突はあり、無辜の民を助けるために軍は制圧に赴く。この戦艦にもたくさんの命を一瞬で奪う武器が搭載されていて、それを使わないのが一番なのだ。
戦艦見学の人たちから見えない位置で車両を降り、戦艦の中に入る扉をくぐったら、不意に足に力が入らなくてヘナヘナと座り込んでしまった。
「どうしました?」
「リリカさん?」
「あ、あは、急に足に力が、入らなくて」
ポロポロと涙まで出てきた。
落ち着け、落ち着け。
「……リリカさん、運びますね」
「チビのところがいいでしょう」
「そうだな」
コロンボンさんが膝裏と背に腕を回して抱き上げてくれたが、口を開けたら泣き声しか出せそうにない。
ゴローンと寝転がっていたチビは、私がコロンボンさんに抱えられて連れてこられたことに驚いて、あわあわと近寄って前脚を伸ばしてきてくれた。
「? リリカー? どーしたのー?」
「チビーッ!」
チビの前脚の爪の檻。
ひんやりしたチビの胸と腹に抱きつく。
安心安全な場所に戻ってきて、気を張っていたのが決壊した。
「ばにあっだよぉー!」
「落ち着こー? 落ち着こー? 間に合った? 間に合った! よかったー!」
「あー!」
「リリカ頑張ったー! お疲れー! 不安はバイバーイ!」
しばらくわあわあと泣いてしまったが、泣くだけ泣いたらお腹が空いた。
鼻を啜りながらチビの胸から顔をあげたら、戦艦で私についてくれている女性軍人さんが来てくれていて、濡れタオルを差し出してくれた。
ありがたく使わせてもらって顔を拭いて周りを見たら、簡易テーブルにラワンさんがもらってきたシチュー焼き。これも温め直して持ってきてくれていた。
「……すみません……、お恥ずかしい姿を、お見せしました……」
人前で泣き喚いたのは何度目だろうが。成人したのに精神は子どものままなんじゃないかと恥ずかしくて仕方ない。
「あの伝言板は衝撃でしたからね。パニックになって取り乱したっておかしくないです。本当に我慢から解放されてよかった。」
「身内が殺されるなんて言われたら、気が気じゃないよな」
「リリカずーっと寝られなくて、自分では気づいてなかったみたいだけど食べる量もすっごい減っちゃってたからね。お腹の音は元気に戻った証拠。食っべなー」
「さ、温め直してもらったんです。食べましょう」
「ありがとうございます」
シチュー焼きはシシダの定番の料理。作る人によって僅かな違いがあり、あの茶房のシチュー焼きは、濃厚なのにさっぱりという矛盾が同居する不思議さもあって、湯巡りマップでも一押ししてもらえている。
シチュー焼きに欠かせないトウガラシの一種のチョーンというシシダ特有の野菜の使い方で味が決まる。チョーンはハチャメチャ辛いものや辛さと甘さがあるもの、辛さと苦さがあるもの、辛くないものもあり、何を使うかは家庭や店で違う。
あの茶房のシチュー焼きの味は、少しピリ辛めなのに甘みがでてくるチョーンが決め手。その味を継いでいる一人が母で、私にとっては母の味でもある。
「本当に濃厚なのにあとに残らない」
「鹿肉ってこんなに柔らかかったか?」
「甘さが辛さを打ち消していくとは?」
「甘いというより美味いだろ?」
そしてシチュー焼きと一緒に提供するフォッカチャは素朴の中の素朴さ。シチューに浸して食べるとこれまた味わいがある。
「このフォッカチャ、持ち帰りありましたよね?」
「噛んでいると広がるこの風味はなんだ?」
ラワンさんとコロンボンさんがシシダ料理を楽しんでくれているのが嬉しい。
このフォッカチャはもともとは商店街にある服飾雑貨店の店主の趣味から商品になったもの。服より売れると苦笑いで、他にもいろいろ作れる人だが、作って売るのはフォッカチャだけ。
あっという間に人気になったが一人で作る量には限界があり、趣味のレシピを公開して後継者を増やした。
茶房に勤める半分以上の人も後継者として作れるようになっていて、私もたまにレシピの手順通りに作ってみるのだが同じにならない。何が違うのか。料理の道は奥深い。
午後の小腹満たしの休憩には遅く、夕食には早い時間に食べてしまったので、このあとの夕食が食べられるかが微妙になってしまった。
ぽつりと吐露したら軍人さんが今夜はブュッフェ形式だから気にせずと言ってくれた。
「今夜は戦艦の留守番組で、商店街の持ち帰り惣菜なども買ってきて食べようと話していたんです。食べられる量だけ食べに来てください」
それなら食べ切れるか気にしなくて済むので嬉しい。
「なあなあ、オレっちもさっきのパンとシチュー焼き食べたい」
「は?」
「たーべーたーいー。なんならシチュー焼きの激辛のやーつー」
急にチビにスイッチが入った。
「あの、チビは調理したものも食べるんですか?」
女性の軍人さんも見守ってくれていた他の軍人さんたちも驚いているけど、やっぱり世間一般ではこの認識なんだ。
「妖獣は調理したものも食べます」
「ええ? そうなんですか?」
チビやフェフェ、オニキスがおかしいのかと思ったけど、オパールやフクロウたち、預かる妖獣に聞いてみたら積極的には食べないが、食べられないわけではないと聞いた。キィちゃんは「調理ものは苦手だな〜」と言うけれど、惣菜をパックごと奪われたことがあるし、セイも「やはり野菜は絶対に生!」と強く言うが、マエルさんの晩酌のつまみ惣菜を食べたり、スープやパイ、菓子などをもらったりすると言っていた。
「マエル、そんなこと教えてくれたことないよな」
「セイ、ミートパイも食べるのか……」
マエルさんと同じ隊の人たちの動揺が世の中の認識を教えてくれる。いつか学校で習う内容が改訂されるように言っていこう。
さて、チビの食べたいを叶えるのは簡単なようで簡単ではない。
「チビ、何人分くらい食べたいの?」
「食べられるだけ食べたいなっ」
これだよ。
魚の踊り食いのときと同じだよ。
「……三十人分でいい?」
「……んー、妥協するから大食い三十人分」
それって暗に六十人分くらいってことよね? 全然妥協してないよね?
「チー……ビー……」
「帰ったら頑張って働くからさー」
「魚資金なくなるよー?」
「今から草むしりでもなんでもするからさー!」
大泣きして恥ずかしかったこともぶっ飛んだ。
苦手な草むしりするなんて言い出してきたことで、何がなんでも食べたいのはよくわかった。
ならば相棒として叶えてあげねば。
魚資金は別に取っておいてあげたいし、せっかく口座残高が潤ってきたのに、またゼロに近づきそう。
「ぶふっ!」
「ふはっ!」
「あはははっ!」
軍人の皆様は笑い出してしまうし、ラワンさんはポカーンとしているし、コロンボンさんはテーブルに突っ伏して笑いの沼から帰ってこない。
他人事として聞けば本当にコント。これがチビとの生活では当たり前。
「こ、コストゥさん、ふふふ、そんなに、思い詰めなくても百人分とまでは言えませんが、こちらでだいぶ用意できますよ」
「え?」
「え! ホント? オレっち何すればいい? 雑巾がけでもなんでもするよ!」
いやいや、待って待って、今はよくてもあとあと請求されても困る!
「はぁはぁ、あー、お腹痛い。本当に大丈夫です。ちょうどここに法律士さんもいますし、書面を作ってもらいましょう。お願いしてもいいでしょうか」
「もちろんです。すぐに書きましょう」
「ヤッター! おねえさんありがとー!」
「お、おねえさんっ、ふふふふふっ、おばさんですよ」
「おばさんありがとー!」
「チビさんは素直ね。はははははっ」
いやいや、全然おばさんな姿はしていないですので!
商店街への買い出しの案内ですか? ハイッ! よろこんでぇ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます