35.間に合った

 何の連絡もせずに湯治場に顔を出したことで両親に驚かれたが、それより驚かれたのは連れてきた艦長他、湯治場の湯を楽しみにしていた空軍御一行の人数。

 湯治場の湯巡りマップを手にいそいそと散っていった空軍の方々は総勢八十名。

 肩こりや腰痛というおもに中年以降の年代から多くなる悩みによい湯はあっち、乾燥肌などの肌トラブル系の悩みの人はあっち、蒸気で楽しめる湯があると聞いてワクワクしている人はあっち、地熱を直に感じて楽しみたいし人はあっち……と、湯治場案内所にいた二人だけでは間に合わず、たまたま通りかかった地元住民を二人ほど捕まえて、手分けして案内してもらった。

 出発前から艦長自ら湯治場が楽しみで楽しみで仕方なく、部下も感化されてみんなで楽しむ気が満々だった。

 ここに来ることになったのは私の身内の重ための話がきっかけだが、それはそれ、これはこれだと言われた。


 空軍御一行の湯巡り案内が進む横で、私は私を知る湯治場の方々に捕まり、ここでも握手をせがまれて一時は揉みくちゃ。コロンボンさんとラワンさんが集まってきてしまった人を落ち着かせて、何気なく人を誘導して散らして、やっと両親が勤める湯治場の前は落ち着いた。


「一昨日くらいから少し観光客が少なかったのに、一気に賑やかになったわ」

「何あったの?」

「何も。この時期は客足の変動が物凄く大きいのよ。暑い季節に熱い湯に入ろうとなる人が少ないこともあるからね。それでも一昔のように閑散とはならないからありがたいと思うわ」


 シシダはもう朝夕は肌寒さがあるけれど、他の地域の多くは夏。母に言われてみて納得した。


「ううん? ってことはチビの仕事できたのか。チビはどうした?」

「式典後だから騒ぎになるかもって思ってここには連れてこなかった。発着場で隠れてもらってる」

「ああ、そうだな。絶対騒ぎになるな。いやー、こっちでも繰り返し繰り返し報道の動画が流れてな。シャーヤランに観光に行かせてもらってこっちに戻ってきたら俺たちも囲まれてな。『どうだった? どうだった?』って、報道の動画を見りゃその通りだって言うのに、数日仕事にならなかったからな」


 笑って話す父の表情に暗さはない。


「そちらのお兄さん方は湯はいいんですか? この子はここで店番でもさせときますよ?」

「ありがたいお言葉なんですが、コストゥさんも握手をせがまれて、さっきみたいに囲まれることがあるものですから、今は最低でも同行者一名は絶対なんです」

「あらま。この子ったら守られているのねぇ」


 いや、そんなルールはない。式典後もシャーヤランの街には一人で何度もフェフェへの賄賂であるシュークリームを買いに行っている。シャーヤランの街の人が理解してくれているからこそだが、コロンボンさん、話を作ってくれてありがとうございます。


「やだよっ! 俺たちったら気が利かず、店先に立たせたままですみません。あちらに茶房があるので席を用意しましょう」


 にこにこしている両親のあとを着いていく瞬間、ラワンさんとコロンボンさんと目配せした。

 伯父のことを庇っているだろう両親がここまで穏やかな対応でなにも感じ取らせないだろうことは予想はしてきたので、茶房に着いてからの父と母の動きからどっちかを切り崩しかない。

 陸軍元帥閣下単独にもたらされたイチゴちゃんからの情報では、両親だけでなく、湯治場で匿っているという大雑把なところまでしかわかっていなくて、詳細にどこにいるのかまで探っていないと言う。伯父がどこにいるか探ろうと思えば探れたが、それよりも警備隊のよくない行動監視を優先していたらしい。

 伯父がどこにいて、どんな状態なのかを知る。私の役目は情報の糸口となる両親の切り崩し。


 昼食を控えめにしてきたので、シシド名物のシチュー焼きを二人に進めて注文する。

 母は調理場勤務なので注文を受けてハイハイと作りに行き、父は観光客向けに開放している物見櫓ものみやぐらの掃除に向かっていった。

 親子とは言え、今の私は部外者。調理場に流石に入れてくれないだろう。

 物見櫓に登りたがる観光客は、私の子どもの頃の記憶ではそう多くなかった。誰もいないことを祈って父を追いかけることにした。


 ──イヤーカフの通信はオープンのままにします。

 ──どこに耳があるかわからない。それだけは注意です。

 ──無理はしないでください。


 表面上は情報端末で商店街の紹介を装い、画面に打ち込むテキストで確認し合う。


「シチュー焼きは少し時間がかかるんです。あの、私、久々に物見櫓に登ってきたいんですがいいですか?」

「さっきお父上が掃除に行かれたばかりですし、掃除中で登れないのでは?」

「そうしたらすぐ戻ってきます。あとで二人も登ってみてください」


 ──行ってきます。


 昼過ぎの茶房は満席ではなく、ゆっくりと寛いでいるのは年配の方が多い。

 私たちの会話が聞こえてしまって物見櫓の興味を持たれてしまったらそれはそれだが、行ってみたら階段の下に掃除中の立て看板。看板に心の中で謝って階段を登っていく。

 幸運にも私のように看板を無視して登っている客はおらず、最上階のひとつ下で父を見つけた。


「こらっ、掃除中に入ってくるな! 土埃かぶるぞ!」

「うっわ! ごめんなさい! でも昔も言ったけど、掃除中ってだけで登っちゃダメとは書いてない~」


 と、言いながら端末を父の顔の前に出して見せる。


 ──伯父さんはどこ? 保護しに来た。


「! カッ! なっ、お、おまえ……」


 口に人差し指を交差するように立てて黙ってのジェスチャー。画面を消して父に近づく。


「なーんて、登っちゃいけないのはわかっていたけど、今日はそこまで長くいられないからこの景色が見たかったんだ。掃除手伝うから許してよ」

「……はああ……」


 軽い口調で話しながらも私の視線は父をまっすぐに見つめて真剣だ。

 あのメッセージを見せることが私の最大のミッション。このあとは父の反応次第。

 お願い、教えて!

 私の真っ直ぐな視線に父ががっくりと座り込んでしまった。


「ちょっ! ちょっと! 父さん、腰でも痛めたの?」


 近づいて耳元で囁く。


「痛いふりして連れてって」

「あー……」


 顔を覆ってしまった父だが、この絶好の機会を逃すものか。

 のろのろと顔を上げた父の顔は、さっきまでのにこにこ顔が嘘のように憔悴していて、イチゴちゃんの短かったメッセージの切実さが見えてきた。


「……お前が驚かすから腰を捻っちまったじゃねーか。まったく……」

「ごめんって、歩けそう? 誰か呼んでくる?」


 父は諦めたようにのってきてくれたが、まだ私を連れて行くのを迷っているのか動いてくれない。

 どうするかと思ったところに、コロンボンさんが下から呼びかけてくれた、


「リリカさーん、食事が来ましたよー」

「すみませんー、父を驚かしたら腰を痛めてしまって動けないんですー」

「ええっ? 大丈夫ですか?」


 そういって走って上がってきてくれたコロンボンさん。その顔も真剣だ。

 コロンボンさんは父に制服の胸に縫い付けてあるエンブレムを指差し、袖のラインを見せた。

 警備隊のエンブレムのデザインは全領共通だが、一番外側の縁取りの色が管轄で違う。袖に三本線の飾りの縫い付けがあるのは軍隊では少尉以上で、それ以上の階級はエンブレム下に付ける階級章で変わる。

 管理所では軍隊式の階級では呼ばないが、制服は軍隊の階級に倣ったものを身に着ける。

 コロンボンさんは軍隊で言えば少尉クラス。エンブレム下の階級章も少尉を表すものだ。

 一般人で軍隊の階級を詳しく知らなくても、「軍の制服でエンブレム下にもうひとつ形の違うエンブレムがあるのは偉い人」というくらいの認識はある。

 父もさっき店前でコロンボンさんのことは見ているので、わかっているとは思うが、今一度、認識してもらう。 コロンボンさんは下っ端の警備隊員ではない。階級職の偉い人が直接来たんだと、その意味もわかってくれと念じる。

 父はどこか恐れるような、けれど縋るような目をコロンボンさんに向けた。


「大丈夫ですか? 背負いましょうか?」

「……そうしてもらってもいいですか?」

「ええ、そう思って来ましたから」


 心配してますの声で呼びかけ、二人して父のことを目で脅す。

 父が大きく息を吐いた。

 落ちた。


「……どこで知っ……」

「あーあーあー、私、箒とモップを持って先に降りますね!」


 父が余計なことを言い出しそうだったので声でかき消し、先に降りてラワンのところへ。

 私のイヤーカフの通信でここでの会話はラワンさんとコロンボンさんには聞こえている。私と父の会話もコロンボンさんが来てくれてから会話も聞こえていたと思うが、ラワンさんはサラダを突きながら待っていてくれて、「どうしましたか?」と、とぼけて聞いてきいてくれた。法律士は腹の中を読まれないよう演じるのも仕事と言っていたが、妙に納得してしまった。

 母が他の席の注文品を持って出てきたので、手が空いたところで捕まえて父が腰を痛めてコロンボンさんが背負ってくると言えば、あらあらと言いながら物見櫓に向かって行くので、テーブルにある焼き立てのシチュー焼きに謝りながら私とラワンさんもついて行く。


「あなた大丈夫?」

「……ああ、ちょっと休むよ。お前も来てくれないか?」

「あら、そんなに痛むの? 治療師のババ呼んでくる?」

「いや! 横になってみて、それからでいい!」


 父が母を止めた声はちょっと驚く大きさで、母は何やら心配顔になってしまった。

 でも廊下で話せる内容じゃない。

 父はコロンボンさんに背負われ、進んでほしい方向を行って進んでいく。

 関係者以外立ち入り禁止となる先は従業員寮の棟ではなく、湯治場の組合長のある屋敷の方向。

 母が進む方向が自分たちが使っている部屋ではないことに気づく直前に、私は父に見せた画面を母に見せた。


「──!」

「母さん、焼いてもらったシチュー焼きどうしよう。持ってきてもいいかなあ」

「え? え、ええ、え? あっ! も、も、もっ、持ってくるわ!」


 ラワンさんが目配せしてくれたので小さく頷く。パタパタと走っていく母をラワンさんが追ってくれた。母が誰に接触したかを監視してもらう。


「父、重くないですか?」

「全くとは言いませんが、鍛えていますから大丈夫ですよ」

「あ、あ、あの、降ろしてください。歩きま」

「駄目ですよ。腰の痛みは最初のケアが肝心ですから。さあ、部屋はどこですか?」


 チラホラと従業員の姿があるので、父が腰を痛めた設定は続行。

 何人かにどうした? と声をかけられたが父は苦笑して、私に驚かされて腰を痛めたと愚痴り、組合長に呼ばれてたんで運んでもらってるんだと嘘をついた。私も帰省した挨拶に行きたかったからついてきたと嘘を重ねる。

 ここまでくればわかる。伯父は組合長の大屋敷にいる。


 若干登り坂の曲がりくねった道を行く先に見えてきたこのあたりでは一番大きな屋敷。組合長の大屋敷の前に警備の人がいて、父が背負われていることに驚いたが、父が手で大丈夫だとジェスチャーすると、歳なんだから無理すんなよーと軽い挨拶で通してくれた。

 大きな玄関に着き、コロンボンさんの背から降ろされた父は項垂れて動かない。


「どうしたあ? 腰をヤッちまったと連絡来たが、儂に何か急ぎの報告か?」


 父と同年代の組合長が小走りで出てきて、私とコロンボンさんを見て目を見張った。私というより、コロンボンさんの制服に驚いた気がしないでもない。

 項垂れていた父がノロノロと顔を上げて、「奥で……」とだけ言い、ゆっくりと立ち上がって組合長の耳元で何かを囁いた。

 私とコロンボンさんは組合長を真っ直ぐに見ていたが、父の囁きにカッと目を開き、私とコロンボンさんを順番に見て、ヘナヘナと座り込んでしまった。

 

「あー、いや、あー、これでよかったのか?」

「ああ、きっと」


 組合長のつぶやきに父が同意する。


「もう一人、俺の妻と一緒に男性が来るはずだ。通してくれるよう門番に言ってくれないか?」

「ああ、はあ……、まあ、ずっとなんて無理だった。おまえさんの娘は凄いな」

「俺もそう思うよ」


 中年太りが顕著な父と違って、ヒョロヒョロな組合長はこの数秒だけでどっと老けた気がする。

 二人について行く。

 子ども頃に走り回って怒られた大屋敷。子どもの頃、この先には行っちゃ駄目だときつく言われた区画に入り、まだ進む。その先に男性が数名いて、私たちの姿を見て身構えてきた。伯父の監視であり、警護でもある人たちだろう。


「大丈夫だ。通してくれ」


 組合長の一言で先に進む。

 また男性が一人、部屋の扉の前にいて私たちを見て驚き、身構えてきたが組合長が手を軽く振って諌める。

 その部屋の中に組合長が声をかけた。


「ジョルダン、儂だとサマドだ。顔を見に来た。入るよ」


 組合長は中からの応えを待たず部屋の扉を開け入っていくので、部屋の中を覗けば、車椅子に座った随分高齢の女性が見えた。組合長のお母様。懐かしさがこみ上げたが、今は伯父のことが先。


「おんや? リリカちゃんじゃないか! どうしてここに!」

「母さん、リリカちゃんはお見通しだ」


 このお屋敷を走り回って一番怒られた人であり、私を孫のように可愛がってくれた人。その組合長のお母様の車椅子と並ぶように座っていた男性は、見るからに窶れていて、顔色も悪い。

 これが伯父なのかと驚いたが、表情に出さないように努め、まっすぐに見つめる。

 私の記憶の中の伯父は私が五歳か六歳の頃の姿。三十歳を超えたくらいでちょっと太っていた。

 伯父と会った回数は多くなくて、顔もすぐに思い出せなかったのに、ガッハッハッと笑って頭をなでてくれた伯父の姿が脳裏に蘇る。


「あの山の向こうにも、こっち山の向こうにも、あっちの山の向こうにも街があって学校はある。ババ様が外の学校に行くのも一つの方法だって言ってんだろ? 俺もそう思うぞ」


 そうだ。なんで忘れていたんだろう。

 学校で一人ぼっちになっていたときに、伯父も私の背を後押ししてくれた人だ。

 あんなに溌剌としていた伯父だと思えない。

 父との年齢歳を考えれば五十歳を過ぎたばかりのはずで、それなのに七十歳か八十歳を超えていそうに見えてしまうほどに老けて見えて、体だって服を着ていてもわかる細さで、酷く痩けた頬。

 ああ、でも伯父だ。

 父と同じ下がり眉。


「リ……リカ……ちゃん……」

「伯父さん、助けに来たよ」


 驚愕の顔だった伯父さんの顔がぐしゃっと泣き顔に変わって、唸るような泣き声はしばらく続いた。


 イチゴちゃん、ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。

 間に合った。間に合ったよ。

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チビと私の平々凡々 愛賀 綴 @nanina_tsuzuru

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