33.戦艦の中で
戦艦から巨木を降ろす作業は雨の中となった。
すでに指定の発着場に買い取り先の商会は来ていて、テントなども設置されていた。
商会との取引確認はラワンさんが役目を負っていて、コロンボンさんは護衛のような役目。取引金額がなかなか大きく、商会側はこの地の領主館の財務関係者などが立会人として来ており、こちらも空軍の艦長と副艦長が立会人となってくれた。
私は戦艦内からチビを見守るだけだがいてほしいと言われて制服で待機。チビの式典デビュー後の初の他領地での仕事ということで、相棒はいることに意味があると言われた。
私は式典で着たロングジレの制服で、ラワンさんとコロンボンさんは詰め襟の制服。シャーヤランでは暑くて着られない制服だが、着いた場所は肌寒く、上着まで長袖の詰め襟では少し暑いかもしれないが、ロングジレは袖がないので長袖ブラウス。ちょうどいい気温だった。
シャーヤランでの式典デビューの模様は離れたこの地でも報道され、巨木の運搬にチビが登場したら大興奮。相棒の者はどこだ? と探され、ここでも握手を求められた。
チビが巨木を浮かせて商会の用意した車両に静かに積むまで、何度となく「オオオッ」とという感嘆の声とともに拍手が起きた。
細かな異能制御はまだ不慣れというチビ。巨木のバランスが取りにくく、相当必死だったのがわかるのは私だけ。他からは澄ました顔で動かしたように見えただろう。
あまりにも急な運搬と取引となったため、巨木の詳細な鑑定がしきれておらず、取引金額は実物鑑定によって確定する。
チビはが持って帰ってくる前に木の内部に空洞がないかなどは
鑑定機器を扱う人と、鑑定情報を告げられて興奮する商会の人たちの様子で、チビの言う通り巨木は良質らしい。
そして、最終鑑定結果を立会人も含めて確認し、告げられた金額に驚いた。
伐採班と話したチビからは「巨木すぎると材木にしにくいんだってー」という聞いていたので、聞き間違いかと挙動不審になりかけた。チビが尻尾で背中を撫でて落ち着けと合図をくれてよかった。
あの巨木は、森林信仰の厚い地域の祈祷殿の建て替えで使うのだという。
各地に巨木はあるが、どの地域も信仰の対象となったり、観光の目玉の一つとして保護されることが多いため、こうして材木として市場に出ることはとても稀なのだと、握手しながら拝み倒された。
私が伐採したわけではなし、巨木が原木の競りに出ないのは、巨木過ぎて通常流通向けに加工するのが面倒という事情があるからなのだが、言えるわけない。
よい取引先と巡り会えてよかったですと返した対応で間違いはなかったと思いたい。
祈祷殿の大柱の建て替えはすぐに行わなければならないものではないが、何年もかけて探さないと巡り会えないため、探していた甲斐があったと祈祷殿の偉い人らしい人が涙を浮かべていた。
そうでしたか。そうでしたか。
ニコニコと営業スマイルのラワンさん、生真面目顔のコロンボンさん、商会の人が帰るまで絶対笑ってはいけないと言い聞かせたチビ。チビを監視する私は貼り付けた笑顔。
こちらもチビがヨロヨロとよろけながら運んできた甲斐がありました。
お買い上げありがとうございました! とは言わなかったけど。
商会の方々が帰っていく車両が目視で見えなくなるまで見送り、最初に我慢を解いたのはコロンボンさんだった。
「すごい金額を聞いた……。後ろで聞いてて驚かないようにするのが大変だった」
「当初の予想金額を遥かに超えてきましたね。私も手が震えるのを抑えるのが大変でした」
「アレよりもう二回り小さいのも倒れていたけど、もう原木置き場もいっぱいだっていうから運ばなかったんだよね。持って帰ってきたらよかったかなー?」
「『まだあれば』、なんて言っていましたね」
「内部に空洞がないかを確認して、いけそうなら保存しておいて半年後くらいに交渉とかな」
「オレっち帰ったら
「チビ、あそこまで行くとなったら許可がいるから勝手はダメだぞ?」
「あー、そーだった」
「伐採班に言えばすぐ許可申請を出すでしょう。大丈夫ですよ。私も口添えしますし」
チビがニヤーッと笑い、ラワンさんとコロンボンさんもニヤリと笑っている。
私は雨をぼんやりと見て、シャーヤランもそろそろまとまった雨が降らないかな~と、会話から外れていたことは言うまでもない。
倒木のことは伐採班から上に報告されているだろうし、本当に売る気なら運搬依頼があるだろう。管理所が潤うのはいいこと。そういうことにしておこう。
商会への巨木の引き渡しが無事終わり、その裏で陸軍元帥の隊も乗り込み完了していた。
この地に陸軍元帥がいたことは秘密だとかで、物資補給の作業に紛れてシレッと戦艦に乗り込むと聞いていたが、取引相手の商会の方々はチビに会えて興奮し、巨木にも興奮して物資補給の作業の方は見てもなかっただろう。私もぜんぜんわからなかった。
緊張しながら陸軍元帥閣下にご挨拶したが、私の故郷にある警備隊の弛みのせいで呼び出しを食らう羽目になったんだろう? と、むしろ謝られた。
イチゴちゃんが頼らなかった故郷の警備隊。
私の故郷の警備隊は陸軍管轄になるそうで、本当に内部が駄目になっていたら一大事。イチゴちゃんだけが何かあって警備隊を信用していないだけで、人の社会として問題がないことを願いたい。
戦艦の部屋に戻り、制服からルームウェアに着替えていたら女性軍人さんが夕食の声がけに来てくれた。しかし、ぜんぜんお腹が空いていない。昼は残すのが申し訳なくて頑張って食べたけれど夕食は無理。部屋に閉じこもって動いていないからだと思う。
「わかりました。満腹と口寂しいのは違いますし、デザートになりそうなものをお持ちしましょう。食べられなさそうなら保冷庫に入れてください」
「本当にありがとうございます」
「制服が濡れてしまったでしょう? 明日までに洗って乾かしますので預かりますね」
「でも、洗うなら自分で」
「洗濯室は立ち入りさせられないエリアにあるので、気にせずに任せてください」
この後、シャワーを浴びて着替えることになる下着やルームウェアも気にせず出してほしいと言われ、専用の袋を渡された。
制服は先に洗濯室に持っていってくれて、そうしてデザートとして果物やカップケーキを持ってきてくれた際、ジャガイモのスライスチップも持ってきてくれた。甘いものより塩っぽいものがほしいこともあったりするので嬉しい心配り。
戦艦の高度が落ち着いたところで、チビのところまで歩く。少しは動かないと体が重たい。
チビは戦艦では食べないと決めてきていて、大きな容器に水とジュースをもらっていた。
出発前、「だって大量の生肉の積み込みと保管は大変でしょー? 解凍肉シャーベットも面白いけどサ。一日ちょっとの移動だから大丈夫!」と言い、戦艦に乗り込む前にモリモリ食べて、次は私の故郷に着いたところで食べられればいいとなっている。
巨大戦艦なので保管場所はあるものの、チビの申し出は地味に助かると言われ、到着する場所に牛一頭またはそれに相当する肉を用意してくれる手筈になっている。
チビは山盛りの魚でもいいよと言っていたが、山奥で大量の魚を用意するほうが無茶。つい先日、サプライズで領主様のところで魚の踊り食いをしたばかりだが、まだまだ魚への情熱は冷めないようだ。
チビのいるだだっ広い場所を一周。本当に広い。今ので何百メートル歩いたことになるんだろう。広い場所を歩きながら、チビにラワンさんとコロンボンさんのことを聞いたら、なかなか良好な関係のようだ。
夕食後は書きなぐった譜面をこの段階までで一度清書すると言って、チビのところには来ない。チビももう寝るという。
結局チビのいる場所を三周した。
日頃動き回っている量に比べると少ないが、ようやく体を動かしたという気持ちになった。
「リリカ落ち着かない?」
「う、うん……」
「寝袋借りてここで寝る?」
「ううん、部屋に戻る。ありがとうね」
チビの鼻筋に体を預けると、上下にユラユラ揺らしてくれる。このユラユラが好き。
部屋に戻り、シャワーを浴びて新しいルームウェアに着替える。
保冷庫に入れておいた大粒のブドウを食べたら、五粒だけでお腹がいっぱいになってしまった。数枚、ジャガイモのスライスチップスで塩気を楽しみ、歯を磨いてベッドに横になる。
ベッドの横にある小さな窓のブラインドを開けると真っ暗で、目が慣れてきたら星が瞬いているのが見えた。
明日の昼には故郷だ。
このあと深夜に陸軍基地に一時停泊し、陸軍元帥閣下はここで離脱すると説明された。当初は抜き打ちのような形で向かう予定と聞いていたが、その後の話し合いで陸軍所有の船で向かうことにしたのだという。私には詳しい説明はないが、軍として何かあったのだろう。
陸軍基地から私の故郷まで地図の直前距離は近いが、その間にあるのは巨大な山脈。
大陸で最高峰の山有する山脈超えの陸路は非常に遠回りで、飛行する船も小型だと聳える山の標高を超えられない。
私の故郷はこの大山脈だけでなく、三つの山脈が三角形を描くように囲む、若干隔絶した場所にある。一番標高が低い山脈から温泉が湧き、陸路の場合はこの標高の低い山脈ルートになり、近郊の街もこのルート。他の二つの山脈は中型以上の船で超えてくるのが普通で、山脈の谷の道をぐねぐねぐねと来るのは上級登山者くらい。
真冬の積雪は大人の身長を超えるが、湯治場付近は地熱で雪が溶け、ぽっかりと地面が見える。夏の気温もそう高くならないので、地熱がじんわりと上がってきても暑いと思ったことはない。
そんな故郷を私は早々に離れてしまった。
両親やよくしてくれた商店街の人たちに会うのはいいのだが、同年代に会いたくない。
故郷そのものが嫌いなわけではないが、来るたびに複雑な気持ちになる。
僅かに戦艦が揺れ、暗い思考に落ちる前に現実に戻った。
窓のブラインドを下げ、ベッドに入って安全ベルトを装着した。空の上の気流の乱れはわからないから、これで大きな揺れがあっても天井に吹っ飛んだり、床に落ちることもない。
朝からずっと何もしてなくて疲れていないが、ベッドに入ったらすぐに睡魔がやってきた。心が疲れているのかもしれないと思いながら、睡魔に身を委ねた。
明けた朝、窓とブラインドの隙間から見えた光は晴れ。ただしこれは雲の上。雲の下まで晴れとは限らない。
トイレをすませて顔を洗い、髪を整える。
よかった、お腹は空いている。しかし、昨日の昼のように頑張って食べるのはやめよう。
早すぎたかと思ったときには呼び出しブザーを押していて、戦艦応答機で軍人さんと連絡をとり、朝食は少なくしてもらった。
程なく持ってきてもらえた朝食はピタサンドとスープ。ただし、ピタサンドはボリューム満点。
ピタサンドのボリュームに慄きつつ、レタスで嵩張ってそう見えるだけだと思って食べた。通常の世話班業務で動き回っているならピタサンド二つだって食べられただろうが、今の私には多かった。
昨夕いただいた果物とカップケーキもあるので、午前の休憩時はそちらをもらうと答えた。
窓のブラインドを上げたら、私が乗せてもらっている戦艦と並走するように飛ぶ陸軍の戦艦が見えた。あちらの戦艦もデカイ。二隻の戦艦が来るなんて、湯治場と商店街は何事だ? と騒ぎになるだろう。
朝食の腹ごなしにチビのところに向かうと、ラワンさんとコロンボンさんがいて、細切れに鍵盤とギターを弾いては譜面と向き合い、チビは弾いてもらった音を聞いては鼻歌で音を紡ぐ。なかなかポップな曲の感じがする。
挨拶をして近づくと、ラワンさんとコロンボンさんもいい笑顔。
「二人ともすげーの! 鼻歌を音にしてくれんの!」
「チビの鼻歌が的確だからですよ」
「一回通してみるか? ラワンさっきの録音あるか?」
「あります。チビ、声は抑えめで。ここは響きすぎるので」
「りょーかい!」
披露してくれた『さかながたべたい』は、この前の街デビューで歌っていた『おひさまイェーイ』のように子どもがわいわいと踊りそうな曲になっていた。
チビの中では、「ここで腕を上げて、ここで片足の踵でトントン地面を蹴って、ここでみんなでぐるぐるまわる」という振り付けまでできていた。ラワンさんとコロンボンさんは線画のような簡素な絵で振り付けまで描き起こしてあって、ゴードンたちに踊らせる目論見らしい。きっと楽しく踊ることだろう。
もう一つの『魚の虜』はしっとりとしたバラードなのに、歌詞は魚のことばかりを真面目に歌いあげるギャップが笑いを誘うネタ曲。聞いていた軍人さんも歌い終わりで笑い出してしまった。
それにしてもどこで録音するつもりなんだろうと思ったら、もう場所も決まっていた。
「あの新しい休憩所で録音予定です。チビに異能の防音膜を張ってもらえば音漏れも外の音が入り込むのも防げます」
「それ、オニキスかフェフェに頼む! オレっちは全力で歌う!」
ラワンさんの手筈がすごい。
オニキスかフェフェなら呆れながらも手伝ってはくれそう。
しばらくチビたちの楽しそうな様子とともにいたが、湯治場まで一時間という案内があり、着替えに戻る。
着替えながら深呼吸。
これは帰省ではない。チビに仕事の依頼があり、初の他領での仕事で相棒の私も顔見せで同行している。
チビの仕事は巨木の運搬。昨日無事に終わった。
航路の関係で湯治場の近くを通ることになり、式典後として家族に顔を見せてきたらいいという配慮の寄り道。
そういうことになっている。
管理所でも私の伯父のことまで知るのは上層部と警備隊の役職者、妖獣世話班、法務班までしか共有されていない。
トウマに本当のことを言わないと決めたのは私。お祭り騒ぎとなったバーベキューのときに、外での初仕事だなと労われたが、本当のことを言えなくて後ろめたかった。
あの巨木取引のおかげでほとんど嘘のない帰省となった。管理所の法律士と警備隊がいるのも大きな取引の代役だったからと言える。
──着陸降下を開始。第三、第四は着陸後の最終確認。第一は……
窓の外を見る。
山肌から上がる湯気が見えた。高温の湯気が立つ場所で育つ草木は少なく、赤茶の山肌にポツポツと黄色と緑色がある。あの山が湯治場では最たる信仰の対象。
湯気の立つ山と麓の湯治場までは小さな山の連なりがあり、この小さな山は湯気立つ方向の山肌は緑が少ないが、湯治場のある麓に続く山肌は緑豊かになってくる。
その麓に立つ建物群が湯治場。複数の湯治場があり、組合長が取りまとめていて、物見櫓のある一際大きな建物が組合長の運営する湯治場で裏手に屋敷がある。
湯治場に続く道沿いが商店街。商店街までくると街の様相になり、その周囲にある透明の屋根はほぼ全てイチゴ栽培の温室。地熱を活かし、一年中多種多様なイチゴが栽培されている。
パース領最北部シシダ特別区。
今回はただいまと言えない。
来たよ、イチゴちゃん。
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