26.見た目じゃない

 同じ管理所で働いていても、そうそうトウマと会えることはない。

 トウマの所属する整備班の担当は大きな土木工事から小さな機械の修理まで多岐に渡り、管理所や博物館だけでなく、街からの依頼もある。

 他領では領の管轄と管理所の管轄がきっちり分けられているところも多いが、シャーヤランの領都周辺は管理所に委託して領地整備をしている。原始の森が国と領の共同管轄地である事情もあり、領行政だけで進められない公共工事も多い。

 民間の修理士もいるのだが、領民の家庭で発生する修繕をおもに請け負い、管理所はおもには公共施設の整備や点検、修繕と棲み分けはしているものの、緊急な修繕依頼は管理所の職員で請け負うことも多いため街に出るいることが多い。

 そんなこんなで整備班の職員は管理所にいないのが常。

 トウマと会えないことはしばしばなのだ。


 今年は初夏に長い遠征があってことで、街の商会と共同で進めていたいくつかの工事や定期点検などの計画が遅れてしまっている。計画の立て直しの期間中の整備班は、新しい休憩所や新しい温室などを作っていたが、街に出て行う作業が再開されてから私とトウマはなかなか会えずにいた。

 久しぶりに休みが重なった日、まあまあ野生人化が酷くなったトウマは、朝食が終わった時間にやってきて、持ってきた袋を山小屋のテラスに投げ、水着パンツ一枚で泉に向って行った。


「クソ暑い!」

「えっと?」


 声を掛ける隙間もない。

 トウマの後ろをのそりのそりとやってきたオニキスが静かに首を横に振るので、しばらく放っておけということらしい。


 トウマの野生人化に拍車がかかっていたので、見た目を隠したい嫌なことがあったのはすぐにわかった。

 まだトウマ本人から詳しく教えてもらっていないが、細切れに聞いてしまった情報をつなぎ合わせれば察するものはある。

 トウマは幼少期の見世物扱いで大きなトラウマがあるが、大人になるにつれて自分の見せ方もわかって使うようにはなった。だから整えて見せつけることもするけれど、その後がしばらくうるさくなる。やり過ごすためのボサボサの髪に無精髭も、ワイルドイケメンに変換されたらどうにもならない。


 見た目のよさを商売とする職業もあるし、なんなら私も首都で有名なコトノホ劇団の役者がカッコいいと、ファンブックを買ったりしたこともあるので、好みの容姿の人を見てキャーキャー言う気持ちはわからないこともないが、見た目を商売としているわけではないトウマにしてみれば、鬱陶しいだけなんだろう。


「式典のあとだし、街に出るんで整えていたんだがな」

「無理はしないでいいと思うけど」


 オニキスはトウマの野生人化はよくないと思っていて、理由の一つが、ボサボサ頭に髭ヅラは不潔と見えてしまうことがあり、街の仕事に出るときには適していない姿だと考えているから。

 そう聞くとオニキスはとっても真面目に思うが、実際は妖獣のオニキスの感覚では髪や髭がどうだろうとどうでもいい。ただ、聞こえてきてしまう陰口から、人の社会での見た目も大事だということを学んで、整備班の班長と揃って説教役を務めているのだ。やっぱり真面目だった。

 チビもたまに私が髪を適当に切るとぶーぶー言ってくるし、服選びでもぶーぶー言われる。

 私にはセンスがないらしいが、チビに選ばせてもセンスはないようなので、服を買うときは店員に任せるといいと思っている。


「……あのな、昨日、会いたくないヤツに会っちまって、そっちが大きい……」


 オニキスが下を向き、ボソリと零した言葉にトウマの古傷に触った何かがあったと悟った。

 何を言ったかわからない雄叫びのあとに大きな水音。トウマの苛立ちは相当らしい。

 オニキスがトウマをそっとしておこうとしているのだから、私もそっとしておこう。

 自惚れかもしれないが、むしゃくしゃを隠さずに見せてくれるのは、私を信頼しているんだと思っているのだ。そう思うと嬉しかったりする。


 トウマの奇行に、フクロウ二号が飛んできて「何事か?」と聞いてきたので、しばらくトウマをそっとしてやってほしいことを伝えたら、薄っすらとトウマの心の影を察してくれているので憐憫の瞳になった。

 朝の泉の水はなかなか冷たい。様子を見て早々に上がることを促し、万が一でも溺れたら助けようと言い、戻っていった。


 テラスに放り込まれた袋は感触や重量からして着替えの衣類だろう。オニキスに頼まれて、大型浮遊バイクにあった重たいバッグと中身不明の小箱も回収して山小屋に戻る。


 トウマはクソ暑いと言ったが、今朝はそこまで暑くはない。夜中に小雨が降り、早朝に霧も出て涼しさが残っている。そんな気温で水温の低い泉に飛び込めばすぐに寒くなり、そう長くは泳いでいられない。

 温かな湯を風呂を溜めておこう。


「そういや、チビはまだ帰らないのか?」

「一日置きに戻ってきてるよ? 会ってない?」

「五日前の牧場で会うは会ったが、鼻歌交じりにどっさり魔物を置いて飛んでって何も話しちゃいない。定期にしちゃ討伐が長いな?」

「あー……、討伐は終わってて、今は伐採班の森林調査の手伝いに行ってる」

「……魚への情熱はすごいな」

「……魚の歌が二曲もできたんだよ」


 作詞作曲チビによるアップテンポな『さかながたべたい』に、討伐隊の面々は抱腹絶倒。私は通信のこちら側で顔を覆った。

 伐採隊の面々にも披露し、誰がネタを吹き込んだのか、今度はバラード風の『魚の虜』が誕生。笑い過ぎて腹が痛くなる人多数。

 どちらの曲も要約すれば「満腹になるまで魚を食わせろ」と私に訴える内容で、チビの曲を知った何人もの職員から笑いながらチビ用の魚資金だとカンパされた。ありがたくチビ用に貯金にしている。


 オニキスが運べと行った小箱は何が入っているのか。勝手に開ける気にはならず、箱に鼻を近づけてくんくんと嗅いでみると僅かに甘さがある。箱の見た目からスイーツと判断して水平を保ったまま保冷庫に入れた。

 重たいバッグは工具も入っているのか、床に置く時にゴツンといい音がした。ナマモノは入っていないだろうから、玄関の入ったところに置いておく。

 風呂に湯を張って、テラスに放り込まれた袋はそのまま脱衣所の籠に置いておき、さて、何かつまめるものはないかと保冷庫の中を思い出すが、今朝残っていた卵も使い切りろくなものがない。

 ここのところセイの見張りで昼から夕方まで菜園にいるので、昼も夕食も管理所の職員用食堂で食べている。朝食は適当この上ない生活を続けた結果、食材がなくなった。


 泉といえば、ルシア先輩もほぼ毎日泉で泳いでいて、冷えた体を温めるため生姜湯を飲んでいる。そこから連想を続けて、生姜を使った味噌スープを作っておくことにした。

 温かさと塩気を摂らせるほんのり生姜風味の味噌スープ。具材はないに等しいが、タマネギとニンジンがあっただけマシだと思おう。

 タマネギとニンジンを細かく刻んで、薄っぺらにして冷凍してあるすりおろし生姜を適当な大きさに割って湯に放り込む。塩気が尖った味噌なので、米酒を沸騰させて酔う成分を飛ばし、僅かにはちみつを溶かすのが私レシピになってきた。

 ちゃっちゃか作っている途中で、遠くから「寒いーっ」というトウマの声が聞こえたので、玄関を開けておく。


「スライムー? どこにいるか知らないけど、トウマがびしょ濡れで上がってきてもそのまま風呂場に行かせてね? ちゃんと歩いたところは拭くから。聞いてるー?」


 完全に寝床にされたボウルにいないときのスライムは、どこにいるかわからないことが多々ある。山小屋から出ていることもあるが、叫んで呼びかけておけば大丈夫だろう。

 急いで作った味噌スープを味見したらちょっと濃かった。カップに三口分くらい注いで氷を入れてぬるめに冷ます。味も少し薄まるだろう。


「寒い寒い寒い寒いっ」

「はいはいはいはい、トウマ、これ飲んで。このまま風呂に直行」

「ありがとう!」


 トウマに味噌スープを飲ませて風呂場に行かせれば、「あったけえ!」という声からは棘がなくなっていた。

 スライムが出てくる前にトウマが歩いたところをさっさと掃除。トウマが履いてきたサンダルは外で軽く洗ってテラスに干しておいた。


 トウマは少し長い入浴から戻ってきたら髭がなかった。


「あれ? 髭、剃っちゃっていいの?」

「ああ、一回スッキリさせた。……その、すまなかったな」

「落ち着いたならいいよ」


 髭を剃って出てきたことにも驚いたが、トウマが上下に衣類を纏っている姿にも驚いた。シャツのボタンは閉めてないけど、まだ寒さがあるんだろうか? 朝の泉の水は本当に冷たいから、ちょっと心配になり、再び味噌スープを差し出す。


「トウマは来たばかりで申し訳ないけど、食材なんにもなくて売店に行きたいんだ」

「なんだったか水槽の温度調整が悪いとかなんとか言っていたから工具も持ってきたが、見たら売店行くか」

「覚えていてくれたんだ! 発光苔の水槽の温度が微妙に上がったり下がりで一定にならなくて」

「燃料石の不良は?」

「そう考えて入れ替えたけど、しっかり使える石だった」


 二人で味噌スープを飲み干して、苔を鑑賞する私の趣味部屋に行く。

 私は発光苔をいくつか鑑賞で持っているが、そのうち一つは学院時代から育てているもの。増殖したら専門機関に提供する約束もしている。管理所に来てからつぶさな研究はまったくできていないものの、絶滅の恐れがある苔の保護研究者の一人なのだ。


 苔部屋は暗い。発光苔の区画は部屋をさらに区切って暗いが完全に闇でも育たないので、薄暗さにも気を配っている。手持ち照明で水槽を照らし、トウマが水槽に取り付けられている空調制御部分をじっくりと見てくれた。


「うーん……、パッと見る限り異常はないが、この部分の中か? 分解して見てみないとわからんな」


 なかなかお高い魔導具制御付き水槽なので、懐事情としては買い替えはもう一年先だと嬉しい。

 保護研究者であり、指定の苔の飼育状況は毎月報告しているから専門機関から研究補助費はいただいているが、実績が乏しいので水槽一つ買える金額ではない。部屋の空調代と水槽の維持に必要な燃料石で消えてしまう。

 そもそもスライムが水槽を溶かして駄目にして買い替えたことで、苔用の費用はマイナスなのだ。

 そもそものそもそもで私が掃除を怠ってスライムを怒らせたのも悪いのだが……。他の研究者の場合は服を穴だらけにしていたのに、なぜ私への攻撃は水槽なのか。本当にアイツはよくわかっている。


 一度、居間に戻り、トウマは玄関に置いておいたバッグから工具箱を出して、持ってきたものを確認し始めた。トウマの向かいに座り、床に並べた工具を見ても、何に使うのかわからないものも多い。


「よし、売店に行こう。リリカが売店にいる間に整備班の倉庫に寄ってくる」

「直る?」

「なんとも言えんが、望みはあるから俺を祈るな」


 懐事情的に切実なので!

 ふっとトウマが吹き出して笑い出した。私の祈る姿がそんなに切実でおかしかったのだろうか?


「あー、リリカは俺が髭ヅラだろうが髭がなかろうが変わらないな」

「うん? そうね?」


 髭があろうがなかろうが、どうでもいいのは本音。

 式典数日前からスッキリさっぱりしたトウマの姿をずっと見ていたから、だいぶ慣れたと思う。頭の中が浮かれポンチになってパニクるのも落ち着いてきたような気もする。


「慣れって凄いな」

「ぶはははっ、慣れかよ」


 トウマに初めて会ったのはオニキスの相棒だと紹介されたとき。

 実は初対面だったときのことはまったく覚えていない。

 髭のない姿で会っていたなら、イケメンだと思っただろうから無精髭姿だったんだろう。

 管理所の職員はとても多くて、研修講師役の職員と所属部門の職員の顔を名前を覚えるだけでも必死だった。採用されてすぐの頃は整備班と接する機会もなかったはずで、ぜんぜん覚えていない。


 その後、チビとオニキスが一緒にぷかぷか浮かんでいることが増え、ヘソ天で宙を漂う二匹を見て、トウマが呆れて見ていたことは覚えている。


 私はチビのねぐらのことがあって、採用されて一週間目には山小屋住まいだった。山小屋に家具を運び入れる期間だけ職員寮にいたが、緊急で使う客室のようなところだったので、職員と交流する機会もなく、採用されたばかりで右も左もわからない。

 今思えば、職員寮住まいなら、仕事外の時間に他部署の職員たちとも会う機会もあって、接点を持った人たちとの雑談でもっと知ることも多くあっただろう。

 山小屋では、風と木々の擦れる音とたまに聞こえてきたチビの陽気な歌声が夜の友。

 研修に次ぐ研修、終わってもゴゴジの特別研修の日々。

 管理所職員の各自の人となりを知る情報が少なかったのは確か。接点の多くない人まで知ろうとする余裕もなかった。


 調理場と菜園の職員との接点が持ててから、かなり変わったとは思う。

 今夏の式典まで私がトウマの髭のない姿を知らなかったことにみんな驚いていたけど、同様に私が自分で髪を切っていることも誰も知らなかった。お互いさまだと思う。


 トウマは菜園の職員同様に上半身裸族の一人なので「その肉体美はもうわかった。服を着ろ」と何度も言っていた相手。

 そのトウマから付き合わないかと言われたときは、驚いたし、なんで私? だった。

 私はとくに綺麗なわけでもなく、可愛いわけでもなく、かっこよさもなく、飛び級はしたけどあれは努力したからで秀でて頭がいいわけでもなく、自慢できるような特技もなく、私の性格をどう判断してもらえているかはわからないが、清廉潔白とはいえないし、ガッチガチな品行方正というわけでもない。法に違反することはしてないけど。

 真面目といえば真面目だが、クソ真面目でもない。

 そんな私でも学院で好かれたことはあり、とても不思議だった。


 トウマと接点が多くなったのは、トウマがいない間のオニキスの世話をするようになってから。

 最初の頃、トウマと話す内容はオニキスが何を食べたか、チビと何をして遊んでいたかという、世話係としての業務報告だった。

 毎度、トウマについては服を着ろと思うくらいで、無精髭は無精髭として見慣れてしまっていたこともあり、誠実な人柄なのはオニキスとトウマの関係から感じていた。

 付き合わないかと言われて、頭の中で疑問符だらけになりながらも、告白を拒絶はしなかった。


 誰かに告白されたのは初めてではない。けれど、了承したのは初めてで、私にとっては初彼氏。

 私はトウマの容姿にときめいて付き合うことを決めたわけじゃないから、トウマはそういう私を面白いと思ってはいるんだろうとは思っている。


「湯治場はさ、いろんな人が来るんだ」

「ううん?」

「私の故郷。怪我をした人、病気の人。湯治での癒やしを求めにやってきて、介助が必要な人もたくさん。子どもの頃に手伝って、たくさん見たんだ」


 手術や怪我で縫った跡、引き攣れて治らない皮膚、それが背中だったり、腹だったり、脚だったり、顔だったり──

 怪我の跡が顔にあって、事情も何も知らなければ怖く見えただろう中年の男性。笑うと引き攣って痛むから笑えないと、泣きそうになっていたおじさんは、とっても優しかった。

 最期の楽しみにとやってくる高齢の人も多くいた。

 若い頃はとてもきれいな顔をした女性も精悍な顔だった男性も、皺だらけで、シミもできてしまって、歳を取ったなぁってお茶を出したときに雑談に付き合って、写真を見せてくれたりもした。


 ときに見た目も大事ではある。

 でも、見た目じゃない。

 そして、人は老ける。


「トウマはカッコイイよ。でも私が言うカッコイイは顔のことじゃなくて、いや、あの、その、顔もカッコイイけど、頑張っている姿とオニキスに接する姿とか、この人は誠実なんだなって思ったからお付き合いしてもいいかなって思ったっていうか」


 私は急に何を言い出したんだろうか?

 ボッ! と顔が熱くなった。

 自覚したくなかったドキドキ感。

 言わんでいいことを言ってしまうくらいに、浮かれているのは状況もある。

 山小屋には二人だけ。

 風呂から出てきたら髭のないトウマはカッコいい。

 上着の前ボタンを留めないのはわざとか?

 チラリズムは素晴らしい!

 って、私は何を考えているんだ?


「ぶふっ! そんなにおろおろするなよ」

「あーあーあー、聞かなかったことにー」

「しっかり聞いたよ。ありがとな」


 顔を覆って床に丸まりかけたら、額を隠していた指先に落ちてきた口づけ。


「だーーーっ!」

「なんで叫ぶんだよ。はははっ」


 きっちり床に丸まって悶えていたら、急にトウマが焦った声を上げたのでそっと顔を上げれば、スライムがトウマに向かってウヨウヨ迫っていた。


 ……見たことある、その動き。


「なんなんだ!」

「……」


 スライムによる祝いの舞。

 どっから出てきた? 今、披露しなくてもいいじゃないか。私とトウマにしてみればいい雰囲気だったんだから邪魔するな。私が一人になるまで我慢してくれてもいいじゃないか。

 でも、落ち着いた。

 ありがとうスライム。

 よし、売店に行こう。

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