21.風邪をひいてしまった

 式典の翌日から、一年の中でもっとも忙しい怒涛の夏がやってきた。

 とは言え、妖獣世話班は裏方なので、直接的な観光客対応の目まぐるしさはない。

 お客様の妖獣は表に出すことはなく、預けられている間の平穏を与えるのが私たちの仕事。

 たとえ、妖獣大運動会が開催されようとも。


「今年はおかしい……」

「多い、多すぎる……」

「元気もよすぎる……」


 たとえ、妖獣歌唱力大会が開催されようとも。


「そろそろ終わりにしないか」

「みんなうまいのはわかった」

「繰り返さないぞ終わりだぞ」


 サリー先輩、ルシア先輩、ニット先輩が山小屋のテラスの向こう側でぐったりしているのが見える。

 私はテラスに続く居間に用意してもらった寝具の上でぐったり。


「ぶぇっくし! ズズズ…」

「ホラ、また鼻水が酷く出てるじゃないの。薬は飲んだ?」

「ぶぴっ」

「鼻かみなさい」


 私は風邪を引いてしまった。

 今はペニンダさんが食堂から野菜スープを持ってきてくれて、他に食べられそうなものを作り置きしてくれている。


「おだずみだのにずみまぜん」

「いいのよ、気にしないで寝なさい」


 ペニンダさんはお休みなのに、旦那さんのシード先輩も揃ってお休みなのに、混み合う街に出るよりここのほうがいいと言って、山小屋に来てくれた。私や外でぐったりしている先輩たちの世話をしていたらぜんぜん休みじゃない。

 ニット先輩もまだ育児休暇で奥さんとお子さんについていなきゃなのに、ヘルプで来てくれて、奥さんに申し訳ない。


「ゴホゴホゴホッ」

「あれこれ気にしないの。ホラ、薬飲んで寝なさい」


 早くよくなりたいので医務室でもらった薬を飲む。苦くて甘い独特な味の粉薬は、飲みにくいなら常温の水に溶かして飲んでいいと言われたが、溶かしても味の微妙さは変わらない。

 一気にいこう。

 口の中に粉薬を含み飲み込んだ。

 うぇぇ、不味い!


 式典の翌日はまだよかった。その次の日にだるい感じがあって、もしかしたら珍しく生理痛の前兆が酷いのかもしれないと思い、医務室で鎮痛剤をもらおうと行った。微熱も前兆のせいだろうと思ったが医務員さんがリーダーなどに微熱があると報告。無理はするなと急きょ早退となり、その後に高熱になった。

 式典が終わって、精神的張り詰めていた何かが緩んでしまったのかもしれない。しかし、式典のようなビッグイベントがあっても他の人たちは粛々と仕事をしている。私も頑張らなくちゃと無意識下で気張っていた努力も、次の勤務休みまで保たなかった自分が情けなくて仕方ない。


 高熱になるとなぜ全身筋肉痛の酷い痛みが襲うのか。

 夜、山小屋で一人唸る私を心配して、チビも山小屋の窓から覗いてウロウロしていたと聞いたが、なんとスライムがリーダーの別荘に侵入し、リーダーを起こして医務室に連行された。


「寝ていたらスライムがぶっ叩いてきたんだぞ」


 ご迷惑をおかけしました。

 チビもフェフェもなんでスライムを止めなかったのよ。面白かったって? そうだろうね。私も見たかった。


 医務室に運ばれて、熱による全身の痛みに苦しむ私だったが、医務員さんが診てくれていた際に咳をしていたため、検査をしたら風邪の診断。「隔離対象のウイルス感染ではないけど、風邪もウイルスだから」とその夜は医務室に。

 翌朝、生理がきてしまい、久々に生理痛が酷く、高熱も下がらなくてノックアウト。結局二日間医務室でお世話になった。


 山小屋に戻ってきたけれど、とくに鼻水が酷く熱がなかなか下がらない。

 今日も仕事は休み。少ない有給休暇を使い切りそう。

 二階のベッドの敷布団を汗でびっしょりにしてしまい、マットレスも干している。

 二階と一階の行き来がしんどいこともあり、居間に予備の敷布団を引っ張り出してきて寝ることにした。二階にある空き部屋で寝るより、一階のほうがトイレや台所に飲み物を取りに行きやすい。立ち上がりきれず四つん這いでトイレに行くこともあったので、一階玄関から室内を土足厳禁の作りに変えてよかったと思った。


「食欲は戻ってきているし、栄養摂って寝るんだよ。中途半端だとぶり返すよ」

「ぞうじまず」


 ペニンダさんが寝ている枕元にポットやコップ、小さい保冷ボックスを置いていってくれて、中にはカットされた果物が入っていた。とてもありがたい。


 外からはシード先輩とフクロウたちの楽しげ声が聞こえてくる。

 私がくたばっていた間に、チイの葉がある谷のさらに奥で痺れ辛子が見つかったのだ。

 商会にお願いして仕入れたのは、指二本分くらいのゴツゴツとした太く長めの根茎が食べるところだと教えてもらったが、チビとオニキスが見つけてくれたのは根茎が短くて発育不足のような痺れ辛子。

 フェフェがリーダーの情報端末を奪って調べたところ、痺れ辛子にもいくつもの種類があって、見つかった痺れ辛子はそこまで根茎が大きくならない種類だった。食べるなら葉と茎だとして、リーダー他、妖獣世話班の私以外のメンバーが葉をパクリ。もれなく全員で「かーらーいーッ! 何だこれはーッ!」という罰ゲームじみたことがあったらしい。痺れ辛子という名前で想像できそうなものなのに。みんなが食べたときの状況を見たかった。


 人が食べるには不向きと判断され、しかしフクロウたちは嬉しそうに葉を食べたので、谷まで採りに行かなくても山小屋の側を流れる小川の一部で育てられないかとシード先輩が画策してくれている。

 私の中にある謎の記憶では、痺れ辛子に似た山葵なるものの茎や葉を、ピクルスのように酢漬けにする情報があるのだ。人が食べるには不向きという判断を覆してみせよう。早く回復せねば。


 そんなことを思いながらいつの間にか寝たらしい。寝ていたのは三時間くらいで、まだ昼を過ぎたばかりの時間。

 外から楽しそうな喧騒は聞こえてくるけれど、物音一つしない空間にいるよりホッとする。


 風邪をひくと体を温めたほうがいいのに、湯冷めをするから風呂は駄目だという情報もあったりする。

 私の故郷にある湯治場には蒸気風呂があった。シャーヤランでは蒸気で楽しむ入浴方法は一般的ではなく、職員寮の大浴場にも蒸気部屋がない。

 毎日入りたいわけでもないから山小屋を改築してどうこうしようとは思わないが、思い出すと入りたい。次に帰省したら入ろう。


 汗もかいているし、体をスッキリさせたい。

 入浴するか、やめておいたほうがいいかと迷いに迷い、湯冷めしないように注意して入ることにした。

 空腹での入浴は逆上せたり、気持ち悪くなってしまう。

 食欲も戻ってきたので、浴槽に湯が溜まるまでにしっかりと野菜スープをいただいた。

 スープは溶き卵入りでシャキシャキ食感の芋が千切りで入っていた。栄養満点病気知らずと謳われていた芋で、オパール一号の食べ悪阻対策で買ってみたものの一つ。オパールたちは芋類はあまり食べなかったため不採用になったけど。

 シャーヤラン領のある地域では芋を使った料理が豊富にあって、芋の種類もなかなか豊富。この栄養満点病気知らずが謳い文句の芋はこっちに来てから知った。茹でてもシャキシャキ食感があって咀嚼するのが楽しい。


 商会の倉庫に買い物に出た際、いろいろな芋を見たことを思い出していたら、ふっと頭の中に見知らぬ情報が出てきた。

 芋をひしおと痺れ辛子で漬ける料理?

 私の中の不思議な記憶の情報は食べ物が多い。食べ物以外のことも出てくるけれど、私が活かせる情報ではないものが多くて、へぇ~で終わってしまって霧散し、私も忘れてしまう。

 それにしても自分ではめくることができない頭の中の図鑑は気まぐれ。情報を知っても何のことだかわからないものや、へぇ~で終わらせるものも多いが、痺れ辛子を使う調理には興味がある。元気になったら試してみよう。


 スープだけでは物足りず、ペニンダさんが用意してくれた保冷ボックスの果物を食べ、いったん満腹。摂ったものが水分ばかりな気がするけど、入浴前の水分補給は大事。そういうことにしておいた。


 食べた後に風呂に入ったら、鼻の通りがいい。蒸気の偉大さを感じる。

 しっかり体を拭き、普段、髪は自然乾燥なのだが、髪乾燥機ドライヤーでさっさと乾かす。髪乾燥機ドライヤーからの温風で暑くなり汗をかくのが嫌で、夏場は使いたくない派。面倒臭がりとも言う。

 干していた敷布団とマットレスを部屋に取り込めば、日差しにさらしていたので触りたくないくらいほっかほか。今日は居間で使っている布団で寝て、明日から部屋に戻ろう。

 朝までに汗をかいて三回着替えたので、寝間着や寝間着代わりに来たシャツとルームパンツもタオルもカラリと乾いていて気持ちいい。


 入浴したからか、薬が効いているのか、かなりよくなった感じがするけれど、これでぶり返したら困る。

 今の私がやらねばならないのは、栄養を摂って、睡眠を取って、体を癒やして、体調を治すこと。

 ペニンダさんが作り置きしてくれたジャガイモやハムなど具だくさんなオムレツを食べて、ピタ生地にジャムを塗ってごちそうさま。

 歯を磨いて、居間の敷布団の上に大判タオルを二枚敷き、これで寝汗をかいても敷布団が酷いことにはならないだろう。マスクも忘れない。

 次に起きたときは治っていますように。

 そう祈りながら微睡みに落ちた。


 ──荒野。

 荒野ならまだいい。

 不毛の大地。

 命の気配のない、絶望の広がり。

 こんなところで生きることなんて無理だ。

 食べるものもない。

 水もない。

 日差しも雨も風も遮るものがなく、餓死より先に、水が摂れないことでの死しかない。

 何もない。

 何も。


 ──奢りと欲望が求めた末の栄華の終わり


「──! ──ッ!」


 草一つ生える気配のない砂。

 ああ、沈む。

 砂に埋まって──


「リリカッ!」


 強く揺さぶられて起きた。

 ルシア先輩だった。後ろにサリー先輩もいる。


「リリカッ! リリカ起きた? リリカッ! リリカッ!」


 外から焦ったチビの声。

 チビが大きな体を屈めて、テラス側の窓から居間を覗き込んでいる。


「……起きたよ、……チビ」

「起きた! リリカ起きた!」

「チビが突然慌ててさ、急いで起こせっていうから合鍵で入ったよ。ちょっと、本当にすっごい汗。着替えようっ!」


 ルシア先輩とサリー先輩が心配そうな顔で見てくるけど、この汗はきっと熱のせい。

 また寝間着がびっしょり。マスクもいい感じに湿ってる。敷布団の上にタオル二枚敷いておいてよかった。新しいタオルに取り替えよう。


「熱さに溺れる、夢? ……もうよく覚えてないけど、変な夢を見てたみたいです」

「ほらほら、汗で冷えてちゃうから着替えきな」


 ルシア先輩に促されて窓の外にいるチビに頷き、二階の部屋に行く。

 チビの顔が窓の外にある。浮いてきたんだろう。窓を開ければチビが鼻先を入れてくるので抱きついた。


「リリカ……」

「大丈夫」


 前に風邪をひいたときも変な夢を見て魘されていたと聞いた。私の中に入ってしまった不思議な記憶が見せてくるのだとしたら、あれはつらい。生命が生きられるような場所ではなかった。


「なんかね、一面ずっと砂で、何もない。何もなかったの」

「夢だよ。夢」

「うん、夢。夢って変なこといっぱい」

「いっぱい。そう、夢は変なこといっぱい」


 夢。そう思わないとつらい。

 もし、あれが誰かの記憶だったとしたら──


 いや考えるな。

 わからないほうがいいこともある。


 あれは夢。

 夢。


「冷えちゃう前に着替えな。早く元気になって」

「うん」


 乾いた寝間着と下着に着替えて下に降りる。

 まだ少し鼻水が出てくるが、きつかった体調からスポンと抜けた感じがする。ここで気を抜かず、ぶり返さないのが大事。

 外の明るさには翳りがあり、あと一時間もすれば日が落ちる時間になっていた。


「私らそろそろ帰るけど、なにかあったらすぐに連絡するのよ?」

「リーダーは管理所で打ち合わせか何かに行ってる。シード先輩とペニンダさんが帰るときに連れてってもらったよ」

「鼻水の酷さがマシになりました。明日は復活します!」

「朝は鼻声で酷かったけど、よかったよー」

「ぶり返さないようにね」


 ニット先輩は昼過ぎに離脱して本来の育児休暇で奥さんとお子さまと一緒。無理すんなよという伝言が残っていた。


 山小屋付近に残ると言い張る妖獣たちは、チビとオニキスが見てくれるので、騒がないようにお願いする。朝までえんえん続く妖獣大舞踏会の開催は勘弁してもらいたい。まだ本調子じゃないから寝かせてほしい。頼む。


 かなり汗をかいたから水分補給。

 水だけ飲むのはなんとなく口寂しく、残りのスープを飲み、ペニンダさんがもう一つ作り置きしてくれていたマッシュポテトを食べた。

 体調がよくなくてイヤーカフの通信魔道具は自動応答にしておいたが、トウマからメッセージが入っていた。オニキスに差し入れを持って行かせたとあったが何も受け取ってない。

 居間のテラス側の窓を開けてオニキスを探すとすぐ近くにいた。


「オニキスー、トウマから預かっているものは?」

「あ、忘れてた。ちょっと待ってて!」


 オニキスがバビュンと消えた。いったいどこに忘れてきたのか。

 どこまで行ったのかわからないので窓を閉めようとしたら、袋を咥えたオニキスが帰ってきていた。


「これ」

「わー、スイカ。ずいぶん冷えてるけどどこにおいてたの?」 

「チビのねぐらの奥の奥」


 なるほど。あそこは涼しいというより寒い。洞窟の手前あたりは、外気の暑さと奥からの冷気がいい具合に混ざって過ごしやすいけれど。


「トウマも心配してたけど、明日は会えそう?」

「ぶり返さないようにまた寝る!」


 寝るの言葉にチビがピクッと反応して見てきた。悪夢に魘されていたらなんとかして起こしてね。

 私、チビに甘えてんなぁ。


 せっかく貰ったスイカ。もう少し水分補給してもいいだろうと、早速スイカを切って食べる。小玉だけど半分でも多い。四分の一も食べればいい具合に満腹感。トイレに起きる回数が増えそうだが、汗でも便でも出すもの出すとよくなる気がする。よくなるという思い込みも大事だと聞いたことがある。汗と排泄で体の中に残る病気の何かよ、出ていってくれー!

 体調はかなりよくなった感じはするけれど、医務室で出してもらった薬は飲む。苦くて甘い独特な味はなんとかならないものなのか。なぜ粉末なのか。錠剤はなかったのか。歯磨きして口の中をリセットだ。


 トウマはまだ仕事中だろうか? と思いながらも通信してみたら、すぐに繋がったのでスイカのお礼を言った。


「俺も昨日は休みで今日も早上がりだ」

「トウマも風邪ひいたの? 大丈夫? 無理してない?」

「違う違う、休みが溜まってんだ。消化しろってさ」

「あー」


 トウマもだが、整備班は式典まであっちこっちに出動して全員連勤だと言っていた。式典が終ったので順番に休みを取っているんだという。


「元気そうな声聞けてよかった。何日か前は地を這うような唸り声だったから心配したんだぞ」

「熱下がらないし、全身痛いし、本当につらかった」

「明日、時間があったら会おうや。昨日な、買うかレンタルにするか決めてないって言ってたけど、バイク見てきたんだ。勝手だが仮確保してきてる。撮ってきた映像見せるよ」

「わあ! ありがとう。朝起きたら連絡する」

「おー、薬飲んで寝ろよ」

「薬は飲んだから寝る」


 通信を切って、数秒耐えたけどニヨニヨっとしてしまった。

 なんだか私たちいい雰囲気じゃないですか。自分のことだけど、なんだかいい雰囲気じゃないですか。これが世にいうカップルのラブラブった会話ですか?

 おい、スライム、なんで逃げるんだよ。

 こら待て、スライム。トウマと私の関係いい雰囲気だと思わない? だから、逃げるなってば!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る