19.式典本番
管理所の建物を乗り越え、屋上に出ると大通り向こうの博物館が見えた。大通りの群衆の広がりを見渡しそうになったが、少しの動きがバランスを崩す。正面に視線を戻せば博物館の屋上にたくさんの人が並んでいて、手を振ってくれるが応える余裕はない。
屋上に馬の姿は見えなかったので、オパールたち妖獣を引き連れた世話班のみんなはどこかの窓から見てくれているだろう。
なかなか広い管理所の屋上を通り過ぎ、正面広場の上に出る。
途端に、ウオオオオッ! ウワアアアッ! という驚きの声は予想済み。
チビを連れて商会の倉庫に買い物へ出たことがあるので、一部の街の人はチビの姿を知っているけれど、多くの人は知らない。あの商会長にも最初は本当に驚かれた。
チビは大きい。顔も怖い。鋭い鈎爪を見れば絶望しかなくなる。
でも凄く優しい。
この式典にチビが出るのは、人が愚かな諍いをしない策の一つになるならと考えてくれているから。
息を詰めている自分に気付き、暗闇に落ちそうだった意識を目の前に集中させる。
浅めに息を吸って、静かに息を吐いた。
人、人、人。
こんなに多くの人の前に立つことがあるなんて思わなかった。
学校の学年を飛び級して目立ってしまったことはあったけれど、それ以外ではどちらかと言うと目立たないように生きてきた。人の前に立って何かをする職業につくつもりもなかった。
心臓がバクバクする。
暑さからではない汗が出てくる。
チビの後ろ脚に添えた手に力が入る。
もう戻れない。
式典に出る背景にムカついている気持ちはやっぱりあって、歓声を受けても素直に嬉しいと思えないのは、私の心が歪んでいるのだろうか?
チビは「せっかくだからさ~、楽しもう~」と言ってくれた。
オニキスとフェフェも「お祭りお祭りイェーイ」と言って和ませてくれた。
リーダーやトウマは淡々とした姿を私に見せることで、妖獣の相棒となった決意や覚悟のようなものを教えてくれた。
微笑め、私。
チビの評価まで下がってしまう。
微笑むんだ。
もうすぐ下降する。
意識して息を吸って息を吐いて、口を結ぶ。口角を上げろ!
数秒、上空で止まっていたがゆっくりと下降する。
顔を下げないように、視線も下向きにならないように正面を向く。
正面だけを見ていると真下の様子は見えなくて、大通りの向こうの博物館の広場と、博物館の屋上の人たちが蠢くように盛り上がっているのが見えていた。
どんどん高度が下がっていく。
バサバサとはためくロングジレの裾。内側ボタンでズボンに留めているのと、裾にある飾り紐の刺繍が重しとなり、捲れ過ぎることはない。
ステージに近いの来賓席も視界に入ってきた。
オニキスとフェフェが当日は高さの目安があるから大丈夫だと言っていた意味がわかった。
報道機材を設置した
チビは二匹から話を聞いて三匹で話し合っていた。揃う高さは見つけているはずだ。
来賓席より前列に座っていたゴードンたちが、椅子から立ち上がって力の限り拍手して、フェフェ、チビ、オニキスと順番に名前を叫んでくれている。
ねぇちゃんきれいー! かっこいいー! チビかっこいいぞー! というゴードンの声がハッキリ聞こえてきて自然と表情が緩む。私をリリカ
練習の際の来賓席の見え方とほぼ同じなってきたように思う。最後のリハーサルでは、そこから一メートル下と言われた。そろそろ止まる高さだ。
停止!
威風堂々たるリーダー。
毎年のこのお披露目のためだけに体を鍛えている。もともと肩幅があり、鍛えたことで厚みも出て存在感が増したと教えてくれたのはシード先輩。マッチョ仲間としても仲良し。
リーダーの元々の髪色は黒だが歳もあって白髪混じり。それをこの式典に合わせてわざわざ青みのある黒に染めた。毎年そうしていて、肩に乗せたフェフェの黄金の毛の煌めきとの対比がいい。
フェフェは長い耳をピンと伸ばし、長い尾をゆらりゆらりとさせ、可愛さを溢れさせていることだろう。
トウマははっきり言おう。顔がいい。体躯も素晴らしい。リーダーやシード先輩に比べると細身だが、身長もあってスラリとしている。
黄色い歓声があがらない方がおかしい。
少し癖のある漆黒の髪は短くし過ぎず、後ろにかきあげて額を出したスタイリング。三人揃って髪を整えたとき、ベリア大先輩が本番のスタイリングの練習と称していくつか試してこのヘアスタイルになった。
トウマの単に疲れているだけの目が憂いを帯びた印象になり、どこかエロティックさもあって、頭の中は浮かれポンチの大フィーバーになったのは言うまでもなく。あの日は帰ってからボウルに入って寝ていたスライムを揺すって起こして惚気けて、ウザがられてボウルから逃げられた。逃げるな、よく聞け、トウマがカッコいい。
トウマの隣に並ぶオニキスは、狼よりも遥かに大きな巨体に三つの尾がある。
黒に見える毛は光の加減で紫紺の光を返してくる神秘の輝き。リーダーの髪の色はこのオニキスの毛の色に寄せた色だ。顎の下から胸、腹にかけての純白の毛も輝くときには青みがある不思議な色。
オニキスの冷たく見える青の瞳までトウマと揃っていて、野性的なカッコよさと野性味溢れたカッコいいが並べば、カッコいい以外の言葉は出てこない。
今回デビューのチビ。はっきりとデカい。
牙と爪の鋭さから想像できる殺傷力。踏みつけられたら圧死確実。顔だってどう見ても怖い。
でも本当に優しい。この式典に出ていいと言ってくれたときの言葉を思い出すと、今だって泣いてしまいそう。
後ろ脚の長さが私の身長とほぼ同じ。本物のティラノサウルスだったら、私の身長よりもっと長いと私の中の私ではない記憶が言ってくる。ならばチビはミニティラノサウルスだ。アロサウルスかな。そんなことを思っても私の中の記憶に浮かんでくる恐竜を知る人はいない。ティラノサウルスより前脚はしっかりしていて、握り潰されかねない前脚に包まれると安心するのは私だけだろう。
チビの鱗は琥珀色、蜂蜜色、飴色といくつかの色が混在している。派手に輝きすぎず落ち着きがあり、顔や背中、腹などの場所によって少しずつ色が違う。目は緑と金が混じる不思議な色。
そのチビの隣にちょこんと立つ私は、この国の平均的な身長のメス型の人。リーダーやトウマと並ぶと頭一つは低い。違う、奴らがでかい。そうしておこう。
チビの鱗の色に埋没して目立たなくてよかったのに、ベリア大先輩が焦げ茶の髪をピンクがかった茶色に染めてしまった。拒否権はなかった。ステージでの見栄えなんてどうでもいいのに、現実はそうはいかない。
今朝、休憩所に見に来てくれたとき、もっと赤くてもよかったかね? と不満足そうだったが、きっちり後ろに結んでしまうし、染めなくてもよかったのでは?
そんなメンバーが宙に佇む光景はどう見えているだろう。
ユラ〜とチビが頭を少し動かした。それだけで歓声なのか悲鳴なのかよくわからない声が上がる。
チビの頭の動きは来賓席をじっくりと見ている。誰かいるのだろうか?
視線だけ動かしすぎて変顔にならないように気をつけながら、私も広場を見る。
来賓席の前列、知らないおじさんおばさんおじさんおじいさんおばあさんおじいさんおばさんおじさん……妙に前列は年齢高め。
あっ! 二列目に派手シャツ採用で号泣していた工房の人たちがいた。今日もおいおい泣いてる。
その三つ隣にいつもお世話になってる食材卸しの商会長さんと、オパールたちの食べられるもの探しを始めてから凄くお世話になっている商会員さん数名の軍団発見! チビが尻尾をモゾリモゾリと動かしてるのは商会長たちを見つけたからだったんだね。私が見たのがわかったのか物凄い笑顔でブンブンと手を振ってきて、「待ってたぞー!」「かっこいいぞー!」と声援をくれた。この声援を素直に受け止めなければ。
もうすぐ所長のスピーチが終わる。
あ……っ!
「国王陛下に礼!」
合図となる言葉にハッとして、一瞬遅れそうになったがリーダーとトウマと揃っていると思いたい。チビの後ろ脚から手を離すとき、体がぐらつきそうになったが、見えない支えを感じた。
チビもオニキスもフェフェもキィちゃんも、異能を自分に使うのはいいが、他に使うのは制御が難しいと言っていた。動かない物体はまだいいが、対象が生き物だと行使する力の加減で、ぶっ飛ばしたり潰しかねないので、あまりやりたくなとも言っていた。
『チビ船』での風の防御はチビ自身のためでもあるが、耳塞ぎは私の頭を潰さないように異能の壁で包んでくれていて、凄く気をつけて頑張ってやってくれているのも知っている。
式典に出ると言ってから、さらに力の制御を身に着けようと、チビが隠れて練習してくれていたのも知っている。
チビ、ありがとう。ありがとう。ありがとう。
陛下への礼から正面に向き直って手を胸に当て、顔を上げた私が見つめるのは一ヶ所。
来賓席の一番後ろ。一般観客席となる前の列。
お父さん! お母さん! 兄さんと義姉さんも!
進行役の職員が私たちの退場のアナウンスを告げる。
胸に当てていた手をチビの後ろ脚に添えると、ゆっくりと見える景色が下に遠ざかり、どんどん視界を占める空の色が増えていく。
終わる。
もういいよね。
少しくらい顔を動かして見下ろすことになってもいいよね。
お父さんたちがいるあたりを見て、小さく手を振った。
拍手とワアアアアッという声に見送られて高度が上がっていく。
管理所の屋上が足元に見えたタイミングで、チビの顔のほうを見れば、チビも私のことを見ていた。
チビが笑っている。
正面のどこからも見えない裏手に下降する途中で、チビの前脚に抱えられて腹というか胸に抱きついた。
終わった……。終わったー!
「親っさんいたねー?」
「いだぁ。ぎでだのじらながっだぁ」
「あとで会いに行ってきな?」
「ヂビも〜」
「行ける場所ならねー」
私がチビに抱き着いてうえうえと泣いて降りてきたのは緊張が切れたのもある。
地面に着!
足に力が入らない。待ち構えていたアビーさんのところに行こうとして、倒れそうになってしまった。慌ててチビの前脚に捕まった。
リーダーもトウマも待っていた職員の肩を借りて立っている。
立つ姿勢の維持のため、背中と脚に力を入れ続けていて、地面だ! と安堵して力を緩めた瞬間、自力で立っていられなくなるくらい疲労する。
異能を受けていた反動もあって、全力疾走したあとのよう。落ち着くと立てるが、気が抜けた途端に吹き出してきた背中の汗も拭いたい。
「お疲れさまでした。もう少し制服のままでお願いします。リリカさんは化粧取っちゃいましょう、ね?」
「ごげうごねがじあぶ」
「何言ってるかわかんないですが、休憩所に入りましょう」
「歩けないみたいだからオレっち運ぶー」
「あうあごー、うー」
「うん、何言ってるかわかんないから。リリカ、袖汚したらアビーねぇさん泣くから。もーっ、だめだって。ごめーん、リリカの鼻水拭いてあげてー、袖汚しそう」
チビの前脚に座るようにして運んでもらう。チビが何か言っているようだが、後頭部から伝わるチビの喉元の振動音がブォーゴォーと頭の中に響いてよく聞こえない。
チビの前脚がどうなってるのかわからないが、上半身ごと両腕をホールドされている。涙と鼻水で酷いので顔を拭いたいのに、腕ぇー、うー、と唸っていたらアビーさんがなかなか容赦なく顔を拭いてくれた。
「リリカ、はい、タオル。タオルで拭こう」
「ぐぶー」
温かい濡れタオルで顔を拭いて、冷たい濡れタオルを顔に押しあてて、そのままチビの前脚から休憩所の椅子に移動。
椅子に座らせてもらい、足裏で地を踏みしめられる安心感。
じわじわと落ち着いてきた。
そうすると、退場した瞬間から随分とパニクった自分が思い出され、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「……」
「落ち着いたみたいでよかった」
アビーさんの苦笑混じりの言葉に、顔に押し当てている濡れタオルを外したくない。
恥ずかしー!
のろのろとタオルをどかしてアビーさんを見れば、もう一度、お疲れさまと言われ、微笑んだ顔があった。
私たちが退場したあとの博物館の館長の締めのスピーチは長くない。式典は終わったはずだが、管理所と繋がる渡り廊下の方向からもいまだに大きな歓声が聞こえてくる。
ゴードンたちの勇姿を見届けるために休憩所に持ってきてもらったモニターには、陛下や所長らがステージに横に並びの観客に向かって手を振っている様子が映っていた。
ステージスタッフの職員が誘導して、順番にステージ袖に去っていく。
無事、終わった。
この式典がシャーヤラン領都の夏本番の幕開け。
一年でもっとも観光客が多い夏が始まった。
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