18.まもなく本番

「落ち着いて、リリカ、落ち着いて」

「はああぁぁ……」


 式典本番がきてしまった。

 緊張してどうにも落ち着かない。

 管理所の建物はそこそこ大きい。その裏にいるのに聞こえてくる正門広場のざわめき。

 管理所の最高階となる五階からこっそりと見たけど、人、人、人。管理所と博物館の間の大通りも、人、人、人。対面にある博物館の広場まで、人、人、人。

 人の海だった。

 チビのデビューというだけでも大混雑必死だったところに加えて、王族、しかも陛下と王弟殿下ご夫妻が揃って式典に来ると知ってもう大騒ぎ。一昨日のあの陛下と王弟殿下の巨艦を見た街の人から、あっという間に情報は拡散して管理所への問い合わせもひっきりなし。徹夜組まで出る始末だった。


「ボクの相棒の住んでいるところでも毎年似たような祭りがあるけど、ここまで人来ないよ」

「なー、ここすごいなー」


 預かっている妖獣のお客様までワクワク状態で、妖獣たちは管理所の屋上にピャッと飛んで行き、大観衆をこっそり覗いて戻ってきてキャッキャしている。


「世話係殿、チイの葉の香りできっと落ち着く」

「ううう」


 朝から挙動不審な私を心配して、なんとオパールたちまで来てくれている。

 私は姙娠していないのだが、オパール一号が咥えて渡してくれたチイの葉を嗅ぐ。オパールの気持ちが嬉しい。一時いちじは起き上がることすらしんどそうだったオパールたちが、こうして少し動けるようになったこともすごく嬉しい。

 そんなこんなで気付けば管理所裏手は臨時の妖獣預かり所と化し、シード先輩、サリー先輩、ルシア先輩、ニット先輩総出だが、妖獣の世話よりも私の世話係になりかけている。

 妖獣は人より賢く、悪事が大嫌いで、お祭り好きも多い。何をしたら駄目なのかを言えば守ってくれるので、妖獣たちの申し出を受けてリーダーが裏手での見学を許可した。『挙動のおかしい世話係リリカを見て楽しむ会』の開催。どういうことだ、リーダー。

 なお、昨日からこの管理所創立以来、過去最高の数の妖獣を預かっている。人を相棒にしている妖獣のすべてが来たんじゃないかと思うほどの数に、先輩たちは笑って諦めていた。


「ほーら、式典までまだ二時間半はあるから、ちょっと食べときなって。空中で腹が鳴ったら恥ずかしいでしょ」

「食べます!」


 少し前にサリー先輩が食事を持ってきてくれたが、緊張から食べられそうになく、唇や舌を濡らす程度に水分だけ飲んでいた。しかし、言われて気づく。式典中に腹の虫が鳴るのは恥ずかしい。観客に聞こえないとは思っても、腹の虫を黙らせる必要性を忘れていた。食べねば!

 急にがっつき始めた姿に先輩たちと妖獣たちに揃ってブフーッと笑われたが、ついさっきまで「無理食べれない無理」とぶつぶつ言っていたから仕方ない。


「ここ使えてよかったね〜。涼しいし、待機テント設置しなくてよくなったし」

「まだ照明と水回りが途中だって言ってたけど、もうぜんぜん使えるよね」

「あの水場は子どもじゃなくても足を浸けたくなる」

「わかるー」

「冷たくて気持ちよかったー」

「なー」


 サリー先輩、ルシア先輩、ニット先輩は私に食事を摂らせることに成功したら、世話も一区切りだとのんびりモード。

 管理所と職員寮の裏手のところに整備中の休憩所は、渡り廊下で管理所と職員寮とも繋がっている。部分的にガラス張りで建物の中なのに開放感があり、建物の床下になんと水が流れるようになっている。菜園にある池から敷地外の川まで流れていた水路を変更して、休憩所を経由するように変更されたのだ。そのまま飲み水にはできないが、子どもたちが水遊びするくらいなら問題がない水質で、部分的に床材のタイルが外されて水の流れが剥き出しに見えたり、浅い人工池もあり、今も数匹の妖獣が水遊び中。

 何と言っても外側にチビも出入りができる大きな開閉扉が嬉しい。テーブルなどが並ぶ中央付近までは入り込めないけれど、人工池の付近にチビが寝転がっても大丈夫なほどの広いスペースもあり、おもな利用は子どもたちの駆け回る遊び場。あの場所だけ地面が剥き出しだが、芝生を植える予定だそうだ。

 生後半年の男児のパパであるニット先輩は、ここを利用する気まんまんである。


「リリカねえー!」


 管理所と繋がる渡り廊下から休憩所に走ってきたのはゴードンとよく遊びにくるお友だち。全員浮かれた派手シャツに白い半ズボン。女の子一人はポニーテールにした髪に白いリボン。


「じゃーん!」

「おうさまとおそろいだって!」

「リリカ姉がこのふくにしたってみんなよろこんでたよ!」

「これね、おわったらくれるって!」

「そっかー、そっかー、みんな頑張るんだよ〜」

「うん! いこー!」

「リリカ姉もがんばってね! あ、トウマいた。トウマー! みてー!」


 ……嵐のようだ。


「ふふふふふっ!」

「いやあ、まさか本当に派手シャツになるなんてね」

「涼しいし、いいんじゃない?」


 そうなのだ。

 まさかのまさかで式典の衣装としてシャーヤランの染物工芸品である派手シャツが採用されたのだ。

 軍の制服や式典の正装を否定するわけではない。しかし、天候や気温などは考える必要がある。

 地域産業のアピールにもなる服へ切り替えることを推してくれたのは産業省と福祉省の大臣さんだと教えてもらった。教えてもらえなくてもぜんぜん構わないのに。


「各地域の民族衣装すべてで同じことが実施できると約束できないが、状況や式典の内容によっては、国のトップが広告塔になるのはよいのでは?」

「何も正装をやめよと行っているのではない。時と場合を考えて柔軟な対応を、と言っているのだ。これ以前にも何度となく苦言を呈してきたが、どうして命を優先した考えができないのか。暑さを舐めてはいけない」


 という言葉に、頑なに伝統を重んじる勢がようやく引いたという。

 私たちの耳には入っていなかったが、少し前に軍隊の演習でも暑さに倒れた人が多く出たばかりで、軍内部からも気候に合わせた制服の生地の変更の声は長年の悲願だったりする。

 今回は軍の制服ではなく陛下や王弟殿下の正装についてだが、各地の採集管理所が行う式典は重苦しいものではなく、その地域のお祭りの側面が強い。式典を皮切りに街の祭りとなるところが大半だ。それならば盛り上がることをしてもよいではないかと他の大臣も推したらしい。暑い地域、寒い地域で服装は変わる。どの場所でも断固として正装という考えは改めるべきと決まってから、浮かれた派手シャツ選定まで一日しかなく、それはそれで非常に大変だったらしい。

 

 昨日は休みだったのに急に呼び出されて管理所に行けば、派手シャツの製造に関わる染め物師の重鎮や縫製工房、関係する商会の偉い人たちが来ていて、泣きながらお礼を言われた。陛下が着てくれるなんてと泣き止まないのでほとほと困った。私が言い出しっぺだってバラしたのはニコニコしていた所長が犯人に違いない。


 陛下たちは深夜にはシャーヤランに戻ってきて、早朝から浮かれ派手シャツの試着。

 お付きの方々も着てくれることになり、できるだけ揃いのデザインで数が揃うものを並べて選んでもらったそうだ。

 流石に完全に浮かれきっている派手なデザインは除外となったが、このあたりならというものをみんなで着ると「イイネ」となり、陛下と王弟殿下も「半袖最高! 涼しい!」と大満足。


 陛下らが着るシャツの決定の連絡と同時に、式典の冒頭に陛下らに花束贈呈のパートの追加の打診があった。それも今朝のこと。最高に高貴な御方の思いつきだと思った私だが、他の誰もが同じことを思ったようだった。

 管理所では、なんだとー? と、所長が吠えて、すぐに直通で文句を言ったらしい。強い。

 それでもゴリ推してきた陛下に、きっちり断るのか受けるのか、受けるなら誰にする? どうする? となり、白羽の矢が立ったのが博物館の案内役デビューをする五歳のゴードンたち。

 王族四人に子ども四人とちょうどよかったのもある。もっと前々からなら条件等を決めて、広くから探せたのだろうが、今日の今日。身内贔屓と言われかねないが仕方ない。

 叩き起こす勢いで保護者に連絡し、今日はお祭りでチビたちのカッコイイ姿が見れると興奮している子どもたちを落ち着かせ、陛下らへの花束贈呈の話をしてみたら、子どもたちは鼻を膨らませてやる気を見せ、急いで何度もリハーサルしたと聞いた。

 その頃の私は管理所の裏手で早朝リハーサル中。チビに軽く浮かせてもらい、立つ姿勢がぶれないか練習し続け、緊張がどんどん増していき吐きそうだった。


「みんな涼しそうなのに私たちはロングジレ」

「それはー、もー、諦めなー」


 ルシア先輩が困った顔で慰めてくれたが、そういう先輩方も自前の派手シャツ。

 所長たちも薄手の生地の涼しい派手シャツを着る中、妖獣の相棒の三人だけはロングジレの制服から変わらなかった。

 みんなが派手シャツなら、私たちも派手シャツでいいと思うのに。言い出しっぺは私なのに。

 さっき、派手シャツの試着はした。

 でもだめだった。

 理由が派手シャツに妖獣の相棒であることを示す腕章をつけたら、その腕章がわかりにくかったから。シャツの派手さの障害がここに!

 嘘でしょ? 腕章がわからなくてもよくない? そもそも妖獣の隣にいるんだし!

 愚痴の垂れ流しのように言い募ってみたものの、ここは伝統を崩しきれなかった。

 役人さんも「コストゥさんのおっしゃる通りですよね。私個人は腕章も撤廃してよい気もしますが、今日はご勘弁ください」と謝ってくれて、来年までの課題で持ち帰ってくれた。そうか来年も立つのか、そうなのか……。

 チラリと隣りのテーブルにいるリーダーとトウマを見たら大あくびしていた。あの度胸がほしい。


「妖獣班のみなさーん、お待たせしました。船が用意できましたんで屋上にどーぞー」

「よし、行くか。俺らは博物館から見守っているからな。さて、オパールたちはどうする? 陛下から小型の中では大きめの船を借りられたから一緒に行けるぞ?」


 この式典であっちこっち駆け回っている職員さんの一人が声をかけてきて、シード先輩らは出ていく準備をし始めた。

 ここまで大観衆になると思っていなかったので、管理所の職員や家族が優先して見学できる場所も一般開放。若干遠くなるけれど、管理所の職員や家族で式典を見たい希望者は、博物館の関係者限定フロアの最上階と屋上からこっちを見ることになた。

 遠いけれどけっこう贅沢な観客席が用意されたんじゃなかろうか。

 広場と大通りがこんなになるとは思っていなかったので、管理所を守る職員と式典スタッフ以外の観客となる職員は博物館か職員寮にいる。

 そして、これから妖獣世話班も預かっている妖獣も一緒に移動だ。管理所側の敷地内に残る職員が減るので、オパールたちも先輩たちに連れて言ってもらうほうがいいとは思う。体調次第だが。


「わたしたちは姿が見られては……」

「ああ、屋根のない舟ではない。外から見みられない輸送船だから大丈夫だ。行こう。こっちでポツンと待つよりきっと楽しいぞ」


 オパールたちはあのクソ当主のせいで、多くの人に姿を見られることに不安を持っていた。しかし、シード先輩の言葉を聞いて行くことに決めたようだ。

 さっきオパール一号から貰ったチイの葉を、またオパール一号に返した。サリー先輩とルシア先輩がショルダーバッグの中身をフクロウたちに見せると、フクロウたちがうんうんと頷いていたので用意は万端。

 シード先輩方は建物内から上を目指すが、オパールたちは少々体が大きいので屋上まで浮いて上がっていった。休憩所から出てオパールたちが浮いていくのを見守った。


「やっと異能が安定してきたな」

「そうですね。あとは食べてもらえれば、ですね」

「ああ」


 管理所の屋上に待機している船を見上げると、シード先輩が言ったように船は馬も乗り込める大きさがある。船底の王家のエンブレムは消され、管理所と博物館のシンボルマークが描かれていた。

 休憩所に残ったのはリーダー、トウマ、私だけ。だけど、すぐに式典スタッフの職員が数人やってきて、私たちも準備だ。トイレに行っておくように言われて素直に従う。

 休憩所に戻るとアビーさんが待ち構えていて、化粧の仕上げ。ステージには冷風が漂うように空調の魔導具が取り付けられているが、私が浮く高さは対象外。登場から退場まで十分程度。最近のファンデーションは凄いので、テカテカな顔にはならないだろう。

 眉はしっかり描かれ、アイラインも入れられた。鏡を見たら目が大きく見える。すごい。アビーさんは魔法使いですか? ありがとうございました。

 リーダーとトウマもそれぞれ眉をキリリと、目力が強そうに見える化粧マジックを施され、ブラウスとロングジレの襟が汚れないようにかけていたタオルを取る。

 化粧をしている間に式典の表側を映すモニターが設置され、映像を通して表の声の熱気が伝わってきた。


 うわっ。緊張が戻ってきてしまった。

 ドキドキする。ぐあああっ!


「ゴードンたちを見ないのか?」

「見る!」


 そうだ。そのためにモニター持ってきてもらったんだ。

 式典開始の音楽が鳴った途端に、音楽を打ち消してしまうほどの怒号のような歓声。モニターからだけでなく、リアルに聞こえる。物凄い。

 え? ええ?


「朝聞いたのと違う。手を繋いで出てくる台本でした?」

「いや、変わったんだろうな?」


 ステージ後方の階段からのステージに降りてくるのも聞いていた台本と違う。急ごしらえ?

 小さな花束を抱えて、陛下と手を繋いで出てきたゴードンは笑顔と真顔が行ったり来たり。妃殿下と手を繋いでいる男の子は必死の真顔で真っ赤っ赤。王弟殿下と出てきた女の子は笑顔が眩しい。王弟妃殿下と出てきたの男の子もニコニコ顔で楽しげ。

 王族と子どもたちはほぼ同じデザインの派手シャツに白ズボンのコーディネート。妃殿下はスカートパンツのようだ。

 八名が着ている派手シャツは生地のベースは水色で、そこに大きな葉がいくつもデザインされている派手シャツのなかでは地味めの分類のもの。左裾の部分に領花がワンポイントであり、濃いピンク色から淡い色へのグラデーションが鮮やかに咲く。

 普通の無地のシャツに比べれば派手なデザインだろうが、原色ド派手シャツを見慣れると、非常に落ち着いていて全体の色も涼しさがある。

 ステージ前方に横に並び、手を繋いできたペアが向かい合い、子どもから花束贈呈。


「きてくださってありがとうございますっ!」


 揃ったー!

 大観衆の歓声と拍手が重なりすぎて、ドドドドドッと振動のよう。

 子どもたちの退場前に、陛下らは一人ひとりの頭を撫でられ、子どものたちはみんな嬉しそう。

 子どもたちは式典スタッフの職員に誘導され、ステージ前方中央の階段から降り、来賓席の前列に用意されていたド真ん中四席に座った。めちゃくちゃ特等席。


「やりきったー! よかったー!」

「またイイ席に座ったな〜」

「花束贈呈の話がをしたら、『花束を渡すのはいいけど、終わってからチビたちが見れないならやらない』って言ったと言うから強いよな」


 チビもオニキスもフェフェもモニターを覗き込んでいたが、職員に声をかけられ先に休憩所を出ていった。チビはまた体を拭かれている。

 そろそろ私たちも外で待機の時間だ。

 正直、足は震えている。

 緊張は消えない。

 でも、ゴードンたちの勇姿を見て、頑張らねばと気合を入れる。


「まもなく閣下のスピーチが始まります」


 職員さんの合図にチビの後ろ脚に触れる。アビーさんが最後の最後にパフで鼻の上などを軽く叩いて、肩を優しく撫でてくれて、離れていった。


「リリカは何もしないでいいから、今、立っている姿勢を維持することだけ頑張って。倒れそうとか思っても、慌てないで。オレっち調整するから。背を伸ばして、毎回チクチク怒られていたつま先が上向きにならないように気をつけていて」

「チビ、ありがとう」

「ドンマーイ」

「閣下のスピーチが終わります! 行ってらっしゃい!」

「いっくよ~」


 もうこの姿勢から足は絶対動かさない!

 私はカカシ、私はカカシ、私はカカシ!

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