16.リハーサル

 大きな船との競争はチビが勝った。

 チビが本気のスピードを出すと言って、異能の紐でチビと私をぐるぐる巻きに固定してから、仰向けからうつ伏せに姿勢を変えた瞬間、音速を超えたんじゃないだろうか。

 風の防御と耳の保護もありがとう。

 ぐるぐる巻きに固定されていただけなのに、た、立てない……、は、吐きそう……。


「大丈夫、じゃないな」

「だい、だいじょばない……」


 オニキスがさらに先行して、先に練習場に着いていたトウマとリーダーに私が到着することを伝えてくれたが、この有り様。

 トウマの腕に捕まりながらヨロヨロである。


「慌てずに落ち着け」

「よ、よこに、なりたい」

「運ぶぞ。少しだけ我慢だ」


 異能による浮遊感ではなく、持ち上げられた浮遊感。

 トウマに横抱っこされているーッ!

 恋人にやってほしいことに必ずランクインする横抱っこ。

 フィーバーフィーバー。落ち着け落ち着け。これはレスキュー。完全にレスキュー。紛うことなくレスキュー。

 頭の中の片隅で若干浮かれたが、本当に気持ち悪くて、頭の中の浮かれポンチな自分についていけない。全体重をトウマに預けた。


「リリカ? どうしたのっ、顔が真っ白よ!」

「う、うう」


 聞こえてきた声はペニンダさん。前回までの式典の練習にいなかったペニンダさんがいることに疑問を覚えたが、気持ち悪くて目を開けたくない。

 簡易テントの下に敷物を敷いてもらい、横たわったときに感じる地面に安堵する。

 僅か一分いっぷんジッと横になるだけで違うもので、まだ時間はあると言われ、さらに三分くらい横になっていただろうか。吐かずに落ちつき、ふらふらとする感覚も抜けてきた。

 起き上がってぬるま湯を貰う。舌と口内を湿らすだけのチビチビとした飲み方で、落ち着け落ち着けと言い聞かせる。


「顔色が戻ってきたわね」

「はい、落ち着きました」


 気分が悪いと目をつむりたくなるのはなんでだろう。寝たいわけではないのに瞑っていた瞼を開けたら、灰紫色の制服姿のペニンダさん。初めて見る姿だ。

 私が着る制服とはデザインの違う。手首まで袖があって、しかも詰め襟。シャーヤラン領の暑さで着るデザインじゃない。だけど制服はロングジレタイプを除き、全部長袖長ズボン。シャーヤラン以外にも暑い地域はあるのに、制服はなぜ長袖ばかりなのか。


「……暑そう」

「暑いわ。背中に冷却シートを貼り付けたんだけど暑いわ」


 普段ほぼ素っぴんのペニンダさんが化粧もしていて何だか不思議。

 いや待て、私、作業服に素っぴん。タオル以外に何も持ってきていないんだが、持ち物何も言われてなかったけど、なんだかまずい雰囲気がする。


「立てそう? 大丈夫ならリリカも着替えましょう」

「はい」


 ペニンダさんの腕を借りて立ち上がり、やっと練習場の状況を見ることができた。


 本番で使うステージと同じものを設置して行うリハーサル。

 当日は管理所正門前広場に設置される屋外ステージ。実際に広場でリハーサルしたら丸見えになってしまい、リハーサルで観光客を呼び寄せるわけにはいかないため、毎年この森の奥でやっているいう。

 当日使用するステージなどの機材諸々が組み上がっている練習場のあちこちに、管理所の上層部の方々がペニンダさんと同じ制服を着て、あーだこーだと話し合っている姿。みんなちょっと落ち着きがない。そりゃそうだ。上空にいらっしゃる御方の存在感が大きすぎる。実際、船もでかいけど。


 陛下の船の別名は、浮遊城。

 城の形はしていないけれど、陛下は一年の半分はあの巨大な船で国中を移動し、船で執務をしていると言われるほど。

 街一つが船の上にあるほど巨大で、あの船の中には有事の際に旗艦となる戦艦が四つ収納されているとも聞く。

 その巨大な船がステージの斜め上あたりにドンとある威圧感。できれば船で影を作ってくれるとありがたいのだが、練習場に影が落ちない場所に停泊の気遣いが感じられる。


 寝かされていたテントから少し離れたところに四面全部が覆われているテントが更衣室だった。

 下着姿になったところで濡れタオルで見える範囲の体を拭く。牧場でシャワーを浴びてきばかりなのに、『チビ船トップスピード酔い』で変な汗をかいてしまった。

 光沢を抑えた白い生地の長袖のブラウス、灰紫色のロングジレと長ズボンに着替え、モンクストラップ型の靴を履く。ブラウスの両袖の二の腕に腕章のようなものが縫いつけられていて、この腕章が妖獣に認められた相棒であることを示す。全大陸共通で金と銀の格子模様。


 着替えたところでテントを出てペニンダさんを探し、化粧品を貸してもらえないかとコソリと言ったら、「実はアタシも借りたんだ」と笑って、所長室の秘書の方を連れてきた。


「テカリ止めだけでも持ってきてって連絡しようと思ったときは、リリカはもう仕事開始している時間だったから連絡しなかったの。ごめんなさいね。はい、これアレルギーフリーだから大丈夫だと思うけど、おかしかったらすぐ洗い流してね」

「アビーさんありがとうございます」

「ふふ、妹が送りつけてくるんだけどさ、ひょいひょい配れなくて。これを私から貰ったっていうのは内緒ね」


 アビーさんがくれたのは、私でも知っている有名な化粧品の試供品。化粧品開発に携わっている妹さんが送ってくるのは完全に好意。でも、アビーさん一人で使い切れる量ではないので配ったら、試供品目当てですり寄る人がいて、嫌なことがあったのだと。今もあるのだと。


 あるあるだなあと聞きながら、頂戴した試供品を開封して化粧をし始めたら、いつの間にかアビーさんにパフを奪われ、どうやって使うかよくわからないブラシを持ったらこれも奪われ、「口を閉じろ、真顔でいろ」と真顔で言われ、されるがままでいたら、本番もやってあげるから素っぴんで来いと一人で満足されていた。

 こういう流れには逆らわない私である。ありがとうございました。本番もよろしくお願いします。


 ペニンダさんもアビーさんもステージ準備や進行の確認などがあってそれぞれ散ってしまい、私はどこにいたらいいのか聞いていない。

 リーダーとトウマを探すが、まだ着替え中なのだろうか。どこだろう。


「おい、こっちだ」


 聞き覚えのある低音ボイスの聞こえたほうを見ると、リーダーと並んで知らない男性が手招きしてきた。

 着ている制服はロングジレ。この制服デザインは妖獣の相棒の者が着るので同士なのはわかるが、誰?


「俺だ!」


 ……トウマだった、そうだった。髭がなくなって、ボサボサ頭じゃなくなると本当に別人。


「不審者を見る目だったぞ」

「いや、あの、髭がなくて」

「しばらくこの顔だから見慣れろ」


 へい、承知しました。カッコいいモードのトウマを見て浮かれてしまう私を必死に押し込める。きっと恋愛フェルターで私の視力がおかしいに違いない。


 練習場の隅の木々の下に入って日差しの暑さから逃げる。ステージを横に見るここだと、表側と裏側がどっちも見えて状況がわかりやすい。

 チビとオニキス、フェフェもいて、チビはゴシゴシ体を拭かれ、オニキスとフェフェはブラシで毛並みを整えられていた。


「あそこに俺ンとこの班長がいるのが見えるか? あの魔導具の点検が終わったら上からも降りてくる。暑いから挨拶抜きでリハーサル開始になるってさ。トイレ行くなら今のうちだ」

「着替えたときにトイレは行っておいたから大丈夫」

「体調は大丈夫か?」

「うん、落ち着いた」


 トウマと話していたら整備班の班長が大きく手を振り、その合図を受けて上空の大きな船から小さな船が数隻出てきた。

 下降してくる特別仕様の船は、水上都市で見るゴンドラに似ている。船首と船尾が反り返っていて、王家のエンブレムがはためいていた。

 ステージの前方に静かに着地。

 紛れもなく国王陛下と王妃殿下。王弟殿下と王弟妃殿下も一緒だ。王弟殿下は最高司令官の軍装。えーと、こういうときは何て言うんだっけ? ……将軍閣下? 私からお声をかけることなんてないから大丈夫か。


 陛下御一行とともにぞろぞろと降りてきたお付きの方々は、ステージ前に設置された椅子にどんどんどん座っていく。さっきまでステージまわりで準備していた管理所の職員も進行に関わらない者は席に付いた。来賓客の代わりのようだ。


 ステージ裏担当の職員に手招きされて移動すれば完全にステージの裏。

 表側で何がどうなっているのかぜんぜん見えなくなった。音だけが頼りだ。

 これまでの練習と台本を思い出しつつ待機していたら、私が相当不安な顔をしていたらしい。ステージ裏にいた職員が走ってきて、ガリガリと書き直した台本を見せてくれた。陛下と閣下のパートが差し込まれた変更点を認識。博物館長の挨拶が後半に変更されていて、登場のタイミングは所長の第二パート変わらず。

 よし。

 式典開始の音楽が鳴り、所長の挨拶、陛下の挨拶、王弟殿下は将軍閣下としての挨拶、再び所長のパート。

 王弟殿下の挨拶が始まったらリーダー、トウマ、私もステージ裏で登場する際の配置についた。

 観客からステージを見た場合で左側となる下手にオニキスとトウマ、真ん中にチビと私、上手にリーダーで肩にフェフェ。

 王弟殿下の挨拶がどう終わるのか聞いていないから、合図をしてくれる職員さん頼り。


 私たちの登場だ。

 何度となく上空百メートルに打ち上げられたが、チビをよしよししまくってイライラを取り除き、何とか通常モードのチビに戻ってくれて、異能制御も安定した。

 チビの後ろ脚に手のひらをあてる。

 浮く。

 異能によって浮かされると、足の裏に地面を踏みしめる感覚がなくなり非常に不安。つま先が下に向きすぎないよう、踵が下がりすぎないように足裏を真っ直ぐにすることに集中する。


 リーダーとトウマも最初は同じように不安だったという。慣れるしかないと言われたが、立っているのに地面を踏んでいる感覚がないことに、なかなか頭の中で処理が追いつかなかった。

 背中にも力を入れておかないと姿勢をまっすぐに保てなくて、立っているだけなのに物凄く全身に力を入れていないとならない。


 ぐんぐん浮き上がる高さおよそ二十メートル。ロープが張られていて、そこを越える。

 当日は管理所の建物裏から浮いて屋上を越えての登場。

 ロープを越えてまっすぐ下降するのではなく、浮き上がった位置から放物線を描くように斜めに下降し、ステージのやや後方の上空五メートルくらいまで下降。

 ここでキープ。

 あとは退場するまで見栄えのいい棒立ち。

 全身必死に力を入れて真っ直ぐの姿勢を保つ。


 練習初日に、ステージ監督係を務める職員に、見栄えのいい棒立ちと言われて、立つ姿勢を保つだけでも大変なのに、見栄えのいい棒立ちってなんだよ! と思った。

 結局、私はチビの後ろ脚に片手を添えて、肩幅に足を開いて突っ立つポーズとなった。

 トウマはオニキスの背に片手を添えて立っている。リーダーはごく自然な感じで両腕を下げ、ごく自然に立っているように見えるが、足の開く幅は肩幅より少し大きく、背筋は伸ばしてとステージ係に指示されていた。威圧せず、堂々と。


「妖獣の方々にお願いです。あと一メートル下にお願いします」

「いちめぇとる……これくらいか?」

「このあたりか?」

「目安となる何かがほしいな……」


 今日もステージ監督である職員から浮いている場所の調整依頼の細かいアナウンス。ステージでは所長が当日話す内容を止めることなく進めている。

 当日、私たちが登場したら歓声が凄いことになると予想されていて、所長はアドリブで進めると言っていた。今もテキトーなことをツラツラ話している。


 チビ、オニキス、フェフェが高度を下げながら戸惑い中。

 今日のリハーサルはまだキョロキョロできるが、当日はキョロキョロするなと言われているので、チビたちも前しか見ることができない。高さを揃える目安をどうするかとボソボソとボヤいているが、チビに浮かせてもらい、ただ立っているだけの私は無力だ。助けてあげることができない。

 ステージ監督の職員からチビの姿勢や向きの調整依頼があり、オニキスも向きを微調整の依頼がきて、フェフェも耳の傾きに注文がきて、ちょっと遠い目になりかけた。


 所長による管理所職員の相棒妖獣の紹介パートは、アドリブ含めておよそ五分と言われているがとても長く感じる。

 所長の締めくくりの言葉となる直前、ステージ監督の職員から「では陛下へ礼をして退場」とアナウンスが聞こえてきて、登場する前に言ってくれー! と叫びたかった。陛下がわす時点でそうなるのはわかるんだけどさ!


 チビたちはそのままステイ。

 リーダー、トウマ、私の三人が陛下に最敬礼をしてから、観客席に向かって集まってくれたことへの感謝を込めて礼をする流れに変更になったんだなと理解し、では、陛下、頭上から申し訳ございません。

 最敬礼。

 片膝をついて上半身を前に倒す……待て待て待て待て! 膝をつく地面がほしい! ヤベッ! バランスが崩れる!


「これ、どうやってやったら?」

「浮いている不安定さがわかっていない者は簡単に言う……」

「起立のままで勘弁してくれ」


 戸惑う私たち。

 あの職員は妖獣の異能を万能と思っているのだろう。何でもかんでも補助されてできると思わないでほしい。


「進行の者、無理を言うな。水の中で自らの力だけで水平に姿勢を保ち、同じことができるのか? 起立のそのままでよい。続けよう」


 陛下ありがとうございます!

 ステージ監督係の職員の無理を取り消してくださった感謝を込めて、立ち姿勢でできる最上の立礼をする。

 両腕を一度下げ、右手をぐっと握りしめて手の甲を上にしてから右腕を折り、腹につける。腰から上半身を前に傾ける角度は少し深め。

 立っている足の位置は変更なし。

 陛下はステージ斜め前方におられるので、上半身だけ陛下の方向にやや傾ければ、見え方として問題はないはず。これならできる。


 上半身を正面に戻しながら、右手指を揃えて胸の真ん中へ。観客への感謝の礼のポーズに変更。

 私はチビの左側の立ち位置なので、陛下に礼をするところからチビの脚に触れていた手が離れてしまう。不安だが信じよう。

 体がゆっくりと上に引っ張られる感覚。

 退場。

 上空二十メートル付近で一旦停止。胸に当てていた手をチビの後ろ脚に添え直して、あとは斜め後ろ下がりながら高度も下がっていく。

 地面だ!


「〜〜〜!」

「……ッ」

「……」


 ステージは続いているから叫べない。

 当日は建物の裏まで退避するから叫んでもいいだろうが、今日は筒抜けになるので駄目だと我慢する。


 ステージ裏にいた職員さんがすぐに防水加工を施してある敷布シートを広げてくれた。ありがたく四つん這いになる。制服を汚したらいかんと思い、座り込みたかったけれど我慢していたのだ。

 リーダーもトウマも私と同じ姿勢をしていたが、ドカッと座り直して飲み物を貰っていた。


 博物館長のスピーチが聞こえてくる。これで締め。

 式典はそんなに長くない。

 来賓客の代役をした人たちの拍手が聞こえてきたから終わりだ!


「チビーッ! ありがとう! 本番もよろしくね」

「んー、本番のほうが高さの目安はわかりやすいってフェフェとオニキスが言うからあとで教えてもらう。建物あるし、門とかもあるし、博物館も見えるし。ここだと木しかないからわかんなくてさー。下を見るなって言うしさー」


 うんうん! 無茶言うよね!

 顔を下げてきてくれたチビの鼻を抱き締める。チビも姿勢やら傾きやら言われて面倒だっただろうに、ぜんぜん気にしていなくて、なんて心が広いんだ。


「おい、陛下のところに行くぞ」


 チビの鼻の上に上半身を預けて、上下に揺られて癒やしを得ていたら、リーダーに降ろされてしまった。

 えー。行かないとダメですか? お腹が痛いから早退とかダメですか? ダメですか、そうですか。

 うおー! 緊張するよー!

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