15.小心者に胃薬をください

 世の中が夏休みに突入した。

 途端に妖獣世話班で預かる妖獣も増えて、毎日予約表を確認しないとシレッと件数が増えていたり、預り期間が延長されていたりする。餌の確保に関わるので毎夕毎朝の確認は念入りに。山小屋の周辺で寛ぐ妖獣の数もこの夏は増えそうだ。


 昨年の夏は本部研修と別部門のフォローが多かったが、私を式典に出さないようにしてくれていたのは、妖獣と人の相棒契約が継続するかの確認もあったようだ。

 妖獣と人の相棒契約は、妖獣が人を選び、相棒契約と結ぶが、価値観の相違などが生じて解消となったり、人のほうから相棒契約の解除を申し出ることもある。

 妖獣の相棒になることを羨ましいという人は多くいるが、餌代や居住問題などがなかなかネック。私は管理所にスカウトされ、餌代も居住問題も一気に解決したけれど異例も異例。国も誰も彼もをスカウトしているわけではない。私の身元調査はしっかり行われ、学院での成績や研究内容も踏まえてスカウトされた。

 そして、私は管理所に採用となり、チビと私の相棒関係が続くかを見極めるための様子見期間が年単位で取られていた。

 当時私は十八歳。

 この国の就職開始は平均二十二歳。

 一つの目安で二十二歳まで様子見と考えてくれていたのを知って、なんていい職場なんだと改めて思った。

 二年前倒しで式典参加の話となったのは、チビと私の関係がかなり良好と判断されたから。

 巨大竜の背を登り、肘鉄を食らわせて引き摺って連れ帰る漫才ができるのは、相当良好でないと無理だと。

 あれは漫才ではないし、嬉しくない評価だった。


 昨年の夏、別部門フォローで随分走り回ったが、管理所の様々な仕事を経験できる研修でもあったので、あれはあれで忙しく有意義だった。あの夏があったから調理場や菜園の皆様と仲良くなり、仕込みの手伝いで賄いがもらえたり、菜園の採れたて野菜を分けてもらえたりする。洗濯部の方々とも交流が持てて、ドロッドロに汚れた作業着を洗濯してもらうときも笑って引き受けてもらえるようになった。どうしたらこんなに汚れるのかと不思議がられたが、ぜひ私の代わりにキィちゃんと遊んでほしいと懇願したら、瞬殺で拒否された。私は諦めないぞ。


 昨夜、苔の水槽を嬉々と掃除して愛でていたら夜ふかししてしまい、若干寝坊した。

 しかし、朝イチで共有情報の確認だけは欠かせない。支給されている情報端末を操作して、昨日の情報から更新されていることがないかを探す。

 一匹の妖獣の預かり期間が長くなって、今日は増減はない見込み。当日受付もなくないので油断はできない。

 妖獣が人を相棒にする数は少ないとも多いとも言えないが、こんなに預かり予約があるのが不思議でならない。特に式典のある日の数日前からの予約数は凄い。

 観光で不在にする間に居住地の管理所に妖獣を預けるパターンと、観光に連れて行くパターンがあるが、シャーヤラン管理所では後者の理由による利用が圧倒的に多い。妖獣がシャーヤランの原始の森に来たいというケースもあるようだ。この森に歴史的な意味合いがあるのはわかっても、人には森に過ぎない。妖獣だけにわかる何かがあるのだろう。


 先輩方の業務日誌も確認をして、保冷庫から朝食代わりに持っていけそうな作り置きをショルダーバッグに放り込み、急いで出ようとしたら、スライムによる通せんぼ。きちんと片付けてから外出しろと言わんばかりに玄関を塞がれる暴挙にあって若干の時間をロスした。あのスライムめー!

 なんとか約束の時間にトーマスの牧場に行き、妖獣たちの朝食開始。


「はあー、オマエさんが『チビ』かい。はあー、聞いちゃあいたデカイねー」

「そう? もう少し大きくてもいいかなって考えてるとこ」

「いやあじゅうぶんデカいよ」

「そう? えっへっへっ」


 ガラス越しに妖獣たちの食事を観察。

 会話はほのぼの。

 ほのぼののあとに一瞬響いた断末魔。

 チビがバキッと牛の首を噛み砕いた。口から鮮血をダラダラと零しながら、足下でわくわくと待つ妖獣たちの前に牛の体をドサッと置き、鋭い爪で牛の腹を裂いて食べやすいようにすると、わっと群がって食事開始。

 これが彼らにとっての普通の食事。

 繁忙期の妖獣向けの餌はチビとオニキスが屠殺係となる。チビより長くいるオニキスは慣れたもので、異能で数羽のニワトリの首を落とすと、羽根も一瞬でむしられた。こちらも待っていた妖獣たちが群がって、喜びの声が聞こえてくる。


「食べ終わったら水浴びだからねー」

「へーい」

「はーい」

「へいへーい」

「がってんしょうち!」


 妖獣の性格もいろいろ。返事もいろいろ。


「リリカはチビの奥にいる妖獣からを見てくれる? 私は手前から見ていくわ」

「わかりました」


 好き好んでスプラッターな食事を見ているのではなく、預かっている妖獣の食事の様子で異変がないかの確認はとても大切。オパールたちのことがあるので、昨日や一昨日の食事の情報とも照らし合わせて問題ないかチェックしていく。

 預かっているお客様を元気なままお返しするのが仕事。そのなかでも食事が一番気を使う。

 ルシア先輩からの指示通り、窓越しに目視で奥から手前、また奥から手前と一匹一匹の食べっぷりを見てメモをする。今日は小型の妖獣も含めての食事となり、餌場はかなりの賑わい。ちょっと時間がかかりそうだ。

 今のところ異常はない。

 安堵とともに私もお腹が空いた。

 山小屋を出る前に、バッグに放り込んだのは昨夕のおかずの残りをクレープ生地に巻いておいたもの。


「あれを見ながらまさかの肉」

「ルシア先輩も食べますか? こっちの包みはニワトリのササミを蒸したやつです」

「大丈夫。リリカは若いのに、なんというか凄いよ」


 ルシア先輩が唖然としながら苦笑してきたが、鮮血だらだらを見ながら食べるものではないかもしれないと自分でも思う。

 でも、私の故郷ではニワトリやウサギ程度は幼年時から解体させられ、命を屠ることの大事さを教えられるので、目の前の光景から目を背けてはいけないのだと認識している。

 己が捌いた肉で調理も教えられる。

 食べられなかった内臓や骨を土に還して供養する。

 大都会の街で生まれ育つ人は考えたこともないのかもしれない。街で生まれ、街から出なければ、屠ったことも、毛皮を剥ぐことも、毛を毟ることも、血抜きも、捌くこともやったことがない人もいるだろう。

 屠殺や解体を嫌悪したり、忌み嫌う言動をする人は矛盾していると思ってしまう。

 誰かが命を刈り取っているから食卓にあがる肉や魚があるのだ。

 野菜も果物も生きている。赤い血を持つ生き物だけが命ではない。

 スプラッターな光景を目の前にして、何も思わないわけではない。

 けれど、私は肉も魚も野菜も果物も食べる。


 チビがモシャモシャ肉を食べている。

 私もピリリと辛めに味付けた肉を食べる。

 屠った命。

 チビたちの食事を見守りながら、私も命を噛みしめる。


「んあっ。ルシア先輩、あの灰色の、オニキスの斜め後ろにいる妖獣ですが、吐き戻してませんか?」

「え? 灰色は二匹いるけど、どっち?」

「耳の後ろが若干黒いほうです」

「オニキスの後ろにいる灰色で耳の後ろが黒いお客様ね! リリカ、ありがとう、行ってくるわ」

「私も行きます。もう一匹、怪しいのがいます。そっち見ます」

「多分『浮かれ食い』ね。あー、あの子も怪しいな」


 手に残っていたクレープを急いで食べ終え、マスクと手袋をして餌場に入る。マスクをしても濃い血臭は遮りきれないが、していないよりマシと思うしかない。

 餌場の一画からパパオの葉を掴んで吐き戻していたように見えた小型妖獣のもとに行く。

 私が近づいた妖獣は、消化促進に用いられるパパオの葉を差し出した途端、エヘヘと笑ってきたので妖獣自身にも食べ過ぎの自覚はあるようだ。


「こんな新鮮な食事は久方ひさかたぶりでたかが外れた」


 よかった。妖獣自身に自覚ありなら落ち着くのも早い。パパオの葉を食べ始めたから大丈夫だね。


「もう食べられないけどまだ食べたい〜」


 ルシア先輩が食べ止めさせた妖獣はどうやら酔っている。街中で暮らす妖獣は鮮血滴るスプラッターな生食を摂るのが難しく、このような生き餌の食事が嬉しくてハイになり、満腹なのに噛み千切って食べようとして吐き出し、また噛み千切って食べようとして吐き出しを繰り返すことがある。これをこの世話班では『浮かれ食い』と呼んでいる。


「ここにいる間はこの食事ができますから、口の中の肉を出しましょ」

「おおお、明日も肉祭り」


 ルシア先輩が手を出して口の中の肉を吐くよう言うと三つも出てきた。どれだけ鮮血な肉に飢えていたんだろうか。落ち着いて食べてほしい。

 他の妖獣にも食べ過ぎないように言って、恍惚とした表情に見える妖獣にパパオの葉を配っていく。

 パパオの葉の桶に飛び込もうとする妖獣は捕まえて、隣の洗い場に連れて行ってしまう。

 小型はいい。手のひらに乗せて運べる。チビも化ける前はちっちゃかったなあ。竜だと思っていなかったけど。


 満足した小型の妖獣は隣の洗い場で水浴び。中型と大型は餌場の掃除を兼ねてその場で放水の儀。妖獣たちがうっひゃあと楽しんでいる様子をしばし眺めて牧場の従業員さんにバトンタッチ。

 防水機能の強い屠殺解体用の作業着は暑い。手袋もするし、長靴だし、汗びっしょりになる。

 チビたちの水浴びが始まったので私たちも水浴びだ。

 ルシア先輩と更衣室へ。

 全身汗だく。作業着の下は水着。そのままシャワーを浴びて汗を流す。背中で水を受けながら水筒に入れてきたレモン水を一気に煽った。生き返る〜!


 いつもの作業着に着替えて、外に出ると途端に汗が吹き出しそうな暑さ。管理所は山の中にあり、森に囲まれて涼しいはずなのに暑い。山を下りたところにある領都はもっと暑いと聞く。この暑さの中に来る観光客は元気だなと思う。


 私たちより先に水浴びし終えた妖獣が草の上にゴロンと横になっている。

 妖獣たちは一時間くらい食後の休憩。満腹でウトウトしている妖獣たちを一通り見て、浮かれ食い以外にも異常がないか観察する。そうそうおかしなことになる妖獣はいないが、寝そべって鼻歌混じりの妖獣多数。ご機嫌だね。

 牧場の従業員さんに草食の妖獣の食事をお願いしていたが、先に食べ終えていたようでこちらも建物の影でゴロンと寝転んでいた。


「よーし! 私らも休憩! リリカの昨日の黒餅団子くろもちだんごを食べたーい」


 万歳して言われるほど楽しみにされると嬉しい。

 昨日、黒餅団子などを作ったが、あとからあとから食べてみたいと職員が湧いてきて「材料が足りないから次回!」となった。次回分は調理場の仕入れで材料は買ってくれるが、式典が終わったらにしてほしい。

 ルシア先輩はできた頃に食べに来ようとしたものの、予約なしの当日預かりの受付で抜け出せなくなり、「私の分をとっといてー!」と五回も連絡があった。

 黒餅団子は私の故郷の味なので食べてもらえると嬉しい。


 緑連豆りょくれんとうのペーストは調理長と副調理長が食いついた。

 普段なら仕込みで忙しそうな時間のはずなのに、どうやって抜け出してきたのか副調理長がつまみ食いして、叫びながら調理場に戻っていった。

 そうしたら今度は調理長が来てつまみ食いし、愕然というような顔のままで立ち去ったかと思えば、菜園から緑連豆を収穫してきて追加追加と作らされた。米粉も途中で誰かが買いに走っていた。


 ゴードンたち子どもは、黒石豆くろいしまめを煮たら赤みのある豆に変化したことに大興奮。なぜなぜどうして攻撃は、トウマに拉致られてきたティサマサ教授に丸投げした。トウマあのときはありがとう。味噌スープづくり中だったから助かった。

 マドリーナに伝授一回目の味噌スープは味噌の塩味が強めのままだったが、作り手の好みとアレンジで変わるもの。マドリーナは自分で作ってみて、私が同じ味噌を使って甘めの味噌スープに仕立てていることに驚いていた。


 子どもたちはねっとりベタベタになった黒石豆ペーストにキャーキャー言いながら、なんとか丸くきれいに餅に纏わせられないかと大奮闘。歪な形ばかりではあったが、ぜんぜん上出来! ベリア大先輩はそりゃもう喜んでくれた。

 黒石豆と緑連豆の甘くしたペーストがだめな人もいたが、こういうものかと知ったうえで苦手というなら、それは人の味覚の好みなのだ。仕方ない。 

 黒石豆と緑連豆の甘くしたペーストを苦手と言う人がもっと出るかと思い、用意しておいた甘い黃芋きいもでのスイートポテトは作らなくてもよくなり、その後は流れるようにまたまたバーベキュー。


 バーベキューの炭火を見た瞬間、私の中の記憶が、『餅に醤油』という食べ方を教えてきて、遅い! と自分に突っ込んだ。

 餅米に余裕があれば、どうにかして餅に成形して、焼いて醤油を付けて食べることもできたのか。一人勝手にリベンジを誓った。


 ルシア先輩と雑談しながら牧場の離れの厨房に移動し、保冷庫から昨日の怒涛の成果物を出す。


「前にリリカが作ってくれたときも食べ逃して残念だったんだよ。うふふっ、年単位で久しぶりの黒餅団子! もらいまーす!」

「どうぞー」


 故郷の味を楽しんでくれるのは嬉しいなあ。


「こっちが調理長たちが騒いでたやつか。緑連豆を潰して食べようだなんて思ったことなかった。この豆は野菜スープのアクセントとか、そんな感じのイメージしかないもの」

「そうですよね~。黒石豆も豆だし、緑連豆が菜園でわっさわっさにあったから、面白半分でやってみたらまあまあだったんです」


 嘘だけど。

 私の中の私ではない記憶。チビが植え付けた謎の記憶。食べ物に関しては今のところ面白い。


「この二つなら、私はやっぱり黒餅団子だな。緑連豆もこれはこれで美味しいけど、何か、こう、私には物足りないんだよね」

「調理長と副調理長にコレの追加が欲しいと言われて、三回も作ったんで、何か閃いたプロに期待です」

「言われてみればそうね!」


 ルシア先輩と休憩しながら、私はもう一つ持ってきていたクレープ包みを食べた。ササミ肉の味付けが足りなかったが、お腹は満たされたからいいとする。

 もう少し休みたかったけれど、時計を見ればそろそろ移動しなければならない時間になっていた。


「ルシア先輩、リハーサルあるのでここで抜けます。シード先輩が来るんですよね?」

「来る来る。迎えが来たらリリカの山小屋前の広場に移動するから、オパールたちのことも任せて。リリカも頑張ってね」

「チビに頑張ってもらいます」


 大勢の前に立ちたい希望も欲もない生き方をしているのに、お腹が痛くなりそう。

 厨房を出たらチビとオニキスが近くまで来ていた。


「キレイに洗ってきた?」

「めちゃくちゃ洗ったって」

「しっかり洗ったって」

「んじゃ行こう」


 まだ新しい浮遊バイクは買ってないので、チビの前脚に抱かれて腹の上。

 森の奥にスィーッとぶ。


「でっけぇ船がきたなー」

「え?」


 仰向けの姿勢のチビが空の遥か上を見て言うので、体をひねって空を見上げる。

 言われてみると確かに黒い点のようなものが動いている。私は視力はいいほうだが点にしか見えない。


「空軍の?」

「違うなー。もっと大きい」


 緊急発着場にいる空軍の戦艦ではないらしい。

 空を見上げながらリハーサルをする場所に近づいていけば、船は徐々に下降してきて、なんとなく行き先が同じところではないかと思い始めた。

 もう一度言おう。

 視力はいいんだ。


「……こんなオオモノが来るナンテ聞いてナイ」

「そっかー」

「人は大変だなー」


 妖獣二匹に、俺たちは関係ないと早々に見捨てられた。確かに、確かに、関係ないだろうけども〜!


 船底に描かれている国旗と、私の記憶の間違いでなければ、あれは王家のエンブレム。並ぶように描かれている個人エンブレムは、見ることはないだろうと思っていた国王陛下のものと王妃殿下のもの。

 下降してきた船は一隻ではなく、空軍の戦艦規模の船が一隻と、護衛艦らしき船が二隻。

 船の位置関係で船底が完全に見えないが空軍の戦艦規模のものには、王家のエンブレムよりも大きく、陸海空の各軍のエンブレムを並べた国軍のエンブレム。多分間違いない。あと半分くらいしか見えないけれど、個人エンブレムは全軍総司令官である王弟殿下のエンブレムだろう。ということは今いる位置だと見えないけれど、王弟妃殿下のエンブレムが描かれていそう。


「チビーッ! チビチビチビッ! チビーッ! あの船より先に着きたい!」

「飛っばすー!」


 あんな巨大な船なのに、なんて速さなのか! 高貴なる方々をお待たせするなんて事態はなんとしても避けたい!

 ぶ速度を上げたチビの腹にへばりつく。

 風は異能で防護してくれるけど、速度を上げると重力加速度が増す。圧を避けるにはチビと一体になるに限る。


「絶対落とさないけどー、耳痛くなるかもだから塞ぐよー」

「おねがいー!」


 耳にモコッとした感覚がして音が遮断された。途端に圧が、圧が、ぎぃぃっ! へばりついているのにG値やばい! 圧で吐きそう! もうお腹痛いよぉ!

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