14.感情の無駄遣い

 水を張ったボウルでザラザラと黒石豆くろいしまめを洗う。名前の通りめちゃくちゃ固い豆。表面がつるっつるで真珠のようにまん丸で小さい。このつるつるの小さな豆の中に手を突っ込む感触は気持ちよく、隣でゴードンも楽しそうに洗っていてウヒヒと笑っている。面白いよね。

 

「はくぶつかんにね、チビのむかしのしんせきがきたんだよ。ほねいっぱい!」

「大きかった?」

「うん! すっごくおおきくて、くびとしっぽがながいの!」


 首と尾が長いと聞いた途端に、私の中の別の記憶から一つの恐竜を思い出す。もしかしてアパトサウルスみたいな首長竜に似た妖獣? それは興味津々。ぜひ見に行かねば。


「あとね、オニキスの、えっと、ほ、ほ、ほ」

「ほ?」

「おもいだした! ができたの!」

「おおー! できたんだ!」

「うん! トウマにいとサーせんせいたおれたよ!」


 サー先生? ティサマサ教授かな?


「え? トウマと先生が倒れたって、大丈夫だったの?」

「うん! 『できたー』って」


 理解した、理解した。

 オニキスの姿を立体投影するホログラムを作っているのは聞いていた。

 今夏初公開となる博物館の展示物。

 オニキスは投影用の撮影で連行され、「再現剥製を作ったほうが早そう」とボソリと愚痴を零していたっけ。オニキスの抜けた毛もだいぶあるのでそれでもよさそうだが、オニキスの毛は竜種の鱗よりもレアで奪い合い必死の高級素材となっている。元から博物館のセキュリティは万全だけど、オニキスの本物の毛を展示となれば、より厳重に盗難対策をせねばと喧々諤々の議論となった。ホログラム開発費は再現剥製造費よりも高額だったが、その後の警備にかかるランニングコストが低いほうがいいってことで、再現剥製案が却下されたとトウマから聞いた。


 ホログラムのミニサイズの投影試験では成功したのに、等身大投影にしたらプログラム異常連発。記録した映像が消えること数度。おかげでオニキスもずっと現場待機で何度も撮り直しとなり、ここのところ飽き飽きモードで不貞腐れていたものだ。ご苦労さまでした。


 今夏の博物館はチビのような大型の妖獣の全身骨格も目玉の一つ。事前販売した優先入場入館券は完売。他領の博物館から貸し出してもらった全身骨格は当初の計画よりも展示数が増えたらしい。ゴードンが身振り手振りで話してくれるのを聞くとますます見たい。


 私個人で喜ばしくないのはゴゴジの甲羅も展示されることになったこと。展示後に素材として売却する場合の事前展示を兼ねている。博物館の展示物として所蔵することも検討されているので、積極的に売るわけでもないらしい。ゴゴジの甲羅や骨を素材として売らずとも、ゴゴジが気にかけてくれていた菜園は新しい温室の建設と新しい耕運機の購入が決まったから、我が儘を言えば、私が生きている間は売れないでほしいと思ってしまう。


「ホログラムのオニキスもカッコイイ?」

「うん? かっこいい? おもしろい!」


 面白いホログラムとは?

 よくよく聞いてみると、ゴードンの中でオニキス本体がカッコイイ分類ではないことを知り、笑いを噛み殺す。そんな変化球な回答は想像してなかった。

 普通の狼もカッコイイ分類ではないのかとチラリとゴードンに聞いてみたら、普通の狼はカッコイイ分類だった。オニキスは尻尾が三つあるだけで、ほぼ狼の姿だと思うが、もう一度聞いてもオニキスはやっぱり面白いの分類。オニキス、ゴードンの前で何をしたんだろう。


 黒石豆を洗ったら、水を替えて一晩水に浸ける。浸水させないで煮るとまったく柔らかくならないのに、六時間前後水に浸けてから煮ると柔らかくなる不思議な豆だ。

 餅米も洗って水に浸けておく。


 いろいろあって伸び伸びとなってしまったが、ゴードンと約束した黒餅団子くろもちだんご作りの事前準備。ようやく時間が取れて、明日が本番。ゴードンの友だち三人もやってくる。

 黒石豆を潰して作るペーストは好き嫌いが出やすい食べ物。なので、普段は塩茹でして食べたり、スープに入れることが多い緑連豆りょくれんとうでも作る予定。

 私の中の別の記憶に枝豆という豆を潰して餅に纏わせる食べ物があったのだ。記憶が教えてきた枝豆という植物は見たことがなく、身近な食材で似ていると思った緑連豆で、こっそり試しに作ってみてイケると判断したのでこの情報を活用。


 シャーヤラン領近辺では餅米を食べる文化がない。米粉も小麦粉同様の焼菓子系統では使うが、団子にする食文化もなく、餅も団子も別の地域の食文化の認識。知っていても食べたことはない人が大半。なので今回ベリア大先輩の要請で作る私の故郷の定番菓子、黒餅団子は物珍しさがあるみたい。

 ただ、豆を甘くしたペーストを子どもたちが食べられるかが心配で、マドリーナと相談し、ペースト繋がりで甘い黃芋きいもでスイートポテトも作ることにしている。スイートポテトは大陸どこにでもある定番の菓子。


 お世話になっている商会に餅米の取り寄せを依頼したあとに、食べてみたいという人が増えて足りなさそうなので米粉も用意した。米粉の団子はこの前、私の中の記憶から再現したみたらし団子もどきがまあまあ好評だったからきっと大丈夫。ゴードンが甘ダレ団子と言ったから、これからあれは甘ダレ団子と呼ぶ。


 別個に味噌のスープも作る。マドリーナが前に作った具だくさんのやつの作り方が見たいと言ってきたからだ。

 私の中にある記憶は分量などは教えてくれない。何度か作って失敗もした。多分こうかな? と、手探りで確立した作り方は目分量で適当だから、あとで味噌文化のある地域の郷土料理本を探してマドリーナに教えよう。


 あれこれ作ることになり、結構忙しくなりそうだが、牧場の従業員さんも手伝ってくれるのでどうにかなるだろう。

 ゴードンは『山小屋に行っちゃだめだけど、私に会えないということではない』を正しく理解してからは泣き喚くこともなくなり、博物館での案内係デビューのため、連日レクチャーを受けていて楽しそうだ。

 私と言えば、式典の登場時の練習でチビに上空百メートル近くまでぶっ飛ばされ、ヘトヘトクタクタ。チビを信用していないわけではないが、欠伸をしながら安定の異能制御をしていたフェフェに、全部お願いしたほうがいいような気がしている今日この頃である。


「それじゃ、明日の九時からね」

「うん! 楽しみ!」

「マドリーナ、帰るねー!」

「見送れなくてごめんー! ああ、ヘンリー、よしよしよしよし」


 牧場の母屋があるほうに声を掛けると、マドリーナの焦っている声で返事が来た。


「ヘンリーご機嫌斜めね」

「とうさんがヘンリーのおきにいりのタオルをだめにしたから」

「そっかー」

「ぼくのタオルかしてあげてくる! リリカねえ、あしたねー」

「明日ねー」


 牧場の離れ小屋にある厨房は、トウマにあれやこれやを直してもらって、後日無事に空調も付いた。空調の効いていた厨房から外に出たらムッとする空気。細い月を雲が隠していて、山小屋のある森と空と地面の境もわからないほどの闇。

 首からぶら下げた明かりをつけたら、数メートル先の柵の近くでチビが待っている姿がなんとかわかる暗さ。近づいていくと明かりに反射するように目が光って、極悪顔がより凶悪さを増す。


「待っててくれてありがとう」

「んー、帰ろ」


 鋭い爪のある前脚を広げてくれるので、その爪の檻に閉じ込められて浮かぶ。腹を上にして浮かぶチビ。腹の上に乗せられて運ばれるのは慣れたもの。


 浮遊バイクにペンキを撒かれた事件から二日。

 浮遊バイクか小型車両をレンタルしたいが、忙しい時期に入って空きがなく手配できなかった。ペンキも乾いてしまったので、ペンキ汚れを気にしないならあのまま使えなくはないのだが、今は証拠品で警備隊預かり。あのまま使えるとわかっても乗る気にはなれないけど。

 情報端末で新車、中古のどちらもチラチラ見ていて、もう少し荷物が詰める小型車両にするか、浮遊バイクで雨除けがあるタイプにするかで迷っている。雨除け付きの浮遊バイクは高度十メートル超えの利用はできないが、日常利用なら小雨くらいなら雨具を着ないで乗れるのはいいかもと心の針は傾きつつある。正式に賠償手続きできるとわかってから決める予定だ。

 それにしても浮遊バイクのある生活に慣れてしまい、ないと山小屋からの移動がなかなか不便。採用された当初は片道三十分から一時間歩いていたのに、人はらくをしたがる生き物である。


 昨日も今日もチビによる送り迎え。これはチビからの申し出で、「オレっちにペンキをぶち撒けられるもんならやってみろっ!」と。もうあの人は捕まったからペンキをぶち撒けられるようなことはないのだが。


「まだ怒ってる?」

「怒ってる。オレっち激おこ継続中」

「もういいよ〜」

「リリカ優しすぎ」

「優しくはないよ。怒るエネルギーが勿体ないだけ。チビの時間が勿体ない! 疲れちゃうし」

「それは一理ある」


 二日経ったが、チビは浮遊バイクを駄目にした犯人に怒ってくれている。

 でも怒るのは疲れる。時間も勿体ない。だから落ち着いてほしい。


 浮遊バイクにペンキをかけた犯人は所長代理の下にいたシャナイ。早退してやらかしたことがアレだったということに、怒りながら呆れもした。

 駐車場にある監視映像にも姿がはっきり残っていたから、すぐに逮捕され、即日解雇。

 捏造だ、冤罪だと騒いでいたと聞いたけど、浮遊バイクを弁償してくれたら、もうどーでもいい気持ち。


 大変だったのがチビ。

 事件を知ったチビが怒り心頭で、居合わせたオニキスやキィちゃん、フクロウたちが抑えてくれなかったら、山が一つ吹っ飛んでいたかもしれない。いやもう本当に落ち着かせるのが大変だった。

 その怒りの余波でチビは異能制御が大乱れ。式典登場練習の際に私は上空百メートルに何度も打ち上げられ、クタクタヘトヘトグッタリ。

 フェフェとオニキスがチビの異能異常をフォローして助けてくれたが、チビが落ち着かないとどうにもならず、昨日の練習は途中で中止。

 今日は通常業務の合間に警備隊に行き、逮捕後の報告を受け、損害賠償請求などの手続きをした。そのときに聞かされたのが、捏造だの冤罪だのと喚いている話だった。警備の映像に映っているのがシャナイじゃないなら誰なのか。精神的に疲れた。


 『チビ船』で山小屋に戻れば、明かりがついていて、誰か呼んでたっけ?

 山小屋にいたのはシード先輩夫婦と、リーダーもいた。


「チビがリリカを一人にしたくないって鍵を預かったのよ。持ってきたのはキィだったけど」


 ペニンダさんが鍵を渡してきたのを見れば、何かのときのためにとチビに預けているスペアの鍵だった。

 振り向けばチビはもういない。こういうときの逃げ足の速さはオニキスの速さを超えると思う。明日よしよししよう。


 チビは隠すことなくご機嫌斜めの大荒れ模様だが、私も自分に怒る時間は無駄だと言い聞かせつつも、ムシャクシャする気持ちが湧き上がることがあって、この二日は心がささくれている。食事も身だしなみもいい加減。一昨日と昨日、脱衣所でポイポイ脱ぎ捨てた服を片付けろとスライムが怒ってきても無視。普段ならしつこいスライムだが、やれやれと言った感じで引き下がり、今日は寝床のボウルからほとんど動いていないみたいだ。


「夕食まだでしょう。勝手に台所借りたけど、つまめそうなら食べて」


 テーブルには食事というより、晩酌のつまみが並んでいた。


「……ありがとうございます」

「一回爆発して怒ったほうがスッキリするかもしれんぞ? ここなら他にも聞こえんし、叫びたいだけ叫んだらどうだ」

「阿呆に怒る時間も無駄だが、無関心になろうと我慢している時間が長引くならその時間のほうが無駄だぞ?」

「今のアタシらは先輩でも上司でもなく、リリカを心配する近所のオジサンオバサンよ。よーし、アタシもムカムカしてんのよ。あんの阿呆のバカヤローッ!」


 テーブルにある料理は私の好きなものが多くて、親世代の三人の言葉に私の中で押し留めていた何かの蓋が外れた。


 口角がグイっと下がって歪んだ顔に涙が溢れる。

 あんな人に使う怒るエネルギーが無駄。

 あんな人に使う怒る時間が無駄。

 そう思って、怒りの感情を霧散させようと頑張っているのに、そうできず、こうして呆けて意識散漫な時間が長引いているのもすっごく無駄。


「ッアーーーッ! バッキャローーーッ!」


 ペニンダさんが叫んだ声に引きずられ、感情のままに叫び出したら溜まっていた鬱憤は止まらなかった。

 顔を悔し涙でぐちゃぐちゃにしながら言いたいことをギャンギャン吐き、力いっぱい言うだけ言ったらお腹が空いて、ペニンダさんとリーダーが作った小料理を順番に食べて、二口ふたくちお酒を飲んだのは覚えているけれど、いつの間にか寝た。


 ハッと起きたらまだ日の出前。

 リーダーもシード先輩夫婦もおらず、台所も居間も片付いていて、夢だったかな? と思うほど。だけど保冷庫を開けたら昨夜の食べ残しがあって夢じゃなかった。

 顔を洗いに洗面所に行けば昨日着ていた服があった。風呂に入っ……ペニンダさんに「あー、もー、風呂を終わらせてから酒を飲ませるんだったよー」と言われながら、シャワーを浴びせられたような、夢のような。

 いつの間にか足元に来たスライムがウゴウゴ揺れつつ、とてもささやかにペチンと床を叩いてきた。スライムにまで気を使われている。そうだね。いい加減、洗濯しないとね。

 昨日よりもスッキリしている。

 泣き喚かずに感情を落ち着かせられるようになりたいものだが、まだ私は未熟だった。


「近所のオジサン、オバサン……か」


 言葉を思い出して、頬が緩む。心がポカポカ。

 今日会ったらお礼を言って、黒餅団子と味噌スープができたら食べてもらおう。三人とも黒餅団子が苦手じゃないといいな。

 チビのこともよしよししないとね。

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